1961/02/28 - 1961/03/01
405位(同エリア497件中)
早島 潮さん
膨大な量に達した写真アルバムのデジタル化作業を始めた。記憶に残る旅を順次追憶してみることとした。
大学生活を始めた年には警察官等職務執行法、翌年は日米安全保障条約改定等と学生運動は過激な傾向を辿っていた。折しも岸内閣の後目を襲った池田内閣は所得倍増計画を掲げて登場し日本経済の高度成長が始まった。
東京オリンピックの準備のため経済は高度成長に拍車をかけた。
学友の中には大東亜戦争で父親が戦死し母親の手だけで育てられたという者達が何人もいた。また朝鮮や満州から戦後、着の身一つで引き上げてきたという友人達も沢山いた。親に経済的な負担をかけないために、学寮に入寮し家庭教師や雑役のアルバイトで学資をまかなうのは当然であるとの共通認識があった。中にはアルバイト収入を郷里の母親へ仕送りをしているという親孝行な苦学生もいた。
このような時代背景のなかで過ごした学生生活は物質的には甚だ貧しかったが寮での交遊は精神的に豊かであり皆が将来に夢を持っていた。
卒業を翌年に控えて寮友と二人で九州一周の無銭旅行を企て実行した。
アルバイトで蓄えた僅かな旅費を懐に九州各地の国立大学寮を宿泊先に定めて出発した。長崎県、熊本県、大分県、鹿児島県、宮崎県を訪問した。
旅日記こそ残していないが6×6版の銀鉛写真のアルバムが残っている。
フイルムも焼き付けも高価だったので数は多くない。しかも記念撮影という意味合いが大きかったのでどの写真にも必ず自画像が入っている。
長崎県では
大浦天主堂http://www1.bbiq.jp/oourahp/、
グラバー邸http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/nagasi/gurabar/gurabar.htm、
から眼下に
長崎造船所http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%87%8D%E5%B7%A5%E6%A5%AD%E9%95%B7%E5%B4%8E%E9%80%A0%E8%88%B9%E6%89%80、
を展望した。
長崎平和公園http://www.yado.co.jp/kankou/nagasaki/nagasi/heiwa/heiwa.htm、
雲仙http://unzen.org/japanese/kokuritu/
を尋ねている。
雲仙では息子が新婚旅行にでかけたのを機会に一人旅をしているという婦人と出会い友誼を得た。
この婦人は京都府下の久美浜で運動具店を経営しており、翌年就職活動のため舞鶴の飯野海運を訪問した時再会した。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル
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