2009/05 - 2009/05
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西部旅情さん
唐の時代、長安が、シルクロードの東の起点となり、往時のローマ帝国と並ぶ国際貿易都市として繁栄したことは、よく知られるところだ。さまざまな国の僧や商人などが、さまざまな目的を持って、この長安を訪れていた。また、長安からも、多くの中国人が、異国を目指して旅立っていった。
西域へ漢民族が踏み出していったのは、前漢の時代、武帝が、匈奴の伸張に対抗するため、大月氏に張騫を派遣したことから始まるといっていいだろう。後漢になると、班超が西域都護となり、甘英をローマに派遣したことは、周知のことである。以後、中国の西域との関係は、紆余曲折を経たが、唐の時代には盛時を迎える。
西域を行き交う人々は、どんな目的を持っていたにせよ、誰もが冒険者だった。交通手段の発達した現代では想像もつかないことだが、旅は、確実に、未知の世界との出合いとなり、死の覚悟なしには行いえないものであった。
西域を旅した人の中で、最も日本人に親しみのあるのは、おそらく三蔵法師玄奘だろう。唐の時代、中国に仏教を正しく導き広めるため、彼は長安をあとにした。その苦難の連続だった道程に、私たちが魅かれるのは、彼が生命を賭けても、希望を失わずに、一歩一歩、長い歳月をかけて、最初の目的に向かっていったからにほかならない。
三蔵法師玄奘の旅から受ける感動を、私達は何と呼べばいいのだろう。この胸ときめく気持ちを、とりあえず表現するとしたなら、こうなるだろうか。シルクロードにおけるロマンの人。そう、まさに三蔵法師玄奘は、西域の東の玄関としての長安の代表的な人物と言えるだろう。
三蔵法師玄奘がかきたてるシルクロードのロマンは、西域を旅したすべての人々に共通して抱かせる。歴史に名前を残したわずかな人ばかりでなく、現存する記録に残らなかった大勢の旅人も、同じように、ロマンの人であった。
かつての長安は、そんな人たちによって活気づけられていたのだ。
日本人も例外ではない。この世界で最も活気ある都市へと、命を賭けて海を渡った遣唐使たちは、国の益になる多くの物事を吸収して日本に持ち帰ったのだ。彼らもやはり、ロマンの人と呼んで差し支えないはずだ。
日本の平城京・平安京が、長安をモデルにしてつくられたのは有名な話だが、これも、命を賭けて海を渡った人々なくしては不可能なことだったのだ。
14世紀、明の太祖洪武帝は、諸王子を各地に送り、王としたが、長安に封ぜられた第2子の秦王は、唐の時代の長安城の北部に城壁を築いて、西安府としたのだった。その西安府が今の西安の基になっている。
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現在の西安市は、面積9983平方メートル、約640万人の人口を有する陝西省人民政府の所在地で、陝西省の政治・経済・文化・交通の中心地だ。また、西北地区最大の工業都市になっている。南の郊外は、陝西師範大学、西安外国語大学など、大学が約20校集り、文教区となっている。東の郊外は、紡績工場が多く、紡績城と呼ばれている。市街区、郊外ともに見どころは豊富だ。
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