2009/08/06 - 2009/08/06
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マキタン2さん
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八幡堀〜八幡堀とその歴史について・・
(http://omi8.com/annai/hachimanbori_info.htmより引用)
八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次は、八幡堀と琵琶湖とを繋ぎ、湖上を往来する船を城下内に寄港させることで、人、物、情報を集め、さらに楽市楽座制を実施することで城下を大いに活気づけました。
八幡堀(全長4,750m)は交通路や生活の場として長らくその役目を果たしてきましたが、生活形態が変わりだした昭和30年代もなると、八幡堀は市民にとって忘れ去られた存在となり、やがて無用の長物から公害源となりだしました。(中略)そして、保存運動の取り組みから約30年、今日では下水道化も進み市民の環境に関する考え方も変わってきました。
市民と行政による協力や連携により今日の姿まで回復を遂げた八幡堀では、今現在も、八幡堀を守る会、地元自治会、観光物産協会、観光ボランティアガイド協会、等の各種団体が清掃活動を続けています。まさに「八幡堀」は近江八幡のまちづくりのシンボル、また観光客の訪ねたい場所として風情ある風景を取り戻しました。
日牟礼八幡宮については・・
(http://www5d.biglobe.ne.jp/~him8man/ より引用)
そもそも日牟礼社の社名は、日觸の転とする説があり、和珥・日觸使主に由来します。日觸使主を始めとする和珥氏は、應神天皇に深い縁故を有し、同族の櫟井氏とともに江州(=現在の滋賀県地方)土着の氏族です。古来わが国の各地に分布していた氏族の多くは、その祖神あるいは紙祇を奉祀していました。この一般例に鑑みると、当社は同族の人びとがその祖神を祀る斎場に、縁故深い八幡大神を合祀したものと考えられます。昭和41(1966)年、神社本庁別表神社に加列し、神社名を日牟礼八幡宮と改称するに至ったのです。
近江八幡観光物産協会については・・
http://omi8.com/index1.htm
近江路観光ガイドについては・・
http://www.ohmitetudo.co.jp/outdoor/index.html
近江路ぐるっと3日間の主な日程は・・
新幹線で岐阜羽島駅ー伊吹山山頂お花畑散策ー彦根城・玄宮園ー彦根ビューホテル泊ー琵琶湖観光・竹生島ーマキノプリンスホテルー延暦寺根本中堂ーホテル京阪京都泊ー石山寺ー坂本ー近江八幡ー多賀大社ー醒井宿ー米原駅から新幹線乗車
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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