2009/03/08 - 2009/03/08
781位(同エリア2195件中)
めるくんさん
前日の宇治散策に続き本日は京都散策です。訪問先は京都市内に点在する源義経公ゆかりの地です。源義経公を知らない日本人はいないと思いますが、念のため・・・
【平安末期の武将。日本で最初に武家政治(幕府)を始めた源頼朝公の異母弟。一の谷戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼす。平家打倒後、兄頼朝公との確執が深まり追われることとなる。奥州藤原氏(藤原秀衡公)を頼り平泉に留まるが秀衡公の死後、後継者に裏切られ(衣川の戦い)自害する。】
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京都市北区紫竹、この地で牛若丸(源義経公)は、河内源氏の棟梁源義朝公の末子として産声を上げました。母親は当時絶世の美女と言われた常盤御前です。紫竹付近には牛若町という町名や、牛若通りという道路、牛若というバス停まであります。
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常徳寺です。常盤御前が牛若丸(源義経公)の安産を祈願したと伝わる常盤地蔵が安置されているそうです。
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牛若丸誕生井です。牛若丸(源義経公)の産場に用いられたという井戸です。民家が並ぶ一画の畑の中にあります。
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牛若丸誕生井の横にある牛若丸胞衣塚です。牛若丸(源義経公)のへその緒が埋められていると伝わる塚です。
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光念寺です。このお寺には腹帯地蔵といわれる小さな仏様があり、常盤御前の守り本尊であると伝わってます。
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牛若丸(源義経公)の史跡とは関係ありませんが、近くに大徳寺という大きなお寺がありました。ぶらりと立ち寄ったのですが、関が原の合戦で敗戦の将となった石田三成公の墓所がありました。
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大徳寺の山門です。この山門楼上に千利休が自らの像を置いたため、豊臣秀吉公から切腹を命じられたそうです。
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大徳寺を見学した後、牛若丸(源義経公)の母常盤御前が使用したと伝わる常盤井に立ち寄りました。常盤御前は、牛若丸(源義経公)の父源義朝公の妾でしたが、平治の乱で義朝公が討ち取られると、勝者である平清盛公の妾にされます。これにより牛若丸(源義経公)は平清盛公に助命されたと伝わります。
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洛北の牛若丸(源義経公)ゆかりの地を巡った後、叡山電鉄に乗り込み京都の奥座敷鞍馬を訪れました。鞍馬寺に預けられた牛若丸(源義経公)は遮那王と名付けられました。鞍馬はおよそ10年間遮那王(源義経公)が平家打倒を志し、武芸に励み学業を積んだ地です。
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叡山電鉄「鞍馬」駅前には巨大な天狗のモニュメントがありました。
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鞍馬寺仁王門です。ここから本殿金堂までは、20〜30分の距離です。強烈な上り坂と長い階段が続きます。ケーブルカーもあるのですが、この地で何年も修行を積んだ義経公に対して失礼と思い利用しませんでした。(+メタボ対策も)
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鞍馬寺本殿金堂へ至る坂道の途中に、鞍馬の火祭りで有名な由岐神社があります。ところで鞍馬を訪れたのは実は今回が二度目で、二十数年前修学旅行で一度訪れております。
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由岐神社の御神木です。それにしてもお天気に恵まれ良かったです。
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義経公供養塔です。遮那王(源義経公)が住んでいたと言われている東光坊の跡に建てられています。
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鞍馬寺本殿金堂に着きました。上り坂と階段の連続でしたので、ハーハーゼーゼーと呼吸が乱れまくっていました。
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・・・桜?・・・梅?
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とにかく春爛漫です。
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本殿金堂で少々休息をした後、更に山の奥へ入りました。(これより奥の院)ここからは山道の参道です。
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奥の院参道にある息次ぎの水です。山中での修行の折ここで遮那王(源義経公)は喉の渇きを潤したと伝わります。
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参道の頂上付近にある背比べ石です。遮那王(源義経公)が鞍馬での修行を終え、奥州に旅立つ前に名残を惜しみ、この石で背比べをしたと伝わります。
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義経堂です。奥州平泉(衣川の戦い)で奥州藤原氏の裏切りにあい自害となった義経公ですが、その魂は鞍馬の地に戻ってきた信じられここで祀られています。
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参道にある木の根道です。地盤が固く木々の根が地表を這うように広がっています。ここで遮那王(源義経公)は兵法の修得に励んだと言われてます。
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僧正ガ谷不動尊です。遮那王(源義経公)が天狗を相手に剣術修行に励んだと伝わる場所です。夜になるとムササビが飛び交うそうです。
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魔王尊を祀る鞍馬寺奥の院魔王殿です。遮那王(源義経公)は魔王尊に平家打倒を誓ったとされています。
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鞍馬寺西門です。仁王門から1時間半くらいの道のりでした。スーツ・革靴での散策はかなりきつかったです。
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鞍馬寺西門付近ですが、貴船川沿いに料亭が十数件ほど連なっています。
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清流貴船川を眺めながらのお食事は、さぞ美味しく感じることでしょう。
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鞍馬寺西門付近にある貴船神社です。奈良時代以前創建の古社で、水の神を祀っています。ここでも遮那王(源義経公)は平家打倒を祈願したそうです。
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貴船神社から叡山電鉄「貴船口」駅まではバスがあるのですが、1時間に1〜2本程度でしたので、結局20分ほど更に歩くこととなりました。画像左の男性は今回旅の供となった同僚K氏です。朝からかなり歩いていますので、この辺りでは全く無口でした。
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鞍馬を後にして叡山電鉄・京阪電鉄と乗り継ぎ五条大橋を訪れました。義経公に生涯主従の関係を誓った弁慶との出会いの橋です。実際は一つ北にある松原橋とのことです。義経公・弁慶の像が可愛過ぎるような気がしました。
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五条大橋から歩くこと約15分、五條天神社を訪れました。平安遷都の際桓武天皇が建立した由緒正しい神社です。「義経記」では義経公と弁慶の戦いは五条大橋ではなく、この神社であったと記されているそうです。
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五條天神社周辺の商店街には、義経公と弁慶のイラストが描かれたフラッグが沢山吊るされていました。義経公は商店街の方々にも愛されているんですね。
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この旅行記へのコメント (2)
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- もにかさん 2009/03/15 15:24:10
- お疲れさまでした
- スーツでの旅、大変だったと思います。
鞍馬が義経ゆかりの地とは知りませんでした。
まして、石田光成の墓があるとは・・・
貴船神社、懐かしい・・・
祐気方位取りの際、お世話になり
大変なご利益をいただきました。
お水の神社だけあって
御神水も大変おいしく
水商売の方もよく行かれるそうですね。
咲いている花は、時期的に梅じゃないでしょうかねぇ
そろそろ良い感じの季節、
旅日記の頻繁なUP期待しております!
- めるくんさん からの返信 2009/03/15 21:44:44
- RE: お疲れさまでした
- 毎度のご訪問ありがとうございます。
23年ぶりの鞍馬・貴船でしたが、(高校2年生の修学旅行で・・・)
当時の記憶のままで、とても素晴らしいパワースポットでした。
若き義経公の平家打倒に燃えるエネルギーが、
ひしひしと伝わってきました。(K氏はどうだったでしょうか・・・)
今月末、関西視察出張第2弾としてO氏が関西へ行くのですが、
O氏では京都の良さ(歴史の重み)は理解できないでしょう・・・
まぁ、本業の視察をしっかりやってくれれば良いのですが・・・
※三成公のお墓は鞍馬ではなく、京都市北区の大徳寺です。
2日間の京都散策でK氏が一番興奮感激していた場所です。
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