2008/05/03 - 2008/05/04
1085位(同エリア1771件中)
きっちーさん
去年のゴールデン・ウィーク直前。
閑散とした朝の通勤時間、電車のつり革広告をボンヤリ眺めていると、自分の心境にまさにピッタリな文句がぶらさがっていて、思わずうなずいたら、パチンコ必殺仕事人のコピーでした。
『GWも仕事だぜッ!』
ちぇーっ。パチンコ行けるだけいいじゃん。
こっちはマジ仕事だよ。ぶーぶー。
コピーは面白いけど全体的に腹立たしいので、去年は無理やり奈良・斑鳩・飛鳥へ行ってみたりなどしたのですが、今年はどうしよう・・お金無いから中国行けないなあ〜。
休み4日間だしな〜。
と、ボヤいていたら、
「なに言ってんの!わたしなんか2日間しかないよ!」
「俺なんか、1日・・・」
と、詰め寄られてしまいました。
ちっがうのよ。
休みってやつは、みずからゲットしにいくものなのヨ。
仕事だけやってると、人生終わっちゃうよーん。
・・さっきと話が違います。
世間がゴールデン・ウィークだって仕事の人が多い!と知ったとたん、機嫌を直して1泊旅行の計画を始めてみたりして。
現金人生です。
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 徒歩
PR
-
ま。
休み取れるだけ幸せ。
そんななか。
「テグよ、テグ!おーほほほほっ」
暗に・・いや、思いっきり高笑いの聞こえる、権天使さんメール。
「ちくしょ〜っ!名ばかり管理部長に言いつけてやるぅ〜ッ。部チョーきいてーっ」
と、涙ぐみながら(どういう状況?)今回もお母さん連れで、GWの1泊旅行でござる。
この旅行でふたたび、大邱(テグ)と思いがけない出会いがするのですが、このときは知る由もありません。
そんなわけで、東京駅。
混んでる、とっても混んでる。 -
5月3日は憲法記念日。
東京は朝から、雨もよう。
そんなに強くはないけど「こりゃぜったい止まねえなー。傘手放せないじゃん」の天気です。
きょう松代大本営をみて、あした無言館をみて帰る、というシンプルなプランですが、雨のなか地下壕を右往左往するのは、ちょっとどうなんでしょう?
く、くずれて下敷きになっちゃったりしないかな・・・?
憂鬱な気分で、東京13:36発新幹線『あさま』で長野入り。
なぬ?
晴れてるし。 -
強い日差しが、アスファルトから跳ね上がってきます。
なにこれェ。長袖、場違いだよ。
半そで着ないと、ヘンな人だよっ。
「長野盆地だからね。やっぱり暑いね」
母がひたいの汗をぬぐいます。
「なんで盆地だと暑いの?」
「え?それは知らない」
あっそ。
中途半端な解説ありがとう。
ますます暑いじゃん。
折りしも、午後2時すぎ。
いちばん暑い時間!
1泊分の着替えの詰まったバックを肩から下げ、ヨロヨロと宿へ。
予約したのは駅ちかでリーズナブルな、ビジネスホテル。
「どうせ寝るだけだから」
と、2人あわせて9800円朝食付き。
やすいっ!
長野サイコー!
さっそくチェックインをしようとしますが、あいにく3時以降でないと部屋には入れないそうで。
まいっか。
荷物だけ預けて、松代大本営へ行っちゃおうよ。 -
ところがッ!
長野駅から松代へは、バスが出ておるのですが、それがなんと1時間に2本!!
毎時15分と45分のみ!
2:45は出ちゃったし。つぎ3:15?
え?平日もほとんど1時間に2本?
ありえねーっ。
松代って観光地なんでしょ??
つか、バスの所要時間40分前後で、バス停から大本営まで徒歩15分じゃ、もう間に合わないじゃん〜。
やってるの9時〜4時だから、3:30くらいには入場締め切っちゃうよね。
3:30じゃ、まだバスのなかじゃーん。
がっくり・・。
行きゃあなんとかなるダロなんて、国内だと思って甘くみてた。
きちんと、タイムテーブル作っとくんだった。
中国行くときは、それはもうネチネチと時間割つくるのに〜。それが楽しみなのに〜。
・・・って、話が違うか。
嘆いても始まりません。
電車の方も、遠まわりをしていく路線しかないので、事実上、足はバスのみ。
あー、しくじった。
しょっぱなから予定がくるった、準備不足。
じゃあ、長野市内でどっか行くか。
切り替えは、巻きで。
善光寺はおととしくらいに、葬式ついでの観光でさんざん観たし、今回はパス。
善光寺のすぐ横にある、『長野県信濃美術館』と『東山魁夷館』へ行ってみましょう。
それがこちら!
『長野県信濃美術館』というから、長野の郷土資料館で常設展示がメインかと思いきや、まったく違います。
『ポーラ美術館コレクション』?
印象派を中心にした、ルノアール、モネ、ムンク、ピカソ、シャガール、ゴッホといった西洋画を展示。
なんか期待していたのとはまったく違うものをみせられた感じ。
せっかく長野に来たのに、上野にいる気分だな?
ふだんの常設展はどこーっ。
地図では分かれているようにみえる『長野県信濃美術館』と『東山魁夷館』は、連絡通路でつながっており、共通券もあります。
さっそく共通券で入場。
『長野県信濃美術館』の企画展は「長野?長野?」という、印象でしたが(←企画展ですから)、東山魁夷館の東山魁夷展示はとっても良かった。
代表作といわれる『白馬のいる風景』シリーズは正直、「イヤ、白馬いらないから。なくてよくない?」と思えましたが、奈良・唐招提寺の御影堂障壁画の下絵や、日本の風景、ヨーロッパの街なんかはすっごい良くて、ポストカードを買ってきました!
お母さんは、DVDを購入。
めずらしい。
そんな気に入ったのかな? -
まあ、そんな感じで長野の美術館も覗いたし、ヒマになってしまいました。
てれてれと歩いて、宿まで戻ります。
美術館の横に、善光寺の大きなお堂がそそり立っています。
脇を歩いてても、植木のむこうに大勢の人たちが、境内を闊歩しているのがみえ、
「いや〜GWだなぁ〜」
と、軽くひいちゃいます。
自分らもだろー。 -
あまりの人出に見ているだけでゲッソリ。
混んだ道を行くのは遠慮しましょう。
善光寺参道を1本奥へ入ると、それだけで静かでのんびりした雰囲気。
そして裏道には、驚くほど古風な宿坊が軒を連ねます。 -
けっこう絵になる風景なので、何枚も撮ったのですが、ウデが悪くて使えるのがなかった(笑)。
雰囲気は、わかって頂けると良いのですが。
なんか、昔っぽいんですよー。 -
お母さんが、
「長野に来たからには、お蕎麦が食べたい!」
と、主張するので表参道へ。 -
参道の角にある、お蕎麦屋さん。
冬に食べに来たことがありますが、美味しかったので、もいっかい。
お蕎麦屋さんと、お母さんの図。 -
なかは、こんなん。
レトロな雰囲気。
お店の内装?そんなことより、とろろ蕎麦か山菜蕎麦か・・・。
う〜ん、悩ましいわ。 -
GW中、善光寺まえの参道では、花飾りが道路を埋めています。
とっても綺麗なんですが、車線が一本になってしまって、車が相当渋滞(笑)。
ひとつひとつが鉢になっているので、夕方には200円で購入もできます。
お母さんと花。 -
今日は松代大本営に行く予定だったんだけどな〜。
ぶちぶち言いながら、宿へ戻ります。 -
長野コンフォートホテル。
-
内装はこんな感じ。
駅から近くて、お値段もリーズナブル。
1階で無料インターネットができます。
お部屋でやりたい場合は、有料貸し出しもあり。
食堂では、お茶・ジュース・水が飲み放題。
朝食バイキングは和食と洋食で、お稲荷さんが出たのにはちょっとビックリ。
部屋は、テレビエアコンがあるだけで、泊まるだけのビジネスホテルですが、どこ行くのも近いのでおすすめです。 -
明けて5月4日(日)。
もう今日しか無いんだから、ガンバってまわらねば!
8:30に宿をチェックアウトして、長野駅前のバスロータリーへやってきます。 -
『古戦場経由松代行き』っていうのに、乗りたいんですけど。
休日の便は7時〜19時まで毎時15分と45分の2便のみ。
(20時は25分・55分)
7:45分のに乗り込みます。
ようやくレッツゴー! -
8:10くらいに、松代大本営の最寄りバス停『松代八十二銀行前』
-
バス停についた途端、「トイレ・・」。
お母さんが、つぶやきます。
ええ〜っ?
こんな所にトイレなんか無いよ。
駅前じゃないし、コンビニ無いし。
「トイレに行きたい」
困ったなあ。
辺りを見渡しても、民家とシャッターのおりた薬局があるくらい。
頭をかかえた、その時!
薬局の前が、病院であることに気づきます。
病院は、不審者が入ってこないように。
あと、患者さんが道路に出ちゃうのを警戒して、入口はロックされており、インターホンで職員さんに確認をとったうえで、開閉されるしくみ。
セキュリティーが万全すぎて、こっそりトイレを借りるわけにもいきません。
「たいへんずうずうしいお願いなんですが、トイレを貸して頂けますでしょうか?」
早っ!
お母さん、早っ。
速攻で、受付のおじさんに頼んでます。
快く貸してもらえました。
すみませんー。
ありがとうございますー。 -
おさわがせして、スミマセン。
こちらが、親切な『松代総合病院』。
おっきい病院。
診療科目もたくさんあります。 -
スッキリしたところで、ふたたび松代大本営をめざします。
地図と睨めっこしながら、あっちだこっちだと歩いていくと、すぐまがったさきの真田公園に、公衆トイレがあって、病院の職員さんの親切が身にしみます。
こんな近くにあっても追い返さなかったなんて、いい人だ。
わたしだったら、「そこまがった所にありますよー」で
済ませちゃいそう。 -
わりと早めに松代についたおかげで、照り付ける日差しもそれほど強くありません。
-
観光施設は、閉まってますけど(笑)。
こちらは『文武学校』。
ネーミングがすげ―な。 -
歩きがおおい場所を、朝の涼しいうちにまわっちまおうというわけです。
観光客が誰もいないので、方向あっているのか不安になった頃、ようやく『松代象山地下壕』の看板発見! -
怪しいぞ!おっかさん!
ふと気がつくと、母はこんな格好に。
やめてよ、ヘンな格好すんのーっ。
「まぶしいんだもん」
イヤ、あやしいから・・それ。
記念に一枚。 -
松代の人たちは牡丹好きなのか、民家の庭に色鮮やかな大輪の花がゆれています。
牡丹をこんなに見るのってはじめて。
そもそも、この時期に咲くものだということを知らなかった。
デカい花なんだ。
『唐獅子牡丹』の牡丹か。
牡丹は、花の王様。
季節もいいし、最高だね!
なーんて、のんびりするのもつかの間。
花といえば、蜂!
負けないくらいデカイのが飛んでいて、こえええ〜っ。
蜂蜜は好きだけど、こっちへ向かって飛んでくる蜂ほどおっかないものはありません。
早く行こう、早く。 -
『蜂に追われて象山地下壕』。
うまいっ。
「アンタ、それどこかパクリ・・」
パクリではなく、リスペクトです!
不毛な会話をしているうちに、道の先に小さな立て札。 -
いや〜、長かった。
きのう来たかったんだよ、ホントは。 -
矢印の方角に川を渡り民家がならぶ、細い道に入ります。
角に突き当たると、どこかでみた建物。
「あ。これが資料館か」
松代大本営の歴史を紹介した、小さな資料館。
ここが運営しているホームページで、はじめて松代大本営を知り、こうしてやってくるきっかけになりました。
10時オープンなので、敷地にはまだチェーンがかけられており、人の気配はありません。
あとで見に行こーっと。
そして、左手に目をやると・・。 -
おー。
これだこれだ。
象山地下壕(松代大本営)に到着です! -
『見学時間 午前9時〜午後4時(入場は午後3時30分まで)』
やっぱ、3:30でしめきっちゃうのか。
どう転んでも、きのうは間に合わなかったなー。 -
住宅のわきの空き地に、ウッドベンチや看板が建てられており、奥の山すそに真っ黒な洞窟が口をあけています。
これが地下壕か。
入口はえらく狭そうな・・。 -
あたりに人の気配は無く、まだ見学時間まで30分以上。
ヒマなので、あたりをウロウロ。
離れていても暗い穴から、場違いなほど冷たい空気が吹き上がってきます。
いやおうなく、テンションがあがってきているのに、水をさす母。
「お母さんあんな所には、入らないわよ」
「なんでー。せっかく来たのに」
「暗くて狭い所は、嫌いなの。ぜったい行かない」
ここまできて、それをいうか。
いいじゃん、ちょっとだけ行こうよー。 -
「イヤ。ぜったい行かない」
しぶるお母さん。
「ほら、このエル字のトコまで、ね?エルの角まで行こ!」
「えぇ〜」
象山地下壕は、格子のように縦横でつながっています。
そして、公開されているのは案内図の色のついた部分。
限られた部分しか見らんないんだから〜。 -
ずいぶん早い時間にやってきた割に、入るの入らないのとやり合っている母子。
「あのぅ」
管理人室の窓から顔をのぞかせた、受付の女性が声をかけてきます。
「どちらから、いらしゃったんですか?」
「東京です。こっちは神奈川」
ゼッタイ入らない、そう言ってがんばっていたくせに、愛想良く答える母。
「あらあら、遠くからまあ」
女性はニコニコしながら、大学ノートに『神奈川』『東京』と書かれた横に、正の字を作っていきます。
住所とか名前の記入は必要なく、都道府県別の入場者数だけカウントしているみたいです。
「よろしかったら、もう入ってくださってかまいませんよ」
「でも入場時間までだいぶありますが?」
「いいんですよ。もうさっき、神奈川からいらした方がお入りになっていらっしゃるんですよ」
「じゃあ、大人2人で」
「いえいえ、入場料は頂いていないんですよ」
「あ、そうなんですか」
「はい」
これをどうぞ、と管理人さんが折りたたんだ案内パンフレットを手渡してくれます。
ありがとうございますー! -
上品な雰囲気の管理人さんに押されたのか、お母さんも「行くだけ行ってみるか」と観念したようです。
それでは、さっそく。
「あ、ヘルメットかぶって行って下さいねー」
ヘルメット? -
おおーっ!
これか!
ヘルメットかぶるなんて、いっかい工事現場に見学に行ったとき以来だよー!
「えー、これどうやってかぶるの?」
「入らない入らない」
「ヒモゆるめんでしょ」
「できない。やって」
「そこ引っ張ればいいんだって!」
うるさい親子でスミマセン。 -
腹をくくった母ですが、まだ心配そうに地下壕のルートマップを確認しています。
一本道なんだから、間違いようがないって。
行きましょ行きましょ。 -
入り口からはやや急な勾配が続いています。
暗闇に足を踏み入れると、刺すような冷気が吹き上げてきます。
すずしいっ。
つか、さぶ!
「地下鉄の入り口と同じだね」
お母さんがつぶやきます。
空気に動きがあるなら、どこかで入り口が別にあるのでしょう。
とにかく寒いんですけど。
さて、そもそも『松代大本営』とはなにか?
なにを目的に作られたのか、といいますと・・。
『松代大本営とは、アジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のことである。
敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の地下壕が計画された。
松代大本営の地下壕には、宮城(皇居)、政府の諸官庁の主要部、日本放送協会海外局(ラジオ)など、天皇制国家を支える中枢機関がまとめて移転する計画だった。
この工事には、多くの朝鮮人労働者が動員され、過酷な労働を強いられた。しかし、その犠牲者などについてはほとんど明らかにされていない』(『松代大本営と「慰安所」』ホームページより)
http://www.matsushiro.org/index.html -
敗戦後、忘れ去られたこの地下壕に光をあてたのは、朝鮮大学校の朴慶植(パクキョンシク)教授の『朝鮮人強制連行の記録』でした。
それを皮切りに、松代大本営は長野県内の作家や教職員、研究団体の関心を集めていましたが、今日の保存と公開を提起したのは、篠ノ井旭高校の郷土班の生徒さんたち!すごい。
高校生の提案が大人たちを動かし、ついに1989年に長野市によって公開がスタート。
(権サマすみません、『県』じゃなくて『市』でしたーっ)
翌90年に、現在のルートが完全公開されるようになりました。 -
その後の調査で、1944年10月。
「朝鮮の労務者が大勢来ているから、付近の婦女子にいたずらされたり、強姦なんかされたりしたら困るから、朝鮮人の慰安婦を何人か連れて来る」といって、特高が西条村に「慰安所」(朝鮮料理店)を設置していたことがわかりました。
所有者が、「絶対に嫌だ」と断ったところ、「国策に協力できないのか!軍命令だということが分からないのか!軍命令というのはかしこくも天皇陛下の命令でもある」と特高に恫喝されました。
やむなく貸しましたが、真夜中頃に酒に酔って暴れ騒ぎ、女性の悲鳴が聞こえていたそうです。(『松代大本営工事労働・その全貌と本質を共に究めるために』より)
じゃあさ、朝鮮人女性になら「いたずら」や「強姦」があっていいって言ってるの?と、怒りを感じます。
松代大本営の工事に動員された人たちを、大きくわけると、
?強制連行されてきた朝鮮半島の人たち
?すでに日本にいた朝鮮人技術者(自由渡航)
?西松組・鹿島組などの企業関係者・専門技術者
?政府・軍の関係者
?中・高・大学生
日本人の中でも、警察に呼び出され、どこへ行くのかも知らされず連れて来られた、という証言(小林さん)もあります。
極秘のうちに始まった工事は、地元住民に立ち退きを強い、掘削作業で朝鮮人の人々から、多くの犠牲者を出しました。
「一時間でも早く済ませろ!」と作業を急かされため事故が多発し、死者を火葬するため、3つの火葬場と、仮説火葬場が使用されました。
死者名簿は敗戦後焼却されたのか発見されておらず、正確な氏名や死亡者数はいまだ不明なままです。 -
軍関係者の証言から、朝鮮人労務者の人数については、食料分配数で6500〜7000人とされています。
ただし、「水増し報告をした」ともありますので、実際の人数は7000人よりは少ない可能性もあるでしょう。
ともあれ、強制連行があった事実は、生存者の証言からあきらかです。
松代大本営については、いくつかの本がありますが、郷土出版社からでている『松代大本営工事の労働証言・岩陰の語り』という本が、読みやすくておすすめです。
朝鮮人・日本人・地元の人たちの証言がまとめられていて、それぞれの立場から見た松代大本営が、浮かびあがってきます。 -
朝鮮の人だけで、少なくとも6000人ちかくが工事に従事し、なおかつ火葬場4ヶ所を使うほど死者が出ていたにもかかわらず、いまもってきちんとお名前が確認できる朝鮮人死亡者は、わずか3名だけ。
これは、かなり衝撃でした。
たった、3人!
さきほどあげた、『松代大本営工事の労働証言・岩陰の語り』のなかで、とりわけ印象深かったのが、恵明寺の中西さんが語った「中野次郎」さんの死です。
「中野次郎」さんが掘削工事の過程で、どのように亡くなったかは不明ですが、彼は日本人ではなく朝鮮人だったそうです。
しばらくして彼の故郷が判明し、お寺から手紙を送ったそうですが「貧しくて引き取りにいけない」という返事が来たそうです。
名前を変えられたため、本名もわからず、家族にもコンタクトが取れず、またどのような経緯で亡くなったかも判然としないまま、異郷の地で今も眠る「中野次郎」さん。
それは、名も知れず命を落とされた、多くの朝鮮半島の人々とかさなります。
きっついよなー。
自分の生死とその原因ぐらいは、自分が大切に思う人に伝えたかっただろうな、と思います。
わたしだったらどんな死に方であれ、知ってほしいと思うもん。 -
壕のなかは、入り口にくらべると温度は低くありませんが、日差しが届かないぶんひんやりと感じます。
所々に、当時の名残が生々しく突き出しています。
この棒みたいなのは、『削岩機ロッド』のあと。
これで、岩に穴をあけてダイナマイトを仕掛けたそうです。 -
松代大本営は、敗戦までに7割が完成していたそうですが、ルートの脇には行き止まりの横穴が、金網で塞がれたりしています。
足元は、ときおり天井から水が滴っていて・・
「うおっ!やべ、すべった」
「気をつけなさいよ、おっちょこちょい」
「ぎゃーっ!今なんか飛んでた!!お母さん、なんか飛んでたよっ」
「蝙蝠じゃないの?」
「何でこんな所に、コウモリがいるのーっ」
「暗くて、じめっとした穴だもん。いやだなあ、蝙蝠は伝染病を媒介して・・・」
「やめて〜」
うるさいコトこの上なし。
雰囲気、台無しです。 -
壕の天井は低いですが、ヨコ幅はけっこうあります。
あとから説明してもらったところ、この通路には当時、ずら〜っと部屋が作られていて、廊下でつながっていたそう。
いまは見る影もありませんが、どんなだったんだろう。
むかし、お婆ちゃんが住んでいたうなぎの寝床みたいな、縦長の古い家みたいだったのかなあ。 -
さて、ようやくエルの角のところまで来ました。
ポイントごとに、いざっちゅーときのための緊急電話が設置されていますが。
これ岩崩れてきて回線切断されたら、通じなくね?
などと、怖い想像が頭をよぎります。
松代地震、起きませんように〜。 -
「もう気がすんだでしょ、帰ろ」
せまい所は入りたくない、と再びお母さんが、ぶーたれます。
「え〜っ。ここまで来たんだから、最後まで行ってみようよ〜」
「同じだよー。行って戻ってくるだけでしょ」
「あとちょっとだけ、ね?ね?」
やや強引に歩き出すと、渋々といったようすでついて来ます。 -
ときおり薄暗い壕内に、『○○の跡』みたいな解説と、現物が残っているのですが、素人にはイマイチわかりません。
-
もくへん?
-
あるような、ないような(笑)。
暗いのであんまり見えません。 -
さらに奥へ進んでいくと、左の岩壁に町内会の掲示板のような物が、立っています。
近寄って覗き込むと、口ヒゲをはやした似顔絵と、どこかでみたような地名・・。
お! -
大邱!テグか!
『母は道連れ、炎天下?(石窟庵と古墳の夜)』http://4travel.jp/traveler/need/album/10087749/のときの、大邱ですね。
あの旅行記、漢字まちがえてて『大邸』になってますけど(笑)。
えー、なんでこんな所に。
なんだか懐かしく思えて、見入ってしまいます。
夏休みの楽しい思い出。
けれど、これを書いた人はどんな思いで、これを書いたんだろう?
ふと、冷たいものが頭をかすめます。 -
この人物画と、文字は、非公開スペースにかかれているそうです。
人物画は、帽子をかぶっていて、きちんと正装しているようにも、見えます。
「俺はこんな所にいるべき人間じゃない、っていう気持ちだったのかもね」
お母さんがつぶやきます。
自分たちが夏休みに遊びに行った、朝鮮半島のいち地域からこの松代まで、連行されてきた人がいたんだと思うと、なんだか悲しくなります。
もちろん、すでに日本で暮らし生計をたて、工事にも自由意志で参加したコリアンの人たちがいることも判っていますが、こういうのかいた気持ちを考えると、やっぱりなにかしらやむにやまれない想いがあったんじゃないかな、と感じます。 -
なんか、切ないよなーと思いながら、さらに奥へと歩きます。
-
じーちゃんが、鉄道会社で一時働いていたので、「こんなトンネル掘ったりしたのかな?」と、ちらりと頭をかすめます。
金網のむこうで、木製の線路が暗闇の先へもぐっています。
こえええ〜。
お母さんじゃないけど、こんな所で仕事は無理だなあ。
暗いの、苦手だ。
なんにせよ、庶民が空襲で逃げ場もなく右往左往してたときに、自分らだけこんな大掛かりに避難場所作ってたなんて、権力者ってのはほーんとロクでもないこと。 -
そして、ついに見学ルートの最終地点に、到着!
あ。
また、なんかある。 -
測点跡。
ふーん。
よく見えないけど。 -
うおっ!
なんだこりゃ!! -
終点『測点跡』から、目を転じて。
右手に、すこし奥まった通路を振り向くと、行き止まりの金網におびただしい折り鶴がぶらさがっています。
すごい。
びっくり。 -
ここへ辿り着くまで、そっけないほど人の痕跡を感じない壕でしたが・・。
ひんやりと留まった空気のなかを揺らぎもせず、もっさりと幾重にも連なる色とりどりの折り鶴。
圧倒的な光景に、しばらく言葉が出ません。
折り鶴だけではありません。
ここへ来るまでの気持ちを代弁するかのように、たくさんの『言葉』の札が結び付けられています。 -
平和学習なのかなあ。
学校の生徒さん達の札が、多いようです。
えらいよなー。
わたし、学校行事だってこーいうトコ来た事なかったよなー。
長崎行ったくらいか? -
色紙やなんかに書き込まれた言葉は、率直だけど本気が伝わってきて。
やべ、泣きそ。 -
なかには、ハングルと併記してあるのまであります。
-
同じく言葉をなくしていたお母さんも、あんなに嫌がっていたのに、
「こんど職場の旅行で、提案してみようかな」
とつぶやいています。
んじゃ、記念に一枚。 -
「ほらあ!来て良かったっしょ!わたしのおかげ、わたしのおかげ」
「アンタ、浮かれて転ばないように」
また大騒ぎしながら、来た道を戻ります。
行きに、脅かされたコウモリちゃんたちは、どこかへ隠れてしまったらしく、見当たりませんでした。
いつの間にか、すれ違う人が増えはじめ、壕内はさざめくような人の声が、どこまでも響いています。 -
風が吹きぬける、ふたつめの角をまがると、通路の先に光が見えてきます。
-
出口だー。
-
あかるい日の光の下に出ると、ホッとします。
さきほど、開いていなかった「もうひとつの歴史館・松代」がオープンするまで、まだ40分ほど。
ヘルメットを返し、休憩用のウッドデッキでゴロゴロしていると、3人の親子連れが、やはり歴史館目当てらしく開館時間を、地下壕の管理人さんに尋ねています。
「そうですねえ、10時に開きますけど、もうちょっとしたら、人が来ると思うんですけど。いつもはもう、来てるんですよ」
そういって、管理人さんはどこかへ電話をかけています。
「もう、お客さん来てるわよ」
漏れ聞こえてくる会話から、どうやら歴史館の人を呼んでくれてるみたい。
し・・親切だぜ、長野ッ!! -
だいたいオープン時間にだって、まだだいぶあるんだし、そもそも市で雇われてる(?)管理人さんが、市民団体の施設(歴史館)の人に、わざわざ連絡とってあげてるなんて!
すごいもの見ちゃった気がして戸惑っちゃいます。
そうあってほしいと思っても、なかなかやってくれないのが行政機関!っていう、経験がけっこうあるもんなー。
個人的なのかもしれませんが、管理人さん良い人だなー。
そんな会話から、「まだ開きそうもないな」と壕のまわりの解説プレートや記念碑なんかを、見てまわります。
お、不戦の誓いだ。
えーと、長野の労働組合か。
労働組合が石碑建てるって、あんましきかないけど、こういうのはいいかもね。 -
こちらは『朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑』。
ちゃんとハングルが、併記されています。 -
記念碑のよこに3ヶ国語で、たずさわった人たちの言葉が、掲げられています。
-
いい案内だったので、ぜひ写真をクリックして全文読んでみてください。
あ。
ここでは、名前の判明した犠牲者に『中野次郎』さんを加えて、4名ってことになってる。
本名を基準にして「3名」っていうのと、証言から朝鮮人の方だって判明しているとして「4名」と記載しているのが、あるみたいです。 -
壕の周りも見終わってしまい、ヒマになってしまったので、「歴史館のまえで待ってようよ」ということになります。
まだあと、20分くらいあんだけどなー。
お。
開いてるよ。 -
駐車場の前を渡してあったチェーンが外され、『開館中』の立看板が置かれています。
もうっ!
長野ってば、なんでこんなに時間がゆるいの!
ずっと、このままでいてネ!
さっそく入り口に立つと、中には先ほどの親子連れが、スタッフの女性にレクチャーを受けている真っ最中。
スタッフの彼女は、わたし達に気づくと解説を中断し、入場料と引き換えに小さくたたんだリーフレットを手渡します。
「良かったら、一緒に聞いてくださいね」
どうやら地下壕と同様、ひとりが切り盛りしているみたいです。
人が多いときには、受付も解説もは、ムリだろうな。
すいてて良かったー。 -
解説の中身は、地下壕建設着工までの経緯と、スタートしてからの労働実態、朝鮮人の人たちが置かれていた状況や、「慰安所」に関する証言、敗戦による工事中止から公開にいたる現在までの流れ、など多岐にわたりました。
縦横にはしる壕は、穴ごとに親方が違っていて、親方の采配によりその下で働く人々の食事や労働など、待遇が大きく違っていたそうです。
そうはいっても、きけばきくほど酷い話で、唖然としてしまいますが、そこで立ち止まっちゃいけないよなーと強く思いました。
戦争に関する酷い話は、人から教えてもらうだけじゃなくて、自分からも知りにいく努力はしていますが、知ったからには、追求するにしても、無視するにしても、全否定するにしても、なんらかのリアクションが、自分のなかで起こります。
いつだって、追求する姿勢を無くしたくないなーと思うのは、「酷い話」を体験せざるえなかった誰かへの、共感だったり、同情だったり、そんな目に遭うのもさせるのもゴメンだという、シンプルな感情だったりします。
個人で出来ることなんて、大してなくても、こうやって埋もれていた記憶を引き出し、自治体を動かしていった人たちがいるというのは、すっげーなあと思うと同時に、自分だってなんかやってもいいよね、という励みになります。
展示も丁寧で写真撮ってきて載っけてみたかったんですが、館内の撮影はご遠慮ください、ということなので残念ながら写真は撮りませんでした。
ホームページがあるので、興味がある方は覗いてみて下さい。
http://www.matsushiro.org/index.html
ちなみに、地下壕建設に使われた道具や、作業従事者の人たちが寝泊りした施設の模型なんかも、展示されています。 -
こういった所でしか、まず取り扱っていないような書籍を購入して、松代大本営の見学は終了です。
よっしゃー!
つぎは、お母さんの見たがってた「真田宝物館」ですよーっ!
つづく〜ぅ
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この旅行記へのコメント (8)
-
- 城壁フェチさん 2008/08/20 23:46:52
- 私も行きました。
- 2年前のリンゴ狩りの翌日、松代文武学校と善光寺へ行き、懐かしくなりました。松代大本営には行かず仕舞いですが。建物好きなものですから!
- きっちーさん からの返信 2008/08/21 20:42:54
- RE: 私も行きました。
- 知ってますよ。
城壁ナシじゃ物足りないんですね、奥サマ・・。
どんだけ、城壁好きなんですかー!
城壁フェチさんを誘拐するには、目も眩むような城壁の写真を見せて、
「ついてくれば、もっと凄い城壁が見られるよ・・」
とやれば、確実そうですね(笑)。
ご用心を。
(なんつって)
-
- 権天使さん 2008/05/02 21:59:38
- ご苦労さん!
- from 釜山
- きっちーさん からの返信 2008/05/03 07:27:10
- RE: ご苦労さん!
- なにィ〜っ?!
どこいってんですか、仕事してくださいよ。
部長が怒ってますよ。
・・・っていわれちゃいますヨ(笑)!
- 権天使さん からの返信 2008/05/03 21:49:31
- RE: ご苦労さん!
- ははは、いいんですよ!
それにしても、よくご存知で。(笑)
今日は釜山から日帰りで大邱に行ってきました。
- きっちーさん からの返信 2008/05/06 01:32:56
- RE: RE: ご苦労さん!
- じゃあじゃあ、この旅行記は大邱にちなんで、権さまに捧げます。
無理矢理もらってくだサイ☆
なぜ大邱かは、もうちょっとお待ちを!
- 権天使さん からの返信 2008/05/09 10:32:44
- RE: フムフム
- なんとなくわかるニダ。
話ぜんぜん違うけど、広島にもコンフォートホテルがありますが、
画像に写ってる長野コンフォートの布団と同じですわー
と、しょうもないことに気がつきました。(笑)
- きっちーさん からの返信 2008/05/09 12:10:05
- RE: RE: フムフム
- まだ落ちてないのに、読まれてしまったーっ。がっくり・・。
長野は良かったですよー。
入場時間とか、てきとうで(笑)。
まだ、開館まで30分以上あるのに、「あ。もう入っちゃっていいですヨ」って言ってもらえたのには驚きました。県営なのに・・。
果てしなくおおらかで、ナイスでした。
コンフォートホテルってチェ―ンなんでしょうか??
布団と同じってのは、トータルコーディネイトなんでしょう。たぶん。
権天使さんのプロフィール写真が、毎回美味しそうで目の毒なんですけど。
春の健康診断受けたら、体重以外は健康でガックリ。
メタボ入りですよ〜。シクシク・・。
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