2009/03/02 - 2009/03/04
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ymzkさん
1月中旬 テレビを見ていたら、札幌雪祭りについて放送をしていた。そうだ雪祭りを見に行こうと決め、早速飛行機の予約をWEB上でJALサイトを見るが、雪祭り(2月5日〜11日)前後も含め全然予約が取れない。
こりゃだめだ。じゃ網走に流氷を見に行こうと行き先を変更。
では、いつ流氷は見れるの?
ネットで調べること2週間、確実に見るには、2月中旬から3月上旬なら確実?
網走は女満別空港が近い。JALに再度予約、しかしこれも満席が多い。時間的に昼(12:45分発)近い予約が取れるのは、3月2日かない。帰りは3月4日 無事予約完了。
やっと流氷が見れるとワクワク しかしなかなか流氷が網走に接岸しない。
○ 網走地方気象台が2月 3日「流氷初日」を発表!過去3番目に遅い流氷。
○ 網走で2月19日に流氷接岸を気象台が発表。
これで安心 しかし当日は?
北海道への訪問は、たぶん15年ぶり?くらい
国内旅行そのものが、久しぶりです
この間、ほとんどが海外中心に出かけてましたので。
この旅行記は、初日編 2日目・その1、2日目・その2 3日目・最終日 の4部構成になっております。
その内の 初日編です。
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- JALグループ JRローカル
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-
極寒体験 流氷ノロッコ号と流氷船おーろら号への旅行開始です。
第一ターミナル屋上からの風景です。 -
女満別行きJALはバスでの移動です。
機種はMD-81でなく、A-300でした。 -
定刻に出発。機内放送で、女満別空港は 雪 気温 氷点下ー5度との事、寒そう。
今日の座席は14A 左手景色は襟裳岬。着陸20分前(14時30分着予定) -
定刻に到着 天候は晴れ 少し雪が舞っていますが、良い天気、寒さ 感じず。
女満別空港バス乗り場。網走行きバスに乗ります。 -
空港を出たところ。網走まで17Km 約30分の距離
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バスの中から、こんな風景 関東じゃ見れないですね。
北海道らしい風景ですね。 -
今日のホテルは 網走観光ホテル バスは観光ホテル前で下車。
網走湖畔です。 -
バスを降りると高台に見えました。今夜のホテル。
2泊の予定です。 -
バス停の道路のそばをJR石北本線が。
-
網走観光ホテル
バスを降りて、急な坂を登って行かなければなりません。そうですね、5〜600mくらいありますね。
これは難儀です。雪が凍り付いている場所があり、山の中腹にあるので眺めはいいが、冬は車で行きたいですね。 -
ホテルにチックイン。
網走に面した部屋 5階からの眺めです。
この景色昼の顔です。夜には? -
再度ホテル周辺の景色
ホテル全景 7階建ての建屋と 左側に5階建てが連なっています。 -
右側の建物は ホテルビューパーク悠遊亭
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ホテル前の木には小鳥 雀? が歓迎。
ホテル玄関前に餌場がありこれを目指しして集まっているようです。 -
ホテル前の観光案内板
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夕刻 観光バスも到着のようです。
この雪道を徒歩で慎重に歩いてきました。
ツアーでないので、自力走行です。 -
夕食前にお風呂へ。
写真は5階の入り口です。
天然温泉です。
3階と5階にお風呂があります。曜日によって男女入れ替え制になってますが、偶数日は5階が男性用になってます。
しかしどちらのお風呂も広く、露天風呂、サウナがあり、網走湖に面しており眺めも良いお風呂です。
温度は 49.6度とか 能書きに。
効用その他は記録しませんでした。 -
夕食です。
量は少ないようですが、鍋が2っもあり食べきれない量です。 -
毛蟹に付いてます。
これは食べ応えがありました。
1万円以下の料金でこの料理超お得 -
夕食から戻ったら、この景色 網走湖がライトアップされてました。
部屋からの撮影ですが、窓が開きませんので、ガラス越しの撮影です。 -
網走湖畔 熱気球も上がりました。
ホテルの部屋から -
熱気球
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熱気球とライトアップ
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寝る前のお酒を購入にロビー(2階)へ
暖炉は本物、薪が燃えてました。 -
サッポロクラシックを寝酒に。
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ちょっと寝ながら、初めて北海道に来たのはいつだったたのか考えて見ました。帰宅してから調べました。
古い写真を探しましたら出てきました、白黒フイルムが、カラーフイルムも残ってましたが、カラーフイルムは変色(黄色に)して、見るに堪えない状態でした。
フイルムカバーに日付がありました。
なんと1965年(昭和40年)11月でした。もう43年前でした。
フイルムをスキャナーで、デジタル化してみました。
詳しい内容は忘却の彼方ですが。
確か、上野 から夜行寝台 青森 青函連絡船 函館 列車で札幌へ、さらに列車(急行か特急なんかあったか定かではない)で、稚内へ
上野を夕刻 出発 稚内には 翌日 夜 8時〜9時頃着。ホームは雪が舞っていたのを覚えています。
稚内から中頓別へ、中頓別から稚内に戻り、夜行寝台で札幌 函館、青函連絡船、青森、上野と記憶してます。
何日行っていたのが記憶にありませんが。4〜5泊?
写真は1965年(昭和40年)11月当時の稚内駅の懐かしい写真です。 -
稚内駅の看板に 祝稚内駅落成 と大きな看板が。
この後一度も行ってないので、稚内駅はどう変わってますかね。
また、中頓別駅(天北線、1989年平成元年 5月に廃線されたようです)はもう無いようですねが、街の様子はどうなってますかね。
駅前の旅館に宿泊したと思っています。
なぜ最初に、稚内に行ったのか、それは学生の友人が稚内に戻ったからでした。 -
青函連絡船の写真も出てきました。
この後何度もこの青函連絡船は利用しました。
飛行機で北海道に行くようになったのは、1975年〜80年代に入って以降だと記憶しています。
北海道は仕事で札幌市には30数年、年1回〜2回行ってましたが、観光はほとんどないですね。
今回も正式には雪祭りは見たことが無かったので、見たかったが、網走になってしまいましたが。
雪祭り開催前後にはあります、自衛隊が雪を運搬中や、雪像作成中は、あります。
仕事の時は、雪祭り期間中は、避けていました。
混雑してるし、物価は高くなるし、飛行機も取れないと言うことで、
函館、小樽、釧路、網走(夏の)など主な観光地は行ってますが。
写真は 青函連絡船 日高丸 と読めます。
次 2日目目は 流氷ノロッコ号と流氷船おーろらにて流氷見学に続きます。
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