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二宮町にある専修寺(せんじゅじ)で、50年に一度の大恩会(だいおんえ)が行われています。期間は平成二十年3/18〜3/20までで午前・午後の時間限定です。専修寺の御影堂において、高田派第2代・真佛(しんぶつ)上人750年忌と第三代・顕智(けんち)上人700年忌とを併せて「大<br />恩会」(だいおんえ)と命名し法要が行われます。この両上人の仏像が50年に一度拝める3日間なのです。<br />平成20年3月28日から30日まで<br />一般参拝<br />28日 午前9時〜11時<br />    午後3時〜4時<br />29日 午前9時〜10時<br />    午後3時〜4時<br />30日 午後3時〜4時<br /><br />御影堂の本尊の左右に両上人像が安置されていて、普段は秘仏として見る事ができません。今日の午後3時から4時までの観覧に間に合いそうなので、母上様と行って見る事にしました。あいにく午後から雨が降ってきてしまいましたが境内では桜がちらほら咲き始めていて、おごそかな雰囲気でした。<br /><br />専修寺は、浄土真宗・真宗教団連合10派の1つである真宗高田派の寺院になります。山号は「高田山」。本山は三重県津市一身田町にあり、本寺は栃木県芳賀郡二宮町高田のこの地にあって、本山専修寺の住持が両寺を兼任しています。二宮町のこの専修寺は「本寺専修寺」を名称とします(三重は「本山専修寺(高田本山)」)。専修寺の名前の由来は、浄土系宗派の専修念仏からきていて、同じ浄土真宗の寺院である本願寺派・本願寺や三門徒派・専照寺も建立当初は専修寺と号していました。<br /><br /><br />以前、茨城の旅のブログで紹介した親鸞聖人の登場です。<br />真宗の開祖・親鸞聖人は、42歳の頃から20年間にわたり関東各地を行脚して専修念仏を広めていました。下野国(栃木県)のこの高田の地に来たのは53歳ころといわれています。この地には多くの門弟が生まれる事になり、これらの人々の希望に沿ってお堂を建てて長野県の善光寺から一光三尊仏を迎えて本尊としました。これが草創と伝えられています。<br /><br />境内内の受付で、一人1000円のお布施を払うと記念品がもらえます。記帳して御影堂の中へ。中は撮影禁止です(;´Д`A ``` 本尊が祀られている所の豪華さはすごい物で、彫刻も凄いものです。真佛上人像が向かって左、顕智上人像は右に安置されていました。両方の像とも、京都に修理に出していたそうで、700万ほどかけて修復されたそうです。この像の写真はHPにありましたので下のリンクからどうぞ。(書かれている期日は三重県の大恩会の期日です)実物は目がギラリと光ってる物で、写真とは違って凄い威圧感で見据えている感じでした。顕智上人像は、御本人の生前に造られた物で、真佛上人像は死後200年ほど経ってから造られた物だそうです。<br /><br />雨の中で急いで撮った物ですが、境内内の御紹介です。

専修寺の大恩会です。

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2008/03/28 - 2008/03/28

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フロッガー

フロッガーさん

二宮町にある専修寺(せんじゅじ)で、50年に一度の大恩会(だいおんえ)が行われています。期間は平成二十年3/18〜3/20までで午前・午後の時間限定です。専修寺の御影堂において、高田派第2代・真佛(しんぶつ)上人750年忌と第三代・顕智(けんち)上人700年忌とを併せて「大
恩会」(だいおんえ)と命名し法要が行われます。この両上人の仏像が50年に一度拝める3日間なのです。
平成20年3月28日から30日まで
一般参拝
28日 午前9時〜11時
    午後3時〜4時
29日 午前9時〜10時
    午後3時〜4時
30日 午後3時〜4時

御影堂の本尊の左右に両上人像が安置されていて、普段は秘仏として見る事ができません。今日の午後3時から4時までの観覧に間に合いそうなので、母上様と行って見る事にしました。あいにく午後から雨が降ってきてしまいましたが境内では桜がちらほら咲き始めていて、おごそかな雰囲気でした。

専修寺は、浄土真宗・真宗教団連合10派の1つである真宗高田派の寺院になります。山号は「高田山」。本山は三重県津市一身田町にあり、本寺は栃木県芳賀郡二宮町高田のこの地にあって、本山専修寺の住持が両寺を兼任しています。二宮町のこの専修寺は「本寺専修寺」を名称とします(三重は「本山専修寺(高田本山)」)。専修寺の名前の由来は、浄土系宗派の専修念仏からきていて、同じ浄土真宗の寺院である本願寺派・本願寺や三門徒派・専照寺も建立当初は専修寺と号していました。


以前、茨城の旅のブログで紹介した親鸞聖人の登場です。
真宗の開祖・親鸞聖人は、42歳の頃から20年間にわたり関東各地を行脚して専修念仏を広めていました。下野国(栃木県)のこの高田の地に来たのは53歳ころといわれています。この地には多くの門弟が生まれる事になり、これらの人々の希望に沿ってお堂を建てて長野県の善光寺から一光三尊仏を迎えて本尊としました。これが草創と伝えられています。

境内内の受付で、一人1000円のお布施を払うと記念品がもらえます。記帳して御影堂の中へ。中は撮影禁止です(;´Д`A ``` 本尊が祀られている所の豪華さはすごい物で、彫刻も凄いものです。真佛上人像が向かって左、顕智上人像は右に安置されていました。両方の像とも、京都に修理に出していたそうで、700万ほどかけて修復されたそうです。この像の写真はHPにありましたので下のリンクからどうぞ。(書かれている期日は三重県の大恩会の期日です)実物は目がギラリと光ってる物で、写真とは違って凄い威圧感で見据えている感じでした。顕智上人像は、御本人の生前に造られた物で、真佛上人像は死後200年ほど経ってから造られた物だそうです。

雨の中で急いで撮った物ですが、境内内の御紹介です。

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  • 総門。茅葺きで、柱は親鸞聖人の建立当時の物です。

    総門。茅葺きで、柱は親鸞聖人の建立当時の物です。

  • 山門。総門から、この山門、奥の如来堂まで一直線に並びます。山門は元禄年間に建築さた物で、江戸時代の名筆であった公猷法親王による「高田山」の額が置かれています。

    山門。総門から、この山門、奥の如来堂まで一直線に並びます。山門は元禄年間に建築さた物で、江戸時代の名筆であった公猷法親王による「高田山」の額が置かれています。

  • 如来堂。一光三尊仏を本尊として安置しています。元禄十四年(1701)の建築。浄土真宗・真宗教の本堂ですが特殊な外観を持つ建物です。礎石になっている巨大な自然石は、祖師聖人の時代そのままのものだそうです。

    如来堂。一光三尊仏を本尊として安置しています。元禄十四年(1701)の建築。浄土真宗・真宗教の本堂ですが特殊な外観を持つ建物です。礎石になっている巨大な自然石は、祖師聖人の時代そのままのものだそうです。

  • 鐘楼堂。この鐘は、300年ほど昔の江戸時代に門徒から寄進されたものだそうです。作は江戸藤原重正、古くから二里四方に音を響かせる鐘といわれています。お堂自体は嘉永二年の建築で、工匠は伊勢四日市、願誓寺住職・竹内義道師です。

    鐘楼堂。この鐘は、300年ほど昔の江戸時代に門徒から寄進されたものだそうです。作は江戸藤原重正、古くから二里四方に音を響かせる鐘といわれています。お堂自体は嘉永二年の建築で、工匠は伊勢四日市、願誓寺住職・竹内義道師です。

  • 太子堂。聖徳太子2歳時の姿をあらわした南無仏太子像を本尊として祀っています。以前は300mほど南にあったものをこの境内に移築されたものです。

    太子堂。聖徳太子2歳時の姿をあらわした南無仏太子像を本尊として祀っています。以前は300mほど南にあったものをこの境内に移築されたものです。

  • 涅槃(ねはん)堂。平成十二年に建立された、寄棟造りの五間四面の建物です。第18回目にあたる位置光三尊仏の開扉の記念事業として建てられました。中に釈迦涅槃像が安置されています。涅槃像は横たわったお釈迦様の像ですが、木造金箔塗りの3mにおよぶ大涅槃像で、日本一とも言われる大作と言われています。この像は、江戸湯島久兵衛の作といわれており、元禄十五年・十六年の墨書が残っています。

    涅槃(ねはん)堂。平成十二年に建立された、寄棟造りの五間四面の建物です。第18回目にあたる位置光三尊仏の開扉の記念事業として建てられました。中に釈迦涅槃像が安置されています。涅槃像は横たわったお釈迦様の像ですが、木造金箔塗りの3mにおよぶ大涅槃像で、日本一とも言われる大作と言われています。この像は、江戸湯島久兵衛の作といわれており、元禄十五年・十六年の墨書が残っています。

  • 御影堂。親鸞聖人の等身の御影を中央須弥壇上に安置していて、左右に真仏・顕智両上人の木像をはじめ、歴代上人像を祀っています。昭和60年からの大修理によって、元々の茅葺き屋根の形に復元されました。またそのとき、寛保三年(1743)の墨書が発見されて、その頃の建築と判明しました。

    御影堂。親鸞聖人の等身の御影を中央須弥壇上に安置していて、左右に真仏・顕智両上人の木像をはじめ、歴代上人像を祀っています。昭和60年からの大修理によって、元々の茅葺き屋根の形に復元されました。またそのとき、寛保三年(1743)の墨書が発見されて、その頃の建築と判明しました。

  • 総門前のケヤキ。樹齢800年と言われ親鸞聖人が植えた物といわれています。<br /><br />親鸞聖人は専修寺建立後の貞永年間(西暦1232年頃)に京都に帰り、弘長二年(1362)に90歳で亡くなりました。葬儀は三代・顕智上人によって営まれましたが、その際に遺歯九粒を携行して専修寺に持ち帰り親鸞聖人御廟に埋葬しました。このお墓は如来堂の奥にあります。<br /><br />ということで、次に見れるのは50年後ですから自分は80歳を通り越し。。。このお寺は建造物も凄いので、お近くの方は寄ってみてください(&#39;-&#39;*)<br />

    総門前のケヤキ。樹齢800年と言われ親鸞聖人が植えた物といわれています。

    親鸞聖人は専修寺建立後の貞永年間(西暦1232年頃)に京都に帰り、弘長二年(1362)に90歳で亡くなりました。葬儀は三代・顕智上人によって営まれましたが、その際に遺歯九粒を携行して専修寺に持ち帰り親鸞聖人御廟に埋葬しました。このお墓は如来堂の奥にあります。

    ということで、次に見れるのは50年後ですから自分は80歳を通り越し。。。このお寺は建造物も凄いので、お近くの方は寄ってみてください('-'*)

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