2008/11/30 - 2008/11/30
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フロッガーさん
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今日は大雄寺(だいおうじ)に行ってきました。
大雄寺は、黒羽町(大田原市)にあるお寺です。松尾芭蕉の弟子(桃雪・翠桃)がいたことから、芭蕉は奥の細道にて日光の後にこの地へ立ち寄り13日間ほどを過ごしたと伝えられています。
桃雪は本名を、浄法寺(図書)高勝[じょうほうじたかかつ]と言い、黒羽藩・城代家老の身分でした。黒羽藩は中世から近世にかけて黒羽を中心に18000石の領地をもっており、国替えもなくこの地を支配した外様大名の大関氏の地です。
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横には羅漢様たちも。
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山門。寺伝によれば、このお寺の創設は応永十一年 (1404)に余瀬・白旗城内に臨済宗の却外久(きゃくがいきゅう)和尚が創建したとあります。この白旗城は鹿子畑(かのこはた)氏のお城でしたが、戦乱の中で焼失してしまいます。その当時は大雄禅寺と呼ばれ、場内鬼門の場所に建っていたと伝えられます
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そして回廊から境内へ。
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総門。左右に回廊がつながります。
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本堂。大雄寺は天正4年(1576)、黒羽藩主10代目・大関忠増(ただます)によって再建されることになりました。忠増は本拠を白旗城から黒羽城へ移し、同時に大雄寺も今の場所(城の南側)へ移しました。
その後の大田原藩主・大田原資清(すけきよ)との争いで13代目・大関増次(ますつぐ)は敗れて亡くなり、大田原資清の子で大関家の後継となった14代目・高増(たかます)からこの後大関氏は明治時代まで続くことになります。大雄寺は、大関増次を開基として玄隣大和尚が開山し、大関家累代の菩提寺となりました。13代目・増次の院号から大雄寺は「黒羽山・久遠院・大雄寺」と称することになります。
境内は文安5年(1448)の伽藍の形態を残し、総門・本堂・座禅堂・鐘楼・経蔵・回廊・庫裏などの伽藍は本堂を中心に周囲をを回廊で囲む形になっており、室町時代の様式を伝えるものになっています。建物の屋根がみな茅葺屋根です。 -
経蔵。一切経4500巻を納めています。
毎年6月8日の大般若法会の際に開門されるそうです。 -
禅堂。今も体験などに使われています。
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チラッ。
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