2008/09/26 - 2008/09/26
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satoshi.s2さん
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ジバング倶楽部主催の「明石~ちょっぴりグルメと自由散策~」に参加してJR明石駅前を散策して楽しんできました。
⇒JR明石駅⇒明石公園(櫓、武蔵の庭園)⇒市立文化博物館⇒時の道散策・明石神社⇒大聖寺⇒妙見社⇒本松寺⇒月照寺⇒柿本神社⇒トンボ子午線標柱⇒亀の水⇒魚の棚商店街(昼食・休憩・買物)⇒明石の寺町散策・宝林寺⇒龍谷寺⇒木立寺⇒長久禅寺⇒伊弉冊神社⇒実相院・正徳寺⇒明石浦漁協⇒岩屋神社⇒長林寺⇒JR明石駅⇒
時の道
JR「明石」駅から北東へ、明石城(喜春城)と文化博物館、天文科学館を結び、山陽電車「人丸前」駅までの約2kmの遊歩道です。
明石海峡大橋や淡路島の眺めが素晴らしい人丸山上には日本標準時子午線を示すトンボの標示柱があります。「時の道」は歴史と文化に触れることができる都心回遊路です。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
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柿本人麿の歌碑
ともしびの明石
大門に入らむ日や
漕ぎ別れなむ
家のあたりみず
人 麿
昭和47年、人麿1250年祭記念に建立された。 明石在住の書家、(故)池内艸舟(そうしゅう)筆。
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山門
伏見城の薬医門 明石城の切手(きって)門として二役を果し、明治初年ここに移された。秀吉建立の歴史をきざむ豪壮な風格の山門である。 -
水子地蔵尊
水子供養のために建立された地蔵尊で毎日香華が絶えない。 -
子安千体地蔵尊
小さな干体の地蔵尊があって、安産授子の霊験頗るあらたかでおかげを受けた人は地蔵尊を一躰ずつ奉納する。 -
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本堂・書院・庫院
総建坪400坪余。この地に移転以来、380年の風雪に耐え、桃山建築様式の遺構を伝えておりましたが、平成7年におきました阪神淡路大震災で全壊。3年後の平成10年に再建。屋根瓦は菊の紋で、勅願寺として栄えた歴史を伝えている。本堂は日本標準時子午線上にある。 -
境内から日本標準時大時計塔
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人丸観音と水琴窟
山門内庭に洗心水の地があり、水琴窟が妙なる音色を奏でている。その池の傍らに、北村西望氏作の人丸観世音菩薩の立像が安置されている。この尊像は身丈2メートル10あって月照寺の鎮守神、柿本人麿にちなんで「人丸観音」と名付けられた。この尊像を寄進したのは檀家の(故)梅沢きよのさんであります。
ふれ愛観音
特に視力の弱い方にお救いの誓願をお持ちの観音さまです。この尊像は、仏師西村公朝先生の作です。 -
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八房の梅
赤穂四十七士の一人、間瀬久太夫正明が大石内蔵助良雄と共に当寺に参詣して、素願の成就を祈り、持参の鉢植の梅を手植したのがこの梅である。この梅は一つの花に八つの実がなるので「八房の梅」と名づけられた。 -
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月照寺
JR明石駅の東へ800m、北側の小丘に明石市立天文科学館があり、日本標準時大時計塔が高く聳えている。その背後、緑に包まれた銀色の甍(いらか)、大きな伽藍(がらん)、それが道元禅師の弘めた曹洞宗、人麿山月照寺である。
今を去る1200年ほどの昔、弘仁2年(西暦812年)弘法大師 空海が明石の岡、赤松山(現在の明石城祉)に湖南山 餘鵜楊柳寺を創建した。仁和3年(西暦887年)楊柳寺覚証和尚は、大和の柿本山 広安寺より人麿念持仏であった船乗十一面観世音を勧請して奥の院に奉祀し、寺号を月照寺と改めた。天正2年(西暦1574年)真言宗から曹洞宗に改宗。元和7年(西暦1621年)明石築城によって境内が城地となり、翌8年(西暦1622年)人丸社、月照寺の新殿が現在地に竣工した。延享元年(西暦1744年)山号を人麿山と改め、明治4年(西暦1871年)神仏分離令により人丸社は月照寺より分離して柿本神社となった。
その間、江戸時代には太平が続き、歌道が栄え、人麿信仰が高まり、享保8年(西暦1723年)人麿1000年祭には人丸社に、「正一位 柿本大明神」の神位神号が宣下せられ、当寺は永代勅願寺となり、霊元上皇から三十六歌仙式紙(明石市指定文化財) 桜町天皇から一座短籍(旧国宝・重要文化財)後桜町天皇から短籍等が奉納され、その後も文人墨客の来訪絶えることなく、書画の寄進も多い。それらの大部分は、明石市立文化博物館にて保存されています。 昭和47年(西暦1972年)には、人麿1250年祭が盛大に行なわれ、全国より和歌、俳句が夥しく献詠せられ、尚、月照寺々伝、万葉人の自然観、 芭蕉俳論等大部の出版がなされた。 -
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田中千艸女の句碑
影清し 月は明石の
うらなれや 干艸女
干艸女はもと国会議員、田中源三郎の曽祖母、名は「ちい」で俳人。明治30年に建立された。 -
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鐘楼
従前の梵鐘は昭和18年、戦時供出。昭和53年再建した。東経135度日本標準時子午線上にあり、県下随一の大梵鐘で830貫(約3.1トン)、一撞余韻は3分半に及び海峡に響き渡る。京都太秦(うずまさ)、岩沢宗徹が精魂こめて鋳造した。 -
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