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 梅雨の合間に関ヶ原、大垣を散策してきました。<br /><br />一日目(激戦地を眺めながら自然を満喫)<br /> <br /> ⇒関ヶ原IC⇒歴史民俗資料館⇒陣場野公園(御霊神社、貴船神社、徳川家康最後陣跡)⇒北野神社⇒丸山、黒田・竹中陣跡⇒エコフィールド(東海自然歩道)⇒決戦地⇒笹尾山・石田三成陣跡⇒神明神社⇒小池・島津義弘陣跡⇒関ヶ原400年記念平和の社⇒開戦地・小西行長陣跡⇒関ヶ原ウォーランド⇒宝蔵寺⇒関ヶ原鍾乳洞⇒胡麻の郷⇒徳川家康最初陣跡⇒南宮大社⇒朝倉山真禅院⇒手力雄神社⇒水都神社⇒ホテル<br />                 <br />                  バードグリーンホテル泊<br /><br />二日目(歴史文学、中山道赤坂宿を散策)<br /> <br /> ⇒市営駐車場⇒常葉神社⇒大垣城郷土館⇒円通寺⇒大垣八幡神社⇒大手いこ井の泉⇒住吉燈台と船町港跡⇒奥の細道むすびの地⇒水神神社・正覚寺・愛宕神社⇒輪中館⇒水屋(浅草・大橋邸)⇒曽根城公園(曽根城跡・華渓禅寺・花菖蒲)⇒加賀野八幡神社<br />⇒大垣市情報工房⇒安楽寺⇒子安神社・秋葉神社⇒金生山化石館⇒金生山神社⇒明星輪寺赤坂宿跡⇒関ヶ原IC

天下取りコース散策:神明神社、小池・島津義弘陣跡、関ヶ原400年記念平和の社

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2008/06/17 - 2008/06/18

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satoshi.s2

satoshi.s2さん

 梅雨の合間に関ヶ原、大垣を散策してきました。

一日目(激戦地を眺めながら自然を満喫)
 
 ⇒関ヶ原IC⇒歴史民俗資料館⇒陣場野公園(御霊神社、貴船神社、徳川家康最後陣跡)⇒北野神社⇒丸山、黒田・竹中陣跡⇒エコフィールド(東海自然歩道)⇒決戦地⇒笹尾山・石田三成陣跡⇒神明神社⇒小池・島津義弘陣跡⇒関ヶ原400年記念平和の社⇒開戦地・小西行長陣跡⇒関ヶ原ウォーランド⇒宝蔵寺⇒関ヶ原鍾乳洞⇒胡麻の郷⇒徳川家康最初陣跡⇒南宮大社⇒朝倉山真禅院⇒手力雄神社⇒水都神社⇒ホテル
                 
                  バードグリーンホテル泊

二日目(歴史文学、中山道赤坂宿を散策)
 
 ⇒市営駐車場⇒常葉神社⇒大垣城郷土館⇒円通寺⇒大垣八幡神社⇒大手いこ井の泉⇒住吉燈台と船町港跡⇒奥の細道むすびの地⇒水神神社・正覚寺・愛宕神社⇒輪中館⇒水屋(浅草・大橋邸)⇒曽根城公園(曽根城跡・華渓禅寺・花菖蒲)⇒加賀野八幡神社
⇒大垣市情報工房⇒安楽寺⇒子安神社・秋葉神社⇒金生山化石館⇒金生山神社⇒明星輪寺赤坂宿跡⇒関ヶ原IC

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
その他
  • 神明神社

    神明神社

  • 敵中を強行突破した島津義弘陣跡  <br /> 関ヶ原の戦いでは、島津義弘(惟新入道)は約1,000の兵を率いてこの地に陣取りました。笹尾山の石田三成陣跡からはおよそ800m南で西軍のほぼ中央に位置します。このあたりを小池といい、現在は神明神社の森が広がっています。神社の裏側に「小池島津義弘陣所跡」の碑があります。昭和の初めに鹿児島県の青年の人たちの寄付で建てたものだそうです。<br /> 島津義弘は鉄砲をこの戦いでは巧みに使い、騎馬隊を打ち落としていました。しかし、夜襲を前日献言したのに取り入れなかったなどの理由で石田三成に不満を募らせていたため積極的に攻撃には参加せず、防戦に終始しました。<br /> 小早川秀秋の寝返りなどで西軍が総崩れになると、義弘は東軍を敵中突破し、井伊直政や松平忠吉の軍勢に攻撃を受けながらも、殿の島津豊久などの奮戦により、本国薩摩に帰ることができました。薩摩に帰国できたのは数十人だったといわれています。<br /> 毎年日置市伊集院町の青少年が、義弘公の帰国コースを踏破するため、関ヶ原を訪れています。陣跡の石碑の左横に、これまでの関ヶ原戦跡踏破隊に参加した面々の氏名を刻んだ石碑が立ち並んでいます。<br /> <br />

    敵中を強行突破した島津義弘陣跡
    関ヶ原の戦いでは、島津義弘(惟新入道)は約1,000の兵を率いてこの地に陣取りました。笹尾山の石田三成陣跡からはおよそ800m南で西軍のほぼ中央に位置します。このあたりを小池といい、現在は神明神社の森が広がっています。神社の裏側に「小池島津義弘陣所跡」の碑があります。昭和の初めに鹿児島県の青年の人たちの寄付で建てたものだそうです。
    島津義弘は鉄砲をこの戦いでは巧みに使い、騎馬隊を打ち落としていました。しかし、夜襲を前日献言したのに取り入れなかったなどの理由で石田三成に不満を募らせていたため積極的に攻撃には参加せず、防戦に終始しました。
    小早川秀秋の寝返りなどで西軍が総崩れになると、義弘は東軍を敵中突破し、井伊直政や松平忠吉の軍勢に攻撃を受けながらも、殿の島津豊久などの奮戦により、本国薩摩に帰ることができました。薩摩に帰国できたのは数十人だったといわれています。
    毎年日置市伊集院町の青少年が、義弘公の帰国コースを踏破するため、関ヶ原を訪れています。陣跡の石碑の左横に、これまでの関ヶ原戦跡踏破隊に参加した面々の氏名を刻んだ石碑が立ち並んでいます。

  •  関ヶ原400年記念平和の社<br />

    関ヶ原400年記念平和の社

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