2007/04/29 - 2007/05/04
67位(同エリア116件中)
ゴリさん
マニアな旅、4日目。
この旅のハイライトとも言うべき当陽へ。ここには三国遺跡がわんさかある。大興奮の1日となった。
三国志データベース(河南省)
http://www.oct.zaq.ne.jp/afdlr005/page133.html
三国志データベース(湖北省)
http://www.oct.zaq.ne.jp/afdlr005/page137.html
PR
-
8時にホテル出発。大勢の人たちがホテルの前で待ち合わせ。なんで?
-
ホテルから見た宜昌の街。この街には長江が流れている。昨夜、長江を見に行ったらその雄大さに感動だ。また来たい街だ。
-
宜昌から山に向かっていく。
-
こんな山の中でも巨大な建設物がある。
-
かなり山深くなってきた。
-
宜昌を出て2時間、ようやく回馬坡に到着。ここは関羽ファンにとって悲しいところ。関羽が孫権に追われ、ここで捕まったという場所。関羽が捕まってからというもの、劉備勢力は衰退の一途をたどる。
-
嗚呼この場所で!みたいな感じで書いてある。関羽ファンは多いので、こんな石碑もできるのだろう。
-
見事な関羽の絵。
-
湖北から四川に向かう途中にあるため山深い。もう少しで四川だったのに、関羽も無念だっただろう。
-
遠安の街を通り過ぎて当陽に向かう。途中、綺麗に整備されている道もあった。
-
そして次は当陽にある関陵。つまり関羽のお墓。遠安で捕まって、ここに葬られたということだ。
-
ここの関羽像はかなり素晴らしい。両脇には関平、周倉というおきまりの3人。
-
そしてこれが一番奥にある墓。中国の偉い人の墓は、こんな感じで土が盛られる。地元の人だと思うが、熱心に拝んでいた。
-
関陵には関羽の像がいっぱいある。
-
そして当陽の街中へ。街の中心部には趙雲の像がある。
この街は曹操が南下して攻めてきたとき、劉備軍は逃げ惑う。そんななか劉備の子どもが置き去りにされる。その子どもを助けるために趙雲が単騎で救出したという場所。趙雲はこの街で英雄になっているのだ。 -
下から見た趙雲像。多くの人が写真撮っていた。つい最近、像が新しくなったみたいで、ガイドブックなどで見ていた像とは違うが、いずれにしてもカッコいい。
-
趙雲像の奥にある長坂坡公園。長坂坡という場所で趙雲が活躍したのだ。
-
安っぽい像が出迎えてくれる。
-
うーん、いい感じ。
-
劉備の子どもを救出して劉備に子どもを渡した趙雲だが、劉備が子どもを投げ捨てるシーン。こんな子どものために、こんな優秀な部下(趙雲)を失うところだった!という感動のシーン。趙雲はこれを聞いて忠誠を誓ったということだ。それにしても、像がちゃっちい。
-
関羽の廟もある。ここでちゃっちいペンダントと本を購入。
-
子どもを抱えて曹操軍が過ぎ去るのを待つ劉備の妻。当陽で起きたことを、再現している公園なので、三国志ファンにはたまらない。
-
昼時だったので、運ちゃんが焼きそばを買ってきてくれた。なかなか気が利く人だ。ピクニック気分で、長坂坡公園で食べた。
-
長坂坡公園から見た街の様子。公園は少し高くなっている。
-
長坂坡公園からそれほど遠くないところに太子橋というのがある。この橋の下に劉備の奥さんが子どもをかかえて隠れていたというもの。奥に見えるのは太子賓館というホテルで、太子橋の名前をとっている。
-
ほんとかどうかはわからんが、今は汚い川になってる。
-
太子橋の近くにある変わったアパート。
-
太子橋からさらにいくと娘娘井というのがある。行くまではとうもろこしで道がいっぱいだった。
-
これが娘娘井。麋夫人井とも言われており、趙雲が救出したにもかかわらず、怪我をしていたため私がいたら足手まといだからと、麋夫人が身投げしたと言われる井戸だ。民家の間の小さい公園のなかにある。
-
とうもろこしばっかり。
-
一度、街の中心部に帰る。長坂坡の碑があった。
-
次に行ったのが玉泉寺のなかにある漢雲長顕霊処というところ。ここは関羽が処刑された後、関羽の霊がでてきたという場所。おどろおどろしい所で、夜は怖そうだが、この日は暑くて涼むには最適の場所になっていた。人がかなり多かった。
-
これが玉泉寺の入り口。かなり大きな寺だ。
-
これが当陽駅。
-
これが張翼徳横矛処。当陽のもうひとりのヒーロー。張飛の遺跡だ。ここで張飛が曹操軍を食い止めて劉備の危機を救ったと言われている。20騎しかいない張飛は長坂橋のたもとの森で土煙をあげさせ、大軍がいるように見せかけた。そして張飛は橋の中ほどに単騎で、「俺は燕人張飛だ!」と曹軍を睨みつけ、その凄みで曹軍は撤退したというところ。今は川らしきものがなく、当時からは川の流れが変わっているのだろうか。
-
幹線道路沿いにあるので気分もでない。これで当陽にある遺跡はほぼ回れた。後は荊州に行く途中に麦城に寄るのだ!
-
当陽から30分ほど荊州に車で行くと麦城という場所がある。この街に何故か劉備の奥さんの麋夫人の像がある。
-
麦城ではこの周倉墓に行きたかった。周倉は関羽の子分でいつも付き従っていた。ただ伝説の武将とも言われており、何故、伝説の武将の墓があるのかは謎。
-
これが周倉像。きらきらしててとても綺麗だった。しかし、勝手に廟の中に入ったので、管理人が烈火のごとく怒ってきた。見せるために像を作ったんちゃうんかい!
-
周倉墓からみた麦城の街。幹線道路沿いにある。
-
周倉墓の裏の道をずっと行けば、麦城遺跡がある。この道沿いには牛もいたりして、のどかだ。
-
上の写真の道をずーーーとまっすぐ行くと沮河の堤防にぶちあたる。その堤防を上ると気持ちいいのだ。
-
川はずっと向こうに流れている。一面緑で気持ちいい。
-
堤防から後ろを振り向くとこんな感じ。民家の横を歩いていくと麦城遺跡があるらしい。
-
こんな道を歩いていく。左に見えている土が麦城の遺跡だ。
-
遺跡の碑を発見!
-
周りは畑。右側にあるこんもりしたものが1800年前の城跡だ。孫権軍に追われここに関羽が篭っていたのだ。そう思うと感慨深いのだ。とても感動した遺跡である。三国志に興味ない人には、普通の畑とこんもりした山だと思うけど・・・。
-
麦城というだけあって小麦が植えてあった。
-
麦城遺跡の裏にある民家。中国の田舎の家だ。
-
これもそう。
-
当陽で行きたかった遺跡はすべて回れてとても満足だ。もう18時なので日が暮れる。荊州に向かう。
-
中国ではよくある道。
-
夕陽が美しい。
-
麦城から荊州まで1時間15分ほどで到着。宿泊は荊州賓館。
-
めちゃくちゃ満足したらおなかがすいた。そこで、中国では初チャレンジの屋台に言ってみた。
-
このチャーハンはめちゃおいしかった!
-
こんな串を何本か食べた。味はまずまずだったのだが、これがまずかった。おそらくこの串にあたったのだろう、後日、すごい下痢になった。
-
仕上げはアイス。これが追い討ちになったのかも。
とにかく荊州も期待していた街だ。明日からの観光が楽しみ!
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ゴリさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
58