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●新春の古都 奈良(★世界文化遺産:東大寺)<br /><br />http://www.todaiji.or.jp/<br /><br />華厳宗大本山の仏教寺院、「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。<br /><br />奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。<br />

新春の古都 奈良(★世界文化遺産:東大寺)

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2008/01/03 - 2008/01/03

1303位(同エリア3619件中)

    25

    ●新春の古都 奈良(★世界文化遺産:東大寺)

    http://www.todaiji.or.jp/

    華厳宗大本山の仏教寺院、「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。

    奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約100メートル)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。

    交通手段
    JRローカル

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    • 南大門

      南大門

    • 南大門(国宝)<br /><br />平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。<br /><br />俊乗坊重源が宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用。<br /><br />●木造金剛力士立像(国宝) <br />高さ8.4メートルの巨大な木像。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。

      南大門(国宝)

      平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。

      俊乗坊重源が宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様・てんじくようともいう)を採用。

      ●木造金剛力士立像(国宝)
      高さ8.4メートルの巨大な木像。門の向かって右に吽形(うんぎょう、口を閉じた像)、左に阿形(あぎょう、口を開いた像)を安置する。

    • 鏡池からの中門と大仏殿(後方)

      鏡池からの中門と大仏殿(後方)

    • 鏡池からの中門(左)と大仏殿(右)

      鏡池からの中門(左)と大仏殿(右)

    • 中門(重要文化財)<br /><br />入母屋造の楼門(2階建ての門)<br />享保元年(1716年)頃の再建。

      中門(重要文化財)

      入母屋造の楼門(2階建ての門)
      享保元年(1716年)頃の再建。

    • この左側が入口、正面は中門

      この左側が入口、正面は中門

    • 大仏殿<br /><br />正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルである。高さと奥行は創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86メートル)の約3分の2になっている。木造建築としては、明治時代に建てられた東本願寺御影堂とともに日本最大級のものである。

      大仏殿

      正面の幅(東西)57.5メートル、奥行50.5メートル、棟までの高さ49.1メートルである。高さと奥行は創建当時とほぼ同じだが、幅は創建当時(約86メートル)の約3分の2になっている。木造建築としては、明治時代に建てられた東本願寺御影堂とともに日本最大級のものである。

    • 大仏殿

      大仏殿

    • 大仏殿<br /><br />●大仏には、完成後数十年にして亀裂や傾きが生じ、斉衡2年(855年)の地震では首が落ちるという事故があったが、ほどなく修理されている。その後大仏および大仏殿は、源平争乱期(平重衡によって)と、戦国時代(松永久秀によって)の2回、兵火で焼失している。<br />

      大仏殿

      ●大仏には、完成後数十年にして亀裂や傾きが生じ、斉衡2年(855年)の地震では首が落ちるという事故があったが、ほどなく修理されている。その後大仏および大仏殿は、源平争乱期(平重衡によって)と、戦国時代(松永久秀によって)の2回、兵火で焼失している。

    • 大仏殿

      大仏殿

    • 奈良の大仏(高さ約14.7M)<br /><br />正式には東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)と言われ、金堂(大仏殿)の本尊である。<br /><br />聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたが、現存する像は中世・近世の補修がはなはだしく、当初の部分は台座、腹、指の一部などごく一部が残るにすぎない。<br />頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代から室町時代の補修であるが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部天平時代の部分も残っている。

      奈良の大仏(高さ約14.7M)

      正式には東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)と言われ、金堂(大仏殿)の本尊である。

      聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたが、現存する像は中世・近世の補修がはなはだしく、当初の部分は台座、腹、指の一部などごく一部が残るにすぎない。
      頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代から室町時代の補修であるが、台座、右の脇腹、両腕から垂れ下がる袖、大腿部などに一部天平時代の部分も残っている。

    • 奈良の大仏<br /><br />※大仏造立の経緯(「東大寺要録」より)<br /><br />741年(天平13年) - 聖武天皇が国分寺・国分尼寺建立の詔(みことのり)を発する。 <br />743年(天平15年) - 聖武天皇が近江国紫香楽宮(しがらきのみや)にて大仏造立の詔を発する。紫香楽宮近くの甲賀寺にて大仏造立が開始される。 <br />745年(天平17年) - 恭仁宮、紫香楽宮、難波宮を転々としていた都が5年ぶりに平城京に戻る。大仏造立も今の東大寺の地であらためて開始される。 <br />746年(天平18年) - 大仏鋳造のための原型が完成。 <br />747年(天平19年) - 大仏の鋳造開始。 <br />749年(天平勝宝元年) - 大仏の鋳造終了。 <br />752年(天平勝宝4年)4月9日 - 大仏開眼供養会(魂入れの儀式)が盛大に開催される。<br /><br />当初は滋賀県の甲賀市に造られる計画だったんですねえ〜都の移動(平城京)とともに奈良に落ち着いたようです。<br /><br />

      奈良の大仏

      ※大仏造立の経緯(「東大寺要録」より)

      741年(天平13年) - 聖武天皇が国分寺・国分尼寺建立の詔(みことのり)を発する。
      743年(天平15年) - 聖武天皇が近江国紫香楽宮(しがらきのみや)にて大仏造立の詔を発する。紫香楽宮近くの甲賀寺にて大仏造立が開始される。
      745年(天平17年) - 恭仁宮、紫香楽宮、難波宮を転々としていた都が5年ぶりに平城京に戻る。大仏造立も今の東大寺の地であらためて開始される。
      746年(天平18年) - 大仏鋳造のための原型が完成。
      747年(天平19年) - 大仏の鋳造開始。
      749年(天平勝宝元年) - 大仏の鋳造終了。
      752年(天平勝宝4年)4月9日 - 大仏開眼供養会(魂入れの儀式)が盛大に開催される。

      当初は滋賀県の甲賀市に造られる計画だったんですねえ〜都の移動(平城京)とともに奈良に落ち着いたようです。

    • 虚空蔵菩薩像<br />

      虚空蔵菩薩像

    • 二月堂

      二月堂

    • 二月堂(国宝)<br /><br />旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名がある

      二月堂(国宝)

      旧暦2月に「お水取り」(修二会)が行われることからこの名がある

    • 二月堂

      二月堂

    • 二月堂

      二月堂

    • 二月堂

      二月堂

    • 二月堂からの眺望

      二月堂からの眺望

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