2008/03/11 - 2008/03/11
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枚方(ひらかた)の万年寺山(まんねんじやま)にある意賀見神社(おがみじんじゃ)は「万年寺山の緑陰」として枚方八景の一つに選ばれている。境内には約100本の梅の木が植えられており、京阪沿線の梅の名所のひとつになっている。
万年寺山には推古天皇(593−628年)の時代に、高麗の僧恵灌(えかん)が、山の木立や川の流れの風景が唐の林岸江に似ているとして、草庵を建てたものが万年寺の創建だと言われている。万年寺山は小高い丘でこの地域の豪族の古墳でもあった。万年寺は1868年の廃仏毀釈によって1870年に廃寺となった。かわりに伊加賀宮山にあった淀川の鎮守・式内意賀美神社が1909年に日吉神社、須賀神社を合祀し、万年寺跡に遷座した。
豊臣秀吉(1537−1598年)の時代には秀吉の家臣となった百済王の末裔・本多正康の枚方城があった。本多正康は娘「乙御前・おとごぜん」を秀吉の愛妾として差し出し、秀吉は万年寺山に御茶屋御殿を建てて住まわせたと言われている。現在は御茶屋御殿跡に展望広場が築かれ、淀川沿いの枚方一帯を望むことができる。3月11日には神社の梅は七部咲きになっていた。
余談だが、ヒラカタ(枚方)はアイヌ語で、「崖の上のこと」だそうで小高い万年寺山一帯は蝦夷の地であったのかも知れない。沖縄にもアイヌ語が残っているそうだから、アイヌ民族の地は一般的に考えられている東北・北海道地域だけでなく、日本全土からユーラシア大陸にまたがる広大な地域だったのかも知れない。
(写真は意賀見神社梅林)
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意賀見神社梅林の梅の花。
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意賀見神社梅林の梅の花。
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意賀見神社の参道。
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意賀見神社梅林の梅の花。
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意賀見神社梅林の梅の花。
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意賀見神社本殿。
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意賀見神社梅林の梅の花。
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現在は意賀見神社の境内になっている万年寺山古墳の一部。
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意賀見神社梅林の梅の花。
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現在は意賀見神社の境内になっている万年寺山古墳の一部。
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意賀見神社梅林の梅の花。
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御茶屋御殿跡。
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万年寺山の意賀見神社梅林。「万年寺山の緑陰」は枚方八景の一つに選ばれている。境内には約100本の梅の木が植えられており、京阪沿線の梅の名所のひとつになっている。
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御茶屋御殿跡の説明。
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万年寺山の意賀見神社梅林。
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御茶屋御殿跡から見る淀川周辺。
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御茶屋御殿跡に築かれた展望広場。
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万年寺の遺構、十三重の石塔。
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御茶屋御殿跡に築かれた展望広場。
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御茶屋御殿跡から見る淀川周辺。
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御茶屋御殿跡に築かれた展望広場。
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御茶屋御殿跡に築かれた展望広場。
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意賀見神社に近い枚方田中邸跡の樹齢6−700年といわれるむくの木の説明板。田中家は鋳物師発祥の地といわれる河内で、河内国惣官鋳物師として独占的に、梵鐘・灯籠をはじめ鍋・釜・鋤・鍬などを鋳造していた。
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枚方田中邸跡の樹齢6−700年といわれるむくの木。
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枚方田中邸跡の樹齢6−700年といわれるむくの木。
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願生坊(がんしょうぼう)の蓮如像と鐘楼。
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蓮如上人ゆかりの寺を示す石碑。
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意賀見神社に近い願生坊(がんしょうぼう)。浄土真宗の中興の祖、蓮如上人(1415−1499年)の13男・順興寺実従 ( じゅんこうじじつじゅう )が開基した寺で枚方の宿場町は、願生坊の寺内町として栄えた。
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