2008/12/13 - 2008/12/13
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■姫路ぶら~り旅
兵庫県姫路市<姫路城観光乱写の巻?>
【姫路城?】「秀吉三層城の名残」
現在の姫路城は家康の意向により池田輝政が姫路に入城し、築城したもので、それ以前には豊臣秀吉が築いた三層の天守が建っていました。
秀吉が織田信長の部将として中国勢を撃つために播磨入りした時、姫路城主の黒田孝高は秀吉に力を貸し、やがて秀吉が播磨を平定すると姫路城を秀吉に譲りました。
秀吉は姫路城を1年で三層の城に改築します。しかしその後、信長が倒れ豊臣家も破れると秀吉の姫路城はわずか20年で取り壊されてしまいました。しかし、その頃の城の一部が現在も残されています。
【手記】
姫路城だけで220枚ほど乱射×・・・乱写しまくり!下手な鉄砲数撃てば・・・。と言うことでアップ数も姫路城だけで5~6ファイルになりそうです。(^-^;)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
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-
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
姫路城 観光乱写の巻?の続きです。
「搦手口」
表の桜門に対して裏の喜斉門を指します。喜斉門からは、姫山の急な地形を利用して、紆余曲折の道をつづらおりにし、その途中に門を造るなどし、守りやすくしてあります。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「への門」
現在の姫路城は家康の意向により池田輝政が姫路に入城し、築城したもので、それ以前には豊臣秀吉が築いた三層の天守が建っていました。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「との一門」
秀吉が織田信長の部将として中国勢を撃つために播磨入りした時、姫路城主の黒田孝高は秀吉に力を貸し、やがて秀吉が播磨を平定すると姫路城を秀吉に譲りました。
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■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「への門」
秀吉は姫路城を1年で三層の城に改築します。しかしその後、信長が倒れ豊臣家も破れると秀吉の姫路城はわずか20年で取り壊されてしまいました。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
しかし、その頃の城の一部が現在も残されています。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「築城にかかった人手と時間は?」
お城が現在の姿に近くなったのは、1601年着工の大改築によります。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
この工事は1609年に完了していますので、実年数は8年、足掛け9年かかったことに。
動員された延べ人数は2,500万人以上と推定されます。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「お城にいた侍の数は?」
池田氏時代で300石以上の武士が500人余り。次の本多氏のころ、本多忠政の家来が700人以上、忠刻の家来が500人以上、足軽、小者まで加えると父子で約4,000人。
榊原氏時代で3,000人。江戸時代末期、酒井氏が最後の城主であったころは2,200人ほどでした。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「備前門」
大きな石が埋め込まれた門です。
この石は築城の際、石不足のために古墳の石棺を転用したものです。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「備前門」
姫路城は典型的な平山城です。
天守のある姫山を中心として、その周囲の平地まで含めた縄張となっています。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
全体としては、姫山の北方を起点に左回りに3重の螺旋を描くような構造であり、梯郭式縄張を成す。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
1周目を「内曲輪(くるわ)」2周目を「中曲輪」3周目を「外曲輪」といいます。曲輪とは区画の事です。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
現在では内曲輪の範囲が姫路城の範囲として認識されています。中曲輪・外曲輪は周囲の地形を利用し城下町を内包した「総構え」です。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
インドネシアのご家族と仲良くなり、ご一緒に観光しました。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
本丸から連立式天守を望む姫路城の天守は江戸時代のままの姿で現在まで残っている天守の一つであり、まさしく姫路の象徴です。
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■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「備前丸」
池田 輝政は戦国時代末期から江戸時代|江戸初期にかけての武将・大名。美濃国大垣城主、同岐阜城主、三河国吉田城 (三河国)|吉田城主を経て播磨国姫路藩主。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「備前丸」
本丸の一郭で、城主池田輝政が住んでいた場所です。
姫路城を現在残る姿に大規模に修築したことで知られています。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
姫路城の天守閣は姫山の頂上に設けられた天守台の上に、1580年の春、羽柴秀吉が(現在の大天守の位置に)3重天守を構えたのが始まりです。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
その後池田輝政によって解体、用材は乾小天守に組み直されて現在に姿を残しています。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「水の五門」
大天守と西小天守とを繋ぐ「ニの渡櫓」の下の部分にある「水の五門」をくぐって姫路城天守閣内部に入ります。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「水の五門」
天守の構造は、東西2本の心柱で支えられた天守台上に5重6階、天守台中に地下1階(計7階)の大天守と3重の小天守3基(東小天守・西小天守・乾小天守)で構成され、天守の間を2重の渡櫓で結んでいます。これを連立式といいます。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「天守閣内」
入母屋造りの建物を基部とする望楼型です。
建設時期や構成からさらに後期望楼型に分類することがあります。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「古図」
全体が白漆喰総塗籠の大壁で、防火・耐火・鉄砲への防御のための構造にして、同時に美観を兼ね備えるためのものであると考えられています。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
「酒井重忠像」
1549年〜1617年、戦国時代から江戸時代前期にかけての徳川氏の家臣。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
天守閣内はエレベーターも無く、滑りやすい床板で急な階段を上っていきます。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
今日では天守内には姫路城にまつわる様々な品物が展示されています。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
姫路城の天守は姫山(標高45.6m)の上に建っており、姫路城自体の高さは、石垣が14.85m、建物が31.5mなので合計すると海抜92mになります。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
天守の総重量は、現在はおよそ5,700tである。かつては6,200tほどであったとされるが、昭和の大修理に際して瓦などの軽量化が図られました。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
美しい要塞とも呼ばれる姫路城には、地階だけではなく上層にも籠城のための仕組みが見られます。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
壁には幾つもの鉄砲や槍が掛けられ、いつでも戦闘態勢に入れるほどの準備がなされていたことがうかがえるでしょう。 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市 -
■姫路ぶら〜り旅
<姫路城 観光乱写の巻?>兵庫県姫路市
化粧櫓からずっと一緒です。名前は何だったっけ?リンダさんはお母さんだったかな?
※姫路城 観光乱写の巻?へ続きます。
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