![2009/07/06月 キエフ観光1日目<br />・独立広場<br />・聖ソフィア大聖堂(教会、鐘楼、パン焼き場を利用した企画展、琥珀博物館)<br />・黄金ドームの聖ミハイル修道院の教会<br />アンドレイ坂を少しだけ見学した後<br />・ウクライナ歴史博物館<br />・そばの小さな教会のミサを見学<br />・アンドレイ教会<br />【キエフ泊:ホテル・フレシチャーチク(Khreschatic)】<br /><br />最近は博物館で写真を撮るのも楽しみになってしまった私。<br />おかげで、それほど興味あるジャンルでなかったものにも、なにかしら面白いものを見つけることができるようになりました。<br />ただし、展示そのものへの興味が被写体としての興味になってしまうが、困った副作用。<br /><br />歴史博物館は、昔から好きでした。世界史が好きだからです。<br />それに、最近、東欧旅行にハマっているのは、日本では西欧に偏りがちなヨーロッパ史の空白の東欧を私の中で埋めたいからです。<br />東欧の国々の方が、西欧よりよっぽど早くに豊かな文化を開花させていましたし、なによりも同じ出来事が立場変われば当然ですが、西欧視点とはまるきり違う意味を持つなど、それまで教科書で習ってきて積み重なった私の世界史観を根底から覆す新しい発見がたくさんですから。<br /><br />ただし、歴史であればすべて興味の対象とはいえません。時代でいえば、ヨーロッパ中世から近代までに偏ってしまいます。<br />そしてジャンルはどちらかというと文化史・民俗史の方です。<br />考古学時代は、出土品をプリミティブ・アートとして眺めてしまいます。<br />現代史は細かい事件の連続と年表の理解みたいになるので、苦手です。<br />もっとも、東欧を旅行していると現代史が重要になるので、自ずと興味は沸きます。<br /><br />歴史博物館は、目で世界史を学べます。<br />百聞は一見にしかず。頭でなかなかピンとこなかった机上の知識が、視覚イメージから少しでも分かったような気になるのは楽しいです。<br />想像するのは知っている事物からでしかできないから、文字で得た情報を、身近な日本のものと置き換えて想像していたことを知らされることも多く、面白いです。<br />本や教科書に掲載された写真や資料でしか見たことがない実物、あるいは少なくともレプリカでも、三次元のものが見られます。<br />歴史を知らなくても面白いと思えるものにもたくさん出会えますし、宝物や宝飾品のコレクションが見られることがあります。<br />だから、キエフ観光の第1日目のハイライトは、ウクライナ歴史博物館と決めていました。<br />ウクライナ旅行ではスキタイ人の出土品を見るのも楽しみにしていましたから。<br /><br />ただ、残念ながら、今回、旅行前にウクライナ史を満足いくほど予習できませんでした。<br />加えて、博物館の展示の解説に英語がないものが多かったです。<br />そもそも展示数も膨大なので、たとえ英語が併記されていても、解説をすべて読んで回る時間も気力も体力もありません。<br />しかも、入場料と同じ12.00フリヴニャを払えば、写真を撮らせてもらえるとなれば!<br />(2009年7月現在、1フリヴニャ=約14円で換算)<br /><br />ウクライナ歴史博物館の鑑賞時間は15時45分から17時30分。<br />そして撮った写真数は、バネル解説を撮ったものも数枚あるものの、数えてみたらなんと111枚。<br />ウクライナ史を学びに行ったんだか、写真を撮りに行ったんだか。<br />いや、一番の理由は、好奇心を満たしに行ったといえますか。<br /><br />「ウクライナの歴史を巡るウクライナ歴史博物館<br /> ウクライナの歴史をひと巡りする、4階建ての大きな博物館。先史時代の出土品から始まって、ギリシア植民都市やスキタイの遺物、ウクライナの独立まで、50万点に上る膨大な資料で一覧できる。小さな展示に分かれたフロアもあり、通貨の歴史や陶器、オレンジ革命時の資料なども展示されている。(後略)」<br />(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より)<br /><br />※ウクライナ歴史博物館の旅行記は次の3つに分けました。<br />(1)歴史が分からなくても楽しめる!?<br />(2)魅惑の民俗的コレクション<br />(3)盛りだくさんで最後はバテた&その後<br /><br />※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。<br />簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/<br />詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)<br />http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/36/80/650x_10368090.jpg?updated_at=1252280560)
2009/07/06 - 2009/07/06
248位(同エリア393件中)
まみさん
2009/07/06月 キエフ観光1日目
・独立広場
・聖ソフィア大聖堂(教会、鐘楼、パン焼き場を利用した企画展、琥珀博物館)
・黄金ドームの聖ミハイル修道院の教会
アンドレイ坂を少しだけ見学した後
・ウクライナ歴史博物館
・そばの小さな教会のミサを見学
・アンドレイ教会
【キエフ泊:ホテル・フレシチャーチク(Khreschatic)】
最近は博物館で写真を撮るのも楽しみになってしまった私。
おかげで、それほど興味あるジャンルでなかったものにも、なにかしら面白いものを見つけることができるようになりました。
ただし、展示そのものへの興味が被写体としての興味になってしまうが、困った副作用。
歴史博物館は、昔から好きでした。世界史が好きだからです。
それに、最近、東欧旅行にハマっているのは、日本では西欧に偏りがちなヨーロッパ史の空白の東欧を私の中で埋めたいからです。
東欧の国々の方が、西欧よりよっぽど早くに豊かな文化を開花させていましたし、なによりも同じ出来事が立場変われば当然ですが、西欧視点とはまるきり違う意味を持つなど、それまで教科書で習ってきて積み重なった私の世界史観を根底から覆す新しい発見がたくさんですから。
ただし、歴史であればすべて興味の対象とはいえません。時代でいえば、ヨーロッパ中世から近代までに偏ってしまいます。
そしてジャンルはどちらかというと文化史・民俗史の方です。
考古学時代は、出土品をプリミティブ・アートとして眺めてしまいます。
現代史は細かい事件の連続と年表の理解みたいになるので、苦手です。
もっとも、東欧を旅行していると現代史が重要になるので、自ずと興味は沸きます。
歴史博物館は、目で世界史を学べます。
百聞は一見にしかず。頭でなかなかピンとこなかった机上の知識が、視覚イメージから少しでも分かったような気になるのは楽しいです。
想像するのは知っている事物からでしかできないから、文字で得た情報を、身近な日本のものと置き換えて想像していたことを知らされることも多く、面白いです。
本や教科書に掲載された写真や資料でしか見たことがない実物、あるいは少なくともレプリカでも、三次元のものが見られます。
歴史を知らなくても面白いと思えるものにもたくさん出会えますし、宝物や宝飾品のコレクションが見られることがあります。
だから、キエフ観光の第1日目のハイライトは、ウクライナ歴史博物館と決めていました。
ウクライナ旅行ではスキタイ人の出土品を見るのも楽しみにしていましたから。
ただ、残念ながら、今回、旅行前にウクライナ史を満足いくほど予習できませんでした。
加えて、博物館の展示の解説に英語がないものが多かったです。
そもそも展示数も膨大なので、たとえ英語が併記されていても、解説をすべて読んで回る時間も気力も体力もありません。
しかも、入場料と同じ12.00フリヴニャを払えば、写真を撮らせてもらえるとなれば!
(2009年7月現在、1フリヴニャ=約14円で換算)
ウクライナ歴史博物館の鑑賞時間は15時45分から17時30分。
そして撮った写真数は、バネル解説を撮ったものも数枚あるものの、数えてみたらなんと111枚。
ウクライナ史を学びに行ったんだか、写真を撮りに行ったんだか。
いや、一番の理由は、好奇心を満たしに行ったといえますか。
「ウクライナの歴史を巡るウクライナ歴史博物館
ウクライナの歴史をひと巡りする、4階建ての大きな博物館。先史時代の出土品から始まって、ギリシア植民都市やスキタイの遺物、ウクライナの独立まで、50万点に上る膨大な資料で一覧できる。小さな展示に分かれたフロアもあり、通貨の歴史や陶器、オレンジ革命時の資料なども展示されている。(後略)」
(「地球の歩き方ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、コーサカスの国々」('08〜’09年版)より)
※ウクライナ歴史博物館の旅行記は次の3つに分けました。
(1)歴史が分からなくても楽しめる!?
(2)魅惑の民俗的コレクション
(3)盛りだくさんで最後はバテた&その後
※2009年ウクライナ旅行の旅程一覧はこちら。
簡易版「2009年ウクライナ旅行プロローグ(旅程一覧)地図付」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10359084/
詳細版「2009年ウクライナ旅行の詳細旅程」(もう1つのブログ「まみ’s Travel Diary」より)
http://mami1.cocolog-nifty.com/travel_diary1/2009/07/2009-2271.html
PR
-
ウクライナ国立歴史博物館
やっと見つけました!
この国立歴史博物館前の広場の一部が工事用の柵で覆われていたので、ちょっと回り道で迷うところでした。
手荷物を預けることができたので助かりましたが(ガイドブックが2冊と旅日記用のルーズリーフノートがあるだけでもなかなか重い!)、2時間足らずの見学でくったくたになった上、腰痛に悩まされました。
体力の衰えを感じてしまいました(泣)。
博物館を出た後は、あのベンチで1時間ほど動けませんでした。
でも見学中に100枚以上も写真を撮ることができて、幸せでした。
ウクライナ史については、まだまだ知らないことも多く、展示がなんの意味を持つものか良く分からないものもたくさんありましたが、視覚から得られる情報はきっと自分でも思っている以上ではないかと思いたいです。
この歴史博物館は、1988年に市立考古学博物館としてスタートしました。
ウクライナの歴史を概観する博物館にしては、考古学部門にやや重点がおかれていると感じたのはそのせいかもしれません。
ちなみに分館に、ペチェールスカ修道院の歴史文化財博物館があります。
そこには私が楽しみにしているかの有名なスキタイの黄金の胸飾りがあります。 -
入ってすぐの両脇にあった、歴史テーマのカーペット
おそらくキエフ・ルーシ時代の出来事をテーマにしたものだと思います。
中央の負けてる敵の大将はモンゴル兵かしら。
キエフ・ルーシは13世紀になるとモンゴルの来襲を受け、1240年にキエフは攻略されてしまい、衰退します。
その後、キエフ・ルーシの中心はモスクワに移ることになります。
しかし、そんな敗戦場面をこんな立派なカーペットのテーマにするとは考えにくいので、キエフ・ルーシが攻略してきた異民族でしょうか。
向かって右は、ウラジーミル公によるギリシャ正教の国教化がテーマではないかと思います。
「キエフ・ルーシ
「ロシア諸都市の母」という別名を持つウクライナの首都キエフは、その名の通り東スラヴにおいて最も古い都市の一つであり、その名はロシア最古の年代記「ロシア原初年代記」(1113年)に表れています。その中でキエフは482年にキー、シチェク、ホリフという3兄弟により建設され、「(長男である)キーの町」という意味からキエフという名が付けられたと伝えられています。
その後9世紀、ノヴゴロド公国(ロシア史上最古の国家)を建国したヴァイキングの族長リューリクの孫イーゴリがキエフを中心としてドニプロ川沿岸にキエフ公国(キエフ・ルーシ)を建国し、988年にウラジーミル聖公がギリシャ正教を導入して以来、キエフは政治、経済、文化の中心として発展を続け、当時東方アジア方面より絶え間なく西進を続けていたトルコ系遊牧騎馬民族(ペチェネグ族、ポロヴェツ族など)の襲来に度々悩まされながらも11〜12世紀にかけて全盛期を迎えます。この時代の文化遺産として現在も残っているのは、ヤロスラフ賢公によって創立され、キエフ最古の石造建築物であった聖ソフィア寺院(1037年)、ペチェルスカ大修道院(1051年)などがあり、これらはユネスコの世界遺産に指定されています。
しかし、13世紀になるとモンゴル軍がキエフ・ルーシにも襲来し、1240年ついにキエフが陥落してキエフ・ルーシはモンゴル帝国による支配を受けることになります。その後、キエフの衰退によってルーシの中心はモスクワへと移りました。」
(在ウクライナ日本大使館公式サイトの「ウクライナ情報」─「キエフ案内(2007年1月現在) II. 首都キエフ」より)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/kyivannai/1kyiv.htm#kyiv -
入ってすぐの両脇にあった、歴史テーマのカーペット
ぐっと近代になります。
テーマはさっぱり見当つきません。
中央の絵は、勝利か独立を宣言しているようですが、1991年のウクライナ独立とは考えにくいです。
武力衝突のない無血の独立でしたし、人々の服装がそんなに最近とは思えません。兵士たちは第1次大戦くらい?
1917年のロシア革命の年にウクライナは一時、ロシアから自治を獲得し、ウクライナ人民共和国宣言をしています。そのくらいの時代でしょうか。 -
入口ロビーに、ウクライナのシンボルの展示
ウクライナの国旗は、上は空色で下は黄色の2色です。空色は青空を、黄色は無限の穀物畑を象徴するそうです。
真ん中にあるのは、「トリーズッブ」(三つの歯)と呼ばれる三叉の矛で、ウクライナの紋章です。
硬貨やお札を含め、建物など、あちこちで見かけました。
歴史博物館のはじまりらしい展示です。 -
スキタイ黄金コレクションの3D映像
これです、これっ!
かの有名なスキタイの黄金の胸飾り。
キエフ3日目にペチェールスカ修道院内の歴史財宝博物館で実物にお目にかかります。
残念ながら写真撮影は不可でした。
「スキタイの黄金財宝
現在ペチェルスカ大修道院の歴史財宝博物館に保存されている、スキタイの遺跡から発掘された黄金の胸飾りは、外側の文様が空想の世界の動物、つまり死後の世界を、内側の文様が人々や動物の争っている地上の生活を表し、その間に両方の世界を結ぶものとして植物の文様が刻まれており、歴史的にも、また芸術的にも貴重な品となっています。でも、この胸飾りがウクライナ東部のドニプロペトロフスク州の遺跡で発掘されたとき、その遺跡には既に墓泥棒が侵入した跡があったそうです。しかし、幸いにも黄金の胸飾りは、その盗掘跡からわずか15cm先で発見されました。かの墓泥棒がこのニュースを聞いたらさぞかし悔しがったことでしょう。」
(在ウクライナ日本大使館公式サイトの「ウクライナ情報」─「ウクライナ・エピソード集(2006年7月)」より)
http://www.ua.emb-japan.go.jp/J/About.Ukr/Episodes_ukr.htm -
ベロ出しチョンマの愛嬌あるメデューサその他の女神像
このベロ出しチョンマは、髪の毛がヘビでその顔を見たら石になるというメデューサではないかと思います。
確か、舌を出している図像もあった気がします。
これはメダルか装身具かなにかでしょうか。
残念ながら他の博物館でも実物を見た覚えはないです。 -
大胆なデフォルメがユニークな先史時代の人物像
右は、おなかの中にひょっとして胎児?
左のように古代の人物彫刻でこんなに足が長いのは見たことがないです。 -
ここからは、先史時代の展示物から、可愛いのやら気になるのやら
この中では真ん中の土器に非常に惹かれました。
タカに見えますが、ツル性の植物のような文様もステキです。
両脇の土器もステキです。
先史時代のものは、プリミティブ・アートとして眺めると、非常に興味がわきます。
ヨーロッパの例に漏れず、ウクライナもさまざまな民族が交差しました。
せめてどの民族のものか確認したい気持ちがないわけでもありませんでしたが、説明はウクライナ語のみで、いちいち読み解こうとしたら時間も体力も気力もなくなると思ったので、それは無視することにしました。 -
古代ギリシャ時代の影響のある壷
古代ギリシャのものと言い切るにはさらにプリミティブです。
右下は馬の絵でしょうか。どことなく可愛い@ -
絵柄がどこかひょうきん@
くるくる貝殻のような模様も可愛いです。 -
穀物モチーフが気に入った@
-
腕輪や首飾り
とんぼ玉ですね。
チュニジアで見た古代カルタゴの出土品を思い出します。 -
先史時代の土器のこういう線描、いいですねぇ
-
笛? 釣り道具? なにかの留め金?
-
装身具? 祭儀具?
ネックレスの三角モチーフは、たしかスキタイの宝飾品で見たことがある気が……! -
たぶんバックル?
真ん中の列のモチーフはドラゴンでしょうか。それとも魚かな。 -
うるわしい線描の入った土器
2つくっついた入れ物に注目。
今ならさしずめ、塩こしょう入れといいたいところですが@ -
ビーズ・アクセサリー
プラスチックの安物などない時代です。石も黄金も当然本物。
赤い石はカーネリアンかしら。指輪の黒はオニキスかしら。 -
古代の美しいピアス
これもスキタイの宝飾品で見たことがあるような気が……。 -
独特な形をした容器
ウクライナ独特のものでしょうか?
施された模様も美しいです。 -
さっきの独特な器が中央に目立つように展示
-
デザインが美しい皿
ここからは中世くらいになります。
フォークロア・コレクションといってもいいかもしれません。 -
イースターエッグとにわとり
-
イースターのパン焼きを焼くときの型
たぶん太陽と水の模様ではないかしら。 -
可愛い@
動物たちだと思うのですが、なんでしょ、これ?
子供のおもちゃかな?
あるいは、お墓の副葬品かな? -
巨大な歴史テーマの絵画
テーマはキエフ攻略? -
金属製の見事な鎖の装身具? バックル?
それとも馬具かしら。
時代はたぶん、中世くらい。 -
馬具っぽいけど?
-
たぶん中世スラブ人の装身具
-
たぶん中世スラブ人女性の装身具
-
城壁に囲まれた10〜13世紀頃のキエフのジオラマの一部
真ん中に見えるのは聖ソフィア大聖堂です。
そして現代のキエフの中心ともいえる独立広場は、この城壁の外に位置していました。 -
聖ソフィア大聖堂に注目
教会の前には人物もいるみたいです。
18世紀に建てられた鐘楼は当然まだありません。
聖ソフィア大聖堂の鐘楼の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16840616/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(2)キエフ:予想以上の美しさにドキドキ───聖ソフィア大聖堂とそこから見た黄金ドームの聖ミハイル修道院」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367606/ -
手前の教会はウラジーミル教会かしら
現代よりも教会が多い気がします。
現代のキエフは社会主義時代のスターリンと2つの大戦や内戦の洗礼を受けていますからね。 -
11〜12世紀の黄金の門周辺の絵画
黄金の門は、11世紀前半にヤロスラフ賢公によってキエフを囲む城壁が築かれたときに造られた門です。
この門が「黄金の門」と呼ばれるのは、今なら黄金ドームのせいといいたくなるかもしれませんが、むしろ通行料を金貨で徴収したからだそうです。 -
ステキな意匠の腕輪と首飾り
-
聖人をテーマにしたと思われるモダンなステンドグラス
でも誰か分からない……(泣)。 -
伝説のキエフ創始者のキー3兄弟
独立広場にはキー3兄弟(キー、シチェク、ホリフ)と妹のルイペジの像がありました。
キエフの名前の由来は、長男の「キーの町」です。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/16830570/
関連の旅行記
「2009年ウクライナ旅行第2日目(1)キエフ:せっかくだから独立広場から」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10367605/ -
黄金の門の絵の一部
今度は外側ですね。 -
意味深な彫刻
-
踏みつけられているのは土着の宗教?
-
コイン・コレクションの展示室にて
でも、注目したのはむしろ民族衣装@
あるいは壁のコインは、コインというより、首飾りの一部かしら。 -
レーニンの写真のあるソ連時代のルーブル紙幣
-
フリヴニャの旧札
ウクライナは独立した翌年の1992年にルーブル圏より離脱しました。
当初はカルボォヴァーネツというクーポン券を暫定通貨として使っていたようです。
フリヴニャは1996年9月に導入されました。
でも今は新札(2003年以降)になっていますので、このデザインではありません。
使われている人物像はかぶるようです。
<この旧札の人物像>
1フリヴニャ紙幣は、キエフ・ルーシを発展させ、ギリシャ正教を国教としたウラジーミル大公。
2フリヴニャ紙幣は、キエフ・ルーシ最盛期のヤロスラフ賢公。
5フリヴニャ紙幣は、一時的でもコサックの国を建国したボフダン・フメリニツキー。
10フリヴニャ紙幣は、コサックの独立をめざした実質最後のコサック・ヘトマン(長)のイワン・マゼッパ。
20フリヴニャ紙幣は、19世紀の国民的作家でウクライナ独立運動も推進したイワン・フランコ。
50フリヴニャ紙幣は、1918年に一時的に独立を勝ち取ったウクライナ共和国(中央ラーダ)の初代大統領のミハイル・フルシェフスキー。
100フリヴニャ紙幣は、19世紀の国民的詩人でウクライナ語最大の文学者といわれ、キエフ・オペラ座や大学等いろんなところにその名がつけられているタラス・シェフチェンコ。
200フリヴニャ紙幣は、19世紀から20世紀初頭の女性詩人レーシャ・ウクラインカ。
近代以降の展示はさっぱり分からないものがあって、たくさんスルーしました。
歴史博物館は私にはまだまだ宝の持ち腐れです。
でもこれから少しでも持ち腐れていかないようにすればいいんです@
「2009年ウクライナ旅行第2日目(6)キエフ:ウクライナ歴史博物館(2)魅惑の民俗的コレクション」へと続く。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
まみさんの関連旅行記
キーウ (キエフ)(ウクライナ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
キーウ (キエフ)(ウクライナ) の人気ホテル
ウクライナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ウクライナ最安
426円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
43