2009/04/05 - 2009/04/05
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Johnnieさん
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昨日(4/4)の花見は人も多く疲れてしまったので、今日は人が少なそうな所へ遊びに行こうということに。
そこで、前から気になっていた北条氏邦の居城・鉢形城へやって来ました。
エドヒガンの一本桜でも有名(?!)だそうです。
-
9:15、鉢形城跡に着きました。
ほとんど人はいないです。
それよりも、想像してたよりもかなり広いので驚きです。
そして、かなり綺麗に、しかも原型を変に壊さない程度に整備されています。 -
【馬出】
鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家臣 長尾景春が築城したと伝えられています。 -
【二の曲輪】
後に、この地域の豪族 藤田康邦に入婿した、北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさになりました。 -
【二の曲輪】
関東地方において有数ん規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
(以上、パンフレットより抜粋) -
肝心の桜の方はと言いますと、まだまだ五分咲きでしょうか?
-
【三の曲輪】
東京は既に満開でしたが、ここは埼玉北部なのでもう少しかかりそうですね。 -
【三の曲輪】
まあまあ、今日のお目当てはエドヒガンザクラですから。
こちらは既に散り始めとの情報がありましたが、焦らずにまずは城跡見学と行きましょう。 -
【三の曲輪】
三の曲輪の上まで上がって来ました。
が、何か違和感が・・・
「三の曲輪」=「三の丸」と考えて良いのでしょうか?
普通は「本丸」が一番高い場所にあって、その周りに「二の丸」「三の丸」と続くのではないかと思いますが、この鉢形城は「三の曲輪」が一番高い所にあって、その下に「二の曲輪」、「本曲輪」と続いているのです。 -
【復元四脚門】
と、違和感を抱きながら、唯一と言ってよい建造物である「四脚門(ただし復元)」から「三の曲輪」へ入ります。 -
【復元石積土塁】
綺麗に石垣が復元されていますが、綺麗過ぎてなんだかなあ・・・と。
せっかく戦国時代の城跡が美しく整備されているのだから、無理に石垣とか(先ほどの四脚門も)必要ない気がしてしまいます。 -
【三の曲輪】
と言いつつも、ほとんど夫婦で貸し切り状態なので、かなり良い気分で散策を始めたのでした。 -
【三の曲輪】
こちらの角度(逆光)から見ると、意外と雰囲気が良いですね。 -
【馬出】
馬出の奥には北条家の旗が。
長尾氏が統治していた時代もあったのですが、やはり地元の人も北条家の方が親近感があるようですね。 -
【二の曲輪】
復元の柵ですが、戦国時代の城の雰囲気を良く出せていると思います。
(TVのイメージしかありませんが・・・)
原型を壊さない程度の、こういう復元がいいですね。
注文が多くて申し訳ございません。
この辺の感覚は人それぞれですからね。 -
「三の曲輪」と「二の曲輪」の間にある空掘。
下から見ると、結構深いんですね。 -
【エドヒガンザクラ】
本日のメインであります(今日はどちらかと言うと花見目的のはずなんだよな・・・)エドヒガンザクラです。
第一印象は、とにかく大きい!
左下の人影が見えるでしょうか? -
【エドヒガンザクラ】
こちらのエドヒガンは、二本の幹が一旦伐採され、その株元から十二本の芽が成長したもので、樹齢は150年ほどと推定されています。
これほど大きな桜が樹齢150年ということは、私達が普段見ている桜は意外と若いのですね。
戦国時代の人達と同じ桜を眺めている気分になっていたので、ちょっと残念ですが、まあ当たり前ですよね。 -
【エドヒガンザクラ】
お彼岸のころに咲くからヒガンザクラという名が付いているわけで、いくら北関東だからと言ってもすでに散り始めなわけです。
遠くから見ると綺麗ですが、近くでよ〜く見ると若葉が結構出ていました。
もう1週間くらい早く来た方が良かったのかもしれません。 -
エドヒガンを鑑賞した後は、深沢川を渡って鉢形城歴史館へ。
そして城の東側を北へ向かって歩きます。 -
【土塁】
そもそも北条家の四代氏政と五代氏直は、どちらかと言うと器量の小さい大名と一般に言われていますが、小田原攻めで滅ぼされるまで、勢力は拡張の一途なんですよね。
何だか不思議に感じていたのですが、 -
【笹曲輪】
こうして鉢形城跡を歩いていると、北条氏の勢力拡張の原動力となったのは、小田原にいる氏政・氏直親子ではなくて、ここを拠点に北関東へ勢力を伸張させた北条氏邦だったのではないかと改めて感じました。 -
【カタクリ群生地】
鉢形城は武田信玄や上杉謙信の攻撃も受けていますが、その都度防衛をしています。
まさに、北条家の北関東支配の要となった城と言えるでしょう。 -
【笹曲輪】
そんな名将のイメージが高い北条氏邦ですが、どうしても良く分らない点があります。
そう、秀吉による小田原攻めのきっかけとなった「名胡桃城落城事件」のことです。 -
【石垣】
北条氏邦の家臣である沼田城代・猪俣邦憲が、真田昌幸の家臣である鈴木重則が守る上野国名胡桃城を、謀略によって奪取した事件です。
これが天下人である豊臣秀吉の発令した惣無事令違反として、小田原征伐の理由となってしまうわけですが、さてさて何だか腑に落ちないものがあるんですよね。 -
【伝御殿下曲輪】
一般的には猪俣邦憲の独断で行い、北条氏を滅亡させたと非難されていますが、これほどの重大事を猪俣邦憲のみで判断したとは思えないんですよね。
とすると、対秀吉強硬派だった北条氏邦の指示があったのでしょか。 -
【本曲輪】
しかも妙なことに、氏邦は名胡桃城落城事件のある意味「現場責任者」であるにも関わらず、戦後、生きながらえているのです。
前田利家の助命嘆願があってのことだとされていますが・・・ -
【本曲輪】
さらに奇妙な言い伝えもあって、戦後、猪俣が前田家に召し抱えられていたと言う・・・
もちろん確証はありませんが。 -
【荒川】
氏邦は反豊臣の急先鋒と言われていますが、実は裏があったんじゃないかな、と考えてしまうのです。 -
【本曲輪】
鉢形城は一ヶ月の籠城の末に降服していますが、同じ前田・上杉連合軍の力攻めを受けて一夜にして陥落した非運の八王子城と比べると、何だかなと。 -
【本曲輪】
戦後、八王子城主の北条氏照は、氏政と共に切腹をしています。
同じ兄弟で、当事者の氏邦が生きながらえているのは一体どうしたことでしょう。 -
【田山花袋の碑】
実は前田利家と通じていた?
にしては、戦後、剃髪し七尾に千石を与えられ、ひっそりと暮らしていたそうです。
名将・氏邦の晩年としてはあまり良い暮らしとは言えないかな、と。 -
【伝御殿曲輪】
だとしても、秀吉にいいように利用されたのではないかという気持ちが何だか抜けません。
あくまで"想像"なんですけどね。
小田原の役の発端となった名胡桃城の事件については色々な説があるので、私もちょっと空想をめぐらしてみました。 -
【エドヒガンザクラ】
そんなことを想像している内に、再びエドヒガンの下へ戻って来ました。
桜は不思議だな、と感じます。
城跡は本来血なまぐさい場所のはずなのですが、桜がそれを浄化してくれているような気がするのです。
だから多くの城に、桜が植えられているのでしょうかね? -
綺麗に整備されている鉢形城ですが、春うららか過ぎて、ここでどのような激戦が行われたのかは想像することもできません。
-
【伝逸見曲輪】
一回りしたつもりだったのですが、駐車場の裏手にも遺構がたくさん残っていました。 -
【伝逸見曲輪】
せっかくなので、発掘整備されている所は踏破することにします。 -
【伝逸見曲輪】
本当に広いですね。 -
【大手】
この辺りが大手なのですが、近代的な城の大手門のような雰囲気はありません。 -
【復元四脚門】
こちらもあくまで復元。 -
ただ、多く連なる郭の跡が、当時の規模を偲ばせてくれます。
北関東の備えとして武田、上杉と真っ向勝負しながらも、ついに小田原の役を迎えた鉢形城。
2時間ほど歩いて後にしました。
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