2008/02/05 - 2008/02/05
532位(同エリア984件中)
アリヤンさん
ガタガタ道は、緑春⇒江城で終わり、あとは曲がりなりにも舗装された道路で、一路モンラー(シーサンパンナ・タイ族自治州のモウ臘県)に進むのです。
「シーサンパンナの近くなので、道は良かろう」っと、云うのは勝手な希望的観測でありました。
最後にスゴイのが待っていたとは!
江城⇒モンラー240km中、最初の40kmくらいがまあまあ、100kmは「死のロード」的超悪路なガタガタ、あと100kmはまあまあなのです。
とうとう、オイボレ夫婦の体が壊れました。
パートナーは、後半、朦朧状態、ワタクシは今になっても(2月10日)首と腰がおかしい。
お年寄りの皆さん、決してマネをしないで下さい!
重ねて言います。
決してマネをしないで下さい!
(後日、ワタクシたちのこのページを読んでおきながら、それを忘れちゃって、おんなじルートをおんなじ方法で行かれた、シニアご夫婦がいらっしゃった。その人たちは「神様・仏さま、ワタクシたちがなにか悪いことでもしたのでしょうか?」と祈ったほどのロードです。
繰り返し、警告しておきます。
どうしても、行きたいと言われるシニアご夫婦は、くれぐれも自己責任でお願い致します。
旅先ではネット環境が劣悪なので4トラには表紙のみアップしています。行く先々でアップデートなHPを展開する為に、現地で緊急避難ページを作成しています。4トラには帰国後改めてアップして行きます。
http://www.geocities.jp/ariyan9909/eurasia2_076.html
- 旅行の満足度
- 1.0
- 観光
- 1.0
- 交通
- 1.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
北京時間、7時10分発のバス。
もう、5時には起きて、荷造りをして、トイレをして、朝飯を食って、15分前にはターミナルに行ってバスを待つ。
バスは普通、ターミナル発のハズだが、ターミナルに着く前から、不思議と人を結構乗せて、どこかからやって来るのだ。
前日に見ておいたので分かる。
だから早く乗らないと席が無くなる
(指定席になってはいるが、、、?)
のである。
ここはなんでもアリの、雲南省最南部の山奥なのだ。
6時40分でも外は真っ暗。
北京との時差が2時間ほどあっても、何ら不思議ではない、西にあるのだ。
どんなに西部に来ても、北京政府のご威光は光っているのだ。 -
案のジョウ、席は2つしか、残ってなかった。
バスが着くや、否や乗り込み、とりあえず、その空いた席を確保。
すぐ後から来た4,5人はアウト!
どこかに消えていった。
駅員がチケット・チェックに来た。
チケットを持っているのは?
ワレワレ2人のみ。
他はすべて、ヤミの乗客だ。
駅員は、それを咎める様子も無く、乗客名簿らしき紙に運転手のサインを取って、降りていった。
初めて気が付いたが、ワレワレがあわてて座った席は、チケット表示通りの15,16番なのだ。
ちゃんと分かってて、ワレワレの席を空けていたのである。
恐るべし、中国式ビジネス。 -
バスは江城を後にして、快調に飛ばして、思茅方面との分かれ道を左に入った。
途端、恐怖のガタガタ道に入った。
まあ、部分的にこんなんじゃろう、っと楽天的に落ち着いていた。 -
ガタガタ道に入ってしばらくして、運ちゃんの様子がおかしい。
しきりにバスの後方を気にする。
とうとう止まってしまった。
どうも故障らしい。
馬力が出ない様子。
携帯で替わりのバスを呼んだらしく、その旨を乗客に説明。
(当方言葉は分からぬが、雰囲気でそう判断)
同乗のタイ族のおばちゃんたちは、落ち着いたもの。 -
イチオシ
権太坊主のマゴ2人を連れたおバアちゃん。
ものすごくタフでした。
最後まで元気に、この権太坊主2人の面倒を見ていた。 -
バスは来た道を逆戻りして、思茅(スーマオ)への分かれ道以前まで帰って、とあるミーセン屋でストップ。
「メシでも食って、ゆっくり代車を待ってくれ」、とのこと。
勿論、ミーセンは自腹で食うのです。 -
このバスに乗ってきたのですが、調子悪く江城に帰って行った。
-
自腹ランチ後、することなく所在なく周りの山々をぼんやり眺める。
-
代わりのバスは1時間ほどして、やって来ました。
新しい運転手は、乗客全員から10元づつ集め始めだしました。
ワタクシたちはバスターミナル発行のチケットを持っているので、バスが代わろうが、モンラーまでの運賃はすでに支払い済みなので、追加料金を支払う義務はありません。
そのような趣旨のことを、新しいバスの運チャンに繰り返し主張したので、運チャンは最後、諦めました。
(抗議はすべて英語と日本語でやった)
(言葉のカベもあったろうけど、どうして他の乗客は追加料金を支払ったのか? 今でも疑問です。ヤミ料金で乗っているからか?)
再出発してすぐに思茅方面への道と分かれて南方面に続く「死のロード」に突入。
(地図中の大きな矢印とバラバラのバスの絵)
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/BumpyRoad.jpg -
-
シーサンパンナに続く国道に合流したら道は良くなりそうです。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/BumpyRoad2.jpg -
イチオシ
再出発です。
約2時間のロス。
またバンピーロードに入った。
周囲は山ん中だが、そんなに高くは無く、山村が点在する道だ。
タイ族かハニ族の家々が時々見える。
しかし、バンピーな道路は止むことなく、続くのです。
それも、背骨に響く、ガタガタなのです。
*後日「NHKスペシャル」を見ていてこの村とそっくりな村が紹介されていた。
ハニ族の村であった。 -
おそらくタイ族の家屋でしょう。
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もう、ガタガタは脳に響き、首を傷め、背骨に響き、腰を痛めて、います。
景色どころじゃない! -
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イチオシ
モンラーに近づくにつれて、高度は低くなり、茶畑が目立つようになる。
しかし、バンピーロードは続く。 -
お茶畑。
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山土を固め、石を埋め込んだ道は、どうしようもなくガタガタです。
こんなヒドイ道、それも長時間続くヒドイ道は、他に知りません。
あの、イエメンの、サナ⇒ホデイダの山越えでも、道路は中国の援助で舗装されていて、(所々アナボコだらけだったケド)ずっとマシでした。
外国に援助して道を作ったりする、その、中国の国内なのに、なんで、こんなトンデモナイ道があるの?
辺境の民を、あまりに無視しすぎじゃあ、ナイカイ!? -
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でも、こちらの皆さんは、頑丈なんです。
誰もへこたれません。
子供でさえ、何時までも元気でした。
マゴの面倒みるおバアちゃんも、最後まで平気のヘッチャラでした。
赤ちゃんだけが、むずかり泣いていました。
こちとら、パートナーが
「モウ、アカン」
っと、言って、降りて行った空き席にリュックを置いてその上に横になってしまいました。当方も、首が少しおかしくなっています。
これでもか、コレデモカッ!
っと、ジャンピング・バンピー・ロードは続きました。
最後の方に、建設中の高速道路が出てきた。(シーサンパンナ⇔モンラー高速道路)
建設中で、通れない。
おかげで、こちらはガッタガッタの脇道。
舗装道路と言っても、日本みたいなスムーズなものなんかアリャアしない。
ガッタ・ガッタの舗装道路ジャアッ!
合計11時間の死のロードでした。
(これでも、スムーズに行けば8時間らしい) -
で、その後、モンラーでもゆっくり休養し、このページを書いている、ラオスのルアンナムターでも、ゆ〜っくり休養するつもりです。
今だに(2月10日現在)この時のダメージから立ち直れていません。
正に
「死のバンピー・ロード」
でした。
もう二度と通ることはしませんし、出来ません!
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