2009/05 - 2009/05
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西部旅情さん
西側をゴビ灘に望む位置によってシルクロード上の国際交易都市であった張掖はまた、祁連山脈から流れる黒河が大地を潤す河西回廊第一の穀倉地帯でもある。町も、郊外の農村も燦めく緑が実に美しい。
張掖の名は、前漢の武帝が河西四郡を定めた折り、「断匈奴之右臂 張中国之臂掖」(匈奴の右臂を断ち、中国の臂掖(腋)を張る)という句に拠ったといわれる。西域へ版図を積極的に拡大した漢の意気込みを伝える話だが、西側をゴビ(戈壁)灘に接する張掖の地勢をみると、「臂(腋)を張る」という語感が伝わってくる。河西回廊は、張掖の町を出るとやがてゴビの広がりとなって、そのなかに点々とオアシスが続くようになる。酒泉、敦煌もそのようなオアシスの町であり、張掖はゴビの東端の町となっている。武威、張掖と回廊の草原地帯を伸びてきた漢の勢力が、酒泉、敦煌を望むゴビを前にして「臂(腋)を張る」というのは“いかにも”という感じがする。逆に、西域から広大なゴビのなかの道を渡ってきたシルクロードの隊商が張掖に辿り着くとホットしたであろうことも想像できる。
シルクロード上のこのような位置から張掖は国際的な貿易都市として栄えた。隋の時にはこの張掖で国際貿易博覧会が開かれている。甘州とも呼ばれ、唐のころには一時吐蕃が支配し、唐の末から五代にかけては甘州回鶻の拠点ともなった。元代には、マルコ=ポーロがフビライ=ハンに謁見するまでの1年間をここで過ごしている。清代には張掖県となり、中華人民共和国となって市制が布かれた。
張掖はまた、「金の張掖」と呼ばれる。祁連山脈の豊富な雪解け水を源とする黒河(河西四大水系のひとつ)とその支流が肥沃な大地(河西回廊を代表する農地)を形成し、古くから良質な米を産する豊な穀倉地帯となってきた。
現在、人口は45万人(1市5県)。漢民族のほか、回族、蒙古族、裕固族、チベット族などの少数民族が住む。真夏の町には槐、柳などの並木が緑豊かに日に映えて、ゴビの熱風を受けながら開放的なオアシスの雰囲気を漂わせる。「金の張掖」の呼び名にふさわしく、町の周辺に広がる農村の緑はあくまで濃く豊かで、点在するひまわりの畑が印象的だ。
参考:中国旅行専門サイトhttp://www.westpassion.com
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