2008/03/01 - 2008/03/01
239位(同エリア438件中)
のださん
千葉県自体にもほとんど縁がありませんが、今回は市川市まで足を運びます。
市川市に足を踏み入れるのも多分初めて。
奈良時代には下総の国府が置かれていました。
国分寺と国分尼寺の跡が残っています。
日暮里から京成で国府台(こうのだい)駅まで。
国府台というのは、一帯がかつての国府台合戦の舞台となった場所だからですね。
その周辺を歩き回って、バスで北のほうへ行き、市川歴史博物館と市川考古博物館を見学という予定。
博物館は、時間の関係で駆け足で、ってのはいつも通りだな。
市川市に絞って回るのであれば、博物館を見学した後に南に進んでいくのが効率が良いと思われますが、今日の私にはそれもかなわず。
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江戸川という川を越えたらそこは千葉県です。
11時半くらいに国府台駅で降りて、真間川という川の川沿いを歩き、手児奈橋までやってきました。
ここを渡って北へ進みます。 -
手児奈霊堂。
私が今日市川に来ようと思ったのは、国府云々よりも、手児奈の伝説をたまたま知っていたからです。
言い伝えにも諸説あるらしいですが、代表的なものを簡単に言うと、手児奈という絶世の美女がいたが、彼女を巡って男たちの間で争いが起こったので、「けんかをやめて、私のために争わないで、もうこれ以上」と言って、真間川に身を投げた、という悲劇です。
弘法寺七世日与上人が、お告げにより文亀元年(1501年)に建立したとされ、今では安産子育ての神様として親しまれています。
万葉集には、真間の手古奈を詠んだ歌が数首あり、その中の山部赤人:
「われも見つ 人にも告げむ 葛飾(勝鹿)の 真間の手児名(奈)が 奥津城処」
奥津城処というのは墓のことで、後に手児奈霊堂がここに建っています。
葛飾というと東京都葛飾区を思い出しますが、かつては下総国葛飾郡と言って、要するにこの界隈を含みます。 -
参道を通って門まで出てきました。
「真間万葉顕彰碑」とあり、「真間女子墓」と書かれています。 -
手児奈霊神堂と道路を挟んで、亀井院。
ここも手児奈と関連した寺院です。
寛永12年(1635年)、弘法寺11世日立上人が隠居寺として建立したそうです。
北原白秋も短期間ですがここに住んだようです。 -
門前に「真間万葉顕彰碑」。
こちらは「真間井」だそうです。 -
本堂裏手に、手児奈が水汲みをしたという井戸が残っています。
「真間の井」。
今は井戸としては使えないそうです。
高橋虫麻呂は万葉集でこう詠んでいます:
「勝鹿の 真間の井を見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児奈し思ほゆ」
北原白秋はというと:
「蕗の葉に 亀井の水の あふるれば 蛙啼くなり かつしかの真間」 -
日蓮宗真間山弘法寺。
今日私が来たコースだと、位置関係から言って、亀井院、手児奈霊堂、弘法寺と進むべきだな。
行基が手児奈の霊を慰めるために建立した求法寺が始まりだそうです。
その後弘法大師が七面堂を構えたので弘法寺。
宗派もころころ変わっているみたいですが、現在は日蓮宗ということです。
参道は大変ですが、上っていきます。 -
どーんと仁王門がお出ましです。
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仁王門をくぐると本堂ではなく祖師堂らしいです。
横には伏姫桜と呼ばれるしだれ桜が。
樹齢は約400年だそうです。 -
「国府台砲兵之碑」を見つけました。
碑文を軽く読んだところによると、明治以来、国府台は皇軍練武の地だったということです。
この界隈は錬兵場として知られていたみたいですね。
ここから北へ行くと国立精神・神経センター国府台病院というのがありますが、かつては国府台陸軍病院でした。 -
千葉商科大学のキャンパスをぐるっと回って、ここは国府台公園でしょうか?
運動場が広がっていますが、その中心辺りかな。
下総総社跡の碑があります。
場所はわかりにくく、自分でもよく見つけたなと思います。
国司には、国内の神社を参拝するという仕事がありましたが、これは大変なことだったので、平安時代には国府の近くに国内の神々を集めて祀る神社が建てられました。
これを総社・六所神社と言います。
総合運動場の改修工事に伴う発掘調査により、六所神社がここにあったと確認されたそうです。
明治19年に、陸軍が軍用地としてこの一帯を買い上げて、六所神社は須和田というところに移転しましたが、その後もここは「六所の森」と呼ばれたようです。
「府中」とも言われたみたいです。 -
東の方を向いてみます。
台地ですので、かつてはよい眺めだったのでしょう。
風も強くなってきて、結構寒いです。
雨もぽつぽつ降ってきました。
しゃれになってねえ。 -
わかりにくい道をグネグネ進んで、下総国分尼寺跡地までやってきました。
聖武天皇が天平13年(741年)に出した国分寺建立の詔により、国分寺・国分尼寺が国府の近くに置かれました。
国分尼寺は正式には法華滅罪之寺と言って、人々は罪を消滅させる願かけをしていたようです。 -
また歩いていって、途中で下総国分寺跡を見つけました。
下総国分寺というのは現在もありますが、かつてはここにあったということなのでしょう。
幸いにも雨は止みました。 -
下総国分寺までやってきました。
朱塗りの南大門が迎えてくれます。
くぐっては行けないようです。
明治24年の火災で焼失してしまい、後復元されたとのことです。 -
横の参道から本堂へと参拝します。
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またひたすら歩いて、六所神社までやってきました。
ということは、ここは須和田ということでしょう。
歴史ある神社にしては、非常にこぢんまりしています。
市川寺社巡りは、ここでひとまず終了。 -
須和田というバス停から京成バスに乗りましたが、路線図がないから実にわかりにくい。
しかも乗るのは後ろのドアからだから、運転手に訊くこともできず、間違えて「博物館入口」まで行かないバスに乗ってしまった!
しょうがないから途中で降りて乗り換え。
思い切り遅れて来るし、パスモは使えないし、京成バスはダメダメだな。
「博物館入口」などという完全に虚偽の名前のバス停から10分以上歩いて、ようやく市川歴史博物館に到着。
ここは無料にしてはかなり内容が充実している。
いつものことだが、時間がないのが悔やまれます。
ここに来るまで市川のことについてはほとんど知らなかった(気にも留めなかった)が、市川って意外と広いですね。
塩で有名な行徳ってよく聞きますね。
展示でも行徳ってよく出てきて、実は行徳は市川市でした。
行徳という名前ばかりがインパクトあったから、そんなのも知らなかった。 -
博物館からちょっと坂を上っていって、市川考古博物館。
歴史博物館と考古博物館って分かれているということは、内容が盛り沢山ということです。
というわけで、ここもかなり充実。
市川は古墳が多いですしね。
手児奈についての企画展も催されています。
やはり市川を巡る場合は最初に博物館を見学するのが良いみたいです。
まあこれは大抵の場所でも言えることかな。 -
この地域は公園のようなもので、堀之内貝塚という貝塚もあるみたいで、時間があれば当然歩いてみるべきですが、この後乗る予定の北総鉄道は、博物館で時刻表を確認したところ何と1時間に3本しか来ないという体たらくで、ここでこれ以上時間はかけられないので、断念します。
11時半に国府台駅に着いて、現在15時半なので、4時間くらい市川にいたということになります。
随分時間かかったな。
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