2007/12/01 - 2007/12/01
349位(同エリア395件中)
のださん
またぐるっとパスを使い倒すことを考えていますが、今回は江東区にある中川船番所資料館、芭蕉記念館、深川江戸資料館を訪問し、関連する寺社などを回ります。
普段は江東区に行くこともあまりありませんが、歴史を感じられる箇所が多く存在するというイメージがありますし、この機会に少し学んでみたいと思います。
今日は特に松尾芭蕉関連の史跡が多くなりそうです。
松尾芭蕉と言えば深川ですしね。
かなり体力的・時間的にきついですが、中川船番所資料館→芭蕉記念館→深川江戸資料館の順に、その周辺の史跡も併せて見ていきます。
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都営新宿線の東大島駅に着いたのが10時。
予定より30分以上も遅れていますが、朝だらだらと過ごす私にはいつものことです。
4、5分ほど歩いて中川船番所資料館に到着。
結構立派な構えですね。
名前だけ聞いて勝手にぼろいイメージを持っていましたが、こちらの資料館は比較的新しいようで、館内も驚くほどきれいです。
特別企画展が先週終わってしまったのがちょっと残念。 -
3Fまで上がって展示室です。
撮影が許可されているのは、番所のジオラマと展望室からの風景のみです。
主に行徳の塩を江戸に運ぶために、徳川家康が小名木四郎兵衛という人物に開削させた運河が小名木川。
その小名木川の河口に設置され、江戸を出入りする船を取り締まった関所が中川番所です。
その一部をこちらのジオラマで再現しています。 -
展望室から東側を眺めてみます。
中川大橋が見えます。
流れているのは旧中川。
元々中川があったが、荒川ができてから中川が分断され、こちらの河川は旧中川と呼ぶようになった、みたいな話は聞きましたが、よくわかりません。 -
中川船番所資料館を出て、南側に進みます。
「中川船番所跡」の説明板のみがポツンと立っています。
あれ、こちらに石柱があるという話を聞いていましたが、もうなくなったのでしょうか? -
船番所跡から河川を見てみます。
南側を向いているので、ここから右側に入っていくのが小名木川です。 -
番所橋という橋の西側まで来ました。
小名木川沿いに立ち西を向いています。
ここは「小名木川しおのみち」という遊歩道だそうです。
ここから隅田川まで続くわけですね。 -
真言宗の稲荷山小名院・宝塔寺へ参拝します。
小名木川からはちょっと北へずれたところにあります。 -
塩舐め地蔵。
元は小名木川沿いにあったものを昭和初期にこちらに移したのだそうです。
小名木川や行徳道を通る商人が、この地蔵の前で休息し、塩を供えたのが起源だと伝えられています。
航海安全・商売繁盛を祈願したのでしょう。
実際に今でもお供え物として塩が置かれています。
仏前の塩をいぼにぬると治ることから、別名いぼ取り地蔵とも呼ばれるそうです。 -
小名木川沿いを西へ進み、大島稲荷神社までやってきました。
ここまで来ると、最寄り駅は東大島駅ではなく大島駅です。 -
鳥居の前に、松尾芭蕉像。
左に見える女木塚に、「秋に添て 行くはや末は 小松川」と彫られています。
神社の前を流れる小名木川に舟を浮かべて詠んだ句だそうです。
右側の句碑は、有名な「五月雨を あつめて早し 最上川」とあるように私には見えますが、なぜこの句がここにあるのかはわかりません。 -
都営新宿線で大島駅から森下駅まで来ました。
その南側に深川神明宮があります。
寿老人も鎮座しています。
その昔、徳川家康が鷹狩りでこの地に立ち寄った際、深川八郎右衛門に地名を尋ねると、まだないと言う。
そこで家康は八郎右衛門に「深川」を地名にするように命じました。
ところで、幼稚園が隣接されていますが、幼稚園児だけでなく小学生、そしてその親たちもがやがや騒ぎまくっています。
今日は何があるのか知らないが、神社の荘厳な雰囲気をめちゃくちゃにぶち壊してくれています。 -
本殿。
祭神は天照大御神。
深川八郎右衛門が伊勢神宮から勧請しました。 -
ちょっと南側。
高橋商店街というそうですが、「のらくろーど」という愛称がついています。
この近くに「田河水泡・のらくろ館」があります。
田河水泡ゆかりの地だそうです。
この界隈を高橋といい、ここからさらに南へ行くと高橋という橋が架かっています。
江戸時代の木橋は、優美な橋脚の高い橋だったそうです。 -
西へ向かい、旧新大橋跡の碑を見つけました。
墨田川3番目の橋として、すでに大橋と呼ばれていた両国橋と区別するために新大橋と名付けたそうですが、当時はここにあったということですね。
この通りは万年橋通りと言います。 -
そしてちょっと北へ行くと、芭蕉記念館。
3階建てで、館内はそんなに広くはないです。
撮影は禁止。
「江東地域のゆかりの人物」という企画展を行っており、常設展よりもそちらのほうがメインのような気がします。
もちろん、芭蕉ゆかりの人物も多く紹介されています。 -
記念館前の日本庭園もまた素晴らしい。
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「草の戸も 住み替る代ぞ ひなの家」
奥の細道へ旅立つ前に、芭蕉庵から採荼庵へ移った際に詠んだ句です。 -
築山に上ってみると、例の「ふる池や・・・」の句碑。
この「ふる池や・・・」句碑は、他にも深川界隈の何箇所かで見られるようです。 -
隅田川沿いを歩いてみます。
北側を向けば、あれが新大橋ですね。
名所江戸百景の中でも特に傑作とされ、ゴッホも模写した「大はしあたけの夕立」の舞台となった橋です。
松尾芭蕉は、橋の工事から完成までを近くで見ており、工事中の橋について
「初雪や かけかかりたる 橋の上」
と詠んでいます。
また、橋が完成すると、
「ありがたや いただひて踏む はしの霜」
とも詠んでいます。 -
史跡展望庭園にやってきました。
もちろん松尾芭蕉さんが迎えてくださいます。 -
芭蕉が生えています。
間近で見たことはあまりないなあ。
初めてかな? -
展望台から南のほうを向いてみます。
左側から小名木川が合流しています。
というより小名木川って東西のどちらに流れているのでしょうか?
見える橋は清洲橋。
ケルンの吊橋をモデルにし、隅田川で最も美しい橋と言われています。 -
正木稲荷神社。
創建はよくわかっていないそうです。
腫れ物に効く神様であるらしく、曲亭(滝沢)馬琴の妻お百も、腫れ物平癒の願掛けに参詣した記録があるのだとか。 -
芭蕉稲荷神社。
「芭蕉庵跡」の碑も見えます。
ここを深川芭蕉庵と称して本拠地としたそうです。
草庵を提供したのが、芭蕉門下でもあった杉山杉風という人物です。 -
ここにも「ふる池や・・・」の句碑があります。
カエルさんがいますけども、説明板によると、大正6年の津波来襲の後、たまたま芭蕉愛好の石造りのカエルが見つかった、とのことです。
だからここに芭蕉稲荷を祀っているのだそうです。
その見つかったカエルというのはこちらのものではないみたいです。 -
萬年橋。
名所江戸百景の中でもインパクトが強い、深川萬年橋という作品があります。
亀を吊るしていて、思わずにっこりしてしまう画です。
富嶽三十六景の中にも萬年橋が登場します。
この橋の北岸(今私が立っている辺り?)に、中川番所ができる前の番所があったそうです。
これは中川船番所資料館でも書かれてあったことですけど、名前は何だったっけ?
深川番所だっけ?
忘れてしまった。 -
萬年橋から、隅田川と小名木川の合流地点を眺めてみます。
小名木川の東端から西端まで来たということですね。
現代は電車(地下鉄)があるので楽ですね。 -
深川稲荷神社。
布袋尊を祀っています。
創建は1630年(寛永7年)というから、この界隈では古いほうでしょう。 -
深川稲荷神社から南へ進み、臨済宗妙心寺派・臨川寺へ。
茨城鹿島根本寺の冷山和尚が1653年に草庵を結んだことが始まりで、その弟子の仏頂禅師が1713年に創建したそうです。
1680年に深川に移り住んだ松尾芭蕉は仏頂禅師と親交が厚く、参禅していたとのことです。
寺自体が建立されたのは芭蕉の死後ですね。 -
芭蕉由緒の碑、(芭蕉)墨直しの碑、玄武佛碑、梅花佛碑。
梅花佛碑は、芭蕉門下の各務支考のものです。
この梅花佛碑を建てたのが、神谷玄武。
神谷玄武は、各務支考により建てられた芭蕉墨直しの墨跡を写して臨川寺に建て、毎年3月に墨直会を催したそうです。 -
臨川寺の南側に位置する、浄土宗の本誓寺へ。
何度も移転して沿革がよくわかりませんが、現在地に移ってきたのは1683年だそうです。 -
呂一官は、明人で日本に帰化しました。
徳川家康に招かれて江戸に移り、1615年に日本橋で「紅屋」を創業。
紅・白粉などを製造販売し大盛況。
これが、現在も続く化粧品メーカー「柳屋」の元となりました。 -
村田春海の墓。
一族もそばに眠っています。
賀茂真淵門下で、加藤千蔭と双璧を成した歌人で、松平定信の知遇を得ていました。
実家は干鰯問屋を営んでいました。
十八大通(吉原で派手に豪遊した人の総称)の一人にも挙げられます。
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