2007/11/24 - 2007/11/24
401位(同エリア535件中)
のださん
沼袋駅から花小金井駅まで行って、江戸東京たてもの園へと向かいます。
江戸東京たてもの園は、江戸東京博物館の姉妹館である野外博物館です。
ぐるっとパスで入場します。
今日からまた2ヶ月間ぐるっとパスのお世話になります。
花小金井駅からはバスで行くみたいですが、こういう場合は往々にしてバスは中途半端なので、歩いてみます。
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めちゃくちゃ遠いぜ!
25分くらいは歩いたと思います。
素直にバスを使えば良かった。
やっと小金井公園に到着。
ここも紅葉を楽しめるスポットのようです。 -
江戸東京たてもの園は小金井公園の一区画。
入り口までたどり着きました。
かなり人が多いですね。
特に家族連れ。
この時期だからかな? -
閉園まで2時間を切りました。
全建物の中まで見る時間はとてもないので、主だったものをピックアップして見ていきます。
まずは三井八郎右衛門高公氏邸。
1952年に港区西麻布に建ったものをこちらに移転させているとのことです。 -
玄関に鹿の像が。
すぐにピンと来ましたが、似たようなのを三井記念美術館で見ました。
三井家と鹿って関わりが深いのでしょうかね?
多分そうなのでしょう。 -
中に入って、明治期の円山四条派の画家が描いた襖絵なども見ものです。
2階に上がって、奥さんの寝室から外を眺めてみます。
良い景色です。 -
第一国立銀行に飾られていた大小のシャンデリアのうち、大きいほうを三井本館に、小さいほうをこちらに設置している、とボランティアの方が説明してくださいます。
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八王子千人同心組頭の家。
八王子というのは甲州街道の中核ですので、千人同心は徳川家の護衛のために置かれたわけですね。
江戸という平和な時代においても、武蔵国の多摩地方では武術研鑽を認められていました。
近藤勇、土方歳三も多摩出身ですし、新撰組隊士にこの地域の出身者が多いのも無関係ではありません。
六番隊組長の井上源三郎なども千人同心の家の出です。 -
中はこんな感じですか。
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旧自証院霊屋。
徳川3代将軍家光の側室であったお振の方(自証院)を祀った霊廟です。
尾張2代藩主徳川光友の正室・千代姫が、母を弔うために建てました。
江戸城や日光東照宮の建築に携わった甲良家という大工が、こちらの建築にも関わっているそうです。 -
天明家という、鵜ノ木村(現在の大田区)で年寄役を務めた農家の家だそうです。
鵜の木という地名が残っており、東急多摩川線に鵜の木という駅もあり、私の自宅からも近いので、ちょっと親近感がわいています。 -
干してある柿は本物でしょうか?
中の囲炉裏では、焚いているのかもしれません。 -
電車には全然詳しくないのでよくわかりませんが、これは都電かな?
南佐久間町の停留所ごと再現しているみたいです。 -
ボンネットバスというらしいですけども、毎月第1・第4日曜日の午後に4回走るそうで、乗車体験できるとのことです。
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火の見櫓が、大正時代に望楼と呼ばれるようになったそうですが、1973年(昭和48年)には、都内での望楼の利用はほぼなくなった、とのことです。
こちらの望楼は、上野消防署(旧下谷消防署)で1970年まで使用されたもので、上部の7mほどを再現しています。 -
警視庁から寄贈された万世橋交番。
昭和初期にはその役目を終え、巡査の休憩所などとして使われていたのだそうです。 -
たてもの園は、建物だけでなく、歩いていても雰囲気が良いです。
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多分高橋是清邸の前の庭。
心が落ち着きます。 -
そしてたてもの園でも特に有名だと思われる高橋是清邸に入ります。
高橋是清は、経済が逼迫するたびに蔵相就任要請が舞い込んだほどの手腕の持ち主。
1927年(昭和2年)の金融恐慌発生後、田中義一内閣で3度目の蔵相に就任。
即座に3週間のモラトリアム(支払猶予令)を実施し、片面だけ印刷されて裏が白い、急造の(つまりは偽札の)200円札を500万枚以上も刷らせて銀行の店頭に積み上げさせました。
取り付けに来た預金者もこれを見て安心し、恐慌が沈静化した、というエピソードを持っています。 -
ここが2階の寝室ということで、暗殺されたのはこの部屋のようです。
インフレを抑えるために軍事費抑制方針を示したがために軍部と対立したことが原因です。
「ダルマさん」と呼ばれ、皆に親しまれた政治家でした。
ここでは寝る前に習字をする習慣があったそうです。 -
江戸時代に鳴らしていた時の鐘が、明治時代にはこの「午砲(ごほう)」に変わります。
皇居内旧本丸で空砲を発射し、正午を通報したそうです。
ちなみに、江戸時代には、0時を子の刻として2時間ごとに十二支を当てはめました。
12時(11時〜13時)は午の刻なので、ちょうど12時を正午、それより前を午前、それより後を午後と呼ぶようになりました。 -
特別展を見学して、閉園間際に退出。
たてもの園は面白いな。
まだ見ていない建物もたくさんあるので、また来る必要があります。
来春はどうだろうか? -
小金井公園の南側を走る道路が五日市街道。
五日市という地名も残っていますが、思い出されるのが五日市憲法。
農村地帯から、現在の日本国憲法にも影響する画期的な私擬憲法が生まれました。 -
陣屋橋。
ちょっとよく理解できていないが、玉川上水北側の新田に、南武蔵野の開発を推進した幕府の陣屋(邸宅)が置かれたのだそうです。
この陣屋橋というのはその陣屋の前にあったから名づけられたのかどうかはわからないが、元の橋はここから数十m下流にあった、とのことです。 -
陣屋橋を渡って、下を流れる玉川上水を眺めます。
今も現役の玉川上水。
我々が飲む水についてもう一度考えてみるきっかけとなったことで、今日来た甲斐がありました。 -
帰りはJRの武蔵小金井駅まで、バスは中途半端だろうということでこれまた歩くことに。
こっちもすげえ遠い。
月がきれいなのが救いだ。
バスに乗っていれば、月に気づかなかったかもしれない。
歩いていて良かった。
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