2009/05 - 2009/05
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西部旅情さん
玄宗皇帝と楊貴妃、果てしなき愛の行方
西安市の東30km、驪山の麓にある華清池は、唐の玄宗皇帝が、毎年、秋から翌春まで、楊貴妃とともに愛の日々を送った場所である。温泉に浸り、歌舞を楽しみ、酒宴にあけくれた。
温泉の存在は古くから知られていた。歴代の皇帝がこの地を野放しにしておくはずがない。秦の始皇帝は離宮である驪山湯を設けた。漢の武帝も、それを修復し、訪れていたのである。
8世紀半ば、玄宗皇帝が、新たに建造した宮殿を華清宮と名づけたことから、ここは華清池と呼ばれるようになった。現在の華清池には、玄宗皇帝の専用風呂である蓮花湯、楊貴妃の専用風呂である海棠湯が発掘され、再現されている。ともに観光客の人気を呼んでいる。
もともと楊貴妃は、玄宗皇帝の実子、寿王の妻であった。親子ほど年が離れた2人は、愛の日々に惑溺し、栄華を堪能したすえ、没落していく。756年、安禄山に長安を追われた玄宗は、護衛兵の反乱により、楊貴妃に死を命じざるをえなかった。白楽天が、その顛末を「長恨歌」で謡ったのは周知のことだ。
また、華清池は、1936年、西安事件の舞台になったところでもある。張学良を説得するために西安に赴いた蒋介石は、華清池に1泊したが、逆に張の軍隊に襲われ、捕えられた。彼が宿泊した五間庁は、当時の様子を伝えている。
西安近郊には、秦の時代よりもはるかに昔の遺跡もある。
西安城から東6kmの西安市半坡村に、1953年、何と約6000年前の新石器時代に属する仰韶文化の半坡類型が発見された。総面積の5分の1を発掘調査すると、住居遺跡、家畜小屋、成人と子供の墓、陶器製作現場、生活用具など、1万点以上も出土した。
その遺跡の上に巨大なドームをつくって博物館としたのが半坡博物館である。黄河の上・中流域に栄えた仰韶文化だが、この中流の半坡類型が一番古いものだ。
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