2008/04/16 - 2008/04/16
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buchijoyceさん
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今治→松山→砥部
◇4月16日 水 雨
よく寝た。「7時半だよ」と言われて、はっと目を覚ました。お願いしておいた朝食、私は洋食を、Papasanは和食を。トーストにジャムが塗ってあった。思わず、うふふ。
今治8:30出発。雨はぽつぽつと降り始めている。予報どおりだ。 317号線で松山へ向かう。いい道だ。それに車どおりも少ない。高速を通る必要はない。この路線は山の中を通っているので、新芽の山々が美しい。新緑より優しいのだ。途中、水の淀みに気がつくとそこはダム、名前は玉川湖。松山大学のボート部の練習艇があるらしいが、その湖畔は桜が果てしなく植えられていて、とても見事だった。平地の桜はすでに散っているが、山に入るにしたがって、桜は今が盛り。さまざまな種類の桜がそれぞれの色で美しい。四国っていいところがふんだんに残っているなぁ、と言っている間に、静かなたたずまいがいっぺんに消え、高層建築が現れ始めた。奥道後だ。温泉場は高層建築がいいと思っているのかねぇ、大間違いだよ。
でも、せっかく松山を通るんだから、ミーハーよろしく、道後温泉をのぞいていこう。松山の路面電車、あった、あった、と、子どもみたいに喜んでいる。だけど、道後温泉、あの有名な建物は、写真を撮ると後の高層建築がどうしても写ってしまう。前の空間が少ないから、なかなか全体は撮れないし。ストラスブールの大聖堂もそうだな、これはしかたがないとしても文化的建築を残すのなら、回りの環境も考えてやってほしかったな、これは行政の仕事だよ。タクシーのドライバーに教えてもらい、砥部に向かう。
国道33号線、陶芸の道と表示が出ている。 砥部焼きは磁器である。古い歴史もあるようだが、砥部焼きとしての始まりは江戸中期(1777年)杉野丈助が白磁焼成に成功してからだと言われている。
まずは砥部陶芸資料館に行く。砥部は砥石の生産地であったので、その粉を利用して焼き物を始めたという説明を本で読んでいた。だからついでに砥石も買おうと思って、館の人に聞くと、今は砥石の生産はやっていないと言われた。それは残念!資料館には伝統的な砥部焼きに加えて、現代作家たちの作品を、現代の家具にあうように飾ってある。伝統的な厚めの白い磁器に染付けで描いたものもいい が、現代的な山田ひろ子さんと大東アリンさんの作品が気に入った。アリンさんはフィリピン人なので、感覚が違っていていい、素人っぽいところもいい。そこで工房を教えてもらい訪ねていく。アリンさんの東窯は陶芸の丘にあったが、あいにく留守だった。
次のひろ子さんのきよし窯は、お祭りにもって行ってしまったので作品はここにはない、ギャラリー・シノンにおいてあるといわれて、また丘に行ったがシノンもお休みらしくシャッターが下りていた。そこで観光センターの炎の里で、置いてあるものの中から選んで、作品を買ってきた。カードが利いたので、ちょっと買いすぎてしまった。
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