2008/09/14 - 2008/09/14
100位(同エリア116件中)
ひま人さん
継体天皇の出自が近江高島郡・三尾であることはよく知られている。継体天皇は越前三国で成長したといわれるが、近江からも后妃を迎えていて、坂田郡との関係も深い。継体天皇の長子、安閑天皇2年には全国に26の屯倉がおかれ、近江にも栗太郡の芦浦に置かれたという。
敏達天皇4年の春に、息長真手王の女広姫が皇后になった。政治の中心が大和に移ってからも、継体天皇と高島郡、敏達天皇と坂田郡、毛野臣・坂田耳子郎君と朝鮮といった関係が糸を引き、推古天皇の時代に遣隋使をつとめた志賀郡小野村の出身・小野妹子につながっている。続いて、推古天皇22年(614年)に近江の犬上郡の豪族、犬上君御田鋤が遣隋使をつとめている。
推古朝廷と近江の結びつきは、聖徳太子創建と伝える寺が多いことでもわかる。
歴史的な関連の神社仏閣を見て回った。近江八幡から日野にかけては、田園が広々とひろがり、稲刈りが始まっていた。
写真は苗村神社の楼門(重文、室町時代)で茅葺屋根が珍しい。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス
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苗村神社(なむらじんじゃ)西本殿、(国宝、鎌倉時代)。近在には古窯跡がいくつか発見されている。
竜王町のほぼ中央部にある。
祭神は大国主命ほか2神を祀っている。 -
苗村神社東本殿(重文、室町時代)、那牟羅彦神ほか2神が祀られている。西本殿と道路を隔てて鎮座している。古くはここを長寸神社(なむら)と称していたと伝えられる。鬱蒼と茂る森の中には古墳に用いられていたような石が点在し、所々に古墳とおぼしき土盛りが見られる。
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竜王寺(雪野寺、天台宗)、日野川右岸、雪野山(308.8m)麓にある。奈良時代中期に雪野寺として行基(ぎょうき)が創建。度重なる火災で焼失し、平安時代に再興され、竜王寺に改められた。
本堂の本尊薬師如来は秘仏であるが、「へちまのお加持」の時に開帳される。例年旧暦8月15日に行われる「へちまのお加持」は、ぜんそくによく効くといわれ、多く参拝者が訪れれる。 -
竜王寺鐘楼(重文)、内部にある梵鐘にかかわる伝承がある。
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竜王寺、梵鐘(重文指定)。伝承によると、大和の小野時兼が薬師如来に病気治癒を朝夕祈願していた。病も平癒したある日、容姿美麗な女人が現れ夫妻になり暮らしていると、突然「私は人間ではありません。雪野山の池の主です。私を思って下さるなら百日後に来て下さい。」といって去った。時兼は恋しさのあまりに、池に行った所、彼女は大蛇となってた玉手箱を差出し消えていった。玉手箱を開けると中から紫雲と共に鐘が出てきたので竜王寺に寄進したという。
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法雲寺、天台宗。この建物の中に、木造帝釈天立像が安置されている。平安時代の作(国重文)。仏の守護を意味する鎖をつけておらず、特徴的である。仏の写真撮影不可であった。
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旭野神社七重塔、高さ275cmの均整が取れた多重塔。
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高木神社(左側)と日野神社の本殿。室町時代の建立、国重文。神亀元年(724年)創祀。
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梵釈寺本堂、黄檗宗。在地の豪族が天文年間(1532〜55)に建立、戦国時代以降、衰退していた当寺を天和年間(1681〜83)に開山。
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馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社本殿、もとは綿向山(1110m)の頂上に鎮座していたのを蒲生氏が城下町を開いてから現在地に移され、湖東の大宮として信仰を集めている。
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馬見岡綿向神社、千両松。境内右側にあり、江戸時代に遠方で商売して儲けた辻惣兵衛が、大金を日野に持ち帰るために、植木鉢の中に小判を隠してその上に松の木を植えました。無事に日野まで帰れたので、そのお礼に、この境内に松を植えたといわれている。
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鬼室神社(きしつ)、約1300年の昔、近江朝廷が大津に都を置いていた頃、百済国から渡来した多数の中に優れた文化人であった鬼室集斯(きしつしゅうし)という高官の墓が、本殿裏に祀られているところから、この神社の名がつけられた。
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鬼室集斯之墓。鬼室集斯の父、福信将軍が大韓民国忠清南道扶余郡恩山面の恩山別神堂に祀られていることから、姉妹都市として交流が盛んに行われている。
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