2008/08/16 - 2008/08/16
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sikizakuraさん
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奈良の二日目最初に訪れたのは、鑑真和上で有名な唐招提寺です。
梅原猛さんは、その著書で
「『招提』というのは唐では私立の寺を意味するが、その名には、遠い唐の国からはるばる日本に来て戒を伝えた鑑真が、ここに私立の寺を建てたという誇りと怒りが込められていると私は思う。」と述べています。
鑑真がこの唐招提寺に込めた「誇りと怒り」とはなんだろうか?などと思いをめぐらしながらの境内散策でした。
- 交通手段
- 高速・路線バス
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奈良駅前から路線バスで唐招提寺へ。
バス停は南大門の前でした。 -
同じ路線バスに乗って来た人達です。
この南大門は、昭和35年に天平様式で再建されたものだそうです。 -
南大門を入ると正面に金堂が見えます。「わが国現存最大の天平建築であり、天平金堂唯一の遺構」だそうです。
今はまだ修復中のため中には入れません。修復完了後に再度訪れることにしました。 -
木陰に世界遺産の記念碑が。
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金堂の前を左に折れて、林の中の道を歩きます。
東大寺大僧都良弁によって東大寺を追われた鑑真はどんな思いでこの地へやってきたのだろうか、などと考えながら歩きました。
「天平の甍」はこの時の鑑真の心境については触れていません。私は、司馬遼太郎さんに、鑑真を主人公にした小説を書いて欲しかった。 -
この地は、天武天皇の第10皇子新田部親王の邸宅でしたが、その親王亡きあと二人の息子が住んでいました。
この二人の息子は、聖武天皇崩御の後、朝廷内での権力闘争に敗れ謀反の疑いをかけられ獄死又は刑死しました。その後、東大寺での権力闘争に敗れた鑑真に、この地は与えられました。 -
ここは、金堂の西にある戒壇の門です。
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門の奥に戒壇が見えます。
「戒壇は、出家者が正式の僧となるための受戒の儀式を行う場所」だそうです。 -
日本最初の戒壇は、鑑真が東大寺に創ったものです。
ここの石造三段の豪壮な戒壇が何時造られたかははっきりしないそうです。創建時と鎌倉時代という二説に分かれています。
奈良平安時代は、国の寺でなかった唐招提寺に戒壇を設けることは許されなかったと思うので、鎌倉時代というのが正しいと僕は考えます。奈良時代においては、僧侶というのは、今風に言えば重要な「国家資格」だったはずです。
国家と支配階級のための宗教であった仏教が、法然や日蓮などによって民衆へ浸透し始めたのが鎌倉時代です。 -
上にある白いものは、インド・サンチーの古塔を模した宝塔だそうです。まだ新しいですね。1980年に載せたと記録に。
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戒壇の角です。意味がよく分かりません。
鑑真が戒壇を創るまでは、勝手に僧を名乗る者が横行したそうです。なんとなく、想像できますね。今も昔も同じですね。 -
門の彫刻です。1980年作
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戒壇を離れ、講堂に来ました。改修中の金堂の後ろです。
これは、講堂から見た金堂です。 -
この講堂は、実は、平城宮の東朝集殿を賜って移築したものだそうです。
朝集殿というのは、出仕してきた役人達の待合所とでもいう建物です。 -
奥が金堂で手前が講堂です。その間にあるのは、舎利殿です。
これは鎌倉時代のものだそうです。 -
この長大な建物は、三面僧房東室の遺構で、南は後に道場(礼堂)に改造されたそうです。
これは、この寺が全寮制の学問寺だったことを示すそうです。
写真は、その礼堂東堂の西側、つまり金堂側です。 -
礼堂東堂の東側です。ただ、これは鎌倉時代のものだそうです。
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その東には、二つの校倉が。あの正倉院と同じ造りです。
北が宝蔵、南が経蔵。ともに天平時代の遺構だそうです。 -
しかも、その南にある経蔵は、唐招提寺創建前から建っていた、つまり、新田部親王の邸宅に建っていた校倉をそのまま使用しているそうです。
これは、正倉院より古い校倉ということになります。 -
1250年の時を超えてこの校倉は何を語ろうとしているのでしょうか??
鑑真の弟子達は、きっと、この校倉の前で悔しさに涙を流したことでしょう。
でも、鑑真は、野心家良弁と袂を分かつことができ、むしろさばさばした気分だったのでは?
日本に来た本来の目的実現に専念することを誓ったような気がします。 -
新宝蔵です。
この手前に左へ小路があり、鑑真和上の御廟へ続いています。鑑真がこの寺に込めた「誇りと怒り」を考えている途中だったので、今回は御廟へは行かず寺を出ることにしました。 -
金堂の修復が完了した後に、再度訪れることを約して寺を出ました。
その頃には、梅原猛さんがいう鑑真の「誇りと怒り」を理解できているだろうと思います。それには、もう少し時代背景を勉強しなければならないです。 -
次は、歴史の道を歩いて薬師寺へ
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この旅行記へのコメント (2)
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- ゆうこママさん 2010/01/28 22:36:39
- 唐招提寺の意味
- こんばんは。
ただ単に、美しいなあだけで今まで見てきたので、ひとつひとつのコメントがとても勉強になりました。校倉はそんなに古いものだったんですね。
材の様子から古そうには見えましたが、そうと分かっていたらもっとしっかり見てくるんだった。
仏教をあるべき姿に導けなかった僧たちの無念と悔しさ、あるいは、権力闘争に敗れた皇子たちの怨念のようなものが、もしかしたらあの地にはあるのかもしれませんね。
今度訪れるときは、もっと丁寧に見たいと思いました。
- sikizakuraさん からの返信 2010/01/29 06:07:35
- RE: 唐招提寺の意味
- おはようございます。
たびたびのご訪問ありがとうございます。
鑑真和上は、日本に来たことを後悔して亡くなったのでは、という疑問を長い間抱き続け、今もその疑問は解けないでいます。そんな疑問を抱きながら唐招提寺を訪れ、それをそのまま旅行記にしました。
推敲が行き届かず文章が稚拙になってしまっているのが悲しいです。少しでも文才があったらと思いながら書きました。そんなわけで、評価していただいて、嬉しいやら恥ずかしいやらです。
唐招提寺金堂の修復も終わり、遷都1300年にあたる今年は、是非奈良に行き唐招提寺を再訪したいと思ってます。
歴史的遺産は、その歴史を知ってから見ると、いろいろな見方ができて一層楽しくなりますね。
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