2009/07/18 - 2009/07/18
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hirootaniさん
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今回は、会社の山好きの集まり「山カラ隊」(山とカラオケ、温泉、お酒とおいしいもの好きの集まり)で、毎年恒例の「奈良カラ」に出かけた。
自分は、昨年までの3年間ベルギーに駐在していたので、久しぶりの「奈良カラ」だ。
朝、仲間と乗り合いで車で名古屋を出て奈良に向かう。3連休の初日とあって、1000円になった高速道路は大渋滞。
ただ、それをある程度見越して早く出発していたので、他のメンバーよりは、早く最初の目的地の南法華時(壷坂寺)に到着。
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【高取城址】
皆よりも早く着いたので、壷坂寺を通り越してさらに坂を上ると、高取城址に到着する。
この城は日本三大山城の一つ。
標高584メートルの高さに残された石垣に圧倒される。朽ちてはいるが、その全体を想像すると、よくもこんな山の上にこれだけ広々とした城を築けたものと感心する。 -
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城からの眺め
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【壷坂寺】
高取城址を跡にして、当初の目的地である壷坂寺へ。すでの住職の法話が始まっていた。
「寺は壷阪、笠置、法輪」とは清少納言の「枕草子」の一節である。平安時代の壷阪寺は霊験あらたかな寺として知られていた。 -
このお寺は「お里・沢市」の話で有名で、昔から目の不自由な人々の聖地として厚い信仰を得てきた。
昭和36年には日本初の養護盲老人ホームを設置した。 -
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手前の大仏像と奥の大菩薩像は、インドの救ライ病事業に対してインドから送られた石から作られたもの。
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昭和61年10月に完成をみた仏伝図は同じカルカラの古石を用いインドで製作されたものである。高さ10mに及ぶ世界にも比類ない仏伝図で釈尊の生涯(釈迦の前世から涅槃)を10の場面に分け彫刻が施されている。この事業は日印文化交流の一貫であり、また、壷阪寺とインドを結ぶ友情の産物である。
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【飛鳥寺】
次に訪れたのは、飛鳥寺。596年(推古4)に蘇我馬子によって建てられた本格的な伽藍配置の日本で最初の大寺院。
本尊の飛鳥大仏(釈迦如来像)は、年代のわかる現存の仏像では日本最古のものと言われている。 -
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飛鳥寺の裏には、昔からの田園風景が広がる。この地は、藤原京がおかれたところであり、昔は聖徳太子もこのあたりを徒歩でまわっていたという。
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【蘇我入鹿の首塚】
皇極4年(645)に中大兄皇子は藤原鎌足と謀って、飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿の首をはねたのです。
ところが、はねられた首は地面には落ちず宙に浮き、鎌足を追いかけたといいます。
そのすさまじい怨念を鎮めるために建てられたのが蘇我入鹿の首塚だといわれています。 -
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【甘樫の丘】
次に訪れたのは大和三山が見渡せる甘樫の丘 -
【甘樫の丘展望台より】
左に見えるのは大和三山の一つ畝傍山 -
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【金峯山寺】
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。この姿を桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。
明治7年(1874年)、明治政府により修験道が禁止され、金峯山寺は一時期、廃寺となり復職神勤しますが、同19年(1886年)に天台宗末の仏寺として復興。昭和23年(1948年)には、蔵王堂(国宝)を中心に、金峯山修験本宗が立宗し、その総本山として今日に至っています。山号は国軸山、宇宙の中心の山という意味を号しています。
(金峯山寺オフィシャルホームページより引用) -
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今夜の泊まりは、大峯奥駆修行の起点となる東南院の宿坊。
宿坊でありながら、山カラメンバーは夜まで大酒を飲んでいた。
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