2008/09/19 - 2008/09/19
1816位(同エリア2761件中)
Junjunさん
- JunjunさんTOP
- 旅行記11冊
- クチコミ0件
- Q&A回答1件
- 18,726アクセス
- フォロワー0人
とある学会の大会に参加した後、当然の如くと平和記念公園へと足を伸ばしました。
広島に来たのは11年ぶりです。当時はまだまだ子供心に戦争の悲劇を・原爆の悲惨さを感じていました。しかし、今、改めてその現実を目の当たりにした時、言葉が出ないほどに考えさせられるものがありました。
と、色々と考えさせられるものはありましたが、この日はちょうど台風がやってきていた日でもあり天候が心配されましたが、公園にやってきたと同時に台風一過の好天候!!実に写真栄えする天気に気分も最高潮に☆
念願の路面電車にも乗れ、その中に広島ならではの光景もありました。
PR
-
ホテルの最寄の駅は「的場町」。
広島の交通手段といえばやっぱり市電でしょ!!ということで市電で移動です。
なんていったって150円という安さ!!そして憧れ!? -
反対ホームに佇む人がいれば最高のカットだったのでは!?
しかし、小さなホームに肩身狭しと建つ屋根が可愛いですよね〜。 -
下を見ればこのような可愛らしいタイルが☆★
市電が定着している証ですね。しかしこの線路、脱線しないのかとヤキモキさせてくれます。 -
市電の内部にはこのようなつり革が!!
やはりカープの本拠地ですね。市民球団である広島東洋カープ。サンフレッチェ広島。この2球団の垂れ幕やポスターをあちらこちらで見かけることができました。 -
市電「原爆ドーム前」で下車するとすぐにこのような光景が見られます。原爆の悲惨さを今に伝える原爆ドーム。日本人だけでなく外国人観光客の方々もこちらで写真を撮ってらっしゃいました。
原爆投下当時のものでしょうか。窓枠付近が黒くこげているように思えます。爆発直下にもかかわらずこのように建ち続けていること自体が奇跡であり、世界遺産に登録された理由の1つでしょうね。 -
角度を変えて。
めっちゃいい天気になってくれました。台風一過ということもありとんでもなく蒸し暑くなりました。
1945年8月6日は雲1つない晴天であったとのことです。それも爆撃対象にされた理由の1つ。 -
原爆ドームは私たちが考えているよりも結構小ぶりです。
現在は老朽化もあって内部は鉄骨で支えられていますが、必死に建ち続けています。 -
元安川にはこのような観光船も通っています。
船上からの眺めはまた変わった世界観を見せてくれることでしょう。 -
構図を変えてパシャッ。
-
原爆ドームは元「広島県産業奨励館」でした。チェコ人建築家のヤン・レッツェルによって設計され、ネオ・バロック的な骨格にゼツェシオン風の細部装飾を持つ混成様式の建物であったそうです。きっと広島の近代化の象徴とも言える建物であったに違いありません。
-
「原爆の子の像」です。この像は皆さんもご存知ですよね。2歳の時被爆し、10年後に白血病を発病して亡くなった佐々木禎子さんの像です。ここには全国各地から彼女が志半ば断念せざる終えなかった千羽鶴が届けられます。
また、私の泊まったホテルにも毎日必ず違う鶴が部屋においてありました。まさに平和を願う象徴です。
それにしても知らない間に千羽鶴を供える小屋ができていたのですね。 -
原爆ドーム東側に位置する「動員学徒慰霊塔」です。
人不足により広島には8400人もの学徒が動員され、6300人が犠牲になったそうです。 -
天に向って願いよ、届け・・・
-
「平和の鐘」です。鐘の表面には「世界は一つ」を象徴する、国境のない世界地図が浮き彫りにされています。
私も世界平和を、核兵器の全廃を願って鐘を突かせていただきました。決して突いた直後に鐘の真下に頭を突っ込むようなことはしていませんよ。 -
「平和の時計塔」です。8時15分に、毎日全世界に向けこの時計塔のチャイムが「ノーモアヒロシマ」を強く訴えているそうで、その音が「残したい日本の音百選」に選ばれているそうです。
これらの碑の1つ1つが平和を願うにあたっての媒体であり、記憶を後世に伝えるためのツールの1つとなっているのですね。 -
平和記念公園は原爆投下当時、「中島地区」とよばれており、住宅地でありました。それが一瞬にして写真右側の通りに。私たちには想像もつかない光景が広がっていたのでしょうね。
-
「原爆死没者慰霊碑」です。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と書かれています。
この慰霊碑には仕掛けがされておりまして・・・ -
正面に回って・・・
そこを覗き込むと〜 -
ほ〜ら、「平和の灯」を通って原爆ドームへと視線が続くのです。
この公園を設計した丹下健三の憎らしい仕掛けであります。
この公園も建設当時は、多くの建築からによってコンペティションが行なわれ、その多くが原爆ドームを軸としたアイデアが盛り込まれていたそうです。 -
いや〜、しかしだだっ広いところです。改めて感じますよ
-
そして南側には「平和記念資料館」があります。こちらも設計は丹下健三氏。平成18年(2006年)7月に戦後の建築物として初めて、国の重要文化財に指定されたそうです。
-
近くまでやってきました。
このピロティーの支柱が面白い形をしており、全く太さを感じさせない仕組みになっています。 -
修学旅行生が多くいました。
この階段、好きです。 -
さあ、資料館へと入ってみましょう。まずは広島の原爆のお勉強。広島に原爆が落とされた経緯や太平洋戦争について学んでいきます。
-
むかしは中島地区もこのような住宅地でありましたが・・・
-
一瞬にしてこのような町並みに・・・
-
こちらの模型では原爆投下位置、爆発地点の高さが一目で分かります。
-
原爆ドームが復元されております。おそらく原寸大です。
-
このように記念館1階に置かれています。その下には広島市長が送った世界各国で行なわれた原子爆弾を使った実験に対する抗議状が。
-
8時16分に時間が止まっている時計です。時計が止まるほどの爆風・・・
-
原爆に耐えた建物の模型が幾つか並んでおります。そのすべてがまるで廃墟のように・・・
-
平和公園の模型です。これは建設当時の形ですね。原爆資料館とその両側をつなぐブリッジがまだありませんね。
-
こちらでは現在も残る原子力を使った兵器への抗議物が展示されています。核廃絶!!
-
さて、ここからが原爆の悲惨さを伝えるメッセージと現実です。
-
ここまではみなさん、お供の方々とお喋りを交わしていますがこれからの展示物を見ると言葉を失っていきます。
-
その展示物の中でも有名な三輪車です。教科書で見ました。
このコーナーな終盤に差し掛かる頃にはみなさん言葉を失っております。そして腕を組み、眉間にしわを寄せ悲惨さを肌で感じていました。私もその1人。テレビ番組では全く伝わりきらない実態を、本物を目で見、考え、肌で感じる。ここに来るだけで原爆に対する意識が180度変わります。 -
資料館最後の通路です。ポストモダンの建築そのものです。
-
カーテンウォールと細い柱。丹下健三とは考えられませんね。
-
資料館から。原爆を乗り越え、よくぞここまで復興してくれたと心から人間・自然の強さを感じました。
-
悲しくなる勉強はここまでにしましょう。
これです、この階段ですよ。なんとなくいいでしょ。(抽象的でスミマセン) -
夕焼けに染まる原爆資料館。
-
最後はやっぱりカープ☆
ここまできて試合を観なかったなんて、損した〜。
しかし、この歳になって改めて平和学習をすることはとても有意義でした。今だから分かることがとても多く、もっと知るべき事があるのではないかと改めて自分の無知さを感じました。
また数年後、私はこの真実をどう捉えているのでしょうか。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
広島市(広島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
42