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エル・ウッド(アルジェリア)〜トゥズール(チュニジア)1988年 (北アフリカ三国のガイドブックに、どこまでもだまされ続けた話)<br />ガイドブックに騙され続けて 両替で大損をして 名取裕子に会う<br /><br />1:ガイドブックを信じて騙されつづける<br /><br />わざわざ日本からバルセロナのスペイン語学校気付で送らせたガイドブックに騙され続けている。<br />最初は『モロッコでは東京銀行の円のチェックは通用しない』次は『首都のラバトではアルジェリアのビザは取れない』という非常に重要な、基本的な情報が間違っていたのだ。<br />スペインにいたとき、ガイドブックを信じて『モロッコでは東銀の円のチェックが通用しない』と思いこんで(僕が東銀の円のチェックを大量に、と言っても200万円ぐらいだけど、持っていた理由は『意地悪することだけが楽しみの東銀の窓口女』というエッセイで説明するかも知れない)結構な額の円をペセタのキャッシュにした。<br />ペセタならば北アフリカでも通用すると考えたからだ(もちろん、この考え方自体は正しかった)。<br />しかし、これはとんでもない嘘で、試しにやってみたら、何の問題もなく、東京銀行の円のトラベラーズチェックをモロッコディルハムに換えてくれたのだ。<br />モロッコ滞在用の金を、このガイドブックを信じて、一度ペセタに替えてそれをモロッコディルハムにしていたので、その手数料などで馬鹿にならない額の損を出している。<br />次の『ラバトではビザは取れない』という記事も信じて、わざわざラバトではなくて、カサブランカのアルジェリア領事館でビザを取った。<br />ラバトのアルジェリア大使館ならば町のど真ん中、歩いていける所にあるのだが、カサブランカではタクシーに乗らなければいけない遠い所で、翌日発給のためタクシーに行き帰りを合わせて4回も乗らなくてはならなかった。<br />これも普通タクシーなんかに乗らない僕に取ってはいたい出費だ。<br />この情報も、アルジェで会った日本人学生がラバトでビザを取っていたので、このガイドブックの嘘だとわかった。<br />モロッコからアルジェリアへは飛行機を使った。<br />その理由も、このガイドブックにモロッコからアルジェリアを陸路で越えるのがどんなに大変か書いてあったからだ。<br />『北のウジダでは国境で追い返され、南のフィギグではパンツを脱がされるほど厳しいチェックがある』というのだ。<br />国境を通るのに、チンコを見せるなんて、そんなのはいやだよ。<br />それにアルジェリアには千ディナール(DA1000)の強制両替制度がある。<br />この時期公定レートが1ディナール=25円なので、千ディナールとなれば2万5千円だ。<br />このガイドブックによれば『飛行機で入国する場合は強制両替がない』という。<br />それならば、飛行機で入国した方がいいに決まっているよね。<br />僕はアルジェリア自体には特に興味を持ってる訳でもないし、急いでマグレブ3国(モロッコ・アルジェリア・チュニジア)を通り過ぎてイタリアへ渡り、ロンドンへ戻るのが今回の計画。<br />こんな大金を両替してしまったら絶対に使い切れないんだしさ。<br />しかもアルジェリアディナールは国外では全く通用せず、アルジェリアを出たとたん紙くずになる、とも書いてある。<br />ただ通り過ぎるだけの興味のない国で、強勢両替で2万5千円も使うような馬鹿なことはしたくない。<br />アルジェの空港では外貨申告書に手持ちの金を全部書き込む。<br />空港の両替所で£40(スターリングポンド)をDA385.20(アルジェリアディナール)に交換する。<br />確かに空港では強制両替はないようだ。<br />地中海に面した首都アルジェは、遠くから見るとすごく奇麗なのだが、この時期すごくさびれていて、食堂を捜すのでさえ大変苦労した。<br />ガイドブックには『海沿いのすてきなレストランでシーフード料理を楽しむ』などと書いてあるが、とてもそんな雰囲気の所ではない。<br />歩き回ってやっと見つけた食堂ではチキンとビーフの2種類しかメニューがない。<br />ワインもビールも見つからない。<br />やっとガラス瓶に入ったミネラルウォーターを見つけるが、何と1本10ディナール(250円)もする。<br />デパートに入ると棚はにはほとんど物がなく、ただプラスチックのバケツが山のように積んであった。<br />こんな調子では、どう考えても長期に滞在して楽しめる雰囲気の所ではない。<br />物価もモロッコに比べると高いが、実は、これは公定レートでの両替のせいだ。<br />闇両替ならば、もちろん物価は安いが、闇両替してもアルジェリアには、おいしい食べ物も、酒もないのだから、何の意味もない。<br />アルジェでの最初の宿セントラルツーリングホテルは1泊119ディナールした。<br />部屋は、アルジェ港を見下ろす、8Fのバルコニー付の3部屋続きのスイートルームだった。<br />レセプションのおじさん直々に部屋に案内してくれたが、部屋に入ったとたん、すぐに闇両替を勧められる。<br />僕は正直に外貨申告を済ませていたので、こんな所で万が一出国の時に全部調べられたら問題になるという気持ちで断る。<br />アルジェリアに長期滞在するとしたら、砂漠の中のタッシリナジェールの古代壁画見物をするか、それとも、砂漠を縦断してタマンラセト経由でニジェールのアガデスへ入ってブラックアフリカへ向かうか、この二つしかない。<br />僕の場合は、そんな大それたことをする気持ちはなく、単に、チュニジアへ抜けたいだけだ。<br />とにかく、こんな所に長居は無用だ。<br />早速アルジェを脱出しようと、鉄道駅前のバスターミナルに行く。<br />しかし、東エルグ大砂漠を抜けてチュニジアに行く途中の町エルウッドへのバスが満席で取れない。<br />仕方無しに同じ砂漠の町ですこし西に寄ったトゥグールへ向かう。<br />ここで1泊して、翌朝ルアージュ(乗り合いタクシー)でエルウッドへ。<br />この『千のドームの町』と呼ばれるエルウッドもガイドブックには『歩いて1時間で一周できる』なんて書いてあるが、そんなに小さな町ではない。<br />ガイドブックを書いたライターは、本当に自分で歩いて書いているのだろうか。<br />でも、町はずれまで30分も歩いて行って、ちょっと道を外れて、砂丘に入り込んで横たわると、まわりは完全な静寂でサハラ砂漠の真ん中にたった一人でいるような気になる。<br />これはとても素敵だった。<br />エルウッドのホテルの部屋も天井がドームになっていて面白かった。<br />次の朝9時にルアージュ乗り場に行って、国境行きのルアージュ(乗り合いタクシーね)に乗り込む。<br />早すぎたのか、乗客は僕一人だ。<br />運転手は最低4人いなければ出発しないという。<br />1時間ほど待ったころアルジェリア人の新婚カップルがやってきて、その後かっぷくのいい商売人が乗り込んで来た。<br />4人になったので、やれやれこれで出発と思ったら、これからルアージュはエルウッドの町をぐるぐる回り出した。<br />客を捜しているのだ。<br />もういいかげんにしてほしいと思い出したころ、あと2人を乗せて、車は砂漠へと飛び出した。<br />飛び出したというのはまさしくその言葉の通りだ。<br />一直線の道を時速110kmは出している。<br />なぜわかるかというとエルウッドから国境への完全舗装の道には1km毎に距離表示のマーキングがしてあるのだ。<br />まわりは素晴らしい砂丘の連続なのだがそれも30分もすると飽きてしまう。<br />砂漠だけですることがないので、僕はそのマークと腕時計とで時速を計算していたのだ。(さすが京都大学工学部卒の人間は暇のつぶし方が違うね!)<br />突然変な音がして車がガクガクッと揺れて、バタンバタンという音が連続する。<br />車は急にスピードを落とし、砂漠の真ん中で停止する。<br />運転手は車から降りて右後車輪を見ている。<br />僕も車を降りて、パンクしたのかと覗き込むと、そうではなく何とタイヤの表面、トレッドの部分が剥れているのだ。<br />よく見ると、このトレッド自体が手彫りだよ…。<br />つまりどこかでつるつるになるまで使ったタイヤに、手彫りでトレッドを刻み込んでいるという民芸品タイプのタイヤなのだ。<br />タイヤ交換をするかと思うと、そうではない。<br />タイヤの剥れてささくれだった所を手持ちのナイフで削り取る。<br />それで修理は終わり。<br />こんな危険な話はないが、他の誰も何とも言わないので仕方なく乗り込む。<br />ルアージュはその後は慎重に時速80〜90kmの平均時速を保ってようやくボーダーについた。<br />表面は穏やかにしていたが、冷や汗びっしょりだ。<br />やれやれこれでアルジェリアともおさらばだ。<br />2:両替問題<br />ボーダーポストに入ると両替証明書の提示を求められる。<br />僕の場合ビールも飲まなかったし、良いホテルにも泊まらなかったし、バスとルアージュにしか乗ってない。<br />正規で両替したしほとんど毎日移動していたので思ったよりお金はかかったが、それでもこれまでの両替は700ディナールぐらいしかない。<br />1週間の旅だからこんなものだ。<br />『DA1000両替の規則に違反してます』と係官が宣言する。<br />何だって!そんな馬鹿な!<br />それは入国時の強制両替の話で、僕はそれを避けるために、ガイドブックを信じて、わざわざ空港から入国したんだよ。<br />説明するが係官は断固として聞かない。<br />『今ここで不足分の両替をしてもらいます』と言い出す。<br />アルジェリアを出たら交換不能というアルジェリアディナールを、300ディナール、つまり7500円分もここで両替させるなんて、詐欺同然じゃないか。<br />『僕はたった7日しかアルジェリアにいなかったんだよ。闇両替もしてないし、どこでいくら使ったかもノートに記録してあるんだ。700ディナール以上使えないじゃないか』<br />係員は僕の叫び声にうんざりしたのか、別の少し偉いさんのような人に代わった。<br />『規則ですから仕方ないんです』<br />こうなったら泣きつくしかない。<br />『僕は貧乏な日本人学生なんです。強制両替は学生だと半額だと聞いたことがあります。お願いですからその規則を適用して下さい』<br />といってロンドンの語学学校『インターナショナルハウス』のバーパス(ビールを飲める年齢だとの証明書)からでっちあげた国際学生証を見せる。<br />『残念ですが、規則ですからあと300ディナール両替しないと国外には出られません』<br />わかったよ!こんな所には頼まれたってもういたくない。<br />残っていたポンド紙幣とUS$のT/Cでなるべく300ディナール丁度になるように両替をする。<br />僕が大声で言い合いをしていたのを聞いていた黒人が話しかけてきて、慰めてくれる。<br />ここはアルジェリアのボーダーだがさてチュニジアのボーダーはどこなのだろう。<br />尋ねると指さした所は砂漠を一直線に延びた道の向こうにちらっと見える疎らに木の生えたオアシス状の所。<br />『あそこまでどうやって行くの?』<br />『チュニジア国境まで行く車に乗せてもらうか、歩くしかないね』<br />距離は約4kmだという。<br />いつ来るかわからない車を待っているよりは、運命は自分で切り開こう。<br />モロッコ旅行している時から歩くのは慣れている。<br />黒人と一緒に歩き出す。<br />彼はどういう訳かタライを4コほど担いでいる。<br />チュニジアから買い出しに来たというのだが、良く訳の分からない話だ。<br />しかし、アルジェリアの訳のわからなさにはうんざりしていたので、深く追求はしない。<br />彼と並んで歩くのに、手伝わなくては悪いとタライを1ヶ義理で持ってあげる。<br />暑いのでタライを頭にかぶって日よけにして歩いて行く。<br />チュニジアのボーダーまであとちょっとという所で後ろから車が追いついてきて、乗るかどうか聞いてくるが、こうなったら意地でも歩き通したい。断って歩き続ける。<br />一時間かかって国境の砂漠を横断した。<br />今度はチュニジア入国だ。<br />チュニジアは観光立国なので入国に何の問題もない。<br />無事に入国を済ませても、チュニジア国境のポストの周囲には何もない。<br />ここから町へはローカルバスがあるというので、待つことにする。<br />まだ陽は高い。<br />日陰に座り込んで、ぼんやりとバスが来る方向の道を眺めていると、いやに派手なモーターサイクルが2台と4×4が1台やってきた。<br />乗っているのはフランス人のようだ。<br />可愛い女の子もいるし、まるでパリダカールラリーから抜け出して来たような大げさな派手派手ファッションだ。<br />暇なのでフランス語で話しかけてみる。<br />男の子が持っていたオレンジを1個くれた。<br />何をしているのかと聞くので、まだ日本を出て7ヶ月しか経ってなかったが、『世界一周旅行だ』といいかげんなことを言う(この頃は本当に世界一周をするとは思ってなかったのだ。それが現実になっちゃったんだけれどね)。<br />ファッションで負けているので、せめて旅行ぐらい大げさにしようという訳だ。<br />何しろ僕の格好と言ったら、ロンドンで買った香港製の『歩いていると自然にジッパーが下りてくるのでトイレでおしっこをするのにとても便利』なジーンズにアメ横の中田商店で買った米軍のアーミージャケット。<br />靴もぼろぼろのスニーカーだ。<br />映画から抜け出したようなファッションと美男美女のフランス人の、金持ちらしいぴかぴかの車やバイクの横に来るとちょっと恥ずかしい。<br />『いつもヒッチハイクをしているのか』と聞いてくる。<br />彼らは僕が話しかけたのは車に乗せてほしいからだと思っているらしい。<br />それは違う。<br />普通の日本人ならば喜んで乗せて貰って『フランス人の4×4をヒッチして友達になっちゃった』と自慢するのだろうが、僕はこんな外人コンプレックスはない。<br />それに、出来るだけローカルな交通機関を使った方が楽しいと思うしね。<br />「ヒッチするつもりじゃないんだよ」と説明して、彼らを見送る。<br />3:トゥズールで名取裕子と出会う。<br />結局1時間ほど待ったころ、ぼろぼろのローカルバスが到着した。<br />これに乗り込んでトゥズールへたどり着く。<br />途中でこのガイドブック大推薦のネフタという町があるのだが、もう騙されない。<br />バスから見ても何の変哲もないちっぽけな町だ。<br />トゥズールの町に着く。<br />バスにはエルウッドから一緒だった新婚旅行のアルジェリア人夫婦が乗っていた。<br />手元には無理やり両替させられたアルジェリアディナールがある。<br />ガイドブックによるとこの金は国外では紙屑だというのだから持ってても仕方がない。<br />持ってるだけで癪にさわるし、いくらなんでも捨てる訳にはいかない。<br />この新婚夫婦はアルジェリア人なのだから、あげれば役に立つだろう。<br />『新婚旅行のプレゼントだ』と言って、あるったけのDAをバスの降り際に渡したら、二人はポカンとしていた。<br />バスを降りて、誰かに道を聞かなければとまわりをぐるーりと見回すと、いやに大げさにTシャツを肩までまくりあげて頭にタオルを巻き、大きなカメラを振り回している東洋人が目に入った。<br />なんだこりゃ!日本人だよ。<br />そのときは日本のテレビ番組の撮影だ、とピンと来た。<br />こんな所までやってきて、いい加減な情報をもっともらしくでっちあげていると言う訳だ。<br />まあいいさ、こういう連中でも町の地理ぐらいは知っているだろう。<br />『こんにちは!ご苦労さんです。撮影ですか?』と挨拶するが、まるで幽霊でも見るような目で僕を見て、ぼそぼそと挨拶を返す。<br />陰気な連中だなー。<br />どうも頼りにならなさそうなので、横にいた通訳らしい現地人にフランス語で町の中心の方角を聞いて、バックパックを背負ったまま歩き出す。<br />結構まともなホテルオアシス(HOTEL L’OASIS)にチェックインする。<br />136号室。<br />ベランダからひょうたん型のプールが見下ろせるツィンベッドの奇麗な部屋だ。<br />これは観光客用のリゾートホテルだ。<br />しかし料金は日本円で2500円ほど。<br />さっそく水着に着替えてプールサイドに出て、ジャックナイフ型のダイブを繰り返す。<br />フランス人らしい金髪の5〜6歳の男の子が、東洋人を初めて見たのか、口をあんぐり開けて僕を見ていた。<br />プールのまわりはナツメ椰子の林になっている。<br />デッキチェアに横たわって、冷たいビールを飲みほす。<br />チュニジアに入ってやっとビールが飲めて、本当に幸せだ。<br />少し休んだあと町の広場に行き、回りを囲む土産物屋を冷やかす。<br />やはりここは観光地らしく、中には日本語で『安いよ!』と声をかけてくる店まである。<br />アルジェリアと比べると、にぎわいが比較にならない。<br />ちょっと気になって、アルジェリアディナールが両替出来るかどうか聞くとなんと、正規両替の率からはとても悪いレートだが、ディナールだって替えられると言うじゃないか。<br />しまった!<br />あれほど騙されたガイドブックなのに、また信じて、大金を新婚夫婦にあげてしまったのだ…。<br />でも仕方ない。<br />過ぎ去ったことを悔やんでいては旅行は出来ないよ。<br />広場に面した喫茶店のはり出したベランダのテーブルでミルクティーを飲む。<br />向こうから日本人のおばさん連中が3人ほどやってくる。<br />なんてこった!ここへは日本からのツアーまで来てるのだ。<br />中年のおばさんたちらしいが、真ん中を歩いてくるのはまあまあのレベルだ。<br />僕の部屋はツィンのシングルユースなので、引っかけて久しぶりに一発やっても良い。<br />砂漠のオアシス都市でのアフタヌーンSEXは良い土産話になるだろうからね。<br />『お茶でも飲みませんかぁー?』と、明るく声をかける。<br />3人は僕に近づいて来た。<br />1人が『あなたスタッフの人?』と聞く。<br />いやに態度の大きい女だ。<br />でも良く見ると、どこかで見たことがある顔だ。<br />これはたしか映画女優様じゃないか!<br />『あ〜っ!有名人だ!』と叫んでしまった。<br />しかしどうしても名前を思い出せない。<br />チュニスで出会った日本人にいろいろと特徴を話して名前を教えて貰ったのだが、彼女は『名取裕子』(注)という人であった。<br />パリダカールラリーの映画の撮影で来ていたらしい。<br />危うく女優と寝る所だったという話だ。<br />スタイリストとかいうお付の女がいなければセックスできたかもしれないが、愛はいつも気まぐれなものさ。<br />日本でホテルオークラのペントハウスに泊まった時以来の久しぶりの豪華な部屋で、眠るのがもったいなく、夜は遅くまで起きて考えていた。<br />このガイドブックにはモロッコでもアルジェリアでもとことん騙されたが、こうなるとチュニジアではどうなのか確かめたくなるのが人情だ。<br />『もっともっと騙して』というマゾヒスティックな快感で、この後『精緻な金細工で有名』で『ビーチのホテルはコートダジュールのよう』と書いてあるジェルバ島に向かった<br />が、期待通りこれも奇麗な嘘だった。<br />これで終わりかというと、その後のチュニスの情報も頭が痛くなるほどいい加減なでっち上げだった。<br />ガイドブックがこれほど最初から最後までいい加減なものだとはっきり悟ったのはこの『マグレブ3ヶ国騙され続け旅行』のせいだ。<br />途中で何度もこの出版社に手紙を書いて『嘘つき野郎!金返せ』と心のこもった懇切丁寧なアドバイスをしてあげたのだ。<br />しばらくしてこの『北アフリカ編』は絶版になった。<br />日本に帰って、アドバイスの手紙を書いたのは僕だから図書券でもくれ、とヒントを出したのだけれど無視されて、ただ宣伝用パンフレットを送りつけてきた。<br />礼儀とか感謝というものを知らない心の貧しい人たちだ。<br />このガイドブックの名前は皆もう解っていると思う。<br />『騙し方』とか『迷い方』とか言われている例の本だ。<br />この本には『南米編』でもやられたが、この時はその嘘を楽しむような使い方をしていたので実害はなかった。<br />信じさえしなければこのガイドブックは結構面白い。<br />でもそのことはまた別の機会に語ろう。<br />(注)この映画は、「海へ See you」という高倉健主演のパリダカールラリーを描いた1988年東宝作品なのだが、出演者リストに名取裕子の名前がないんだけれど、僕はゼッタイに名取裕子だと思います。<br />【旅行哲学】旅の情報も両替話も現地に行って自分でぶつからなければ、本当のことはわからない。<br /><br />http://www.midokutsu.com/africa/natori_yuko.htm<br />

《アルジェリアからチュニジアへ、砂漠の国境をタライを持って越えると、そこには名取裕子が…》

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1988/04 - 1988/04

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みどりのくつした

みどりのくつしたさん

エル・ウッド(アルジェリア)〜トゥズール(チュニジア)1988年 (北アフリカ三国のガイドブックに、どこまでもだまされ続けた話)
ガイドブックに騙され続けて 両替で大損をして 名取裕子に会う

1:ガイドブックを信じて騙されつづける

わざわざ日本からバルセロナのスペイン語学校気付で送らせたガイドブックに騙され続けている。
最初は『モロッコでは東京銀行の円のチェックは通用しない』次は『首都のラバトではアルジェリアのビザは取れない』という非常に重要な、基本的な情報が間違っていたのだ。
スペインにいたとき、ガイドブックを信じて『モロッコでは東銀の円のチェックが通用しない』と思いこんで(僕が東銀の円のチェックを大量に、と言っても200万円ぐらいだけど、持っていた理由は『意地悪することだけが楽しみの東銀の窓口女』というエッセイで説明するかも知れない)結構な額の円をペセタのキャッシュにした。
ペセタならば北アフリカでも通用すると考えたからだ(もちろん、この考え方自体は正しかった)。
しかし、これはとんでもない嘘で、試しにやってみたら、何の問題もなく、東京銀行の円のトラベラーズチェックをモロッコディルハムに換えてくれたのだ。
モロッコ滞在用の金を、このガイドブックを信じて、一度ペセタに替えてそれをモロッコディルハムにしていたので、その手数料などで馬鹿にならない額の損を出している。
次の『ラバトではビザは取れない』という記事も信じて、わざわざラバトではなくて、カサブランカのアルジェリア領事館でビザを取った。
ラバトのアルジェリア大使館ならば町のど真ん中、歩いていける所にあるのだが、カサブランカではタクシーに乗らなければいけない遠い所で、翌日発給のためタクシーに行き帰りを合わせて4回も乗らなくてはならなかった。
これも普通タクシーなんかに乗らない僕に取ってはいたい出費だ。
この情報も、アルジェで会った日本人学生がラバトでビザを取っていたので、このガイドブックの嘘だとわかった。
モロッコからアルジェリアへは飛行機を使った。
その理由も、このガイドブックにモロッコからアルジェリアを陸路で越えるのがどんなに大変か書いてあったからだ。
『北のウジダでは国境で追い返され、南のフィギグではパンツを脱がされるほど厳しいチェックがある』というのだ。
国境を通るのに、チンコを見せるなんて、そんなのはいやだよ。
それにアルジェリアには千ディナール(DA1000)の強制両替制度がある。
この時期公定レートが1ディナール=25円なので、千ディナールとなれば2万5千円だ。
このガイドブックによれば『飛行機で入国する場合は強制両替がない』という。
それならば、飛行機で入国した方がいいに決まっているよね。
僕はアルジェリア自体には特に興味を持ってる訳でもないし、急いでマグレブ3国(モロッコ・アルジェリア・チュニジア)を通り過ぎてイタリアへ渡り、ロンドンへ戻るのが今回の計画。
こんな大金を両替してしまったら絶対に使い切れないんだしさ。
しかもアルジェリアディナールは国外では全く通用せず、アルジェリアを出たとたん紙くずになる、とも書いてある。
ただ通り過ぎるだけの興味のない国で、強勢両替で2万5千円も使うような馬鹿なことはしたくない。
アルジェの空港では外貨申告書に手持ちの金を全部書き込む。
空港の両替所で£40(スターリングポンド)をDA385.20(アルジェリアディナール)に交換する。
確かに空港では強制両替はないようだ。
地中海に面した首都アルジェは、遠くから見るとすごく奇麗なのだが、この時期すごくさびれていて、食堂を捜すのでさえ大変苦労した。
ガイドブックには『海沿いのすてきなレストランでシーフード料理を楽しむ』などと書いてあるが、とてもそんな雰囲気の所ではない。
歩き回ってやっと見つけた食堂ではチキンとビーフの2種類しかメニューがない。
ワインもビールも見つからない。
やっとガラス瓶に入ったミネラルウォーターを見つけるが、何と1本10ディナール(250円)もする。
デパートに入ると棚はにはほとんど物がなく、ただプラスチックのバケツが山のように積んであった。
こんな調子では、どう考えても長期に滞在して楽しめる雰囲気の所ではない。
物価もモロッコに比べると高いが、実は、これは公定レートでの両替のせいだ。
闇両替ならば、もちろん物価は安いが、闇両替してもアルジェリアには、おいしい食べ物も、酒もないのだから、何の意味もない。
アルジェでの最初の宿セントラルツーリングホテルは1泊119ディナールした。
部屋は、アルジェ港を見下ろす、8Fのバルコニー付の3部屋続きのスイートルームだった。
レセプションのおじさん直々に部屋に案内してくれたが、部屋に入ったとたん、すぐに闇両替を勧められる。
僕は正直に外貨申告を済ませていたので、こんな所で万が一出国の時に全部調べられたら問題になるという気持ちで断る。
アルジェリアに長期滞在するとしたら、砂漠の中のタッシリナジェールの古代壁画見物をするか、それとも、砂漠を縦断してタマンラセト経由でニジェールのアガデスへ入ってブラックアフリカへ向かうか、この二つしかない。
僕の場合は、そんな大それたことをする気持ちはなく、単に、チュニジアへ抜けたいだけだ。
とにかく、こんな所に長居は無用だ。
早速アルジェを脱出しようと、鉄道駅前のバスターミナルに行く。
しかし、東エルグ大砂漠を抜けてチュニジアに行く途中の町エルウッドへのバスが満席で取れない。
仕方無しに同じ砂漠の町ですこし西に寄ったトゥグールへ向かう。
ここで1泊して、翌朝ルアージュ(乗り合いタクシー)でエルウッドへ。
この『千のドームの町』と呼ばれるエルウッドもガイドブックには『歩いて1時間で一周できる』なんて書いてあるが、そんなに小さな町ではない。
ガイドブックを書いたライターは、本当に自分で歩いて書いているのだろうか。
でも、町はずれまで30分も歩いて行って、ちょっと道を外れて、砂丘に入り込んで横たわると、まわりは完全な静寂でサハラ砂漠の真ん中にたった一人でいるような気になる。
これはとても素敵だった。
エルウッドのホテルの部屋も天井がドームになっていて面白かった。
次の朝9時にルアージュ乗り場に行って、国境行きのルアージュ(乗り合いタクシーね)に乗り込む。
早すぎたのか、乗客は僕一人だ。
運転手は最低4人いなければ出発しないという。
1時間ほど待ったころアルジェリア人の新婚カップルがやってきて、その後かっぷくのいい商売人が乗り込んで来た。
4人になったので、やれやれこれで出発と思ったら、これからルアージュはエルウッドの町をぐるぐる回り出した。
客を捜しているのだ。
もういいかげんにしてほしいと思い出したころ、あと2人を乗せて、車は砂漠へと飛び出した。
飛び出したというのはまさしくその言葉の通りだ。
一直線の道を時速110kmは出している。
なぜわかるかというとエルウッドから国境への完全舗装の道には1km毎に距離表示のマーキングがしてあるのだ。
まわりは素晴らしい砂丘の連続なのだがそれも30分もすると飽きてしまう。
砂漠だけですることがないので、僕はそのマークと腕時計とで時速を計算していたのだ。(さすが京都大学工学部卒の人間は暇のつぶし方が違うね!)
突然変な音がして車がガクガクッと揺れて、バタンバタンという音が連続する。
車は急にスピードを落とし、砂漠の真ん中で停止する。
運転手は車から降りて右後車輪を見ている。
僕も車を降りて、パンクしたのかと覗き込むと、そうではなく何とタイヤの表面、トレッドの部分が剥れているのだ。
よく見ると、このトレッド自体が手彫りだよ…。
つまりどこかでつるつるになるまで使ったタイヤに、手彫りでトレッドを刻み込んでいるという民芸品タイプのタイヤなのだ。
タイヤ交換をするかと思うと、そうではない。
タイヤの剥れてささくれだった所を手持ちのナイフで削り取る。
それで修理は終わり。
こんな危険な話はないが、他の誰も何とも言わないので仕方なく乗り込む。
ルアージュはその後は慎重に時速80〜90kmの平均時速を保ってようやくボーダーについた。
表面は穏やかにしていたが、冷や汗びっしょりだ。
やれやれこれでアルジェリアともおさらばだ。
2:両替問題
ボーダーポストに入ると両替証明書の提示を求められる。
僕の場合ビールも飲まなかったし、良いホテルにも泊まらなかったし、バスとルアージュにしか乗ってない。
正規で両替したしほとんど毎日移動していたので思ったよりお金はかかったが、それでもこれまでの両替は700ディナールぐらいしかない。
1週間の旅だからこんなものだ。
『DA1000両替の規則に違反してます』と係官が宣言する。
何だって!そんな馬鹿な!
それは入国時の強制両替の話で、僕はそれを避けるために、ガイドブックを信じて、わざわざ空港から入国したんだよ。
説明するが係官は断固として聞かない。
『今ここで不足分の両替をしてもらいます』と言い出す。
アルジェリアを出たら交換不能というアルジェリアディナールを、300ディナール、つまり7500円分もここで両替させるなんて、詐欺同然じゃないか。
『僕はたった7日しかアルジェリアにいなかったんだよ。闇両替もしてないし、どこでいくら使ったかもノートに記録してあるんだ。700ディナール以上使えないじゃないか』
係員は僕の叫び声にうんざりしたのか、別の少し偉いさんのような人に代わった。
『規則ですから仕方ないんです』
こうなったら泣きつくしかない。
『僕は貧乏な日本人学生なんです。強制両替は学生だと半額だと聞いたことがあります。お願いですからその規則を適用して下さい』
といってロンドンの語学学校『インターナショナルハウス』のバーパス(ビールを飲める年齢だとの証明書)からでっちあげた国際学生証を見せる。
『残念ですが、規則ですからあと300ディナール両替しないと国外には出られません』
わかったよ!こんな所には頼まれたってもういたくない。
残っていたポンド紙幣とUS$のT/Cでなるべく300ディナール丁度になるように両替をする。
僕が大声で言い合いをしていたのを聞いていた黒人が話しかけてきて、慰めてくれる。
ここはアルジェリアのボーダーだがさてチュニジアのボーダーはどこなのだろう。
尋ねると指さした所は砂漠を一直線に延びた道の向こうにちらっと見える疎らに木の生えたオアシス状の所。
『あそこまでどうやって行くの?』
『チュニジア国境まで行く車に乗せてもらうか、歩くしかないね』
距離は約4kmだという。
いつ来るかわからない車を待っているよりは、運命は自分で切り開こう。
モロッコ旅行している時から歩くのは慣れている。
黒人と一緒に歩き出す。
彼はどういう訳かタライを4コほど担いでいる。
チュニジアから買い出しに来たというのだが、良く訳の分からない話だ。
しかし、アルジェリアの訳のわからなさにはうんざりしていたので、深く追求はしない。
彼と並んで歩くのに、手伝わなくては悪いとタライを1ヶ義理で持ってあげる。
暑いのでタライを頭にかぶって日よけにして歩いて行く。
チュニジアのボーダーまであとちょっとという所で後ろから車が追いついてきて、乗るかどうか聞いてくるが、こうなったら意地でも歩き通したい。断って歩き続ける。
一時間かかって国境の砂漠を横断した。
今度はチュニジア入国だ。
チュニジアは観光立国なので入国に何の問題もない。
無事に入国を済ませても、チュニジア国境のポストの周囲には何もない。
ここから町へはローカルバスがあるというので、待つことにする。
まだ陽は高い。
日陰に座り込んで、ぼんやりとバスが来る方向の道を眺めていると、いやに派手なモーターサイクルが2台と4×4が1台やってきた。
乗っているのはフランス人のようだ。
可愛い女の子もいるし、まるでパリダカールラリーから抜け出して来たような大げさな派手派手ファッションだ。
暇なのでフランス語で話しかけてみる。
男の子が持っていたオレンジを1個くれた。
何をしているのかと聞くので、まだ日本を出て7ヶ月しか経ってなかったが、『世界一周旅行だ』といいかげんなことを言う(この頃は本当に世界一周をするとは思ってなかったのだ。それが現実になっちゃったんだけれどね)。
ファッションで負けているので、せめて旅行ぐらい大げさにしようという訳だ。
何しろ僕の格好と言ったら、ロンドンで買った香港製の『歩いていると自然にジッパーが下りてくるのでトイレでおしっこをするのにとても便利』なジーンズにアメ横の中田商店で買った米軍のアーミージャケット。
靴もぼろぼろのスニーカーだ。
映画から抜け出したようなファッションと美男美女のフランス人の、金持ちらしいぴかぴかの車やバイクの横に来るとちょっと恥ずかしい。
『いつもヒッチハイクをしているのか』と聞いてくる。
彼らは僕が話しかけたのは車に乗せてほしいからだと思っているらしい。
それは違う。
普通の日本人ならば喜んで乗せて貰って『フランス人の4×4をヒッチして友達になっちゃった』と自慢するのだろうが、僕はこんな外人コンプレックスはない。
それに、出来るだけローカルな交通機関を使った方が楽しいと思うしね。
「ヒッチするつもりじゃないんだよ」と説明して、彼らを見送る。
3:トゥズールで名取裕子と出会う。
結局1時間ほど待ったころ、ぼろぼろのローカルバスが到着した。
これに乗り込んでトゥズールへたどり着く。
途中でこのガイドブック大推薦のネフタという町があるのだが、もう騙されない。
バスから見ても何の変哲もないちっぽけな町だ。
トゥズールの町に着く。
バスにはエルウッドから一緒だった新婚旅行のアルジェリア人夫婦が乗っていた。
手元には無理やり両替させられたアルジェリアディナールがある。
ガイドブックによるとこの金は国外では紙屑だというのだから持ってても仕方がない。
持ってるだけで癪にさわるし、いくらなんでも捨てる訳にはいかない。
この新婚夫婦はアルジェリア人なのだから、あげれば役に立つだろう。
『新婚旅行のプレゼントだ』と言って、あるったけのDAをバスの降り際に渡したら、二人はポカンとしていた。
バスを降りて、誰かに道を聞かなければとまわりをぐるーりと見回すと、いやに大げさにTシャツを肩までまくりあげて頭にタオルを巻き、大きなカメラを振り回している東洋人が目に入った。
なんだこりゃ!日本人だよ。
そのときは日本のテレビ番組の撮影だ、とピンと来た。
こんな所までやってきて、いい加減な情報をもっともらしくでっちあげていると言う訳だ。
まあいいさ、こういう連中でも町の地理ぐらいは知っているだろう。
『こんにちは!ご苦労さんです。撮影ですか?』と挨拶するが、まるで幽霊でも見るような目で僕を見て、ぼそぼそと挨拶を返す。
陰気な連中だなー。
どうも頼りにならなさそうなので、横にいた通訳らしい現地人にフランス語で町の中心の方角を聞いて、バックパックを背負ったまま歩き出す。
結構まともなホテルオアシス(HOTEL L’OASIS)にチェックインする。
136号室。
ベランダからひょうたん型のプールが見下ろせるツィンベッドの奇麗な部屋だ。
これは観光客用のリゾートホテルだ。
しかし料金は日本円で2500円ほど。
さっそく水着に着替えてプールサイドに出て、ジャックナイフ型のダイブを繰り返す。
フランス人らしい金髪の5〜6歳の男の子が、東洋人を初めて見たのか、口をあんぐり開けて僕を見ていた。
プールのまわりはナツメ椰子の林になっている。
デッキチェアに横たわって、冷たいビールを飲みほす。
チュニジアに入ってやっとビールが飲めて、本当に幸せだ。
少し休んだあと町の広場に行き、回りを囲む土産物屋を冷やかす。
やはりここは観光地らしく、中には日本語で『安いよ!』と声をかけてくる店まである。
アルジェリアと比べると、にぎわいが比較にならない。
ちょっと気になって、アルジェリアディナールが両替出来るかどうか聞くとなんと、正規両替の率からはとても悪いレートだが、ディナールだって替えられると言うじゃないか。
しまった!
あれほど騙されたガイドブックなのに、また信じて、大金を新婚夫婦にあげてしまったのだ…。
でも仕方ない。
過ぎ去ったことを悔やんでいては旅行は出来ないよ。
広場に面した喫茶店のはり出したベランダのテーブルでミルクティーを飲む。
向こうから日本人のおばさん連中が3人ほどやってくる。
なんてこった!ここへは日本からのツアーまで来てるのだ。
中年のおばさんたちらしいが、真ん中を歩いてくるのはまあまあのレベルだ。
僕の部屋はツィンのシングルユースなので、引っかけて久しぶりに一発やっても良い。
砂漠のオアシス都市でのアフタヌーンSEXは良い土産話になるだろうからね。
『お茶でも飲みませんかぁー?』と、明るく声をかける。
3人は僕に近づいて来た。
1人が『あなたスタッフの人?』と聞く。
いやに態度の大きい女だ。
でも良く見ると、どこかで見たことがある顔だ。
これはたしか映画女優様じゃないか!
『あ〜っ!有名人だ!』と叫んでしまった。
しかしどうしても名前を思い出せない。
チュニスで出会った日本人にいろいろと特徴を話して名前を教えて貰ったのだが、彼女は『名取裕子』(注)という人であった。
パリダカールラリーの映画の撮影で来ていたらしい。
危うく女優と寝る所だったという話だ。
スタイリストとかいうお付の女がいなければセックスできたかもしれないが、愛はいつも気まぐれなものさ。
日本でホテルオークラのペントハウスに泊まった時以来の久しぶりの豪華な部屋で、眠るのがもったいなく、夜は遅くまで起きて考えていた。
このガイドブックにはモロッコでもアルジェリアでもとことん騙されたが、こうなるとチュニジアではどうなのか確かめたくなるのが人情だ。
『もっともっと騙して』というマゾヒスティックな快感で、この後『精緻な金細工で有名』で『ビーチのホテルはコートダジュールのよう』と書いてあるジェルバ島に向かった
が、期待通りこれも奇麗な嘘だった。
これで終わりかというと、その後のチュニスの情報も頭が痛くなるほどいい加減なでっち上げだった。
ガイドブックがこれほど最初から最後までいい加減なものだとはっきり悟ったのはこの『マグレブ3ヶ国騙され続け旅行』のせいだ。
途中で何度もこの出版社に手紙を書いて『嘘つき野郎!金返せ』と心のこもった懇切丁寧なアドバイスをしてあげたのだ。
しばらくしてこの『北アフリカ編』は絶版になった。
日本に帰って、アドバイスの手紙を書いたのは僕だから図書券でもくれ、とヒントを出したのだけれど無視されて、ただ宣伝用パンフレットを送りつけてきた。
礼儀とか感謝というものを知らない心の貧しい人たちだ。
このガイドブックの名前は皆もう解っていると思う。
『騙し方』とか『迷い方』とか言われている例の本だ。
この本には『南米編』でもやられたが、この時はその嘘を楽しむような使い方をしていたので実害はなかった。
信じさえしなければこのガイドブックは結構面白い。
でもそのことはまた別の機会に語ろう。
(注)この映画は、「海へ See you」という高倉健主演のパリダカールラリーを描いた1988年東宝作品なのだが、出演者リストに名取裕子の名前がないんだけれど、僕はゼッタイに名取裕子だと思います。
【旅行哲学】旅の情報も両替話も現地に行って自分でぶつからなければ、本当のことはわからない。

http://www.midokutsu.com/africa/natori_yuko.htm

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