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砥部から33号線をそのまま久万高原町(くまこうげん)へ。<br /><br />三坂峠から見る山並みは霧がかかっていることもあって山が高く見え、いくつにも重なる山並みは深山幽谷を思わせ美しかった。いいところへ来たなぁ、いや、いいタイミングだった。 <br /><br />久万高原町に入った。久万高原町は4つの自治体が合併して出来た町である。四国の軽井沢、四国の北海道とも言われている。面積は横浜市より広い、なんて下調べはしてあるが、どれが元の自治体のどこだかわからない。とりあえず33号線をくだり、途中「でんこ」と言うお店でお昼を食べた。通りを菅笠をかぶり、雨合羽を着た人たちが歩いていく。はは〜、ここもお遍路さんの道だったのだ。お店の人に「ここはどこですか」と聞くと「久万高原町です」「それは分かっているのですが、久万高原町のどこですか?」「久万です」「すると、ここが中心と言うことですね」 <br /><br />すぐ先のお饅頭屋さんで「おくま饅頭」を買った。なんでもおくまと言う女性が、旅の僧にお饅頭を振舞い、お礼に願い事をかなえてあげると言われ、ここらへんは人が少ないので、大勢の人が来るようにしてくださいと頼むと、僧は願いは必ずかなえてあげると言った。その僧が弘法大師だった。大師は近くにその札所を建て、大勢の人が来るようになった。そこでおくまさんの名前からこの地を久万というようになった、と店の人が説明してくれた。なるほど近くに岩屋寺という札所があった。<br /><br />ガソリン スタンドでガソリンをいれ、ついでに冷房用のガスも頼むと、倉庫から探してくれた。その間中で女主人と話している。するとそこにKさんの顔写真のついた名刺が置いてあるのをみつけた .そこから話が弾んだ。ついでに余計なお節介で久万高原町の財政などを話している。町民は町の財政なんて知らないものだと思うから。PapasanがKさんに電話をすると、久万高原美術館に寄って行ってという。聞き耳を立て、どんな収蔵品があるの?と聞くと、父が寄贈したものだと言う。なら寄る、と言うと、Kさんも美術館に用事があるから、30分後に美術館でと約束する。お父さんって画家だったのかな?? <br /><br />久万美術館、坂を登ると、もう広々とした庭園の中、と言った感じだ。桜や木蓮、三椏、シデコブシなどが咲き乱れ、美術館を包んでいる。思わず、「お〜、いいね〜」と声をあげる。駐車場に車を止めて、美術館の中へ。靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。ええっ、と思ったら、この美術館すべて木造だった、木の感触がなんとも柔らかで温かい。美術館が出来て20年ほどになるが、当時、木造で美術館を建てるこ とは禁じられていた、が、木材の産地だから地元の檜や杉材を使いたいと申し出て、国から調査団も来てやっと許可が出たということだ。純木造の美術館はおそらくここだけだろうと言う。太い梁、それを支える太い丸い柱。この柱は樹齢80年を越える杉の柱。そうだな、三岸節子の記念館も木材がふんだんに使ってあったが、純木造ではなかったろう。香月泰男美術館は生家を使っているので木造だそうだが。 <br /><br /> 展示してある作品も、田舎の美術館だから、と思っていたら、どうして、どうしてすばらしい。日本の洋画の草分けとなった黒田清輝、高橋由一、浅井忠もある。村山槐多、萬鉄五郎、長谷川利行などの夭逝の画家たちの作品も並んでいる。鳥海青児もある。これはたのしい。 <br /><br />美術館の下に「みどり」という物産販売所があった。そこでPapasanが蓬入りのうどんを、私たちはぜんざい(おしるこ)を食べながらいろいろ話をした。Kさんは林業不振のため副業としてはじめた野菜のデリバリー「八百屋木っちん」の宣伝の手伝いをしているそう。地元の生産物を茅ヶ崎の知人達に届ける運動を始めたばかりと、目を輝かせて語った。いつも前向きだ。<br /><br /><br />「アグリピア」に寄っていって、といわれたのでアグリピアに行き、それから内子に向かった。380号線、国道だが、くねくねと山道を走り、途中、一車線になったりと時間のかかる路線だ。途中、大瀬をいうところは大江健三郎の生家のあるところだ。蛇足をいえば、久万美術館に伊丹万作の作品があった。伊丹万作は監督で、伊丹十三は彼の息子、大江健三郎は彼の娘婿である。松山に伊丹十三記念館ができ、設計も空間もすばらしいとKさんに勧められたが、戻ることなく先にすすんでしまった。<br /><br /><br />内子に着いたが、はてホテルが見つからない。街中のスポーツ店でハイプラザホテルを教えてもらい、丘に登ってきた。前に老人ホームがあり、戸惑ったがホテルはその後。ここは船舶会員の保養所として建てられたようだ。でも空いていれば泊めてくれる。林の中の雰囲気のいいホテル。大きなお風呂は外部からの日帰り入浴も行っている。夕食は美味しかった。カツオのたたきだと喜んだのはいいが、おつくり、煮物、焼き物と品数があり、せっかくの内子豚もPapasanのを半分貰っておしまい。昨夜は疲れてしまい、日記が書けなかったので、今日からつけ始める。  <br />

四国へ3

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2008/04/16 - 2008/04/16

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buchijoyce

buchijoyceさん

砥部から33号線をそのまま久万高原町(くまこうげん)へ。

三坂峠から見る山並みは霧がかかっていることもあって山が高く見え、いくつにも重なる山並みは深山幽谷を思わせ美しかった。いいところへ来たなぁ、いや、いいタイミングだった。

久万高原町に入った。久万高原町は4つの自治体が合併して出来た町である。四国の軽井沢、四国の北海道とも言われている。面積は横浜市より広い、なんて下調べはしてあるが、どれが元の自治体のどこだかわからない。とりあえず33号線をくだり、途中「でんこ」と言うお店でお昼を食べた。通りを菅笠をかぶり、雨合羽を着た人たちが歩いていく。はは〜、ここもお遍路さんの道だったのだ。お店の人に「ここはどこですか」と聞くと「久万高原町です」「それは分かっているのですが、久万高原町のどこですか?」「久万です」「すると、ここが中心と言うことですね」

すぐ先のお饅頭屋さんで「おくま饅頭」を買った。なんでもおくまと言う女性が、旅の僧にお饅頭を振舞い、お礼に願い事をかなえてあげると言われ、ここらへんは人が少ないので、大勢の人が来るようにしてくださいと頼むと、僧は願いは必ずかなえてあげると言った。その僧が弘法大師だった。大師は近くにその札所を建て、大勢の人が来るようになった。そこでおくまさんの名前からこの地を久万というようになった、と店の人が説明してくれた。なるほど近くに岩屋寺という札所があった。

ガソリン スタンドでガソリンをいれ、ついでに冷房用のガスも頼むと、倉庫から探してくれた。その間中で女主人と話している。するとそこにKさんの顔写真のついた名刺が置いてあるのをみつけた .そこから話が弾んだ。ついでに余計なお節介で久万高原町の財政などを話している。町民は町の財政なんて知らないものだと思うから。PapasanがKさんに電話をすると、久万高原美術館に寄って行ってという。聞き耳を立て、どんな収蔵品があるの?と聞くと、父が寄贈したものだと言う。なら寄る、と言うと、Kさんも美術館に用事があるから、30分後に美術館でと約束する。お父さんって画家だったのかな??

久万美術館、坂を登ると、もう広々とした庭園の中、と言った感じだ。桜や木蓮、三椏、シデコブシなどが咲き乱れ、美術館を包んでいる。思わず、「お〜、いいね〜」と声をあげる。駐車場に車を止めて、美術館の中へ。靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。ええっ、と思ったら、この美術館すべて木造だった、木の感触がなんとも柔らかで温かい。美術館が出来て20年ほどになるが、当時、木造で美術館を建てるこ とは禁じられていた、が、木材の産地だから地元の檜や杉材を使いたいと申し出て、国から調査団も来てやっと許可が出たということだ。純木造の美術館はおそらくここだけだろうと言う。太い梁、それを支える太い丸い柱。この柱は樹齢80年を越える杉の柱。そうだな、三岸節子の記念館も木材がふんだんに使ってあったが、純木造ではなかったろう。香月泰男美術館は生家を使っているので木造だそうだが。

展示してある作品も、田舎の美術館だから、と思っていたら、どうして、どうしてすばらしい。日本の洋画の草分けとなった黒田清輝、高橋由一、浅井忠もある。村山槐多、萬鉄五郎、長谷川利行などの夭逝の画家たちの作品も並んでいる。鳥海青児もある。これはたのしい。

美術館の下に「みどり」という物産販売所があった。そこでPapasanが蓬入りのうどんを、私たちはぜんざい(おしるこ)を食べながらいろいろ話をした。Kさんは林業不振のため副業としてはじめた野菜のデリバリー「八百屋木っちん」の宣伝の手伝いをしているそう。地元の生産物を茅ヶ崎の知人達に届ける運動を始めたばかりと、目を輝かせて語った。いつも前向きだ。


「アグリピア」に寄っていって、といわれたのでアグリピアに行き、それから内子に向かった。380号線、国道だが、くねくねと山道を走り、途中、一車線になったりと時間のかかる路線だ。途中、大瀬をいうところは大江健三郎の生家のあるところだ。蛇足をいえば、久万美術館に伊丹万作の作品があった。伊丹万作は監督で、伊丹十三は彼の息子、大江健三郎は彼の娘婿である。松山に伊丹十三記念館ができ、設計も空間もすばらしいとKさんに勧められたが、戻ることなく先にすすんでしまった。


内子に着いたが、はてホテルが見つからない。街中のスポーツ店でハイプラザホテルを教えてもらい、丘に登ってきた。前に老人ホームがあり、戸惑ったがホテルはその後。ここは船舶会員の保養所として建てられたようだ。でも空いていれば泊めてくれる。林の中の雰囲気のいいホテル。大きなお風呂は外部からの日帰り入浴も行っている。夕食は美味しかった。カツオのたたきだと喜んだのはいいが、おつくり、煮物、焼き物と品数があり、せっかくの内子豚もPapasanのを半分貰っておしまい。昨夜は疲れてしまい、日記が書けなかったので、今日からつけ始める。  

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