2009/05 - 2009/05
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西部旅情さん
今回は中国旅行、中国観光情報及び中国観光地のご紹介をします。
ゴビのなかの「酒の泉」と呼ばれるオアシス――酒泉
酒泉は、河西回廊の中部、ゴビ(戈壁)灘を渡るシルクロードの東に位置する。夥しい石ころを含んだ黄色の大地の際限のない広がりのなかにあって、目に痛いほど鮮やかな緑が映えるオアシスの町だ。祁連山脈を源とする陶勒河と洪水壩河の流れが、このオアシスを潤している。
酒泉からは真夏にも白雪を輝かせる祁連山脈がはっきりと望める。酒泉からはゴビを隔てた向こうに聳える山脈だが、それでもさながら酒泉の緑のオアシスが祁連山脈に抱かれている感がするほどだ。酒泉の南には祁連山脈の主峰、海抜5564mの祁連山がある。
河西回廊に沿うように東西に走る祁連山脈の連なりは烏鞘嶺から当金山口まで1000kmに及ぶ。河西回廊の南側に位置することから南山とも呼ばれ、祁連山脈に加え冷竜嶺、党河南山、疏勒南山など計7条の山脈が走ることから、これらを総称して祁連山地とも呼ぶ。大小の氷河は3000余に及び、この雪解け水が降雨量の少ない河西回廊を限りなく潤す水源となっている。山麓は豊な森林地帯で多くの鳥獣が生息し、牧畜に適する草原、薬用の動植物、地下資源などに恵まれ、祁連山地を人々は「聚宝山」「万宝山」とも呼んでいる。ちなみに、酒泉の工芸品として名高い夜光杯にも祁連山脈の玉石が用いられている。
酒泉の地は、河西回廊では最も早く漢民族の支配下に入った。河西四郡の最初の郡として前漢の紀元前121年に酒泉郡となり、現在の酒泉に築かれた城は「福禄城」と名付けられた。前漢から三国時代までこの地は福禄県と呼ばれ、南北朝に禄福県となり、隋唐から清までは粛州と呼ばれた。別に金泉とも呼ばれた。
また、酒泉は『唐詩選』のなかの王翰の詩「涼州詞」の詩情によっても、広く知られている。
葡萄の美酒 夜光杯
飲まんと欲して琵琶馬上に催す
酔うて沙場に臥すも君笑う莫れ
古来 政戦 幾人か回る
戦に身を晒して、広大なゴビのなかのオアシスで葡萄酒を飲む―。王翰の詩からは、漢民族の前線基地としてゴビのなかのオアシスに築かれた酒泉の町の情感を扱み取ることができるようだ。
現在、酒泉の人口は4.5万人。漢民族のほか回民族などが住む。槐などの街路樹が植えられた酒泉の市街地は小さく、中心地はほど良く賑やかである。大きなビルなどがない繁華街の街並みは小さなリゾート地のようでもあり、映画館があるのも微笑ましい。町の中心にある鐘鼓楼から20分も散策するとゴビで出してしまうので、自由市場などを楽しみながら、ゆっくりと緑豊かな小さな町を歩いてみることもできる。一方、郊外は小麦の生産量が多く、トウモロコシ、栗などを収穫する農村地帯で、りんご、梨、桃、西瓜などの果物の里でもある。ポプラ並木が続く農村の真夏の濃い緑は本当に美しい。
参考資料:中国旅行専門サイト―西部旅情
http://www.westpassion.com
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