2007/11/24 - 2007/11/24
164位(同エリア202件中)
のださん
江戸東京たてもの園というところが小金井市にあって、「玉川上水と分水」という特別展を行っているが、それが25日までということで、今のうちに見学しておこうと思います。
小金井市って私の自宅からは実に遠い。
ただ江戸東京たてもの園に行くだけよりも、何かおまけがないだろうか、と考えていたところ、途中にある中野区をちょっと歩いてみようと思いたちました。
当初、午前中に江戸東京たてもの園に行って、午後中野区周遊をしようと考えていましたが、何を思ったのか突然予定変更し、先に中野区を回ることにします。
この予定変更には何か理由があったのか何なのか、自分でもよくわかりません。
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JR中野駅を降り、中野区役所南側の敷地に、5匹の犬の像があります。
徳川5代将軍綱吉の時代、この付近一帯に犬屋敷があったことを示すものです。
犬を傷つけても処罰されてしまうことから、人々が犬を敬遠して飼わなくなり、野良犬が増えてしまったので、その犬を収容する場所だったということです。
最盛期には広さが約28万坪にも達したそうです。
現在では囲町公園などにわずかに名が残るのみです。
人々の意識をがらりと変えるには極端なこともしなければならず、そういう意味で、命の大切さを伝えようとした生類憐みの令は近年再評価される動きがあるようです。 -
新井薬師まで行こうと思います。
バスで行くのが普通のようですが、どうも中途半端な位置にあるようなので歩いて。
結構遠いな。
途中でカンロ株式会社発見。
へ〜っ、ここにあったのか。
いや、そんなに興味があったわけでもなく。 -
新井薬師近くの北野神社。
ここも昨今酉の市で賑わうみたいです。
まだ片づけが終わっていませんね。 -
力石。
随分多いですけども、13個あるようです。 -
本殿。
左に見えるのは大鳥神社です。 -
途中新井薬師公園を挟んで、新井薬師。
真言宗豊山派の梅照院です。
元北野神社別当。
公園側からは裏門みたいなところからも入れるみたいですが、一応山門を通らないとすっきりしないのでぐるっと回ってきました。 -
本尊は、薬師如来と如意輪観音。
特に、徳川2代将軍の娘・和子(まさこ、東福門院)が患った眼病が、ここでの祈願により治癒したことから、眼病治癒のご利益があるとして有名になりました。
和子は、後水尾天皇に入内し、後の明正天皇を産みます。
天皇家と幕府の間に挟まれてストレスがたまり、買い物しまくって解消したと言われています。 -
プリンセス雅。
皇太子妃雅子様御成婚記念として名付けられた新種の桜だそうです。
知らなかった。
これは北野神社でも見ました。 -
裏手のほうに行って、こんなところに聖徳太子が!
16歳時の姿だそうです。
梅照院の協賛を経て、昭和35年造立。
昨今聖徳太子ブームが再燃しているのかいないのかよくわからない状況ですが、偶然にも出会ったのも何かの縁でしょう。 -
地図を見ながら北上します。
途中に西武新宿線・新井薬師前駅。
新井薬師前とか言いながら大分遠いです。
この辺は特筆すべきものはなし。 -
さらに北上し、哲学堂公園を目指します。
結構歩いたなあ。
妙正寺川という川が流れています。
もうそろそろかな。 -
やっと着いた。
入り口です。 -
菖蒲園が迎えてくれます。
この公園は、哲学に関する77の施設が散在しているらしくて、全部見るわけにもいかないので、主だったもの、というか適当に歩いて途中で目に付いたものを見ていこうと思います。 -
主観亭。
心界の休息所で、心界の風光を観察するのに適した地点だそうです。 -
心字池。
概念橋が架かっています。
理性(島)に達する道程には概念(橋)が存する、だそうです。
鬼燈という燈籠もあります。
人の心中に宿る鬼にも良心の光明は存することを寓するものだそうです。
人は誰しも鬼の部分があるということでしょうか?
告白しますが、私の心には一匹の獣が棲んでいます。
幸いなことに、まだ目覚めてはいません。 -
時空岡というらしいですけども、丘に上がって、まず目に付いたのが絶對城という図書館。
哲学界の万象はこの読書堂にあり。
万巻の書を読みつくせば絶対の妙境に達します。
井上円了の蔵書を中心としているようです。 -
宇宙館。
哲学とは宇宙の真理を研究する学問です。
内部に皇国殿があり、国家社会の原理を講究する哲学堂として設けられているそうです。 -
宇宙館わきの幽霊梅(跡)。
井上博士が駒込に住んでいたころ、庭の梅の木の下に幽霊が出ると騒がれたことから、ここに移したのだそうです。
井上円了という人は妖怪研究で有名で、人々の迷信を科学的に解明しようとしました。
大流行した「こっくりさん」を解明したりもしました。
しかし、「何でもかんでも科学で解決できる」と言うような人ではなく、科学では解明できない現象もあることをきちんと認めていたようです。
それが某教授とは違うところです。 -
四聖堂。
釈迦・孔子・カント・ソクラテスの四聖人を祀るために建てられ、これが哲学堂公園の原点ですね。
手前には、東洋大学による、井上円了先生の肖像画を埋め込んだ、没後80年を記念して贈られた碑があります。 -
六賢臺。
東洋の六賢人として、聖徳太子・菅原道真(日本)、荘子・朱子(中国)、龍樹・迦毘羅仙(印度)を祀っています。
ここも宇宙館や四聖堂と同様、年にわずかながら内部公開される時期があるようです。 -
無盡藏。
階上を向上楼、階下を万象庫と名づけ、井上博士が収集した記念物の陳列に使用されているようです。 -
常識門。
正門である哲理門に対する通常の門です。 -
髑髏庵。
通常は休憩室で、来客はここで俗塵に汚れた精神を清めて、いよいよ哲学的雰囲気にひたるものとして骸骨をもって俗心の死を表しています。 -
哲理門、別名妖怪門。
哲学堂公園と言えばまずこの門を思い出すくらいです。
本堂の正門にあたります。
「妖怪博士」井上円了の真骨頂とも言える門・・・というのは言い過ぎか? -
門の中を覗いてみます。
まずは左側に幽霊像。
元々この場所に幽霊梅があったことにちなみます。
精神(心)に存在する不可解の象徴だそうです。 -
右側には天狗像。
元々この場所に天狗松があったことにちなみます。
物質(具体的なもの)に存在する不可解の象徴だそうです。 -
左柱に眞理界、右柱に哲学関とあります。
開設当時の門柱であって、これより境内に進むことにより、哲学的に宇宙の真理を味わい、かつ、人生の妙趣を楽しむ所であることを標示している、とのことです。 -
哲学堂公園を後にし、また出会ったのは北野神社。
新井薬師の近くの北野神社とは当然別物です。
中野区は北野神社が多いのかは知らないが、これらの他にも北野神社はあります。
太田道灌が石神井・練馬を攻略したとき、この神社に戦勝祈願をしたという言い伝えがあるそうです。 -
北野神社からちょっと歩いて、江古田公園という小さな公園内に、つわものどもの夢の跡を見つけました。
「史蹟江古田ヶ原沼袋古戦場」碑。
文明9年(1477年)、太田道灌と豊島泰経がこの地で激戦を繰り広げました。
その戦いを江古田・沼袋原の戦いといいます。
今も江古田や沼袋という地名があります。
この戦いは、享徳の乱という、関東における長期の内乱の一コマです。
この戦いに敗れた泰経は翌年平塚城で再挙しますが、平塚城も道灌に攻め落とされ、豊島氏は滅亡したとされています。
長い間武蔵野の開発を行ってきた豊島氏に代わり、太田氏が武蔵野支配を確立する上で重要な意味を持つ戦いだった、とのことです。 -
そこからまたしばらく歩いて、中野区歴史民俗資料館に到着。
入館は無料で撮影禁止。
ここは展示もさることながらビデオ解説がわかりやすいらしくて、私はあまり時間もないので哲学堂公園のものだけ観ましたが、実に詳しく解説してくれています。
哲学堂公園ではただ漫然と回ってしまいましたが、先にこちらに来てビデオを観てから回れば良かった。
当初の予定では、午前中に江戸東京たてもの園を回って、西武新宿線で花小金井駅から沼袋駅まで来て、中野区歴史民俗資料館から中野区周遊・・・という感じで回るつもりでしたが、予定変更が完全に失敗だったことが発覚しました。 -
庭園を期間限定で公開しているので、ちょっと見てみます。
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椎の木。
樹齢は500年だそうです。
彰義隊の敗残兵がこの木の根元で休息を取った、とあります。 -
唐代の僧である寒山と拾得。
経巻を持っているのが寒山で、ほうきを持っているのが拾得、だそうですが、この像はちょっとわかりにくい。
「寒山拾得」は森鴎外の小説にもあります。 -
書院と茶室は山崎家の離れとして建てられたものです。
歴史民俗資料館は、山崎記念という冠が付いています。
名誉都民の山崎喜作氏から、資料館用地に役立ててほしいと土地を寄進され、出来上がったのが中野区歴史民俗資料館。
茶室には、蜀山人など多くの文人墨客が宿泊したそうです。
実に画になる建物です。
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