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 梅雨の合間に矢田寺の紫陽花観賞と古代ロマンを求めて大和郡山市をドライブしてきました。<br /><br /> ⇒発志禅院⇒矢田坐久志玉比古神社⇒矢田寺(金剛山寺)⇒東明寺⇒慈光院⇒松尾寺⇒小泉神社⇒額安寺⇒推古神社⇒額安寺五輪塔⇒

古代ロマンを求めて大和郡山市散策:発志禅院

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2008/06/10 - 2008/06/10

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satoshi.s2

satoshi.s2さん

 梅雨の合間に矢田寺の紫陽花観賞と古代ロマンを求めて大和郡山市をドライブしてきました。

 ⇒発志禅院⇒矢田坐久志玉比古神社⇒矢田寺(金剛山寺)⇒東明寺⇒慈光院⇒松尾寺⇒小泉神社⇒額安寺⇒推古神社⇒額安寺五輪塔⇒

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
その他
  • 発志禅院<br /> 矢田町にある。黄檗宗。郡山城主・本多忠常が、宝永6年(1709)4月17日享年49歳で没し、嗣子本多忠直が永代供養のため、菩提所の創建を、奈良二名町王竜寺住職古篆(こてん)に依頼Lた。古篆は方丈・庫裡・北門を建て、のち本堂・山門などを造立したが、新たな寺号をつげることが許されていなかった。しかし以前平群郡推木村に創建されて、のち郡山柳六丁目に移建されていた黄檗宗発志院の住持真求が、真言宗に転向して松栄寺と改めたとき、古篆がその発志院の寺号を預かっていたのを幸いに、新築の菩提所の寺号を発志院としたのがはじまりである。忠直は永代燈明料10石、僧料30俵を毎年、寺に納め、子孫繁栄の祈願所としていたが、本多家は5代39年で断絶し、そのあと郡山城主となった柳澤家の家臣で、この寺に墓所を求める者が多く、天保9年(1838)より弘化3年(1846)にわたり庫裡・本堂を改築し現在に至っている。市指定文化財「歌ケ崎御廟」の管理寺でもある。墓地には、柳澤里恭・城戸公賢・城戸駒嶽・杉山童水・谷口元淡・田島担右斉等の墓がある。(ふるさと歴史事典)

    発志禅院
     矢田町にある。黄檗宗。郡山城主・本多忠常が、宝永6年(1709)4月17日享年49歳で没し、嗣子本多忠直が永代供養のため、菩提所の創建を、奈良二名町王竜寺住職古篆(こてん)に依頼Lた。古篆は方丈・庫裡・北門を建て、のち本堂・山門などを造立したが、新たな寺号をつげることが許されていなかった。しかし以前平群郡推木村に創建されて、のち郡山柳六丁目に移建されていた黄檗宗発志院の住持真求が、真言宗に転向して松栄寺と改めたとき、古篆がその発志院の寺号を預かっていたのを幸いに、新築の菩提所の寺号を発志院としたのがはじまりである。忠直は永代燈明料10石、僧料30俵を毎年、寺に納め、子孫繁栄の祈願所としていたが、本多家は5代39年で断絶し、そのあと郡山城主となった柳澤家の家臣で、この寺に墓所を求める者が多く、天保9年(1838)より弘化3年(1846)にわたり庫裡・本堂を改築し現在に至っている。市指定文化財「歌ケ崎御廟」の管理寺でもある。墓地には、柳澤里恭・城戸公賢・城戸駒嶽・杉山童水・谷口元淡・田島担右斉等の墓がある。(ふるさと歴史事典)

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