2008/11/15 - 2008/11/17
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あんみつ姫さん
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現在、資料館になっている「旧、判屋家住宅」には、
朝鮮人通信使に出した昼食の献立が展示されています。
この建物の前にある朝鮮人街道は、
朝鮮通信使が通った道です。
-
「朝鮮人街道」は京街道ともいい、
徳川家康が、上洛の時に通った道です。
朝鮮人通信使も通った道なので、
この道の名がついたそうです。
「朝鮮人通信使」の行列の風景は
Elliott-7さんの旅行記を是非ご覧下さい。
http://4travel.jp/traveler/elliott-7/album/10282121/ -
写真は「旧、判屋家住宅」
京街道(朝鮮人街道)沿いにあります。
判庄右衛門は、屋号を「扇屋」といい、
主に畳表・蚊帳を商う豪商でした。
この住宅は、
7代目が、1827年から十数年かけて建築しました
(約180年前)
現在は、市立資料館となっています。 -
では、中に入ってみます。
階段があると、
まず、登りたくなるのですよね。 -
中2階の部分で広間になっています。 -
さらに、階段を上がります。
そこに、先ほど説明した
「朝鮮人通信使」の昼食が展示されていました。
写真を撮っておけばよかったです… -
朝鮮との交流は、
秀吉の朝鮮出兵でなくなってしまいました。
徳川政権はは朝鮮との国交回復を
一生懸命に行い
それから「朝鮮通信使」は
12回、日本に来ました。 -
(「朝鮮通信使」の人形)
朝鮮通信使は、
何百人という規模だったそうです。、
街道は、たくさんの人達が、
行列を見に集まったそうです。 -
通信使は、
船で対馬に来て
そこから瀬戸内海をさらに船で行き、
大阪からは川船で京都に行ったそうです。
そこからは陸路で江戸まで行ったそうです。 -
近江八幡では行き・帰り共に
昼食をとりました。
主要な使節達は本願寺別院で、
そのほかの人達は、
町屋の家々でもてなしたそうです。 -
場所が変わって、ここは1階です。
入ってきた正面にある、
この、大きなものは、左義長に使われるものです。
近江八幡の左義長は
この山車に付ける飾りが、
各町ごとに違っていて、
それも、豪華できれいなものです。
そして、祭り自体はとても勇壮!
最後にこれを燃やしてしまいます。
morino296さんが、旅行記にされています。
これは、お勧め・必見です。
是非、ご覧になってください!
http://4travel.jp/traveler/morino296/album/10318600/ -
こちらは、
大正〜昭和初期の帯
両端の黒い帯の絵は、
油絵で書いたという大胆な手法。
近くで見たら、本当に油絵そのものでした。
ここに行かれる方は、必見です。
このほか、
タンスの引き出しを開けると
かわいい小物もありました。 -
資料館なので、
いろいろなものが展示してありました。 -
さて、これは何だかというと、
今の切符で作った小物入れ。
ここの方が作られたそうです。
青は個人券・緑は団体券の色。 -
旧判屋家を横から見たところ。
改めて、大きさを感じます。 -
京街道に
ちょこっと、あった石仏。 -
こちらは、歴史資料館です。
判屋家住宅の正面に建っています。
この建物は、
もとは近江八幡警察署の建物でした。
屋根に赤い拡声器が置いてあります。 -
また、この建物は、
ヴォーリズ建築事務所が、改修を行っています。 -
資料館の中には、
使われていた機器や道具などが展示されています。 -
ゆっくり、ひとつずつ
当時の人が使っていた状況を
思い浮かべて見れば、
いいところかと思うのでしたが、
行く先を急ぐ旅人なので、
時間がありません。
目を通すのみになってしまいます。 -
2階へ行く階段。
明治に建てられたらしく、
階段・廊下とも狭いです。
日本人は本当に小柄だったのだなぁと、
思う瞬間です。 -
2階から、
前にある「旧判屋家住宅」が見通せます。 -
中庭にある石は、
良くみると石臼のようですが、
なんでこんなに沢山、置いてあるのかわかりません。
屋根がある建物の下にも、
いろいろな「お宝」が置いてあります。 -
一部です。
昔なつかし、オートバイに大八車。
錆びてしまって、見る影もありませんが、
愛着あって使われていた物たち… -
この建物の間を入ると、歴史民俗資料館で、
森五郎兵衞の控宅です。
ここには、近江商人の生活様式をそのまま残し、
帳場風景もあります。 -
座敷から、帳場・入口を見ます。 -
奥座敷からは、さっきの庭が、
違った感じで見渡せます。
床の間もあったのですが、
前に座って記念撮影して、撮り忘れました。 -
帳場の風景です。
引き出し・戸棚が、たくさんあります。
今のキャビネットというところでしょうか。
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この旅行記へのコメント (8)
-
- ホーミンさん 2009/02/17 23:12:33
- 朝鮮通信使
- あんみつ姫さま
こんばんは〜。
「朝鮮通信使」、その言葉も知りませんでした。すると私の町のそばを、当時は通ったのですね。あの服装は日本人の目を釘付けにしたことでしょうね。
古いものを見て、それを使った昔の人を思い出すっていいですよね。そこに傷があると、どういう経緯でついたのか、傷がついたことに悲しんだだろうかとかいろいろ想像して、時間がどんどん過ぎていきます。
あんみつさんも「たまには登場」して下さいな。
油絵の帯のガラスケースに、写真撮影しているあんみつさんが写ってないか、横から斜めから見たのですが見当たりませんでした。惜しい。
ホーミン
- あんみつ姫さん からの返信 2009/02/18 23:57:51
- RE: 朝鮮通信使
- ホーミンさん、こんにちは。
朝鮮人通信使は、京都を出発したあと、
大津で昼食をとっています。(近江八幡と同じようなもてなしがあったのかと思われます)
その後、草津〜守山(宿泊)〜野洲行畑〜近江八幡〜安土〜彦根(宿泊)という感じです。
調べてみたら、大津は天智天皇のときに「大津京」と言って
飛鳥から近江への遷都が行なわれたのですってね。
大津って、すごい歴史の町ですね。
それから、秀吉の時代に坂本から大津に城を移して、
京都・大阪をつなぐ重要拠点。
そんなことから、あの「大津祭」が
歴史古くからお金がかかっていそうな山車を作られたことがわかります。
祇園祭のような、華やかなお祭りですよね。
町の繁栄がなければ、あれだけの山車を
一町ごとになんて、作れませんよね。
話が少しそれてしまいましたが、
それだけ、大津の町の人たちも「通信使」を
接待できる力があったのではと思います。
あんみつは、朝鮮人通信使について調べていない時は、
少人数で籠で通ったくらいにしか思いませんでした。
そして、4トラの旅行記に朝鮮人通信使の行列を載せていた方を、
見つけたときは、驚きと共に感激の一言です。
4トラの輪って、すごいですね。
<あんみつさんも「たまには登場」して下さいな。>
そのうちに、いい写真が見つかったら、出ちゃおうかな〜…
でも、はずかしいな〜。イメージ変わるかも…
でも、そのうちに…
あんみつ
- ホーミンさん からの返信 2009/02/19 15:33:19
- RE: RE: 朝鮮通信使
- > 調べてみたら、大津は天智天皇のときに「大津京」と言って
> 飛鳥から近江への遷都が行なわれたのですってね。
大津が都であったのは、確か5年間だけです。
大津京跡地は、JR大津京駅もしくは京阪近江神宮駅が最寄です。
ここは今、住宅地になっていて、私が習っていた英会話の先生もここに住んでおられます。
「家の敷地を掘り返すと、なにか出てくると思いますよ」と言っておられました。
100坪ほどの空き地があり、今は跡地として誰でも入れるようになっています。
古都と呼ぶにはちょっと・・・・って感じです。
近江神宮は天智天皇が祀ってあるのはご存知ですよね。
ん〜、今日はホーミンらしからぬコメントを書いてしまいました。えへへ。
- あんみつ姫さん からの返信 2009/02/19 16:32:36
- RE: RE: RE: 朝鮮通信使
- ホーミンさん、
都のあったところに住むなんて、
どんな感じでしょうね。
大きな湖が望めるところに都があった。
なんか、夢があると思いませんか〜。
> 私が習っていた英会話の先生もここに住んでおられます。>
英会話!すごいわ〜!!
ホーミンさんの、また違った一面を知ったあんみつであります。
-
- シベックさん 2009/02/09 14:43:37
- 豪商の家
- あんみつ姫さん、こんにちは!
ヴォーリズさんの町、みせていただきました。
旧・判屋家住宅は、さすがに豪商の家といった趣の大屋根の建物ですね。
歴史資料館は、ヴォーリズが改修をした建物のようでが、
玄関周りに、その面影があるように感じます。
展示品は昔懐かしいものばかりですね。
じっくり見れば、味わい深いことでしょう。
シベック
- あんみつ姫さん からの返信 2009/02/10 23:00:23
- RE: 豪商の家
- シベックさん、こんにちは!
近江商人の家は大きかったです。
このような家は、昔、どのように使っていたのでしょうか。
中二階がある家は、めずらしい様な気がします。
資料館の中のものは、今使っている物の旧型が多かったので、
案外見当がついて、ゆっくり見れば、楽しいことだったと思います。
でも、時間がないので、ゆっくり見ることが出来なかったことが残念です。
レジスターやミシンなど、今も使っている物の旧型などは、
せめてもっと近くに置いてあれば、
身近に感じて旅の思い出になったと思います。
以前、明治村に行った時、
100年前の柱時計がまだ動いていて、
毎時になるとそれぞれが「ボーン・ボーン」って鳴っていました。
100年前の音を聞いたときは、感動しました。
明治が生き続けていていることを…
シベックさんは、ヴォーリズさんのことを知っていられたのですね。
あんみつは、「歴史建造物大好きコミュ」のメンバーの方が、
行っていたのでヴォーリズ建築を見てみました。
この後、ヴォーリズ記念館に行って、
係りの方から人柄を教えてもらい、ファンになりました。
ヴォーリズ建築のことはわからないのですが、
ヴォーリズさんのことを、旅行後に調べたりしているうちに
この町に興味を持ちました。
また、ここの町の雰囲気は旅行していて良かったんですよ。
(人通りの多いところにはいかなっかたのですが)
なんか、今回の旅行記は、その近江八幡びいきで、
近江八幡の歴史を知ってもらいたいと思って、
難しい、固い感じの旅行記に仕上がってしまいました。
あんみつ
-
- Elliott-7さん 2009/02/07 10:05:02
- いい勉強になりました・・・
- あんみつ姫さんへ
「朝鮮人街道」ですか、知りませんでしたねー
今度、近江八幡まで足を伸ばしてみたいと思っています。
私の掲示板への書き込み拝見しました。
どうぞ、使えるものなら使ってください!
- あんみつ姫さん からの返信 2009/02/08 00:54:30
- RE: いい勉強になりました・・・
- Elliott-7さん、こんにちは。
「朝鮮人街道」は、「京街道」とも言っているようです。
近江八幡の郷土資料館と新町に行くところに、
この道の案内表示が立っていて、
「朝鮮人街道」?「朝鮮人通信使」?何のことだろうと、思っていました。
資料館になっている判屋家住宅に、「朝鮮人通信使」の料理が展示されていて、
その量たるものは、すごいものでした。
(そのときは、豪勢でしたがおいしそうには見えなかったので写真を撮らなかったのですが、
あとで撮っておかなかったことを後悔しています)
でも、気になって調べたら、「朝鮮人通信使」の行列は、
すごいものだとわかり、びっくりしました。
資料館には、料理と通信使の人形位しか置いてありません。
その後、調べた時、その通信使の昼食を出すことが出来るほど、
近江商人は力があったと、通信使と近江商人とのつながりが出てきました。
近江八幡に行かれた人は、
この「朝鮮人街道」も文字を目にされていられると思います。
どんな、行列かを、イメージできるので
Elliott-7さんの旅行記は、有り難いものです。
早速、この旅行記に案内をさせていただきます。
ありがとうございました。
あんみつ
追伸
お気に入り登録をありがとうございます。
あんみつは、そんなに博識はないですよ〜(汗)
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