2009/07/18 - 2009/07/19
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ライオンベラーさん
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(1 http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10363862/ の続きです。)
福島県の喜多方から米沢を経て山形へ向かいました。
山形県は、前回(ゴールデンウィーク)の旅で米沢を訪れたので、今回は2度目になります。
でも、県庁所在地の山形市を訪れるのは今回が初めてです。
どんなところなのでしょうか?
やはり、楽しみでわくわくしてきます。
会津若松を出たとき既に、5時半頃でした。
山形のホテルのチェックインは8時です。
果たして間に合うのでしょうか?
とにかくこのまま、喜多方に向かって走り続けるしかありません。
ではでは、第二幕の始まり始まり〜〜・・・
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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喜多方はラーメンで有名な街です。
前回(ゴールデンウィーク)もここに来たかった・・・喜多方なのでキタカッタ・・・という訳ではなくて、本当に来てみたかったのですが、残念ながらここも時間がなくて来れませんでした。
そこで、今回こそここでラーメンを食べてみようと思って、立ち寄ることにしました。
ガイドブックを見るとたくさんのラーメン店のメニューが紹介してあります。
とりあえず、1つ選んで住所をカーナビにセットしました。 -
途中、何軒ものラーメン店の看板を目にしました。
高松のうどん店のような感じでラーメン店が点在しているようです。
ナビが「目的地に到着しました。」といいましたが、あれあれそこには、どこにもそのような名前の店は見当たりません。
2〜3回、車でその通りを往復した後、車を降りて歩いてみると、ようやくそれらしい家を見つけました。
何とまったく普通の家のようでした。
残念ながら、店はもう閉まっていました。 -
仕方がないので来るときに見た、前の写真の店に入りました。
これだけ競合しているのに、この店もたくさんの人が入っていました。
もしかすれば、高松の人たちが朝、昼、晩と毎日3食ともうどんを食べているように、この街の人たちも朝、昼、晩と3食ともラーメンを食べているのでしょうか?
まるで、インドの人たちが朝、昼、晩と3食ともカレーを食べているのと同じだと思いました。
確かに、味はこれまで食べたラーメンの中でも美味い部類に入ると思いました。 -
前回、来れなくて本当に心残りで、どんなところか、そしてラーメンはどんな味かずっと気になっていましたが、これで納得できました。
しかし、こんなに早くここに来ることができるとは思っても見ませんでした。
今回このコースを選べて、本当にラッキーでした。
時刻は6時半です。
今日の8時までに山形のホテルにチェックインしなければなりません。
果たして間に合うでしょうか? -
米沢にやって来ました。
ここは、前回上杉祭を見たところです。
といっても、前回はJR米沢駅から会場の川原までを往復しただけです。
米沢駅は街の東のはずれにありました。
地図を見ると、米沢の中心街はその先(西)で、上杉家に関する観光スポットはそこにあるようです。
そのため、ぜひもう一度ここを訪れてみたいと思っていました。 -
まず、上杉神社に行ってみました。
参拝者用の駐車場に車を停めて歩きましたが、思ったよりずっと広い神社でした。
神社というより、まるで城のようなところで、城のような大きな堀に囲まれていました。
写真は堀にかかる橋から神社を見たところです。
おお、ここにも毘沙門天(びしゃもんてん)の「毘」の旗がありました。
橋を渡ろうとしてよく見ると、左後方に何やら大きな建物がありました。 -
どうやら博物館のようです。
この時間なので、博物館はもうどこも閉まっているだろうと思っていたけど、灯(あかり)が点(つ)いているということはまだ開いているのかも知れません。
天地人ブームなので、それも十分考えられます。
急いで行ってみることにしました。 -
やはり博物館で、中に入れました。
でも、この入り口の部分だけで、2階の展示場はもう閉まっていました。
ここにも直江兼継さんがいました。
今年の旅では、至(いた)るところでこの人やらこの人の写真やらと出会います。
後ろの舞台は何と仕掛けで動くようになっていました。
こんな大きな建物を造ることができるなんて、この米沢市は財政的に恵まれているのでしょうか? -
とすればこれも過去の上杉鷹山(ようざん)のような人たちの力なのでしょうか?
さて、また先ほどの橋に戻って渡っていきました。
上杉謙信が祭ってある神社だと思うと、少し緊張します。
橋を渡った左の丘に何かあるようなので、登っていきました。
柵(さく)の中に石碑(せきひ)がありました。
おおおおお! ここは何と、何と・・・ -
何と何と、ここは1600年頃から明治の初めまでずっと・・・
あの、上杉謙信の本物の遺体(いたい)が安置してあった場所でした!
おおおおお、何と畏(おそ)れ多い場所なのでしょう!
うおおおお、うおおおお・・・と思いながら、脚ががたがたと震えてくるような気がしました。
(実際には震えてはいませんが・・・) -
『謙信は天正六年(1578)三月十三日、越後春日山城で逝去(せいきょ)、享年(きょうねん)四十九であった。その遺骸(いがい)は甲冑(かっちゅう)を着せ、甕(かめ)に収め、漆(うるし)で密閉したといわれている。
その後、謙信の跡(あと)を継いだ上杉景勝が会津一二十万石、米沢三十万石に移封されるに伴い、謙信の遺骸も移され、米沢城南東隅のこの地に御堂(みどう)を建て安置した。
・・・・・
明治四年の廃藩に際し、仏式を改め神式とし、謙信は上杉神社の祭神として祭られる。謙信の遺骸は同九年に歴代藩主が眠る御廟所(ごびょうしょ)(上杉家墓所)に移された。 米沢市』 -
どうやら、昔はここは城だったようです。
写真は上杉神社です。
関が原の合戦が終わって、上杉景勝が米沢領主になった1600年当時の各大名の年齢は次の通りでした。
生 年 1600年当時 所属大名家
徳川家康 1542年 (58歳) 徳川
毛利輝元 1553年 (47歳) 毛利
上杉景勝 1555年 (45歳) 上杉
直江兼継 1560年 (40歳) 上杉
石田三成 1560年 (40歳) 織田
伊達政宗 1567年 (33歳) 伊達 -
せっかくここまで来たので、前回来た上杉祭で川中島の戦いを再現していた川原まで来て見ました。
前回とは異なった経路で来たので、前回との位置関係を確かめたかったからです。
写真は橋の上から祭りの会場(南)を見たところです。
前回来たのは、確かにここでした。
こんな遠くの前回とまったく同じ場所に再び来ていると思うと、信じられないような気持ちになります。
そしてまた新たに謙信縁(ゆかり)の場所を訪れたと思うと、何か不思議な因縁(いんねん)のようなものを感じました。 -
そのまま進んで米沢駅までやって来ました。
やはり、前回見た通りの駅舎です。
前回は、ここに新幹線が通っているということはまったく意識していませんでした。
今回、そう思ってよく見ると、また新たな感動を覚えました。 -
時刻は8時になろうとしています。
ホテルには遅れる旨(むね)を連絡しました。
これで、もう慌(あわ)てる必要がありません。
ほっとした気持ちで山形に向かいました。
ホテルに着くと9時を回っていました。
さすがにその時刻になると、街は静かでした。 -
翌朝です。
長旅の後、ようやくたどり着いたホテルですが、もう出なければなりません。
次の宿は秋田です。
でも昨日に比べれば、距離的にはだいぶ余裕があるので、朝はゆっくりしてしまいました。
本当は8時ごろにホテルを出たかったのですが、もう10時になってしまいました。 -
せっかく山形に来たので、山形のことをもっと知っておきたいと思って、山形県立博物館にやって来ました。
こんなに遠いところへは、もう来る機会がないかも知れないと思って、今日一日で山形のすべてを知り尽くすぞという意気込みで入館しました。 -
これまでの山形のイメージとしては、山の中の田舎の県で、特にこれといって特徴的なことは何も思い浮かびませんでした。
強いて言えば、坂田の港とか、特産のさくらんぼとか、それぐらいでした。
でも私が知らないだけで、それ以外にもいろいろ魅力(みりょく)があるに違いないと思って、それなりの期待感をもって、展示物を見て回りました。
どうもここは地質的に面白そうなところだということがわかりましたが、残念ながら旅の途中なのでじっくり説明を読んでいくことはできませんでした。 -
おとうさんおかえりなさい。
うわあ、大きな獲物(えもの)だぁ!
ここでは、昔の人たちはこのような生活をしていたようです。
でも、これはおそらく日本の他の地域でも同じだったでしょう。
この頃、中国では始皇帝が、エジプトではクレオパトラが活躍していたのでしょうか? -
これは何時頃でしょうか?
江戸時代でしょうか?
いや、昭和に入っても農村の家は、やはりこんな感じだったように思います。
このように博物館で、いろいろな時代の人たちの立場に立って、あれこれと想像してみるのはとても楽しいことです。 -
霞城(かじょう)公園にやってきました。
これは最上義光(もがみよしあき)の像です。
それにしても格好いい像です。
最上義光は上杉景勝について調べるときによく登場しましたが、それまではその名前さえも知りませんでした。
そもそも東北地方の中世・近世の武将で知っていたのは伊達政宗(だてまさむね)ぐらいでした。 -
それも、昔職場関係の旅行で『みちのく「伊達政宗」を訪ねて』というのに参加して初めて、伊達政宗が東北地方の殿様だったと知ったほどですから、本当に私はそういった類(たぐい)のことは何も知らない人でした。
(それまでは伊達政宗でさえも忍者か何かだと思っていたほどです。)
ここ山形城跡は復元計画が進んでいるようで、この中にその資料のようなものがありました。 -
先ほどの入り口から出てきたところです。
何と、ここにも天地人の旗が立っています。
最上義光の旗も立っています。
旗や銅像から推察(すいさつ)すると、ここ山形では最上義光は英雄的な扱いを受けているようです。
確か、最上義光は天地人の上杉景勝と敵対していたように思いましたが、果たしてどうなのでしょうか? -
もしそうなら上杉氏を奉(たてまつ)る米沢と最上氏を奉る山形は対立してしまうと思われますが、どちらも仲良く同じ天地人の旗を掲(かか)げています。
ううん、よくわかりません。
今、調べてみると、最上義光は米沢以外の山形県の発展の基礎を築いたようです。
ここ山形にとって最上義光は、東京にとっての徳川家康、大阪にとっての豊臣秀吉、米沢にとっての上杉景勝のような存在のようです。 -
さあ、山形を発って秋田に向かいます。
東北中央自動車道を北上しています。
この自動車道は将来は福島から秋田まで繋がるようです。(国道13号線沿い)
この先で、山形自動車道と交差します。
坂田の方に立ち寄りたいので、ここで左折(させつ)します。
時刻は11時半を回りました。 -
山形自動車道は途中で途切れています。
これから順次工事して繋いでいくのだろうと思いながら、その区間を走っていくと驚きました。
何とその区間は人里離れた高く深い山の山頂近くを走っていました。
恐ろしく深い谷を見下ろしながら進んでいくと、まるで小型飛行機に乗って飛んでいるような気持ちになりました。
出羽三山の羽黒山にやって来ました。
時刻は1時です。 -
ここは修験者(しゅげんしゃ)が集まる山のようです。
-
山岳信仰の場のようです。
-
西日本でいえは熊野とか比叡山(ひえいざん)とか、小豆(しょうど)島とか、そのようなところのようです。
-
これだけの人が訪れているということは有難いところに違いありません。
-
さっそく私も行ってみることにしましょう。
-
どうも、ここに来る人たちは、私のように半端な観光気分ではないようです。
-
この建物は博物館のようなところで、出羽三山の信仰(しんこう)に関することが展示されていました。
入り口でカメラを見せて撮影できるかと尋ねてみると、とんでもないというような表情で断られてしまいました。
やはりここは純粋な気持ちでお参りに来るようなところのようです。 -
雨のためか神秘的な雰囲気が感じられます。
-
ここが本殿のようです。
-
さあ、まだ先は長いので、急いで車に戻らなければなりません。
-
車のところまで戻って来ました。
時刻はもうすぐ2時になろうとしています。 -
『いでは文化記念館』にやってきました。
ここも出羽三山参りに関することが展示してあります。
ここは少し現代的なところだったので、撮影禁止の表示もなかったので中で写真を撮ることにしました。 -
この人たちは本物そっくりですが、まったく動きません。
作り物なのでしょう。 -
鶴岡の『致道博物館』というところにやって来ました。
時刻は3時半です。
昔の建物が移築して展示してありました。 -
また別の建物の中はこんな感じでした。
-
昔の人はこんなところに住んでいたようです。
上級武士か大商人の家でしょうか?
いくら広い家でも慣れてしまえば飽きてしまうかも知れません。
下級武士や農民の暮らしはどうだったのでしょう?
これほどではないにしても、それなりに味わい深い家に住んでいたのかも知れません。 -
まるで旅館のような部屋です。
-
趣(おもむき)のある庭です。
-
この庭を外から見たところです。
-
鶴岡城の模型です。
-
こんなところもありました。
-
この船は6人が座って漕(こ)いでいたようです。
当然別に舵(かじ)取りもいたでしょう。 -
この3階建ての家にも入ることができました。
3階に上がると、ミシミシといって、今にも崩(くずれ)れ落ちそうでした。
それでもまだ何人もの人たちが3階に上がってきました。
あああ〜〜・・・も、もうそれ以上登らないでくれ〜〜〜
ミシミシ、ミシミシ・・・
ああああ〜〜〜 -
こんな建物もありました。
時刻は4時になってしまいました。
今日は秋田の宿に8時にチェックインしなければなりません。 -
遅くなったので、楽しみにしていた坂田の街は素通りせざるを得ませんでした。
日本海はかなり荒れ模様でした。
-
昔からこのようなところで、何人の人たちがこのような波に飲まれて命を落としてきたかと思うと、本当に恐ろしいと思います。
時刻は5時半です。
これからいよいよ秋田県に入ります。
秋田県に入るのは生まれて初めてです。
感動の瞬間です。 -
あれあれ・・・?
このような海を見ながら走っているといつの間にか秋田県に入っていました。
時刻は6時半になろうとしています。
この辺りは鳥海パノラマライン、鳥海ブルーラインといったドライブウェイがあるようですが、時間がありません。
でも、この天気なのであきらめがつきます。 -
今日は明るいうちにホテルに着くことができました。
ここも昔から1度は訪れてみたいと思っていた街でしたが、来てみると郊外はやはり大型チェーン店などが建ち並ぶ普通の街でした。
少し街を歩いてみました。
夕食は名物の『きりたんぽ鍋』を食べようと思って探していたら、”県外の人はきりたんぽ鍋が半額”という看板を見つけたので、さっそく入って注文してみました。
私は県外から来ましたと言うと、何の疑いもなく納得されました。
きりたんぽはちくわのようなものかと思ったら、食べてみるとご飯だったので、これは珍しい、これなら名物として十分にやっていけると納得しました。
(「3 十二湖(白神山地)を歩く 09夏」http://4travel.jp/traveler/wanyamapori/album/10369521/ に続く)
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