2009/01/16 - 2009/01/16
445位(同エリア1004件中)
風 魔さん
本日は、快晴で白い積雪の富士山のすがたが、ハッキリと見えたので、カメラを片手に写真を撮りに出かける。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
清水港にて、パイロット船。
水先案内人が、この船に乗り大型船の入、出港時には港内の水路案内をする。 -
大型観光施設・エスパルス・ドリーム・プラザ(通称:ドリ・プラ)の建物と、観光遊覧船・オーシャン・プリンセス号。
この船は、1974年ポーランドで建造され、JFケネディ一族、エリザベス・テーラー、カラヤン氏なども乗船したことがある由緒ある、伝統的な木造のキャビンをもった船である。
現在は、バイキング料理を食べながら、折戸湾内を周遊する観光クルーズ船となっています。 -
左手の観覧車は、2008年7月に完成したが、LEDのライトを使用しており、夜間は多色の輝きがキレイです。
この観覧車の夜間ライト・アップの様子は、友人のブログ、2008年8月7日付の連続写真でキレイに写してあるので、ご覧ください。
↓
アドレス… http://windmill.eshizuoka.jp/
(ヤング・シニアー「見聞禄」) -
遠くに見えるのは、興津埠頭。(ここは、日の出埠頭)
左手のクレーンは、外観が似ているため通称 「キリン」と呼ばれ、主にコンテナ貨物の積み下ろしに使用される。
高さはおよそ100mあり、近くで見ると巨大なクレーンです。
※専用バース (使用目的)
・興津埠頭 … コンテナ貨物
・日の出埠頭 … 一般貨物、客船
※当地では、「清水港客船誘致委員会」の招致により、世界一周マンション船、豪華客船(飛鳥?、 QE2)、南・北極などの氷山観光船、帆船(日本丸、海王丸)などが寄港し、岸壁では歓迎セレモニーが行われます。 -
清水港と土肥港をむすぶ・「駿河湾カー・フェリー」の駿河号。
観光客、バス、乗用車を乗せて駿河湾を110分航行する。 -
対岸にある三保の造船所のクレーン群。
ここは、日の出埠頭の6号岸壁です。
わたしが、最近クルージングによる船旅に関心をもつようになったのは、小さい頃からここ地元の船、港、海に親しんでいたからだと思います。 -
「マリーン・ターミナル」の建物。
(なかにはカー・フェリーの待合室や、イベント・ホールがある)
「2001年・9.11の同時多発テロ」後の「テロ特措法」の制定以降、清水港の岸壁周辺の管理が厳しくなり、貨客船が着岸するところの出入り口には、フェンスが設置され、一般人、車の出入りが規制されるようになった。
(以前は、富士山や港、海の景色を見るために観光客や釣り人が多数おり、岸壁には車の乗り入れが自由でした。
また、貨物船の近くで輸入物資のクレーンによる、積み下ろしの光景を見ることもできました) -
カー・フェリーはこのほかに、2005年に新造した「富士号」の2隻で運行している。
サッカーJ1リーグの清水エスパルス・チーム、カー・フェリー、ドリ・プラの運営会社は、すべて同じグループで、トップ企業は、清水で最大手の海運、流通、商事、石油、燃料などを扱うS社です。
(S社は、江戸時代に創業され、歴代の社長は同じ名前を襲名している)
さらに、S社は6月に開港予定の富士山静岡空港において、コミューター航空の「フジドリームエアーラインズ」(FDA)を設立し、ブラジル・エンブラエル機(76人乗り)による国内便の運航(当面3路線)に参入することになっています。 -
J−OIL MILLS の食用油やマーガリンの生産工場と、原材料の大豆などの保管用大型サイロ。
清水港では、「みなと色彩計画」により、富士山や周辺の景観に調和するように、青色と白色を基調とした建物、設備、建造物の配色で港湾周辺の整備がすすめられています。 -
大型船の着岸、離岸の際、このタグ・ボートが活躍する。
以前このような船に乗り、沖に停泊する外国船に上がり、船内を見学体験した記憶がある。 -
「ドリ・プラ」の右手の、ヨット・ハーバーには帆柱を立てた、ヨットが多数係留されている。
わたしもサラリーマンで入社したばかりの頃、夏の1ヵ月間三保の海岸でヨット教室に通い、一通りの操縦法を学びました。 -
「ドリ・プラ」のまえを、作業船が航行する。
私は、海に関する遊び(ヨット、モーター・ボート、ウィンド・サーフィン、水泳、釣り)など、「加山雄三の世界」は一通り体験しました。
加山雄三氏のヨット、初代「光進丸」は当地で設計され、三重県で建造されました。
(ある会社には、今でもその設計図面が保存されています) -
「ドリ・プラ」のまえを、渡し船が航行する。
「みなと色彩計画」による青い観覧車の周辺は、海上公園「清水マリン・パーク」となっている。
「ドリ・プラ」のなかにある、「そば処戸隠」の「天磯おろし小海老」は、冷たいそばの上にアツアツの小さなエビの天ぷらがのっており、とても美味しいです。 -
渡し船は、富士山を目指して航行するようにみえる。
清水港は、駿河湾を北上し航行して、入港する際の富士山の眺望が、beautifulなため客船の外国人・観光客に人気が高い。
※富士山の撮影ポイント…
厳しい寒さ、強い西風、雨上がりの翌日には、富士山はさらにハッキリと撮れます。
(本日の大気の澄み渡り度は、90%くらい) -
対岸の三保・塚間地区には、かって大手造船会社が3社あり、漁船の建造では日本一の造船高、技術力でした。
清水港→塚間へは、今でも地元民、通勤用に渡し船が定時運行している。 -
清水港へ注ぐ巴川の、河口付近。
海上保安庁・第3管区所属の巡視船「おきつ」のまえで、羽を休めるカモメの群れ。 -
ここは巴川の河口ですが、水面はいつもより澄んでいた。
< 清水次郎長と清水湊について >
次郎長は、地元にいろいろな功績をのこしましたが、次郎長に対して清水湊の海運業に関する許認可が記された「書面状」は、大手M商社の静岡支店の代々の支店長の引き継ぎ書類となっているそうです。 -
私の父は、港湾関係の仕事をしていたので、その昔焼玉エンジンを燃焼させて進む小さな船を、この近くに係留させており、毎年夏には、私の兄がその船を一人で操船し「三保の海岸」へよく泳ぎに行ったという。
岸壁の海面の水位より見て、現在は満潮です。 -
折戸湾を改修工事する、巨大な浚渫船。
かって折戸湾では、海水が澄んでおりカキや海苔の養殖が行われていました。 -
旧清水市では、かって造船の好況期にはかなりの人員が、造船業に従事していた。 -
湾内を小さな船が、視界をよこぎる。
清水港は、輸出入・貿易物資の取り扱い量、規模からみて全国では、7〜8番目のランキングです。
(全国的には、静岡県の経済・産業生産指標の、順位とほぼ同程度の位置を占めています) -
東海大学の保有する「望星丸」(海洋調査練習船)
当大学には、海洋学部が折戸にあり、学術調査ならびに付属高校生の研修旅行などで、本船に乗り小笠原諸島方面まで行くこともある。 -
新造船の艤装工事、または改修のためドック入りの船。
右手は、水産庁所属の船です。
手前は、個人所有のクルーザー・ボートです。 -
三保の海岸から見た、正面の富士山。
若い頃は、この沖合いで1〜2時間も海に入り、泳いでいたものである。かなり流された記憶がある。
(右手の外海に向かって、潮の流れがつよい)
いまでは、とうていその体力はない。
…なぜか、若い頃を回想する「老人と海」を思い出す…
初夏には、この浜から投げ竿により100mほど遠投して、キス、マダイ、コチ、カワハギ、イサキなどを釣り上げます。ここは、自宅から車で20分くらいで、太陽を浴びて半日を過ごすには、ちょうどよいところです。 -
日本赤十字社の海難救助飛行機が、所属する「三保飛行場」。
ここは、許可された一般の自家用飛行機も共用できます。
この飛行場からは、富士山、海、船、周辺の山、白砂青松の海岸などが眺められ、景観的には日本一です。 -
三保飛行場の滑走路。
(むこうに見えるのは西伊豆の山々)
ここでは、いつも軽飛行機によるタッチ&ゴーの、離着陸の飛行訓練を行っている。 -
Taxiing・zoneに駐機する小型機。
使用機種は、セスナ機またはパイパー機。
(以前は自家用飛行機もあり、10機ほどは常時駐機していました) -
バスを改造した航空管制塔( コントロール・タワー? )
⇒もとは、日赤の献血バスか…?
まさにローカル飛行場に、ふさわしい光景です。 -
富士山を背景に、2機が駐機。
かって、日本航空大学校(宮崎県)でパイロットの教習用に使用され、その後ここへ払い下げられた機種もあった。 -
予科練の学生を偲ぶ記念像。
-
三保の灯台のまえにて。
太平洋戦争の最中の1944年には、ここに海軍甲種予科練の飛行場があり、多くの若者がきびしい訓練飛行に明け暮れていた。
その説明文を記した碑。 -
海の守り神、「清水灯台」。
明治45年建造の、日本で初の鉄筋コンクリート造りの灯台。
地名の由来…
「三保」は、半島であり上空から見ると、そのかたちが美しい稲穂、または3つの穂に見えることから、この地名が由来したともいわれています。
(関連ヒント)
〇美穂 → 三穂 → 三保
〇神社のなまえ … 御穂神社(ミホジンジャ) -
「清水灯台」は、意外と小さい。
灯台の背後は、「三保園ホテル」。
(このホテルの海側の部屋からの、富士山の眺望は素晴らしいです)
三保半島 = 砂嘴(sand spit)の地形
三保半島は、安倍川河口から運ばれた砂礫や、久能山南側の海岸付近から沿岸流で運ばれた漂砂が静水域で堆積して、嘴の形をした砂地の地形を形成してできたものです。
最近では、「三保の松原」付近の海岸は砂礫の供給と波食のバランスがくずれ、海岸侵食が生じたため、テトラポットなどで護岸堤をつくりましたが、周辺の自然景観との調和が問題となっています。 -
帰りに、古くからの知り合いである清水漁業組合長の家に立ち寄る。
玄関先の大きなタヌキの置物。
(自宅は、和風旅館のような大きな家です)
漁業に従事していると、豊漁・航海の安全祈願などの「縁起」をかつぐため、神棚には酉の市の大きな「熊手の飾りつけ」がありました。 -
家の向えには、「御穂神社」があり、ここでは、毎年2月、11月には、豊作、豊漁を占う祭りが開かれ、稚児が神殿で舞いを奉納する。
この先が、「羽衣伝説」で有名な三保の松原で、毎年秋には、夜間かがり火を焚き松原を背景に、「三保羽衣薪能」が上演される。 -
はなしかわりまして、富士山と牧場の乳牛たち。
今年の干支にちなんで、昨年の秋に朝霧高原で写した富士山と牧場の牛たち。 -
雲のかたちが、秋の空。 -
朝霧高原の近辺は、四季を通して富士山の眺めが素晴らしく、富士五湖への通過点となっています。 -
白糸の滝方面からの富士山。 -
つづいて、冬の富士山の7景。
富士川の土手近くから撮る。 -
朝霧高原「道の駅」の展望台より、富士山を眺める。 -
富士山頂の雪。
西からの強風により、山頂から Snow Smoke(雪煙)が、舞い上がり東へ流れてゆく。 -
友人の会社の事務所にて。
静岡市・駿府城公園の近くにあり、友人は毎日自分の事務机に座りながら、富士山を眺められる。
ここへは、街へ出掛けた時にコーヒーを飲みに訪れる。 -
日本平ホテルの庭園から眺める富士山の姿。 -
いつも見慣れた富士山のすがたは、右手に「宝永山」が見えるものです。 -
富士山 ⇒ 駿河湾 ⇒ 海 ⇒ 清水港
… 定番の観光絵はがきのような風景です。 -
この庭園は、一面芝生のゴルフ場のような広いところです。
となりには「日本平ゴルフ場」があり、自宅から車で15分と近いので時どきゴルフコンペに来ます。
ただし景観的には素晴らしいが、この一帯は「風致地区」なため9ホールしかなく、同じコースを2回まわり1ラウンドとなります。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
-
- RyuSie(りゅうじ)さん 2009/01/19 23:30:42
- 初めまして!
- RyuSie(りゅうじ)です、どうぞよろしく。
中学の時の修学旅行地が静岡・清水だったばかりか、
転勤で平成12年から3年間、清水市民でした。
当時は合併前でいろいろ不安や期待が入り混じっていた
のは、じゃんけんで負けて!?ある地区の町内会役員もや
っていたので、ひしひしと感じてました。
三保の名称の由来や清水港関連のお話、興味深く拝見させて
いただきました。
またいろいろ清水のことをお聞かせ願えれば幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
RyuSie
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
1
47