2008/05/13 - 2008/05/24
113位(同エリア207件中)
明石DSさん
午前5時15分:海拉爾の朝陽
今日も早く起きた
バスとタクシーでノモンハンへ行くぞ
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8日目:海拉爾〜諾門罕へ:5月20日(火)曇り、一時雨、暴風
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2008.平成20年5月20日(火)
■海拉爾からノモンハンへ行く朝
5時頃に起きて窓を開けたら朝もやの中、すでに伊敏河の空高く、朝日輝くとは言いがたいぼんやりした太陽が窓の外にあった。雨が降っていないのは幸いだし、朝曇なら天気が良くなるかもと期待して・・・。
7時からバスがあると成吉思に聞いていたので、7時からの朝食は諦め、準備してノモンハン目指して小さなリュックを背負いバスターミナル向かって出て行った。
ホテルの玄関を出たら隣の海拉爾第七中学校の生徒は、まだ6時をちょっと過ぎたとこなのに、すでに多くの生徒がグランドを走っていた。そして続々と自転車や徒歩で学校に来ているようだった。この子供らは一体何時に起きて来るのだろう?こんなことは毎日のことなのか?下校時間も結構遅いようだし。これじゃあ生徒だけではなく先生も大変だなあ・・・である。
-
まだ6時8分なのに中学生がグランドを走っていた
一体何時に起きて何時から走っているのだろう
教師も大変だと思うけど・・・。 -
午前6時30分頃の切符売り場
基本的に並んで待つのではなく塊って待つ
新巴爾虎左旗も、阿木古朗も、諾門罕も
行きたい場所の名前はバス停としてはない
阿木古朗、すなわち「東旗」行き
途中の駅は一ヶ所で、終点が東旗だから迷うことはない
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■海拉爾汽車站(バスターミナル)
海拉爾汽車站に着いたのは6時半前だったが、すでに窓口には切符を求める人が並んでいるのではなく、固まっていた。ここから切符を買うのに一苦労した。まず有るだろうと思っていた「新巴爾虎左旗」と言う目的地の表示が無い。「阿木古朗」と言う表示もない。無論、「ノモンハン(諾門罕)」なんていう表示もない。
行き先の表示が無いので、どうしようもなく案内らしき人に紙に「新巴爾虎左旗」と言う名前を書いて、「ここに行きたいのですが」と、聞いたら「東旗行きを買いなさい」と教えられた。
それでやっと「東旗行き」に乗れば良いと言うことは分かったが、それでは新巴爾虎左旗(阿木古朗)は東旗行きのバスに乗って何処で降りれば良いのか?が、まだ分からない。それで、また「東旗行きのバスに乗って、新巴爾虎左旗は何番目の駅なのか?」とひつこく聞くと、東旗(終点)で降りろと言われ「東旗」が「新巴爾虎左旗」ということが、その時、何となくだけど分かった。
「東旗:ドンチィ」=「新巴爾虎左旗」(阿木古朗)
「西旗:シーチィ」=「新巴爾虎右旗」
このバスターミナルの表示は、東旗・西旗であり、新巴爾虎左旗とか阿木古朗などの表示は全く無い。
海拉爾〜東旗のバス料金は¥24元+保険1元=25元。でも行く時は2元分買ったようで¥26元(390円)だった。座席番号は1番。
阿木古朗行きのバスの切符が買えホッとしたが、「東旗」行きは最初が午前8時出発で、一日6便(班)あると書いてあった。最終の出発時間は分からない。因みに、東旗から海拉爾へのバスの便は最終が午後4時半で、私はその一つ前の便:PM3時発で海拉爾に戻って来た。
7時(発)と思って来たのに、8時ということでまだ1時間以上あったので又ホテルに戻り朝食を食べてから来ようと、ホテルに戻る。そして7時になったので食堂に行ったら7時20分からだと言われスゴスゴ部屋に戻る。それでも折角戻って来たのだから意地でも食ってから行こうと7時15分くらいで食堂に行ったら案の定、すでに何人かが食っていた。 -
これがバスの搭乗口
軍人・軍属優先とあるのが中国
でも実際にそんな情景を見たことはない -
「東旗」行きは始発が8時なので切符を買って
ホテルで朝食を食べた後に再び来た
人も増えてきている -
海拉爾から阿木古朗まで、160km
こんな景色が続く
風が激しく、途中、雨も降って来た
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■8時にバスは出発
8時57分:大草原が果てしなく続く
9時20分:凄い砂嵐
バスを降りて歩けば凄いだろうなあ・・・と、言うのは感じる。向こうの方から黄色い砂嵐の塊が近づくのが見える。時々やってきて、中に入れば周囲の風景は黄色一色だ。
途中、ゲートがあり先日、成吉思たちとノモンハンから戻る時は何も無く通過したが、今回は国境に向かう方向だからか?バスに国境警備の兵隊が一人乗り込んで来て乗客の身分証明書を検査しだした。そして、私は胸のICレコーダーの録音スイッチをこそっと入れた。
前から順番に、後ろの方の座席に坐っていた私に近づき、私はパスポートを提示した。外国人は私一人のようだった。周囲の者がその時初めて私が日本人だと分かったのだろう。前の席のおばちゃんが後ろを振り向いて私の顔を見てニコッとした。
「从日本過来的?日本から来たのか?」
「対、旅游=ハイ、旅游」
「自己呀?=自分でか?」
「只一個人来=一人で来た」
「自己過来的=自分で来たのか。」
「対=そうだ」
こんな遣り取りがあって、若い警備兵は珍しいのか?日本のパスポートを頁をめくりながら結構執拗に見ていた。これは抜き打ちではなくいつものことなのだろう。でも、検問が有った時は一瞬ドキッとした。
Webで調べた時にノモンハンに行った人が「国境付近に行く時は旅行社を通じて国境警備隊の許可を得なければならない。」・・・確か、そんなことが書いてあったのをその時思い出したからだ。幸いそれ以上何も問われず、何も問題なく、警備兵はバスを降りて行った。
9時47分:バスはとある村で停車した。
海拉爾〜東旗、片道160kmの行程途中、出発後1時間47分くらいで、最初の停留所なのか?道から外れ町とはとても言えない集落に停まった。昔の人民公社跡の集落なのか?今日の天気が嵐吹く天候だったので、砂埃舞い上がる村の風景はうら寂しく中々の雰囲気があった。
西部劇の中に突如現れる村のように・・・。
何人かがここで降り、そして何人かが乗ってきた。そして乗れなかった積み残しが数人荷物を傍らに突っ立ってバスを見送っていた。
9時51分出発。 -
海拉爾⇔東旗、唯一の停留所
8時に海拉爾を出発して、1時間50分くらい走った
道から外れての停留所はこの村の一ヶ所だけだった
その他、道沿いなら何処でも停まってくれる -
写真からでも風の強さが分かる
それも砂嵐の様相だから
この村は舗装もなく、バスに乗る者以外の歩行者は見えない
西部劇の映画のシーンが何故か思い浮かんだ -
バスから荷物を降ろす客、乗せる客
バスはここまで満員で、ここで何人か降りたが
乗る者の方が多く、数人積み残して行った
8時が始発で、一日6便、
夕方まで1時間に一本くらいのあると思う -
どこもかも土色一色で
なんとも言えない雰囲気があった
これぞ辺境の地という・・・か
今、家の中ではどんなことをしているのだろう -
海拉爾附近より阿木古朗に近づいた方が
ホロンバイル草原は砂漠化が進んでいる様に見えた
こんな嵐の中でも放牧をしていた -
18日に満洲里→甘珠爾廟→から来た阿木古朗に
今日は海拉爾、朝8時のバスに乗って来た
ここにも暴風は吹きまくっていた
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■10時56分:終点、東旗到着(阿木古朗:阿穆古朗とも書く)
8時(発)−11時(着)約3時間掛かった。海拉爾から東旗に近づくにつれて草原の砂漠化が進んでいるように見えた。18日(日)、一昨日ノモンハンから来た阿木古朗に今日は海拉爾から来た。
1939年:昭和14年の5月頃、この辺りは日本軍人たちで一杯だったのだろう。当時はここには『満州国軍の基地があり、関東軍はここで休憩し、戦場を目指した』と「遥かなるノモンハン」に書かれている。
海拉爾から長躯やってきた日本軍がここで休憩し、果てしなき大草原を40kgを担いで行軍して行ったのか・・・。
「Web頁」参照↓
・・・・・・・・
前線まで各歩兵部隊は36kgの背のうを背負って250kmの歩きました。ハイラル市全域から徴発した自動車やトラックは砲や弾薬、補給品などの移動に使われ歩兵の輸送には回せませんでした。この時期のモンゴルの草原は、灼熱の地獄で水一滴無く、ほとんど休みもとらずに6日間歩き続けました。
・・・・・・・・以上
250km÷6日間=41.6km/1日、落伍者もいたのだろうが当時の日本人の平均しての体力・気力は想像以上のものだと思う。
バスを降りて、先に帰りのバスの切符を買った。午後4時半が海拉爾行きの最終便で、その一つ前が午後3時(発)だったのでそれを買った。何せ、来る時は満員で、補助席を使ったり途中の一ヶ所あった停留所では積み残しが有った。だから帰りは大丈夫だろうとは思っても一応念の為に先に買っておいた。
そして少し周囲を歩こうとしたが時折砂嵐が巻き起こり、突風が吹き荒れている。そんな状況なので街中を散歩する気持ちにもならず、早速だがノモンハンに行こうとタクシーを探した。
バスを降りた時は周囲に何台かのタクシーが客を求めて集まっていたが、私がぶらっとしている間にタクシーの姿は消えていた。でもすぐにタクシーを見つけて助手席に乗り込み「商量、商量:Shang liang=相談しよう」と声を掛けた。
「ここから戦場跡地のノモンハンへ行きたい。往復幾ら?」
「向こうでどれくらい時間が必要なのか?」
「一時間でいい」
「150元?」
「OK」
私の予想していた安目の価格だったので、値切らず即決した。
一期一会、阿木古朗で出会った運転手の名前は:祁貴(Qi gui)、漢族。携帯番号(13947065704)
1952年生まれ、私より二歳下だった。
34、31歳の娘は二人とも嫁ぎ、10歳(男)、7歳(女)のそれぞれに孫がいる。祁貴18歳の時に長女が生まれたのか・・・。白布仁も親父が20歳の時に生まれてるし、この辺は結婚が早いのかも。
趣味は仕事と言っていた。旅行にも興味なく、生まれ育ったこの地で家族に囲まれ変わらぬ日々を送ることが彼の幸福なのだろう。でも世界のニュースや時事問題には詳しく、日本への胡錦濤訪問についての日本人の印象を聞かれたりした。教養を感じる“おやっさん”だった。小泉元首相・安部前首相、そして現福田首相と中国との関係についても中々詳しかった。
まだ12時まで時間はあったが、ノモンハン往復となると途中食う所がないのか?祁貴が超市(ミニスーパー)でパンか何か?食い物を買おうとしたので、私が「先にここで食ってから行こう」と一緒に食堂へ行くことにした。
11時11分:昼食を食う
祁貴が選んだのは近所の食堂で頼んだのは小籠包のような物だった。それも、その一品だけ。それでも十分な量があり全部は食えなかった。味も美味かった。 -
タクシーと諾門罕往復を150元で頼み
運転手の祁貴が選んだこの店で昼食を食べる -
阿木古朗のタクシー運転手「祁貴さん」
趣味は仕事という彼である。
別段何も望まず、この地で日々平穏に暮らすことを望む
そんな彼だった -
熱々の小籠包を食べる
全部二人で食べ切れなかったが、旨かった。 -
写真中央遠くに写っているのが国境警備隊基地
右側から、あっち方向全部が外蒙古の国境方向だ
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■11時51分:ノモンハンに出発
12時40分:国境警備隊基地を右方向に見ながら通過する
こんな嵐でも50分くらいでここまで来るのか。
12時46分:ノモンハン村に到着
なるほど国境警備の基地から、村は車で6分ほどの距離にあった。
そして祁貴は戦争遺跡館へ案内しようとなおも車を走らせ向かおうとしたが、私は二日前に見たし、どうせまだ開館前なのだから祁貴に「そこには行きたくない」と言って引き返すことにした。祁貴はちょっと怪訝な顔をしていたが、私は二日前に来たことも言わず車をUターンさせた。
12時53分:ノモンハンの大草原を歩く
そして、少し戻った大草原の真ん中で「少し歩き回ってくるから車を停めて・・・」と言うと、祁貴は車ごと道から草原に入り風の吹いて来る方向(阿木古朗と反対)に車を向けて停止した。
何故なら、風を背に停止するとドアを開けようとしたら、暴風でドアが根こそぎ剥されるように開いて車が潰れてしまうからだ。それくらい風が強かった。デジカメ動画を帰国後に見ても自分の発した言葉は聞こえず風の唸りだけが音として入っている。さすがIC録音機には風だけではなく声も入っていたが・・・。
来る途中雨も降ってきたが、幸い車から降りる時は雨が振っていることは一度も無かった。
1時7分:さらば、ノモンハン!
強風の中、結構大草原を歩きまわった気がしたがデジカメ時間によれば、それは14分間ほどだった。でもこの大地に足を着き、この空間に佇むことこそ私の旅の快感であり感動なのだ。
どんな観光地巡りより目的を持って訪ねてきた地は、そこに立つだけで価値がある。これぞ究極の「自己満足」ってものなのだろう。
360度、見渡す限りの草原大地、うつむけば馬、牛、羊、ヤギなどの糞だらけ。69年前を思い起こして感傷に耽りたくてもこの突風吹く中では、何を考えていたのか?
ホントは正直言って、それすら思い返しても出てこない。とにかくここに来た、歩いた、見た。それが全てだ。何か?文句でも・・・いや、ありません満足です。 -
再度、諾門罕村を訪れる
-
諾門罕村附近を歩く犬
なかなか存在感があります -
それから少し引き返し
草原で車を降りて暴風の中を歩く
聞こえるのは風の音だけ
雨は降っていなかったが・・・。
感傷に浸る余裕もなく
でもグルグルとあっちこっちにと歩く
景色はどこまでも同じだが -
道の真ん中に立って阿木古朗方向を写す
-
草原を見れば砂地に草がへばりつくように茂り
可憐な花も咲かせていた
この写真を見れば風など感じない
こんな所に壕を掘り、敵戦車や砲弾から身を守った
昼は熱射の陽射しに、夜は凍える寒さ
水なく食い物なく -
遠く故国を離れホロンバイルの草原にて
今とは違う日本人が居たように思う
このノモンハンの戦いを
戦うことを自ら忌避した今の日本人が
どう非難し、罵ろうが、
天に唾する愚と断ず
恥を知れ -
ノモンハンに来たりて我満足す
360度何にもない草原に立ち
風に吹かれて
一人ニタリとする -
運転手の祁貴曰く
「こんな風は1年に4,5回くらいだろう・・・」
砂嵐の中を良くぞ車を走らせてくれたと感謝す
エンジンルームが砂だらけになって故障するかと
心配だった・・・が
何とか無事に往復できた -
強風だったがノモンハンまで行って良かった
二回も彼の地を訪れることが出来た
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■1時56分:阿木古朗に戻る。
12時前に出て2時前に戻って来た。往復120km、2時間の旅だった。でも行って大満足だ、こんな風景、こんな状況も珍しいものだろう。祁貴に聞けば「こんな強い風は年に4,5回ぐらいだろう・・・」と言っていた。
そんな貴重な体験が出来、そんな時に諾門汗の草原を10分以上もウロウロしたぞ。祁貴も仕事とは言え悪条件の中を良くぞ走ってくれたと思う。エンジンルームが砂だらけになって、車が壊れてしまうんじゃあないかと思うほどだったから・・・。
祁貴によれば、この東旗には100台くらいのタクシー、そして面包車(軽ワゴン車)タクシーも150台くらいあると言っていた。タクシーに不自由は無い。まあ東旗と言っても全体をさしてのことだと思う。この阿木古朗は、小さい街だしここだけで、とてもそんな数のタクシーが有るとは思えない。
海拉爾を朝一番8時のバスで東旗(新巴爾虎左旗=阿木古朗)まで来て「11時着」、タクシーをノモンハンまで往復(2時間弱)チャーターして、向こうで最高2時間ほど滞在しても余裕を持って東旗→海拉爾の最終バス、午後4時半に乗って海拉爾に戻れる。
もっとノモンハン、そして阿木古朗附近でゆっくりしたければ阿木古朗で一泊すれば余裕の旅になる。そこそこ良いホテルは何軒かある。
バス代往復:¥50元、タクシー往復チャーター¥150元。計200元、交通費は以上なり。でもハルハ河を見ようと思ったり、ホルステン河方向に行くには国境警備隊の許可を得る必要があり、それは旅行社や地元ガイドに頼むしかないと思う。こそっと行けばどうなるのか?軍用犬に追っかけまわされるのか?それとも・・・・???。それは分からないけど。 -
東旗のバスターミナル前より
甘珠爾賓館方向を写す
右斜め三つのビルの真ん中が賓館
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3時
定刻にバスは海拉爾に向かって出発した。客の入りは七割程度、二人掛けの私の横にもおっさんが座った。このおっさん周囲に座席が空いても横に坐ったまま誰もいない空いた席に行こうとしないので窓際に坐っていた私が他の誰もいない席に移った。
4時6分
来た時に停まった村に、帰りも停まる。その他、途中何にも見えない草原に停まったかと思うと、一人のおばちゃんが降りた。「えっ〜?こんなとこで降りてどうすんの・・・」と思ったらオートバイで誰かが迎えに来ていた。
確かによく見渡すと彼方にパオのようなものが有るように見えた。このおばちゃんもバスの中から携帯電話でしょっちゅう連絡していた。ここにも文明の恩恵は及ぶ。 -
バスの時刻表と料金表
東旗→海拉爾:最終16:30
料金:25元 -
午後3時(発)のバスで海拉爾に戻りました
客は7割程度、どこでも言っておけば降りれます -
突風です
砂嵐で口の中がじゃりじゃりになります
それに空気は乾燥しています
唾を吐かないと苦しいです -
周囲を見渡しても何もない所で
客が何人か降りました
オートバイで迎えに来てますが
こんな場所でも携帯はOKです
モンゴル人の放牧の民も携帯は必需です -
海拉爾に戻ったら風も大分納まっていた
阿木古朗:午後3時(発)→午後5時45分(着)海拉爾
帰りは2時間45分のバスの旅だった
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■7時7分:部屋に戻る
5時45分:海拉爾バスターミナルへ到着
ホテルに戻る途中、夕食を食べた。海拉爾に来てから二日続けて食べに入った小碗の店ではなく、別のところに、そしてそこで焼ソバ風の食い物を見つけて注文したら想像通りで、日本の焼きそばと味も似ていた。量はやはり二人前、腹一杯になる。
バスとタクシーでノモンハン往復をし今日の一日に満足すると共に、13日から今日で旅も八日目、気分は小休止であった。と言うより旅の目的をほぼ達成し、昨年の雲南旅行の時と同じく残りは惰性になるかも・・・。そんな今日が終わった。
テレビは今日も何処を回しても地震の番組ばかり、各地の寄付の模様は、やはり舞台上でもお金をみんなに見せてから募金箱に入れるようだ。それと地震被害者の子供たちが並んで悲劇を訴え、それに対して励まし合う涙涙の光景を流している。
そして救出の英雄劇、それに胡錦濤・温家宝の現地での活動風景。それと援助物資を各地から輸送する光景。それが地震番組の内容であり、繰り返しだった。
だから実際の現場の今時点の一番の問題点や、全体的な被害状況が分からなかった。オリンピックに関することも全くテレビから消えていた。そんなことから逆に地震被害の深刻さが伺えるように思った。一体、何が四川省の地震地域では何が起きているのだろうか?と。
さあ、明日はいよいよ海拉爾〜斉斉哈爾に向かって出発だ。でも夜行は午後10時51分(発)、丸一日海拉爾を歩き回ろう。 -
ワンバは全国一斉休業
四川地震への哀悼?のために三日間休業 -
この標識の前の超市(コンビニ)で
毎日水とジュースを買いました。
真ん中、赤い建物がホテルです
右端車が向かって来るところが伊敏橋です -
毎朝夕この景色を見ていました
満洲時代の日本人も伊敏河を見て
毎日生活していたのだろう
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