2002/04/12 - 2002/04/14
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2002年4月12日、私は、初めて沖縄を訪問しました。
旅の目的の一つに、「あの戦争」と形容される沖縄戦跡を
自分の眼でしっかりと見てこようという、熱い思いがありました。
「表紙の写真」の碑は、那覇空港より東側・那覇市街を見下ろす小高い丘の上に建っています。
先に投稿した「沖縄・摩文仁の丘(まぶにのおか)」と合わせて読んで頂ければ幸いです。
なお、写真は「沖縄・摩文仁の丘(まぶにのおか)」と同じく
SONY「Cyber Shot: DSC-P5」で撮影しました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- レンタカー
-
-
地下に奥深く延びている本道。
-
元あった柱(丸太)の痕。
壁に、鋤やつるはしで掘ったおびただしい痕が
見えます。 -
本道と支道の分岐する部分。
-
上の写真の左側に、細い支道が伸びています。
-
当時の防空壕を建造する様子を、絵に描いたもの。
-
人が一人程度、入れる横穴。
武器、または負傷者を収容したのでしょうか? -
現在では「立ち入り禁止」となっている横穴。
私たち旅行者が見ている壕は、戦時中に作られた壕
のほんの一部です。 -
現在では「立ち入り禁止」となっている竪穴。
-
発電機が設置されていた痕です。
-
排水ポンプでしょうか?
-
この壕内には、当時約4000名の将兵が居たと
言い伝えられています。
壕内は、南国特有の湿った空気、人が発する
人息れ、汗、負傷した兵士の血が流れ、壕内環境は
劣悪だったと、想像される。
写真は、その有様を絵で表現したもの。 -
「大田 実 司令官」他幹部が居たとされる
幕僚室です。 -
「大 田 実 司令官」ほか、幹部幕僚が
作戦を練っている絵。 -
「大田 実 司令官」が、昭和20年6月13日、
拳銃または手榴弾によって自決されたとき、
破片が飛んだと推定される痕跡(こんせき)。
大 田 実 司令官
「 辞世の句
大君の御(?)なのもとに死してこそ
人と生れし 甲斐ぞありけり 」
(?)は、何と読むのか不明。
-
今から、まさに壕を出て決戦に挑む兵士を
描いた様子。 -
-
昭和20年6月4日、アメリカ軍が現在の
那覇空港北側から、上陸作戦を展開した様子が描かれ
ています。 -
-
当時の配電用・碍子。
-
戦没者の霊をなぐさめる、菩薩像。
「 至 心 合 掌 」
やすらかに
鎮まりませ
ひたすらに
願ひをこめて
黄 菊 白 菊
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