2008/01/04 - 2008/01/04
208位(同エリア1267件中)
のうりかさん
今回の旅行記が、いや、これまでにアップした旅行記が明らかに他のトラヴェラーのアップする「それ」と違うことは自分も認める。
つまり、「こんなこと書いてどうする?」という気持ち。
しかしながら、「書き手の姿が見えない文章は読者に対して非礼だ」と考えるのが僕の信条なのだから、これはどうしようもないことなのだと自分で諦めている。
ワシントンD.C.は旅行記「My Lost City・4部作」の完結編で、おそらくはこの先、こんな自己満足の旅行記は後にも先にもアップしない。
いや、できないのではないかと思っている。
タイトルの「マイ・ロスト・シティー」はスコット・フィッツジェラルド著のエッセイから引用したもの。
この街を訪れる前にニューヨークへ行った旅行記だから。
タイトルの後に続く「カメルーン」は何だ?って?
僕にとってはこの旅の重要なシークエンス。
まだここでは「It’s a Small World !」とだけお答しておきます。
それでは、関係つけへん。じゃなかった、
「My Lost City ?完結編
或いはAny Sign of Cameroon?~ワシントンD.C編」にご案内します。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- ANA
-
LGA発DCA行きUNITED2779はNYCとD.C.間のシャトル便と呼ばれていている。
USエアウェイズのオペレート。
ワシンントンD.C.まで1h 19m
214 マイル
到着は11:19の予定。
ワシントンDCは、どこの州にも属さない。特別行政区。
DCはDistrict of Columbiaの略。
「じゃなんでColumbiaなの?」とツッこむ方、わかります。
誰も教えてくれませんね。
でもちょっと考えると解るはず。
(僕は高校の時、アメリゴ・ベスプッチを調べているうちに気がついた。)
アメリカ合衆国の首都はどこか?
の質問に、ワシントンDCと答えることができるのは常識だろうか?
これだけマスメディアが氾濫する世界では、案外「ニューヨーク!」と答える人も多いのではないかと密かに信じているのだが。
UNITED2779(ホントはUS2169)便はDCAへファイナルアプローチ。
ワシントン・モニュメントの尖塔からナショナル・モールが続きキャピトル・ヒルが、こんなにも近くに?と思うほどの距離で確認できた。 -
定刻通りランディング。只今の時刻11:20。
ポトマック川の西側、DCの南西に位置するDCAは「ロナルド・レーガン空港」という名がついているにもかかわらず、地元では長年親しんだ「ナショナル空港」で通っている。
合衆国では突然、施設や通りに人の名前に由来する名称が付けられる。しかし、市井の民はあまりそれを歓迎していないらしい。 -
到着ホールから階下に降りて、バゲージクレームまで延々と歩く。
荷物をピックアップし。
ここからメトロでグランド・ハイアットへ向かう予定。
また階を上り、連絡通路を渡ってナショナル・エアポート駅へ。 -
自動券売機で1日券を購入する。
6.5USDなり。
自動券売機と言えば、ある記事で妙に納得した話がある。
昔、ロンドンでTube(地下鉄)の自動券売機を新しく設置した際、各国語の言語対応の表示に「English」の選択ボタンがあるにもかかわらず、「USA」のボタンも設定した。
「English」を押すと、画面に英文で次の操作の説明が表示されるが、「USA」のボタンを押すと次の画面には「Choice!」や「PUSH!」の単語でしか表示されないシステムだったらしい。(たぶん冗談だね、この話)
クィーンズ・イングリッシュとは似て非なる言語環境に浸り切った合衆国市民。
彼らは平然と、英国人が話す言葉を「英国訛り」と言ってはばからない。 -
エスカレータで閑散としたホームへ。
イエローラインの電車がすぐに入ってきた。
イエローラインと言っても車体のどこを探しても黄色はない。
ブルー、レッド、グリーン、オレンジの路線もあるのによく市民は理解できるな?。http://www.wmata.com/metrorail/systemmap.cfm
ポトマック川を渡ってメトロは地下へ。
この車両、床がリノリューム張りだよ。
NYCの腐りきった古さとはえらい違う清潔さ。
なんで?首都だから? -
チャイナタウンでレッドラインへ乗換え。
はて、このホームに待つ人々が多いのはなぜか?
どうやら電車が遅れているらしい。
アフリカ系の人たちが多い。
DCの人口の実に半数以上はアフリカ系だという。
ネコオヤジも10分ほど待つ。
しかし、この駅構内の暗さは普通じゃない。
世界中のどの地下鉄駅よりも照明が暗い。
そしてこの半円形の外壁は・・・。
核シェルターだ。
・・・間違いない。
半端じゃなく地下深くまで降りる地下鉄駅。やたらと広いホーム。
愛想の良いアフリカ系オヤジが通りがかりにネコオヤジの前で、
「メトロの遅れはしょっちゅうさ!」と首をすくめて去って行った。
いつもこうなのか?
では、歩こうではないか! -
地図上では次のメトロ・センターまで500m。
その手前1ブロック北にグランド・ハイアットがある。
千代田線の新御茶ノ水駅並みに長いエスカレータを上って地上に出る。
街並みは高層のビルがないせいか、道行く人たちもどこかのんびりしている様子。
ホテルの入口は北が正面らしかったが、西口からレセプションへ。
まだ時刻は12時を過ぎたところ。
チェックインには早すぎるのだが、そこはなんとかなるでひょ。 -
レセプションにいたのはジェニファーと名乗る黒人女性。
チェックインは全然問題ない。
と言ってさっさかカードを渡してくれた。
滞在中何か必要なことがあれば何でも聞いてね!ってな感じで、やたらと明るい。
なぜか?
クラブルームを200USDで予約していたが、ラウンジが改装中で使えないらしい。
代わりにバーのタダ券と朝食券をくれたあたりが、ハイアットのよくわかんないところ。 -
ま、いいざんす。
エレベータに乗り、12階へ。
確かに、ラウンジのドアには「ごめんなさい」の張り紙。 -
予想以上に広い部屋なので感動するの図。
部屋の向きはパティオ。
外の通り向きだとどうなのかは想像つかないが、舞浜の東急みたいなもんだわね。
さて、行動開始。
明日の帰国まで残り23時間。 -
地下鉄レッドラインのメトロ・センター駅はホテルと地下通路で結ばれている。
雨の日は便利だな。
目指すは昼食。チャイナタウン。
さっきは歩いた区間をメトロで戻るわけ。 -
当然すぐに中華街駅へ到着。地上に出るとこの立派な門が歓迎光臨チューゴク!
なんて言う門なんだろう?
「中国城」と読むのかな。「中国界」か?
「Friendship Arch」という表記もある。
地図上では「Chinatown Gate」と記されているだけ。(横浜なら善隣門だな)
世界中に中華街は存在するのだろうか?
正確には人口10万人程度の町で中華飯店が無い町は地球上にあるのだろうか?
中華街へ足を運ぶたびにいつもそんなことを考える。 -
道路が広いせいか街並みが寂しい。
どこの中華街ももっと怪しい雰囲気があるはずなのだが。
ドアを開けた店はその名も「CHINATOWN GARDEN」。
店員はひと目でネコオヤジを日本人だと見破ったらしい。ローカルの客が賑わう席と別のエリアへ案内された。
「発語餅」と書かれた袋菓子を渡される。
なんとそれは、FORTUNE COOKIESでした。
あけてお菓子を割ると・・・。
「You are broad minded and socially active.」
だそうで・・・。
新年だからもらえたのか、日本人だからもらえたのか?
中国の正月は2月だもんな。 -
実はあまりお腹が空いていない。
笑顔の良いお兄さんがお茶をステンレスのポットで運んできて、
「オーダーは?」
海鮮湯麺とビールをオーダーしたら、あっという間に運ばれてきた。
ビールを注いでくれるあたりは中国だな。
湯麺の味はですな・・・。
正直言って複雑な味。強大なホタテがどうにも気になって。納得できないのはスープが「ヘ温い」こと。
麺と野菜は問題ないのでほとんど食した。
20USDをおいて店を出る。 -
メトロに乗って国立公文書館へ。
ここも中華街から1駅。
地上に出ると東にキャピトルヒルが見える。
このあたりの建物は1つひとつが大きい。
官庁街の特徴か。
1ブロック先が目的地。 -
ギリシャ神殿風のファサード。
合衆国政府はやたらとこの建築が好きなんだらしい。
階段を神殿に登ろうと思ったら、入り口は建物西の端。
セキュリティは厳重だから入り口も1箇所なんだろうね。
ここで、家族で観光と思われるご一行様が僕の後に続いてきた。
ドアノブをおさえて、後ろに続く巨大なオシリのお母さんへ配慮すると「ご親切にありがとう!」なぞと大袈裟に言われる。
「どういたしまして」テレれるネコオヤジ。
セキュリティは厳重で、靴は脱ぐわ、ポケットの中のタブレットケースの中身まで見せてくれと言われ無事開放されたと思ったら、隣のゲートでチェックをしたおばちゃんがネコオヤジのセルホンを間違えて持って行こうとしたり、こういう場所ではありえないことが起きるので注意が必要です。
昔、台北の中正国際空港のセキュリティチェック直後に僕の隣で、中国人女性がパスポートを床に落とした。
係員の死角なので、本人も誰も気づくことなく女性が去って行くのを目のあたりにし、僕は女性を呼び止めるも言葉は届かず、パスポートを拾って追いかけ女性に届けたことがある。
感謝はされたけど、中国語で呼び止めたらすぐ気づいたんだろうなと思ったネコオヤジ。
しかし、その後も中国語は全く受けつけない。
たぶんあの抑揚がダメなんだ。響きはまあまあ許せるんだけど。 -
「National Archives」国立公文書館。
所蔵品のなかで国宝級というか、最も重要な文書が3つある。
Declaration of Independence(独立宣言書)
The Constitution of the United States(合衆国憲法)
Bill of Rights(人権宣言)
これら3点セットは「Charters of Freedom」(自由の憲章)と呼ばれ、中央ホールに厳重な警備と細心の保存状態で鎮座ましましている。
3点セットというよりアメリカ合衆国にとって、まさしく「三種の神器」
写真の通り警備官も2人両脇に立ってますね。
この中の「Declaration of Independence」(独立宣言書)を理由あって盗むことになったのがニコラス・ケイジ。
じゃなかった彼が演じる歴史考古学者にしてトレジャー・ハンター、ベン・ゲイツの「ナショナル・トレジャー」http://www.movies.co.jp/nationaltreasure/main/ -
独立宣言書はヘッダーに
「IN CONGRESS, JULY 4, 1776」と記されている。
この羊皮紙の裏にテンプル騎士団の財宝の在りかが隠されているわけです。
フムフム。
映画を見た人は知ってると思うけど、夜間や緊急時にはこの3点セットはホール真下のシェルターに収納され厳重に管理される。
それを盗む(ゲイツに言わせると「守る」)んだから、わくわくものだよ。
ニューヨークではこの映画に敬意を表してトリニティ教会を写真におさめた。夜だったので教会の中には入らなかったが、謎を解く鍵は独立宣言書の裏にあった。
「三位一体」つまりTrinity。
そして今回の旅をするきっかけになったのが続編の「ナショナル・トレジャー2 リンカーン暗殺者の日記」http://www.disney.co.jp/movies/nt2/
でも、原題は「ナショナル・トレジャー2 BOOK OF SECRETS」なんだよな。
まだ見ていない人もいると思うのでネタバレするつもりはないのだけど、2作目もヒットしている理由は、やはり合衆国市民にとって親しみのある場所が次々に登場することじゃないかな。 -
この国の歴史は建国230年を経過したところ。
毎朝小学校生が右手を胸にあて、国旗に向かって宣誓文を暗唱させられる国。
I pledge allegience to the flag of the United States of America, to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.以下略。
この宣誓を知ったのは映画「JUSTICE」http://www.vision21inc.biz/archives/cat3/post_151/アル・パチーノ主演。1979年の作品。
これを劇場で観た当時の僕は、どんなバカ大学でも法学部しか受験希望していなかった高校生。
映画の冒頭に前述の宣誓文を読む小学生の声が入っている。
「正義も時にはめしいるときがある。」と言ったのは「逃亡者」のリチャード・キンブル博士。
世界中にアメリカ合衆国を「自由と正義の国」と信じる人々は多い。
前述の宣誓には「one Nation under God」の箇所がある。
「神のもとの一つの国家」
これは明らかに基本的人権を否定した他の国家、とりわけG・W・ブッシュが言うところの「ならず者国家」のファシズムを思わせるに十分だ。
ローマ・カトリックの大本山であるバチカンが、ガリレオ裁判の過ちを認めたのは、なんと1992年。その3年前にNASAはガリレオの名を冠した木星探査機を打ち上げている。
その国がだ。宗教の過激な一派からの圧力なのか、国家の大いなる陰謀か知らねども、学校教育の場において「ダーウィンの種の起源」を子供たちに教えていない。
他の宗教に配慮してX‘masシーズンをホリディ・シーズンと呼び、「ハピィ・ホリデイ!」と広告に使わせるまでは理解の範疇だが、聖書の天地創造とは別に「インテリジェント・デザイン論」などという怪しすぎる言葉をジョージ・W・ブッシュまでもが唱えはじまったと聞いたときには、もはや開いた口がアングリ状態。
なぜなら、彼の脳内は進化以前かと日頃からいぶかっていたので。 -
ちなみにこのインテリジェント・デザイン論とは、
原始的な動物が人間に進化したという、進化論を一部認めつつも、その過程は(神のごとき)「偉大な知性」の操作によるものである。
というもの。この「偉大な知性」は神(イエス・キリスト)を指している。
間違いなく。
さらに輪をかけて、事態をややこしくしているのが
「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」
(宇宙はスパゲッティ・モンスターによって創造された。と主張しているらしい。マジで)
小学生の宣誓に戻るが、合衆国政府はいますぐにでもこの奇行をやめさせない限り、国民は永遠に世界中の笑いものでしか存在しえなくなるだろう。
国旗に忠誠を誓わせたから兵士をイラクやアフガニスタンへ行かせるのか?
小学生から国家に忠誠をすり込ませ、なおも国家の軍事力に膨大な予算を注ぎ、軍需産業の利益を確保させたいのか?
自分の価値観を他人に押しつけて満足するのが当然と思っているのは国家だけでたくさんだ。
そんな国の友人はいらない。
大いなる勘違いでお節介な国、アメリカ合衆国。
こんなおバカな国のことを考えていたらクラクラしてきた。冗談ではなく全部事実だから始末が悪すぎる。
ゲイツ博士が万引きと間違われた売店を覗くも、買いたいものは見つからず。
国立公文書館を出た。 -
The Mallを横断する。左手にキャピトル・ヒル。
右手にワシントン・モニュメント。
このエリアはDCの象徴と言ってよい。
あまりにも広大でよく距離感が得られないが、記念塔は高さ169.2mある。
国会議事堂からリンカーン記念館までは4km弱あるらしい。その中間くらいなのかな。
春なら木々が芽吹く緑豊かな公園。 -
目指すは「国立航空宇宙博物館」。
The National Air and Space Museum
航空機と宇宙船の展示では世界最大の博物館。(ほんとはスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターと呼ばれる別館があるから最大)
国立とあるが、スミソニアン協会が管理運営している。
ファサードは他の博物館と違ってガラス張り。
立方体が複合したような外観は、そっけないと言うかレトロ・フューチャーとでも言いますか・・・。
エントランスでセキュリティチェック。公文書館より厳重ではない。 -
最初のホールではアポロ計画の宇宙船がお出迎え。
月の石を見たのはまだ小学2年生だった。
今でも大阪万博の興奮を思い出すことができる。
ジェミニ、マーキュリー、バイキング探査機もあってにぎやか。 -
2階に上がってホールを俯瞰してみる。
大好きなダグラスDC−3。
間違いなく20世紀を代表する航空機。21世紀の今でも現役で飛んでいるのは信じがたい事実。
映画にはなくてはならない重要な出演者だね。戦争映画は特に。
“Here's looking at you, kid.”
「カサブランカ」のラストシーンではたちこめる霧の中、ボギーとバーグマンのバックで静かに(ほんとはエンジンがけたたましい)たたずむ姿が印象的だった。 -
第一次世界大戦エリアの入り口には、フライング・エースこと、犬小屋コクピットで愛機・ソッピーズ・キャメルの操縦桿を握るビーグル犬がレッド・バロンの複葉機(アルバトロス?)と白熱のドッグファイト中。
(ウッド・ストックが「ピンク・バロン」だったって知ってはる?)http://www.snoopy.co.jp/clubhouse/encyclopedia/index.php?%A5%EC%A5%C3%A5%C9%A5%D0%A5%ED%A5%F3
「CURSE YOU, RED BARON !」とスヌーピーが叫んでいるが、「覚えてろよ!」とか「待ちやがれ!」とか「ただじゃおかないぞ!」とかいろいろ浮かぶが、どうもぴったしこない。
フライング・エースが撃墜王レッド・バロンに勝ったことがないのは確かなので、ニュアンスは伝わってくるんだけど。
「バロン・ルージュ」ことマンフレート・フォン・リヒトホーフェンは1918年4月21日、フランス上空で撃墜される。26歳だった。(Wikipediaにはソンム川上空とあるがアミアン大聖堂のあるソンム川渓谷上空かどうかはわからない) -
第二次世界大戦の名機が並んでいるエリアで足を止めた。
「零戦」が迫ってきたからではない。http://www.nasm.si.edu/imagedetail.cfm?imageID=1023
今までにも何回か零戦の復元機を見てきたと記憶している。そのどれもがギアを降ろした、つまり地上に降りた状態の零戦。
もはや戦う必要のない平和な日本で展示されていた零戦は何の目的で展示されていたのだろうか。
外国で見る零戦は初めてだ。
パネルの表示には「Mitsubishi A6M5 Zero」
コードネーム「ジーク」。
しかし、US海軍のパイロットはみな「ゼロ」と呼んだ。
ここに展示されているのは52型、1944年サイパンで運用されていた機体だったらしい。
こんな地球の裏側の地で「ミツビシ」の言葉に反応してしまうのは、僕の父が「三菱」の会社を勤め上げた人だから。
彼もまた「いい仕事で人々を幸せにした」をした「ミツビシのマイスター」だった。 -
マイクロソフトの「コンバット・フライト・シミュレーター2」https://www.microsoft.com/japan/games/cfs2/default.aspxに6年ほど前凝ってしまったことがある。
と言っても2、3か月の間だが。
モードはリアリティ(操作、重力、加速等)を極力省いて戦闘にのぞんだのだが、F1グランプリ(セガのソフト)のコクピットでハンドルを握る感覚と同じようなものを感じた。
つまり、あたかもその戦闘に参加したようなつもりになる。
F1で言えばイタリア・モンツッアの高速コーナを最速で駆ったかのような錯覚。
ある日それに気がついてソフトとジョイ・スティックをお蔵入りさせ、今どこにあるか探すのも容易ではない。それはそれでよかった。
実は気になったのは、操縦桿を操っているうちに僕の中である変化を知ったこと。
僕はいつの間にか「靖国参拝」を一部肯定していたのだった。
このソフトは日本軍と連合軍の戦闘機、爆撃機のどちらも選択して操縦ができる。ゼロ戦とグラマンF6の対戦や、逆にヘルキャットと紫電改の対戦でUS海軍のパイロットとして戦闘することもできた。
太平洋戦争敗戦の年のある日、僕の父はまだ小学生だったが、地元に軍需工場があり、家から数キロの場所に海軍飛行場があったため、グラマン機による機銃掃射をうけた。
つまり小学生であったにもかかわらず、合衆国海軍のパイロットは民間人を無差別に攻撃してきた。(おそらくパイロットは作戦前のブリーフィングで「日本人は小人が多く、みな竹馬を履いている」と説明されていたに違いない)
そのとき父が考えたことはただ一つ。
「死ぬなら、家で死にたい」だった。
結果として、2回の機銃掃射を堀に飛び込み回避し、無事家族の待つ家へ戻ることができた。
その父は「いい時代になった」と言うことはあっても、自分が戦時中、いかにつらい目にあったかを自分の子供にまで話したいとは思わないと言っている。
その理由は「二度とあってならないこと」だから。
それに対して僕はコメントを挟むものではないが、昭和一桁生まれに限らず、あの戦争を体験した多くの日本人にとって、忘れることはできない人生の暗い部分なのだろうと考える。
実際、家族でハワイに行こうと父を誘ってみたことがある。
そのとき父はきっぱりとこう言った。
「ハワイにだけは行かない」
母は、我が家の危機管理上、全員で旅行に行くことはあり得ない。としているが、このときの父の言葉は
「ハワイにだけは行けない」だったと思う。
それは、1941年12月8日に帝国連合艦隊の航空機が奇襲をかけ太平洋戦争をスタートさせた場所だから。そして、そこには今も合衆国海軍の犠牲者が海底深く眠っているから。 -
僕が靖国を一部肯定する理由。
少なくともPCディスプレイ上ではなく、現実の祖国を遠く離れた南の空で消えていった多くのパイロットが、何の遺品もなく家族へ政府からの戦死報告という形でその人生を終えていること。
これは日本軍も合衆国海軍も同じなのだということ。
南太平洋の楽園のような海に、木っ端微塵に、文字通り「海の藻くず」と消えた無念に対して誰が追悼するのか?すべきなのか?
それは残された家族であり、今こうして平和を貪欲に鈍感に享受している戦後生まれの日本人であるはずだ。
大東亜共和圏などという妄想のために旧日本軍が近隣諸国の国民を犠牲にしたことは悲劇以外のなにものでもないことは確かだ。
それを他人事のように言う日本人。
それは国民の多くが連合国軍による空襲や爆撃、銃撃とは無縁で生活していたという事実があるから。ひもじい思いと学校での軍事教練で教官から殴られたことだけが戦争だというくらいの思いだけで、敗戦を迎えた人々の子孫だからだと断言できる。
そうでなければ、なぜ被害者の声を聞く同じ耳で、加害者が何をしたのか知ろうとする意識を持てないのか?
小泉元首相の参拝を支持するものでは全くない。右翼団体のパラノイアにつきあうつもりもないし、ABC級戦犯を追悼することはありえない。
しかし、若くして命を落とした兵士の家族に誰が「靖国へ行くな」と言えるのか?
日本国民はもちろん中華人民共和国、ましてや大韓民国市民が言えることではないのだ。断じて。
ここで見たのがゼロ・ファイターだけでよかった。別館で特攻用の航空機など見た日には、夢でうなされそうだから。きっと。
しかし、こんなにも過激な発言をするネコオヤジは、一度も靖国神社に行ったことがありません。
靖国通りに沈む、腐ったトマトのような夕日が鳥居にかかる光景は何十回も見ているのですが・・・。 -
2階の西のエリアは「SEA-AIR OPERATIONS」
仮想空間・USSスミソニアン号のブリッジとデッキが構築され、艦載機が並ぶ。
小学生の時にプラモデルを作ったダグラスA−4C・スカイホーク。設計者ハイネマンの「ホットロッド」または「スクーター」と呼ばれている傑作機。
ベトナムでは空母から出撃し、さんざん攻撃目標を破壊しまくったらしい。
スカイホークの右上に見えるのはダグラスSBD-6 ドーントレス。
ミッドウェイ海戦で帝国連合艦隊の主力4空母を撃沈した立役者。 -
ノースウェスト航空のB747が壁を突き破った様子。ではありません。
この国ではB747を展示する場合、こうしてしまうしかなかったのだろうと納得する。
エンジンはロールス・ロイス製。
初めてロサンゼルス国際空港に行ったとき、その広さにさもありなんと思ったが、道路の上を巨大な航空機が横切る光景を見て感動した。
今では羽田での日常風景なのだろうけど。シャルルドゴールでも見るね。 -
ふと、ここの展示物はずっとこのままなのだろうか?という疑問がわいてきた。
この博物館が所有する3万点を超える航空機関連と9万点を超える宇宙飛行関連の展示品は、別館の地下にでも眠っているのか?
と思ったら所有する航空機のほとんどはメリーランド州スートランドにある「ポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設」に所蔵されているらしい。
ネバダの砂漠に並べられている類ではなかった。
疲れた。年間600万人の入場者には納得がいった。ほんとうに世界一人気のある博物館だ。
この博物館でこんなに長居するとは予定していなかったのだが・・・。 -
時刻は午後4時。
目の前でツーアー・モービル・バスhttp://www.tourmobile.com/が走り去って行く。
あれに乗ればリンカーン記念館までも行けたのだが。
なんだかもう歩きたくない気持ち。
モールの広場を挟んで正面にナショナル・ギャラリーが見える・・・。美術館はNYで食べ過ぎた。
気をとりなおしてキャピタルヒル方向へ1ブロック歩く。 -
「National Museum of the American Indian」http://www.nmai.si.edu/subpage.cfm?subpage=dc&second=visitor&third=hours
閉館時間もせまる頃、最後に選んだ博物館はここ。
「国立アメリカ・インディアン博物館」建物の外観が滑らかな曲線でグランドキャニオンにありそうな一枚岩を思わせる庇のファサード。
スミソニアンのなかでは一番新しい建物で2004年に開館した。
ここでもセキュリティ・チェックはある。 -
一階はポトマックといわれるスペース。
http://www.nmai.si.edu/dc/files/NMAI_bro_Eng.pdf
吹き抜けになっていて、120フィートの高さというから約36mもあるらしい。
ここに葦でつくられた南米のカヌーや、ポリネシアン民族が使っていたアウトリガーつきのカヌーが展示されている。
ミュージアム・ショップやカフェテリアもなかなかに凝っていて、政府が相当に先住民(マイノリティとして)に対して気をつかっている様子が外国人にも感じ取れるつくり。(だってニューヨークにも同じ博物館があるんだから)
特別展示は「Identity by Design」http://www.nmai.si.edu/exhibitions/identity_by_design/IdentityByDesign.html8月まで企画展示されるらしい。
予想したとおり、先住民族の服飾や装飾が並べられていたのだが、これほどまでに多種多様な文様とデザインがあったことに驚かされた。
そして、いまも彼らは誇り高く現在の暮らしを続けている。 -
日本人はネイティブ・アメリカンと同じ遺伝子を持つ。
モンゴロイドと呼ばれチーク・ボーンと蒙古斑が特徴とされている人種。
先史の時代にモンゴロイドはベーリング海峡を渡りアラスカへ(因幡の白兎状態でアリュ−シャン列島を伝ったわけではないんですね、これが)、北米を南下しチチカカ湖のほとりまで足を延ばした。
まさに「グレート・ジャーニー」
日本のアイヌもオキナワンも人種としては旧モンゴロイドに区分されるらしい。
彼らは新モンゴロイド(弥生人に代表される)が渡来する以前に日本列島に住んでいた先住民族であることは誰も否定しないところだろう。
日本政府は彼らに対して配慮しているのだろうか?
つまり誇り高い先住民族として、これからも民族の伝統を未来永劫に伝承してゆくことができるくらいに。
そろそろ閉館(17:30)。
ネイティブ・アメリカンの知識は乏しいままだが、ほとんどの部族は僕にとって優しくとてもありがたい慣習を持つ。
それは、パイプを使った喫煙。
シャーマニズムの儀式としてパイプが精霊と交信する役割をし、タバコの煙はその媒体として位置づけられる。(スー族だけじゃないんですよ)
大酋長フライング・イーグルに敬意を表して、久しぶりに煙草吸ってみようかな。
タイガー・リリィやポカホンタスも大目に見てくれるはず。
(実際は吸わなかったネコ。偉いんじゃなくて、相当にスモーカーがマイノリティだという現実を理解してしまった故) -
キャピトル・ヒルが夕日に染まる。
メリーランド通りから撮った1枚。
国会議事堂の中央にドームがある。
その頂上に銅像のようなシルエットが確認できると思うんだけど、何だか知ってはる?
「Statue of Freedom」http://www.teafoe.com/です。
何と訳すか?
そりゃ「自由の女神」以外にないのですよ。
(NYCにあるのはLiberty。英語より日本語のほうが不得意な表現があるという一例として)
この丸いドームは「パンテオン」とも呼ばれているらしいけど、パンテオンと聞いてローマを連想する人、パリの街並みを思い出す人、その昔、渋谷のデートで映画館とプラネタリウムをハシゴした記憶が蘇った人。
みなさん間違いではありません。皆それぞれに円形のパンテオン。 -
やっとモールとお別れすることができた。
フェデラル・センターSW駅からブルーラインの地下鉄に乗り、メトロセンター駅まで。
車内も退勤時刻を過ぎて混んできた。
ホテルへ帰ろうかとも考えたけど、一度靴を脱いだらもう出かける気にならないはずなので、無理して最後の目的地を目指し、西へ歩く。
途中、交通整理をする警官あり。
この街にもラッシュはあるのか、それとも警備上の問題か? -
ペンシルベニア通りからキャピタルヒルが見える。
この通りは大統領就任演説が終わったあと、ホワイトハウスまでパレードする通りとしておなじみですね。http://commons.wikimedia.org/wiki/Image:Hillary_Clinton_Bill_Chelsea_on_parade.jpg
手前右の鐘楼のようなタワーはオールド・ポスト・オフィス。(ワシントン記念塔に次ぐ高さ95m。登りたい人にはおすすめです)
歴代大統領で初めてここを歩いて官邸へ向かった大統領は第39代大統領、ジミー・カーター。
1977年1月。就任の宣誓と演説後、彼はファーストレディとなったロザリンと仲良く手をつなぎ歩く姿は好評で、その後の大統領もこれに倣うようになったというが、昨今の情勢では警備が大変だろうな。
僕はカーターが当選したときまだ中学生だったけど、このパレードをよく覚えている。
好評だったのはロザリンのおかげだった。彼女の服やピクニックBOXとあの愛嬌が見る者の好感を得た。
ジョージ・W・ブッシュもまたローラ夫人の力で生きながらえたのだと思う。
ロザリンもローラにしても西部や南部出身の少しかわいい女性に合衆国市民はヨワいと見た。
(プレイボーイのセンターフォールドもまた同様にhttp://www.playboy.com/magazine/cover-gallery/1980/11/) -
財務省の前を南へ。
北へ向かえばホワイトハウスの正面なんだけど、個人的にバルコニーが見えるサウスローン越しのレジデンスが好きなので。 -
「The White House」http://www.whitehouse.gov/
正面のインフォメーションには「ペンシルバニア通り1600番地はアメリカでは最も有名な住所です」と記されているらしい。
1817年に壁を白く塗ってからホワイトハウスと呼ばれるようになった。
確かに外壁は白い。と思うでしょ?実際にはクリームホワイトなのだそうです。
褪色による色ムラや写真撮影での色調を考慮した色がクリームホワイトという選択になったらしい。
「ナショナル・トレジャー2」ではサウスローンのパーティー会場から大統領執務室に入りこむのだけど、9・11以来の警備は厳重で、内部見学の一般客は連邦議会の議員が署名した推薦状がないと(しかも10人以上のグループで半年前に申込む)受付けてくれない。
さらに、レジデンスの屋上には監視と狙撃のプロが24時間態勢で警護にあたっていて、危険な侵入者を発見した場合、即時に銃撃する権限が与えられている。
実におっかない話のようだけど、ここまでレジデンスに近づいて写真を撮れるあたりは、まだまだ平和なD.C.の象徴と言ってよいのでは・・・。
ジョージ・ウォーカー・ブッシュの家。
床面積:約5万5000 ft² (5100 m²)
部屋数:134室
洗面所:35ヵ所
階数:地上3階地下3階
扉:412枚
窓:147ヵ所
暖炉:28ヵ所
階段:8ヵ所
エレベーター:3基
シェフ:5人
犬:黒いスコッチテリア1匹(もう1匹と猫もいるらしい)
ブッシュ夫妻も来年の1月にはここを去る。 -
僕のいる場所の南にはエリプスと呼ばれる広場。
ワシントン・モニュメントが夕暮れに巨大なシルエットを描いている。
手前の木の影はナショナル・クリスマス・ツリー。大統領が点灯するツリーは元旦まで営業していたらしい。
あらためてレジデンスをふり返る。
初めて見るホワイトハウスなのに、白亜ではなく黒ずんで見えたのは気のせいか?
アイオワで勝利したオバマ候補の肌の色がアフリカ系だったためではないと思うが・・・。 -
さっきから気になっていた西隣のオールド・エグゼクティブ・オフィスビル。
よく、ニュースの映像の端に出てくるので知ってる人もいるかな。
もっと、近づいてみようと西へ向かうと若い警官が一人立っている。
なにやらネコオヤジを待ってました風。
「申し訳ありませんが、ここから先は通行できません」と嬉しそうに教えてくれるではないか!
そのときネコオヤジの口から無意識に出た言葉は、
「まさか!」
なぜかそう言ってしまった危ないネコ。
と、それまで穏やかだった警官の表情が厳しくなり、「いいえ!ダメです。ここを渡るんです!」と通せんぼされた。
「わかりました。ごめんなさい」と言いつつ、向こう側へ渡ったネコオヤジ。
(危うくパトカーで連れて行かれるとこだったな)
で、大きく1ブロック迂回し、17th通りからオールド・エグゼクティブ・オフィスビルの西側へ。
正式にはEisenhower Executive Office Building
というらしい。1888年完成。http://www.whitehouse.gov/history/eeobtour/
副大統領府、国家安全保障会議事務局、行政予算管理局のオフィスだそうです。
ネコオヤジは建築が明らかにヨーロピアンなので迎賓館なんだろうと信じてましたけど。
迎賓館の役割をしているのはこの北にある「ブレア・ハウス」http://www.blairhouse.org/home.htmlなんだって。 -
なだらかな登りの17th通りを北へ。
もうこれ以上は歩きたくなのだけど、地下鉄までなんとかたどり着いた。
BLUE LINEのFarragut West駅からMetro Center駅へ。
適当に混んでいる車内は、やはりアフリカ系の人たちが半数。 -
ホテルへ帰ってきた。
時刻はまだ7時。
一度、エレベータに乗り部屋へ戻る。
そのエレベータでのこと。
アフリカ系の若いカップルが1組がいたので、先にどうぞと軽く挨拶し、ルームカードを差して階のボタンを押すと。
カップルのお兄さんが「なんてカッコいいんだ!」と言う。
ネコオヤジは「僕のこと?」と大変答えに窮していると、お兄さんは「クラブフロアなんでしょう?」と聞いてきた。確かにカップルは先にクラブフロアではないボタンを押している。
「ラウンジは工事中だし、部屋も特別ではないよ」と答える。
「いや、やっぱりクールだね!」と言ってカップルはエレベータを降りていった。
ドアが閉まる前に、お互い「良い夜を!」をと言ったのは彼らがとても幸せそうだったから。 -
一人旅の弱点、というか個人的に苦手なのが「食事」だ。
疲れているときは間違いなくルームサービスが頭に浮かぶ。
部屋のドアを開けて巨大なアトリウムを見下ろし、さっきのカップルの部屋にも灯りがついたのだろうか?などと考えたら、飼い主ニコトラに会いたくなった。
こんなときに一人の夕食がつらいんだ。
「最愛の妻や家族がいるのになぜ一人旅をするのか?」よく質問される言葉だ。
いつも仕事がどーたら、こーたらのせいとか答えている。
そうではないんだ。
クィーンズ・イングリッシュとの闘い」Alone編で「本当は一人ぼっちはつまらないのだけど、あのヒリヒリするような孤独感がたまらない魅力でもある。それは、世界中で感じること。」と書いて考えた。
ほんとは一人旅なんてしたくない。
「かかるとき かかるところに かの君と 月をみまほし」と言ったのは、僕が先日会ってきた娘の校長が二十数年前に古典の授業で出したフレーズ。
一人旅で素晴らしい風景に出会ったとき、最愛の妻がなぜ隣にいないのか、こんなに美味しいものを食べているのに「この料理は最高だな!だろ?」とテーブルの向こうに座っているはずの家族に言えない、なんとも涙がこみあげてくるような気持ち。
これが、一人旅の魅力でも醍醐味でもあろうはずはない。
人生の半分を過ぎて思う。
人は自分の選んだ道しか歩けない。
そして人生は一人ぼっちではないんだ。
こんなとき、飼い主の待つ家へ今すぐ帰りたい。
あの飼い主が仔犬と子猫と呼ぶ最愛の家族と会いたいと、本当に思わせてくれるのが一人旅ならば、僕の旅は意味のない旅ではなかったと言える。
そしてほんとは一人旅なんかしたくなくても、まだ続けることができるかもしれない。 -
再びコートを持ってロビーへ降りて、コンシルジュに「この近くでおすすめの店は?」と聞いたのは、さっきのカップルに「よい、夜を!」と言われたから。
部屋で食べるのは少なくとも「よい夜」にはなりそうもなかったのでね。
コンシアージの女性曰く、
「何料理をご所望でしょうか?」って、ご所望はですな・・・。
「日本料理だね」と答えると、
「スシはどうでしょう?すぐ近くで人気の店です」とのオススメ店あり。
「予約はいらないのか?」と聞けば、「一人なら問題ないはずだ」と言う。
ありがとう!と1ドル札を出そうとするネコオヤジに、「ティップは必要ありません」と笑顔で断るコンシェルジュ。 -
外へ出るとやっぱり寒い。
すすめられた店は「葵」http://www.thesushiaoi.com/index.php
ニューヨーク・アヴェニューとあるが、交差点を斜めに挟んだ向かい右。
ドアを開けると「いらっしゃいませ!」の日本語。
カウンターに通されて、メニューを持って現れたのは品の良い(柄が)和服を着た女将。
「お飲み物は何になさいますか?」と飼い主ニコトラのような口調でメニューを渡された。
けっして、まじまじと女将を見たつもりもなく、ニコトラと女将の顔が似ているわけでもないが、
「ワシントンへはお仕事ですか?」などと聞かれ、「いえ、観光で明日帰るのですが、ホテルからここのお鮨は美味しいと勧められました」と正直に答える。
「じゃ、お鮨がよろしいですわね」と妙に日本的な笑顔が印象的な女将。 -
オーダーしたのは白ワインとスシ・デラックス。
白ワインに続いてミソ・スープが運ばれるあたりは納得してしまうが、握りはネタが新鮮で予想外に旨かった。
確かに小樽や博多と比べてどうかと言うと、それはそれなりなのだが、僕がDC市民なら美味しくて値段も安いと感じるはず。
バドワイザーと日本酒も飲んだところで店内が混んできた。
カウンターでチェックをすると40USD。
女将に「またぜひ、お寄りくださいませ」と見送られ、ティップを5USDカウンターへおいて店を出る。
けっこう酩酊状態。んなわけないな。歩けるもんな。 -
徒歩2分でホテルへ戻り、フロントで明日のスーパー・シャトルhttp://www.washfly.com/super_shuttle.htmを予約する。
受けた男性スタッフが
「NH001便に乗るなら、3時間前までに空港へ着かねばなりませんから、午前6時の予約です」などと平気でおっしゃいます。
「朝、6時だとお!インディヴィジュアルでもか?」と大袈裟に驚いてみせるネコオヤジ。
しかし、ホテルオヤジは笑顔で「そのとおりです!スーパー・シャトルの会社のレギュレーションです」と返すだけ。
わかったよ。予約するよ。
支払は部屋につけといて。と予約のプリントを渡され部屋に戻る。 -
11時20分発なのに6時にホテル出発だなんて!
空港が遠すぎて鉄道もないのは不便だよな。
タクシーを使えば1時間はかからないだろうけど、スーパー・シャトルの倍は料金がかかる。
ここらへんが一人旅の隠れたコスト。
荷造りして、朝5時にアラームをセットし、朝食の食堂が5時から開いていることを確認し、就寝。
実に刺激的なワシントンDC観光は終わった。 -
1月5日(土)
朝5時にアラームがけたたましく鳴る。
しかし、身体が重くてしばらく行動できない。
コーヒーだな。ほしいのは。
昨日は一日煙草を吸いたいとも思わなかった。ワシントンの乗継以来、ずいぶん長いこと煙草を吸っていない。実に環境は習慣を変える。と言ってもわずかに3日間の話だったが。
約15分後、まだ鈍器で殴られたか、薬を打たれたフィリップ・マーロウの状態だったけど、顔だけ洗って食堂へ降りる。 -
ロビーには誰もいない。
カウンターのスタッフさえも待機していない。
食堂もこんなに小っ早く現れたエイジアンに慌てて笑顔で迎えるオバちゃんスタッフ数名。
スタッフの女性に席へ案内され、サービス券を渡すと、「コンチネンタルはあそこからあそこまでよ」と言われてコーヒーが注がれた。
食欲は全くないが、パンとフルーツとヨーグルトをなんとか食す。
「当店からのサービスです!」とスタッフが苺のジュースを運んできた。
ありがとう、頑張って飲むよ・・・。 -
食堂のスタッフに「よい一日を!」と見送られ、部屋で出発の準備を倍速で。
これでOK!と思ったら、ちょっとトイレだ!
時間は5分前の5時55分。
気持ちよく座っていると部屋の電話が鳴る。
トイレの受話器を外すと、「スーパー・シャトルです!待ってます」との声。
「ごめん。すぐ行くから!」と電話を切ったネコオヤジ。
残念、人生はときにままならぬこともあるのだ。 -
忘れ物ないかあ!
と部屋に向かって叫んでどうする?
ってネコオヤジはエレーベータに乗り、ロビーを走り、カウンターでルームカードキーをサインした勘定書と一緒に放り投げ、
「事前の勘定書き通り間違いないから!」と叫んで、玄関を出た。
6時ちょうど!お待たせ!
と、そこにスーパー・シャトルの姿はない。
赤いボルボが1台、傍らにその運転手と思われる怪しいオヤジ。
白タクかい。「空港まで乗りますか?」と営業が始まった。
こちらは「いやスーパー・シャトルを予約している」と答えると「あっそう」と途端に笑顔がなくなる。
現金なオヤジだな。 -
さて、僕に電話をくれた運転手はどこか?
電話の声は明らかにホテルのスタッフのそれとは違っていたことは確かだ。
こんな時はどうする?・・・動かないのが一番よい。
運転手と会えなかったらどうする?・・・日本へ帰れないだけ。
5分経過、まだ運転手は現れない。
タクシーが来て4人の家族が乗り込んで行った。
10分経過・・・。
さすがに動く。
と、そのとき、背の高い30歳前後のアフリカ系男性が現れて、「ミスタ・ヤジヌマ?」と言うではないか!
運転手は「東のエントランスで待っていたのですが」と言う。
「ごめんね。大変申し訳ない」と謝ると、「いいんですよ。さあ、行きましょう!」とネコオヤジのバッグを持って先へ歩いて行く。
玄関が東にあるとは思わなかった。西にもあるんだから東にあって当然だが、僕が待ち続けたのは北の正面玄関。誰も東の玄関にスーパー・シャトルがいるなんて言わなかったよな。
スーパー・シャトルのバンに乗り込む。
なんと先客が2人いた。日本人の留学生だらしい。関西の大学から留学しているという。
僕のために遅れて申し訳ない旨謝ると、「よくありますから」と寛容な反応。
僕らのやりとりを見て、運転手君は「みな日本人か?」と聞いてきた。
「そうらしい」と答えると、
「日本人は好きだ。中国人はダメ、うるさすぎてね」と笑いながら早朝のDCを西へスタート。 -
ふと、僕が「どこの出身なの?」と聞くと、運転手君は待ってましたとばかりに「カメルーンだよ!」と答えたではないか?
ネコオヤジは「カメルーン!」と叫ぶも、留学生の2人は反応なし。http://4travel.jp/overseas/area/africa/cameroon/
なんか、言わなくちゃ・・・。
とっさに僕の口から出たのは「カメルーンの人たちはサッカーが得意だよね?」だった。
運転手君は大いに喜んで、「そう!ワールドカップで日本にも行った。誰か知ってる選手はいるか?」と聞いてくる。
かろうじて「エムボマ!」と答えられたのは2002年のFIFAワールドカップでカメルーン選手が大分県のある村で手厚いもてなしを受けた記事を記憶していたから。
運転手君はとても気分を良くしたらしく、サッカーの話をガンガンするのだが、3人の日本人はついて行けず。
沈黙が訪れたころ、合衆国市民の男性が1人乗りこんできた。
その後も2人の日本人と、郊外のマリオットからUS市民の女性が乗ってピックアップ完了。
スーパー・シャトルは高速道路をかっとばし、IADを目指す。 -
8時20分にターミナルに到着。
ホテルを出て2時間経過。
確かにANA001便出発の3時間前。
ANAの入口前で降り、荷物を出してもらう。
同乗していた日本人客が去った後、ネコオヤジは運転手に謝辞を述べた。
「ありがとう!君のおかげで助かった。」と1USDを渡す。(ホントは5USDくらいやるべきだと思ったけど、みんなチップを渡さないので)
そして、運転手君の返した言葉に驚く。彼は
「Je vous en prie!」(ジュ・ヴ・ザンプリ!『どういたしまして!』)
と言ったのだ。
やられた・・・。
カメルーンはフランス語圏だったことに今頃気がついた。(仏語に弱いのは合衆国市民の性と同じか)
「これから日本に帰るのか?」と英語で聞かれたので、
「Oui, a la maison !」とゼスチャ入りで答えてみる。
運転手君大いに受けまくり、なにか仏語で言うが、仏語はトランセル級のネコオヤジには全く聞き取れない。(たぶん、僕はまだまだ故郷に帰れないよ。と言っていたのか)
握手をして「グッバイ!サヨナラ!」
運転手君は「Au revoir! Bon Voyage!」と見送ってくれた。
旅の醍醐味はここらへんか・・・。
一人旅も案外すてたものではなかったな。と青いバンをカメラにおさめる。 -
ANAのカウンターでYもCも並んでいたのでファーストの日本人お姉さんへ誘導されチェックイン。
(お世話になっている役員の娘さんがANAのIADにいると聞いていたのでネームをチェックするも別人)
荷物を預けて。セキュリティへ。
ここで靴を脱ぐ。
メインターミナルからBターミナルまでは歩いて行ける通路があった。
最後にあのガンダムバスに乗ってみたかったが・・・。 -
3日前に到着したターミナルが現れて、予定通り、スミソニアンの売店でお土産物を調達する。
買おうか買うまいか、思い悩んだ末に買ったのは「ヒラリーのステッカー」
誰に買ったかというと、子らになのだが、もらったほうも困惑するだろうな、のお土産。
悩んだのは、劣勢が報じられていたからではない。
民主党の大統領予備選挙でオバマが勝とうと知ったことではない。
ただし、ヒラリーが掲げる医療保険制度を誰が代わりに実現してくれるのか?
彼女自身が大統領になるほかに道はないのだ。
僕の飼い主ニコトラは「ほんとうに頭の良い女性は、ごく僅かしかいない。彼女はまさしくその一人なのだから、彼女にしかなしえない仕事をすべきだし、米国市民は彼女を大統領にするべきだ」と言ってはばからない。
1972年以降、アイオワとニューハンプシャーで勝利した候補は確実に党大会で指名を受けると言われている。
ヒラリーは既にアイオワで敗れている。
アイオワで敗れても大統領になった候補はただ一人。
1992年のビル・クリントン。
しかし、この二人には大きな違いがある。
当時のビルが全くの無名だったことに対し、現在の彼女はあまりにも有名すぎるということ。
ステッカーには第二次世界大戦のイラストをパロったものでこう書かれてあった。
「She Can Do It !」
となりにはブッシュのステッカー。(Bush’s Last Dayなるサイトも存在するhttp://www.bushslastday.com/index.html)
こちらにはこう書かれていた。
「なんてこったい!ブッシュの任期は09年1月20日まであるんだぜい!」 -
買い物を終えて、バーのカウンターでハイネケン。
アフリカ系のバーテンはモトローラのヘッドセットでお話し中。(Bluetooth対応はカッコいいかも)
ハイネケンをグビっとやりながら、さっきのカメルーンから来た運転手を思い出していた。
もしかすると、この旅で一番印象に残った出来事だった。あんな出来事がだ。
往路のNH002便で「ボーン・アルティメイタム」http://www.bourne-ultimatum.jp/を見たのは偶然ではなかった。
ジェイソン・ボーンの本名と生年月日をパメラが教えるとき、CIAの研究所の住所を伝え、会話を傍受するCIA職員が叫ぶ
Sir, if you plug them in as variables of longitude and latitude, you get Cameroon.
「経度と緯度ならカメルーンを差しています!」
僕の家のコルクボードに2002年ワールドカップのピンバッジが一つだけ刺してある。
まさしくカメルーンだった。ジャマイカのように派手な国旗だったので、なんとなく刺しておいてあったのだが。
スミソニアンのパンフレットにはこう書かれている。
「スミソニアンで最も新しい博物館となる国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館はワシントン市のナショナル・モール地区に設立される計画です」
最近、興味深い本をみつけた。
「コンゴ・ジャーニー」レドモンド・オハンロン著(土屋政雄訳)この本を読む人は相当にアフリカに造詣が深いか、それとも無類の冒険好きかなのだろうが、とても印象にのこった部分がある。
書評の先生が最後に著者の文章から引用したもの、
「私たちは誰でも昔はアフリカ人だった。地球上の誰もがアフリカの出なんだ」
この言葉には国立公文書館に通いつめ、「ルーツ」を書き上げたアレックス・ヘンリー氏も異存はあるまい。
フランス語を話すスーパーシャトルの運転手との握手が忘れられない。
彼はあれからまた、僕のような客に手こずりながら笑顔で仕事をしているに違いなかった。
願わくば、彼がいつか故郷へ帰る日が少しでもはやく来ますように。とにかく元気で仕事が続けられますように、と祈った。
フィリップ・マーロウならこう言うはずだ。
『こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。
フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。
さよならをいうのはわずかのあいだ死ぬことだ。』
To say goodbye is to die a little.
(『長いお別れ』レイモンド・チャンドラー著・清水俊二訳より) -
そんなことを考えていると、アナウンスあり。
(呼び出しは「Page」っていうんだね)
「ネコオヤジ様、ネコオヤジ様。ゲート・カウンターまでお越しください」
ハイネケンはキャシュ・オン・デリバリなので、最後の一口を飲み干し、カウンターへ。
アフリカ系の女性スタッフ曰く、
「アップグレードになりました。真ん中です」
複雑な思いで、ボーディング・パスを受取り、気持ちを整理してみる。
ふと目に止まったのが、喫煙室。
しかし、ネコオヤジは偉いよ。入らなかった。
インボランティア・アップグレードはラッキーだ。しかし、3人掛けの真ん中は嫌いだ。
B777のCLUB ANAなら我慢できるかもしれない。
あとは、もう考えず、搭乗まで新聞を広げる。 -
定刻30分前に搭乗の案内が始まり、搭乗すると思った以上に広い空間。
好みもあるだろうが日航のCよりも気に入った。
僕の右隣りは若い日本人お兄さん。
いつの間にか、左の開いている席に合衆国市民とおぼしきオジさんが立っている。
どうやら2列前の席に奥さんと離れてしまった様子。
とっさに、シートベルトを外して「席を替わりましょうか?」と言おうとしたところ、同じ申し出を2列前の真ん中の白人男性が、どうぞ、どうぞと交換。
そして彼は僕の隣にやってきた。
軽くお互い挨拶をする。(不思議だね。日本人どうしだといいかげんな挨拶しかしないし、返ってこないのに)
彼が手にしてきたのは、ロンリー・プラネットのマニラ編を1冊だけ。
彼はまちがいなく僕と同じくらいの年齢で、ちょっとだけ今のシーファー駐日大使http://tokyo.usembassy.gov/j/tambj-main.htmlを丸くして、ヤワくして、背を低くした感じ。 -
機は定刻どおりテイクオフ。
窓の外に広がる針葉樹。さよなら、DC。
シートベルトのサインが消えて、液晶モニタを出す。
と、隣のシーファーオヤジが落ち着かない。
どうやらヘッドホンに難儀している様子。
「どうしましたか?」と一応声をかける。
シーファーオヤジは「このプラグはどこに・・・?」と困惑の表情を浮かべながらネコオヤジに訴える。
「ここですよ。僕もこのテのものはどんどん難しくなっていくので困ります。」と差し込んであげたネコオヤジ。
シートのリクライニングの操作までやってみせたのは、ちょっとやりすぎだったな。
「ご親切にありがとう!」と礼を言われたので、
「親切なのはあなたですよ。さっきの方に席を替わってあげたでしょう?」とネコオヤジが感心した表情で言うと、「そんな大したことではありませんよ」とテレるシーファーオヤジ。
合衆国市民でも謙虚にテレてみせることがあるらしい。 -
シーファーオヤジが「日本へ帰るのですか?」と聞いてきたので「そうだ。あなたは?」と返すと、
「私は『スィブー』までです」と言うシーファーオヤジ。
スィブー?3秒ほど考えたネコオヤジ。(セブ島だ!)
「あー、ファイリピンのきれいな島ですね?」と納得。
「ええ、父がCebuにいるんです。ワイフは日本人なのでTokyoに寄ってからですが」と意外な発言。
「奥さんと一緒なら、私が席を交換しましょうか?」と言ってみたネコオヤジ。(心からそう思ったんですけど)
ところが、シーファーオヤジは「いいえ。ありがたい申し出ですが、ワイフは子供たちと一緒なので。気にしないでください」と言う。
「お父さんはなぜセブ島に住んでいるのか?」
と聞いたみた。
シーファーオヤジによれば、父は海兵隊で朝鮮戦争時、仁川の上陸作戦に参加し退役。本土で会社勤めをした後リタイヤしたが、母と一緒にフィリピンに定住したという。
「あなたは兵役についたことはないのか?」と聞くと、「州の兵役にはついたけど、戦争には行ってないよ。全く、日本と戦争したなんて信じられないよね」との返答は僕が日本人だからか。
そこへ、CAのおねえさんがきて「お飲み物は?」に、
2人とも「シャンペンください!」
シャンペンで乾杯するインボランティア・アップグレードの2人の姿は、もはや、周囲からあやしい日本人と合衆国市民としか映っていない。 -
シーファーオヤジのメニューがなぜか見つからず、ネコオヤジと一緒にメニューを思案するシーファーオヤジ。
2人とも和食をチョイス。
なんで、和食なのか?聞いたところ、
「日本食レストランでは高級で食べる機会がないから」とシーファーオヤジ。
さすが合衆国市民。このケチくささ加減が期待どおりの回答だな。
ふと、「日本語は話すのか?」と聞いてみた。
「日本語はほとんど話さない。難しくてね。子供たちは話すよ。ワイフは日本語を忘れそうだと時々言ってる。でも絶対忘れないと思うよ。」とシーファーオヤジ。
「なぜ?」の問いに、シーファーオヤジは真顔でこう答えた。
「誰もが皆、自分の故郷を忘れないようにね。自分の国の言葉を忘れたりはしない。」
これは一合衆国市民の鷹揚さ、を表す言葉ではない。
多様な文化、言語、民族または人種が共に社会をつくっているからこそ出た言葉だろう。
そして、家族の愛こそが彼にとって何ものにも代えがたいものなのだ。
「その通りだね」とネコオヤジも大いに頷く。 -
シーファーオヤジに芋焼酎をトライさせて酔っ払わせ、自分もかなりの酩酊状態。
シートを倒して眠りに入った。 -
数時間で目が覚めて、隣をみるとシーファーオヤジはいない。
その間、飼い主ニコトラへのお土産を調達。
CAのおねえさんが商品を届けに来て、シーファーオヤジもウェルカム・バック・オヤジ!
シーファーオヤジはYクラスにいる家族の様子を見てきたらしい。
子どもは何歳なのか?と聞いたら16歳と12歳の女の子だらしい。
僕も娘が2人だと答えると、「娘は甘やかしてはダメだよ」と始まった。
シーファーオヤジ曰く。
娘は厳しく育てるべきであって、オヤジは決してナメられてはいけないのだそうだ。
しかし、当方は既に娘たちからネコオヤジとして扱われる身。
シーファーオヤジの言葉は実に耳に痛いが、
「本当はそうではないのでしょう?」と言うと、
「わかった?そうなんだ、娘は難しいよ」とヤレヤレのゼスチャ。
同猫(じゃない同病)相哀れむ。 -
その後、映画やビデオを見ながら、このオヤジどもはビールとうどんを食し、最後のミールもサンマの蒲焼丼をたいらげ、徹底した和食づくしの機内食は終わった。
-
定刻通り成田へランディング。
シーファーオヤジと「楽しいフライトだった。よい旅を!」とお互いハグはしなかったけど、握手して別れる。
日本はそれほど寒くなさそうだ。
ニューヨークに比べれば当たり前な話だな。
入管でスタンプされ税関を過ぎて到着ホールで携帯を返却。
リムジンバスのチケットを買ってバスへ乗り込む。 -
満員のバスは冬の弱々しい西日の中を進む。
はたして、シーファーオヤジは東京に寄った後、半ズボンにソックスを履いたスニーカー姿でマニラに降り立つのかもしれないな、と考えた。
それはそれで許すよ。
世界中のいたる所で、冬でも夏でもTシャツ一枚という薄着姿で旅行し、街角に立ち止まって、地図を逆さまに覗き込みながら現地の人間に英語で道を聞き、たまに英語が通じたりすると「やっと文明の言葉を話す人に出会った」と言って握手を求める。
実に憎めない旅行者たち。
それでこそが合衆国市民なのだから。 -
シーファーオヤジが言うように「まったく、日本と戦争しただなんて信じられない」自分も含めてお互いの国の大半の人々はそう思って当然だ。
しかし、合衆国政府は兵士を世界中に送り続ける。
世界の秩序と平和と民主主義を守るためか、国家の利益を守るためか?
いずれにしても、戦う兵士は国家のために戦うのではないのだ。
合衆国政府の命により派兵された兵士は、小学校で国旗に宣誓文を暗唱し忠誠を誓ったから戦っているのではない。
彼らは、いつも生死を共にし、自分の隣で戦っている兵士のために自らの恐怖をものともせず、今も果敢に戦場に立ち、あるいは硝煙の中に飛び込んで行くのだ。
そして、いつか故郷に帰ることができると信じているから。
そこには愛する家族の笑顔と温かいキスと抱擁が待っているから。
「Gracias a La Vida」。
ペンステーション駅で乗り込んできた男性が吹く口笛のメロディは、地下鉄車内に響くブレーキ音たちとともに消えて行った光景がよみがえる。
誰もが皆、自分の故郷を忘れたりはしない。
そして再び、IADで「ヴォン・ヴォャージ!」と送り出してくれた彼の笑顔を思い出す。
友よ、カメルーンはあまりにも遠い。
FIN.
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この旅行記へのコメント (7)
-
- nakamasananiwaさん 2008/09/22 10:35:37
- パチパチパチ、、、、、、、、
- 毎度おおきに
あ〜気持ちいい
なんとも表現しにくいけどすんごいいい気持ちです
このあいだなんていったっけ?すんごい久しぶりに再会したりんごのブランディやった時よりもしかしてもっときもちいいかも
いつのまにか引き込まれてほとんど夜を徹して読了したなんていったっけ?あの小説よりもっとか、同じくらい
脳内のどこかがじーんとなるような
それにしてもええ靴はいてはりますねー
若い頃無理して買ったやつに似ててその頃の事ちょっと思い出しました
1時期大阪のTORAYAっていうとこでバイトしてたころの事
あらららおいらよりお若いとは?
失礼いたしましたです。
次回作はやくでないかなー
それでは
- のうりかさん からの返信 2008/09/23 13:20:16
- うー、バレてもうた!
- nakaさん、こんにちは!
日本はお彼岸の中日で祝日でっせ。
バレた!なにがって?
そらnakaさん、僕は寅年で、nakaさんは戌年ですよ。
今後ともよろしくご指導賜りますようお願い申し上げます。
My Lost City読破してくださったのですね。
ありがとうございます。
僕も感激して何とnakaさんに感謝の言葉を申し上げてよいかわかりません。
カルヴァドス・ブラーの蕩けるような香りに及ぶわけもないのですが、
4travelというこのサイトはとても不思議です。
本が読む人を選ぶように、自分もお会いしてもいない方の旅行記に選ば
れて、そのURLを訪れているのだと思うのです。
(nakaさんの旅行記がそうであるように)
靴ですか?うーん。たぶんnakaさん、10万円くらいするメーカーのと
見間違ってますよ。(僕のはその十分の一)
僕が旅に出るときに履くのは、必ずハッシュ・パピーのこのモデルです。
この靴を褒めてくれたのは、沼津生まれの帰国子女とnakaさんが2人目
かな。
若い頃、夏はバックスキンのデッキ(セダー・クレスト)を履いて過ご
しました。
夏のパリで最後の活躍をしてくれましたが、東駅で捨てるとき、破けた
靴の間から砂が出てきたことを今でも忘れません。どこの海岸の砂かも。
それは、マーロウがベッドのシーツの上に黒く長いまっすぐな髪を見つけた
ときのように、鉛を飲みん込んだような気持ちにもなったのですが、
靴にとって、僕にとってお互いよい別れ方だったと今更ながら思いました。
次回の旅行記は、どうでしょう。
娘がまた受験なので、どこへ行く予定もないのです。
nakaさんに言われたように、近所でまたは国内でハードボイルドに挑戦し
てみたい希望はありますが、期待せんと待ってておくれやす!
では、アディオス!アミーゴ!
(じゃなかった、失礼します。先輩!)
- nakamasananiwaさん からの返信 2008/09/23 14:29:07
- RE: パチパチパチ、、、、、、、、
- >nourika san
ima soto nande nihongo henkan dekimasen.
shitsureishite---
soudesuka?hush-puppy ni konna noga?
chotto miniittekimasu.
attara nourika san to osoroiya,ureshiina-
jyaa mata
-
- マイレージユリコさん 2008/08/20 19:45:18
- のうりかさんがお酒になってる
- 一人旅のステキさがにじみ出てますよね
ニコラスケイジはキライだけど、やっぱりあの映画を見たら
ワシントンD・Cへは行きたくなります。
でも、実際さっと一人で出かけてしまうあなたはスゴイ。
次はどんな映画の舞台へ?
お写真はマティーニ?
オリーブ2つほしいですよね!
私も写真替えよかなあ〜
お話の中に出て来た、ボーンシリーズ
私は最初のが好きです。ラストシーンのハッピーエンドが
とてもよかった!だからあのまま続きはいりませんよ
初めてパリへ行った時に映画に出て来た「ホテルレジーナ」
を見つけて嬉しくって写真をとりました。
4トラ仲間のまりのさんがパリ旅行で泊まってらして、
その話題で花が咲き、仲良しになりました。
映画の舞台というだけで、どうしてあんなに感激するのでしょうね
英語がお上手のようなので、コミュニケーションも上手なんでしょう
うらやましいかぎりです
私はダメですが、でもフランスでもイタリアでも平気で道を聞いたり
しちゃいます。たいがい指をさして「アッチ」ってやってくれますもん
おばさんは強いのだ!
- のうりかさん からの返信 2008/08/20 21:25:36
- 「月の輝く夜に」
- 「オリーブを2つ」は、シェールとJudyさんがイマイチ好きでないニコラス・ケイジの出演していた映画で母親が言うセリフですね。
たぶん、オリーブはピメント入りではないような気がします。
あのね、プロフィールの写真を変えたのは昨夜、Judyさんに書き込みする前のことですよ。
で、よく見てもらうとわかるように、「オリーブ2つ」です。
かなり、びっくりくり。(写真は拙宅の2階ベランダ)
横浜は僕も思い入れが大きい街です。
「田舎」と書きましたが、学校に通っていたころ、京都の会社がテナントで入っている店にバイトで、お中元とお歳暮の時期に通勤するはめになったのです。
そもそもは、そのバイト先、上野松坂屋で始めたのですが、店長が横浜高島屋に異動してしまい、東京支社の人事担当に僕を指名してきたためでした。
結果、夏なのにスーツを着て毎日8時発の東海道線に乗り30分。
横浜の文化にも、人にも、元町にとどまらず、まだタクシーじゃなくてハイヤーが走る中央林間にも詳しくなりました。
が、いちばんのカルチャーショックは三浦半島から買い物においでになるお客様たちだったのです。
あと、茅ヶ崎あたりからの地元民の誰もが、「サーフィン」と呼ばず「波乗り」と言うこと。
僕はカラオケが嫌いです。
が、どうしてもと請われて歌うとき、たいていはケイスケ・クワタの「遠い街角」です。
もちろん裏声もしっかりと。(大抵の人たちはWe all alone.のあたりで黙りますが)
この曲を歌う度に、不思議と東横線の山岳民族が生息する沿線を思い出すのですよ。
英語は家族の中でいちばん成績がよくないと思います。(なんのサーテフィケイトも取得していないので)
また、少しずつ話しますね。
-
- Maiさん 2008/08/14 20:01:08
- 読み応えありまする!!
- のうりかさん、こんにちは〜。
ワシントンDCの旅行記にお邪魔しています〜。
いつも、トランジットで通りすぎるワシントンDCですが、
いつか行ってみたいと思っています。
米国の映画やドラマで、数々見たことがある風景。
白い建物が多く清潔なイメージや、
ナショナルトレジャーなど大切なものが多く保管されているであろう
博物館通りなど、憧れの町でもあります。
ところで、のうりかさんの旅行記は、読み応えがあり、
引き込まれ、あっと言うまに最後まで読破しました!
そういえば、Maiも、NH便で、ボーンアルティメイタムを見ました。
あれはどこの出張に行った時だったかしらん?
そいういう所も勝手に親近感をもち拝見しました。
またお邪魔させて下さい!
Mai
- のうりかさん からの返信 2008/08/15 19:30:57
- RE: 読み応えありまする!!
- ご訪問ありがとうございました。
このとんでもない旅行記を最後まで読破していただいたことには、ひたすら尊敬の念を禁じえません。
恐らく、Maiさんは文章を読むコツを習得している方と思われます。
(女房こと飼い主ニコトラは中学校の国語教諭なのですが、まだ最後まで読んでいないくらいです)
「ボーン・アルティメイタム」は前作を福岡で見て印象に残った映画だったので、少なからずの因縁を覚えたのですが、今回の旅行記に出てくる彼ら、あるいは彼女たちは実際に僕が出会った人たちなのだと今更ながら懐かしくもいとおしく思い出されるのですよ。
当初、DCに1日費やす予定はなかったのですが、そこはドメスティックのトラフィック事情に鑑み、危険負担率を考慮しただけのことだったのです。
しかし、そんな滞在だからこそ、プレゼントされたものも大きかったのだとつらつら考えます。
(但し、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」のように、『一日に奇跡が二回あったら人生はとてもつまらないものになってしまうでしょう』とも思うのですが)
Maiさんのデトロイト旅行記で、合衆国陸軍兵士と空港で遭遇したくだりがありましたが、僕もその通りだと思います。
30年前なら、合衆国市民の子供たちはこう言ったでしょう。
「いつも僕たちにフットボールを教えてくれていたお兄さんが徴兵され、数か月後にジェラルミンの棺で還ってきた」
太平洋戦争敗戦の日だからか、こんなことを書いてしまいました。
Maiさんの旅行記はとても楽しそうですね。
ちょうど、ウェルカムドリンクを2つチョイスして、ミモザを作ってしまうような華やかさがあります。
では、また。
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