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早朝5時に東京を出発、東名道をひたすら西へ進み、8時頃浜松市に到着しました。<br /><br />三方ヶ原の合戦とは1572年三方ヶ原台地(浜松市)で起こった武田軍と徳川軍との戦いです。武田信玄公上洛の過程での合戦といわれ、武田軍25,000と徳川軍11,000の軍勢が戦い、武田軍が大勝しました。その後、武田軍は上洛を目指し西へと進軍しましたが、信玄公の発病・死去により急遽甲斐へ撤退することとなりました。<br />

2008年2月 三方ヶ原古戦場(武田軍vs徳川軍)

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2008/02/20 - 2008/02/20

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めるくん

めるくんさん

早朝5時に東京を出発、東名道をひたすら西へ進み、8時頃浜松市に到着しました。

三方ヶ原の合戦とは1572年三方ヶ原台地(浜松市)で起こった武田軍と徳川軍との戦いです。武田信玄公上洛の過程での合戦といわれ、武田軍25,000と徳川軍11,000の軍勢が戦い、武田軍が大勝しました。その後、武田軍は上洛を目指し西へと進軍しましたが、信玄公の発病・死去により急遽甲斐へ撤退することとなりました。

  • 午前5時に東京を出発、浜松をめざし東名高速道路を西へと進みます。画像は富士川サービスエリアから見た富士山と富士川です。

    午前5時に東京を出発、浜松をめざし東名高速道路を西へと進みます。画像は富士川サービスエリアから見た富士山と富士川です。

  • 1572年10月、甲斐の国主武田信玄公は上洛を目指すため、徳川家康公の領地であった遠江・三河へ侵攻を開始しました。途中いくつかの支城を次々と陥落させ、同年12月頃には家康公の拠点であった浜松城に迫りました。

    1572年10月、甲斐の国主武田信玄公は上洛を目指すため、徳川家康公の領地であった遠江・三河へ侵攻を開始しました。途中いくつかの支城を次々と陥落させ、同年12月頃には家康公の拠点であった浜松城に迫りました。

  • 当時の武田軍は戦国最強の軍隊と言われており、更に兵力で劣る徳川軍には籠城の手段しかありませんでした。ところが、浜松城間近に迫った武田軍でしたが、城を攻めることもなく、急遽進路を北に変えて浜松城から遠ざかってしまいました。

    当時の武田軍は戦国最強の軍隊と言われており、更に兵力で劣る徳川軍には籠城の手段しかありませんでした。ところが、浜松城間近に迫った武田軍でしたが、城を攻めることもなく、急遽進路を北に変えて浜松城から遠ざかってしまいました。

  • 武田軍が城下を通り過ぎた後、家康公は武田軍の背後を追撃しようと城を出ます。浜松城の北へ10キロ程進むと、祝田坂という長い下り坂があります。武田軍がその坂を下っているところを奇襲する作戦でした。

    武田軍が城下を通り過ぎた後、家康公は武田軍の背後を追撃しようと城を出ます。浜松城の北へ10キロ程進むと、祝田坂という長い下り坂があります。武田軍がその坂を下っているところを奇襲する作戦でした。

  • ところが武田軍は徳川軍の作戦を既に見抜いており、祝田坂の手前で急遽反転し、陣を整え徳川軍を待ち構えていました。

    ところが武田軍は徳川軍の作戦を既に見抜いており、祝田坂の手前で急遽反転し、陣を整え徳川軍を待ち構えていました。

  • 祝田坂への手前に二代目根洗松という史跡があります。この辺りに信玄公の本陣があったそうです。

    祝田坂への手前に二代目根洗松という史跡があります。この辺りに信玄公の本陣があったそうです。

  • 1572年12月22日の夕刻、三方ヶ原台地付近で武田軍と徳川軍の戦闘が始まりました。しかし、徳川軍は兵力においても戦術においても武田軍の前に為す術もなく、多くの兵を失い浜松城へ敗走します。途中武田軍の追撃は凄まじく、家康公は討ち死に寸前まで追いつめられました。

    1572年12月22日の夕刻、三方ヶ原台地付近で武田軍と徳川軍の戦闘が始まりました。しかし、徳川軍は兵力においても戦術においても武田軍の前に為す術もなく、多くの兵を失い浜松城へ敗走します。途中武田軍の追撃は凄まじく、家康公は討ち死に寸前まで追いつめられました。

  • 画像は徳川家家臣夏目吉信の碑です。家康公の身代わりとなって討ち死にしたそうです。

    画像は徳川家家臣夏目吉信の碑です。家康公の身代わりとなって討ち死にしたそうです。

  • 徳川家家臣本多忠真の碑です。本多忠真は家康公を無事に帰還させるため殿(しんがり〜味方を無事に撤退させるため、少数の部隊で追撃する敵軍をくいとめること)をつとめ討ち死となりました。

    徳川家家臣本多忠真の碑です。本多忠真は家康公を無事に帰還させるため殿(しんがり〜味方を無事に撤退させるため、少数の部隊で追撃する敵軍をくいとめること)をつとめ討ち死となりました。

  • 浜松城にある若き日の家康公の銅像です。三方ヶ原の合戦時31歳の若さでした。武田軍の猛追を何とかかわし無事浜松城に戻った家康公ですが恐怖のあまり馬上で脱糞したことと、すぐさま絵師を呼びつけ恐怖で震える自分を描かせたことは大変有名です。(後に不甲斐ない自画像を見て、戒めを怠らなかったそうです)

    浜松城にある若き日の家康公の銅像です。三方ヶ原の合戦時31歳の若さでした。武田軍の猛追を何とかかわし無事浜松城に戻った家康公ですが恐怖のあまり馬上で脱糞したことと、すぐさま絵師を呼びつけ恐怖で震える自分を描かせたことは大変有名です。(後に不甲斐ない自画像を見て、戒めを怠らなかったそうです)

  • 浜松城にある鎧掛松(三代目)です。城に戻った家康公が鎧を脱ぎ松に掛けたそうです。無事帰還した家康公ですが、武田軍の追撃隊が間近まで迫っていました。ところが家康公は敢えて城門を開くように命じたそうです。武田軍の追撃隊は馬場信春と山県昌景でしたが、開いている城門を見て何かの罠と思い引き返したそうです。策略なのか偶然なのかは分かりませんが、家康公は人生最大の窮地を脱したのでした。

    浜松城にある鎧掛松(三代目)です。城に戻った家康公が鎧を脱ぎ松に掛けたそうです。無事帰還した家康公ですが、武田軍の追撃隊が間近まで迫っていました。ところが家康公は敢えて城門を開くように命じたそうです。武田軍の追撃隊は馬場信春と山県昌景でしたが、開いている城門を見て何かの罠と思い引き返したそうです。策略なのか偶然なのかは分かりませんが、家康公は人生最大の窮地を脱したのでした。

  • 夜も深まり武田軍は浜松城から北へ1キロほどの犀が崖というところに野営していました。惨敗の徳川軍は一矢報いようと鉄砲隊100名程で夜襲を仕掛けたようです。

    夜も深まり武田軍は浜松城から北へ1キロほどの犀が崖というところに野営していました。惨敗の徳川軍は一矢報いようと鉄砲隊100名程で夜襲を仕掛けたようです。

  • 画像では分かりずらいですが、犀が崖は深い谷になっています。徳川鉄砲隊の夜襲により武田軍は混乱し多くの兵が谷底に落ち命を落としたそうです。<br /><br />その後、武田軍は浜松城に篭る徳川軍を攻めることはなく、上洛に向けて西へ進軍します。ところが年が明けて1573年2月頃から信玄公の持病が悪化し、武田軍は上洛を中止し甲斐への撤退を余儀なくされます。信玄公の病状は一向に良くならず、遂に1573年4月12日甲斐に帰陣することなく、波乱の生涯を終えることとなります。<br /><br />10時頃浜松城と三方ヶ原古戦場の見学を終えて、次の目的地である長篠・設楽原古戦場へ向かいました。

    画像では分かりずらいですが、犀が崖は深い谷になっています。徳川鉄砲隊の夜襲により武田軍は混乱し多くの兵が谷底に落ち命を落としたそうです。

    その後、武田軍は浜松城に篭る徳川軍を攻めることはなく、上洛に向けて西へ進軍します。ところが年が明けて1573年2月頃から信玄公の持病が悪化し、武田軍は上洛を中止し甲斐への撤退を余儀なくされます。信玄公の病状は一向に良くならず、遂に1573年4月12日甲斐に帰陣することなく、波乱の生涯を終えることとなります。

    10時頃浜松城と三方ヶ原古戦場の見学を終えて、次の目的地である長篠・設楽原古戦場へ向かいました。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • もにかさん 2008/02/29 00:52:00
    今回もコレマタすごいですねぇ
    いつもの事ながら写真も凄いのですが、
    今回は文章が物凄い。
    ウン、力作。

    家康は若い頃から、良い味出してたんですね〜
    やはり人質だったという苦労からなんでしょうか?
    トンチのパンチが効いてます。

    こんな「たゆたえど沈まず」的、
    掴み所の無いようで実は不屈の精神でいなければ
    天下は統一を最後に手にする事なんざぁ
    できないのかも知れませんなぁ。

    感心しました。

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