2007/10/04 - 2007/10/04
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フロッガーさん
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久々に喜多方にラーメンを食べに行こうと思い立ちます。多分、喜多方に思い立っていくのは3回目。せっかくなので、鶴ヶ城に先に行ってチラ見してから喜多方へ行く事にしました。宇都宮を出たのは午前11時過ぎだったのですが、国道4号が高根沢あたりからすでに混み始めていて高速を使わなかったのを後悔。。。(とはいえ高速もダメだったかも)。福島に入るのに2時間かかってしまいました。
そして、いつもは郡山市から会津方面に向かうのですが国道294号線に入る道に会津方面と書かれている看板を見つけてそちらから向かってみる事にしました。道中はいたって空いていて、里山の綺麗な景色がずっと続きます。会津若松まではスイスイだったのですが、市内が大渋滞。なんとか、午後4時半に鶴ヶ城へたどりつけました。3年ほど前、真冬の大雪の中天守閣内は見学していたので、今回は雪で何がなんだかわからなかった外を見て回りました。さすがに連休中、観光の人が一杯いました。
言うまでもありませんが、鶴ヶ城は別称若松城。
戦国時代にはここに葦名氏の「黒川城」があり、蒲生氏郷が文禄元年(1592)に甲州流の縄張を用いることで郭を築き、今より高い7層の天守閣・櫓を建てたと伝えられています。そして地名を若松と改めこの城を鶴ヶ城と命名しました。
慶長の大地震(1611)によって天守閣は傾き長い間放置されることとなりますが、加藤明成の時代に鶴ヶ城は大改修されます。大手門を北側、天守閣を5層に改めて石垣を改修・新築、出丸を拡張、空堀に水を常水するなど鶴ヶ城を現在の形としました。後に天守閣は戊辰の役で砲撃され、明治7年に陸軍省の命令によって取り壊されました(城跡は払い下げ)が、昭和9年に国から史跡指定を受け、昭和40年に内部を郷土博物館展示場として再建されました。復元にあたっては、比較的に近年まで城が残っていたおかげもあり当時の設計を模した本格的な物となっています。鶴ヶ城は奥羽地方の要所であり、なだたる戦国大名や勇将が相次いで入城しました(蒲生氏・伊達氏・上杉氏・保科氏等)。今もなお東日本一を誇る規模の城となっています。
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三の丸駐車場から入りました。テニスコートの側を歩きながら行くと、廊下橋です。
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こちらから入ると本丸側からになります。
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鉄門をくぐって正面側へ。
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綺麗に並べて植えられています。
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このポストに葉書を出すと、特別な消印が押されてくるそうです。
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鐘撞堂へ。
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幹の根本がモコモコしていて、中が空洞になってます。。。人が2〜3人は入れるくらい。
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見上げるとこんな感じ。
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堀の上に登って、月見櫓の方へ歩いています。
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南走長屋あたり。
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変わりまして、鶴ヶ城稲荷。
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左右に狐様の像が何体も並んでいます。左側が雌。
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右側が雄。
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駐車場に戻るころには日も落ち始めて、もみじも赤く見えていました。
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喜多方へ向かう途中。霧かと思ったら野焼きの煙でした(爆)
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ざっと城内を散策してから喜多方へ。市内に入ったのはいいのですが、人はいないわ店はやってないわ。。。いったい何があったんだというほどの過疎っぷり。よくわからなくて中心部のお店はあきらめて、以前行ったことのある大みなと 味平へ。
とりあえず、満足して帰りました(^◇^)
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