2007/11/23 - 2007/11/23
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のださん
一葉ゆかりと言えば、下谷竜泉寺、つまりは吉原界隈です。
竜泉寺で小間物屋を開きましたが、結局は約10ヶ月間しか住んでいません。
しかし、ここでの経験が、「たけくらべ」という不朽の名作を生むわけです。
せっかく自転車を借りているので、ちょっと遠いがそのまま乗っていきます。
文京区から台東区への移動です。
台東区でもホテルなどでレンタサイクルを行っており、そこで借りても効率が良さそうです。
文京区ほど坂が多くない(と思う)ので、電動ではなくても比較的楽のようです。
一葉記念館を中心に回りますが、一葉関連というよりも吉原関連が多くなりそうです。
その他に、時間はあまりないが、有名人の墓参りも兼ねます。
日が暮れるまでに終わらせたい。
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まずは誓教寺。
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迎えてくれるのは葛飾北斎。
そう、ここには葛飾北斎の墓があります。
なぜここなのかは、残念ながら知りません。
ちなみに生誕の地の標柱は、記憶が正しければ両国にありました。 -
裏手の墓地には葛飾北斎の墓。
「画狂老人卍墓」と刻まれてあります。
画狂老人卍というのは、晩年の号です。
狂ったように描き続けた、ということでしょうかね? -
進みまして聖徳寺。
柱が立っているので一目瞭然ですが、玉川兄弟の墓があります。 -
2基並んでいるうちの右側の笠つきが庄右衛門の墓。
左側の先のとがったものが清右衛門の墓。 -
続きまして源空寺。
増上寺の末寺だそうです。
入ってすぐ銅鐘が見えますが、江戸時代のもので、家康・秀忠の法号、家光の官職・姓名が刻まれているとのことです。 -
道路を挟んで飛び地の墓地に、有名人の墓が並んでいます。
「東河伊能先生之墓」。
私は地図が好きでよく見ますが、伊能忠敬の恩恵を受けているわけです。
50代から測量を始めたそのバイタリティに、改めて敬意を表します。
ちなみに、伊能忠敬の4番目の妻は葛飾北斎の娘だという説があります。 -
伊能忠敬が江戸に出て師事したのが、当時の幕府天文方で天文学の第一人者だった、忠敬より20歳近くも若い高橋至時。
東岡という号も有名です。
伊能忠敬を世に出した功労者です。
伊能忠敬の測量を陰で支えますが、忠敬より先に亡くなります。 -
父・至時の跡を継いで幕府天文方となった高橋景保。
伊能忠敬に協力し、地図の完成を見ずに忠敬が死去した後は、「この地図は伊能忠敬が作ったもの」と世に知らしめるために、忠敬の死を伏せて日本地図を完成させました。
後にシーボルト事件に関与し投獄され、そのまま獄中死。
この事件での密告者とされたのが、伊能忠敬の弟子であり隠密だった間宮林蔵。
高橋景保は、間宮林蔵を樺太探検に推挙した恩人でもあります。
間宮林蔵は隠密の仕事に誇りを持っていたようですが、真相はどうあれ、恩人を結果的に「売って」しまった、ということで、世間からは冷たい視線を浴び、寂しい晩年を過ごしたそうです。
後ろに建っている碑は「頌徳碑」というそうで、題字は徳富蘇峰の揮毫、碑文はシーボルトの著書「日本」の一節で、シーボルトから景保への感謝文のようなものだそうです。
後年景保の業績が再評価されたから建てられた碑ということでしょうね。 -
谷文晁墓。
「文晁」って他に見当たらないから、多分こちらです。
谷文晁の生まれは近いですし、ここにあるのも自然です。 -
地蔵菩薩の幡随院長兵衛(左)とその妻きん(右)の墓。
幡随院長兵衛は本名を塚本伊太郎といって、侠客の元祖ともされる人物です。
肥前唐津出身で、幡随院の住職に私淑し、口入れ業に従事します。
最期は、旗本奴の頭領・水野十郎左衛門に殺害されます。 -
次は鷲神社に向かうぞ・・・と気合入れて来てみたら、酉の市へ向かう群集でとんでもないことになっている!
酉の市と言えば浅草ですしね、まあそこそこ人は多いだろう、くらいに思っていたら・・・
これに恐れをなしたので、人が多すぎるから行かないというのもどうかと思うが、今日は鷲神社はあきらめます。
たけくらべにも登場する鷲神社には、一葉関連の碑が2基あるという情報を得ていますが、また後日確認しに来ます。 -
吉原弁財天に行こうとしたら、どこもかしこもものすごい人混み。
自転車を押して歩かざるを得ません。 -
吉原弁財天。
ここの位置づけがよくわかっていませんが、昭和10年に吉原神社に合祀されたそうです。
遊郭楼主たちの信仰を集めたようです。
浅草七福神のうちの一つ。 -
大震火災殃死者追悼紀念碑。
この付近は湿地帯で多くの池が点在していた、ここにあった池は花園池・弁天池と呼ばれていた、関東大震災で多くの人々がこの池に避難し、490人が溺死した、とのことです。
遊郭の経営者が、遊女が逃げないよう郭の門を閉め外から鍵をかけたため、逃げ場を失った、という話もあるようです。
溺死した人々の供養のため、大正15年に建てられたのがこちらの吉原観音像。
境内には、他にも震災・戦災で亡くなった人々のための供養碑などが多く存在します。 -
花吉原名残碑。
昭和33年の「売春防止法」成立により、新吉原の遊郭は廃止され、(1657年明暦の大火後の移転以来)300年の歴史に幕を下ろしました。
その名残を記す碑がこちら。
右は、元吉原(現・日本橋人形町)の創設者である初代惣名主・庄司甚右衛門の碑。
庄司甚右衛門は、風魔の残党(小太郎の部下)で、幕府の許可を得て元吉原を開業しました。 -
金魚が泳いでいます。
こちらがいわゆる弁天池ですか。
池とも呼べないくらい小さい。 -
花立てに、「新吉原女子保健組合」の文字が見えます。
戦後、GHQの指導により公娼制度が廃止され、たとえば借金をたてに奴隷のように娼婦の身分を拘束することができなくなりました。
売春は自由意志となり、性病予防も娼婦の自主性に任されることになりました。
この結果誕生したのが、新吉原女子保健組合です。 -
吉原弁財天を出て、道なりに進むと、吉原神社。
吉原遊郭の守り神です。
遊郭内のいくつかの稲荷社を合祀して明治8年(1875年)に創建されたそうです。 -
さらに道なりに進み、遊客がちょっと気取って着物の衣紋を直すことから名付けられた衣紋坂を通り、土手通りに当たります。
ガソリンスタンド前の「見返り柳」。
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど・・・」
たけくらべの冒頭です。
遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳の辺りで遊郭を振り返りました。
ここは吉原大門の交差点ですが、門自体は残っていないようです。
衣紋坂を通るときに交番がありましたが、多分その付近が吉原大門だったのでしょう。
大門は「おおもん」と読みます。
江戸での「だいもん」は増上寺のものです。 -
見返り柳から衣紋坂をちょっと引き返し、交番横の道路を入っていきます。
左には吉原公園があります。
この道路は、遊郭の四方を囲んでいた「お歯黒溝」の名残だそうです。
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く・・・」
お歯黒溝は遊女が逃げられないように設置したとのことですが、その名の由来には、遊女がお歯黒をこの溝に捨てた、とか、お歯黒のように濁っていた、とか、諸説あるようです。
四方を囲んでいましたので、当然この道だけでなく、他にもお歯黒溝跡は存在します。 -
自転車に乗り、土手通りを北へ北へ走らせます。
生まれては苦界、死しては浄閑寺。
またここに舞い戻ってくるとは。
別名投込寺。
本堂裏手の墓地に新吉原総霊塔がありますので、こちらに来たら手を合わせるべきです(http://4travel.jp/traveler/last-sam/pict/12300612/)。 -
入り口そばの新比翼塚。
明治18年、品川楼で心中情死した遊女・盛糸と内務省小吏(警視庁警部補)・谷豊栄を祀るものです。
左には、幕末・明治の書家である萩原秋巌先生の墓。 -
若紫の墓。
5日後に5年の年季が明けて男と所帯を持つことになっており、胸弾ませていたが、遊客の凶刃に倒れたのが角海老(「角海老が時計の響きもそゞろ哀れの音を傳へるやうに成れば」)の若紫。
永井荷風の「断腸亭日乗」という日記にもこの悲話が載っているようです。
残念ながら私は読んだことがありません。
ちなみに、若紫というのは源氏物語にありますね。
遊女は源氏物語から名前を取ったことから、「源氏名」という呼び方がなされる、という説があるそうです。 -
ちょっと南側に行って、永久寺。
ここも目立たないところにありますね。
山野嘉右衛門永久という首切り役人が、長年斬首した処刑者の霊魂を供養するために門前の土地を寄進したから名付けられたそうです。 -
江戸五色不動のうち目黄不動を祀ります。
五街道を絡めて考えると、日光街道を守護しているということでしょうね。
目黄不動は他にもあるそうです。 -
永久寺から大体真っ直ぐ南に進みます。
多分この建物が一葉記念館でしょう。
そうとしか思えない。
うわ、人が多そうだ。
まあ覚悟はしていたが、記念館の中はどうだろうか?
いやな予感がする。 -
一葉記念館の前に一葉記念公園があります。
記念館入り口前にある、一葉碑。
元々菊池寛撰文により昭和11年に建てられたが、先の大戦により崩壊し、昭和24年に再建されたとのことです。
一葉関連というより戦争関連の碑文になっているようです。 -
昭和26年に建てられた「一葉女史たけくらべ記念碑」。
一葉と交流があった歌人・佐佐木信綱博士による歌2首が刻まれています。
佐佐木信綱博士は万葉集研究で有名ですね。 -
記念館に入る前に、ちょっと南に歩いていって、「樋口一葉旧居跡」碑。
10ヶ月ほど雑貨屋を営んだという場所です。
ここですか〜・・・
ここからたけくらべなどが生まれていったわけですね。 -
ちょっと東に進み、薬局さん。
美登利の姉・大巻は吉原きっての遊女。
その関係で美登利一家は妓楼「大黒屋」の世話になっていました。
その大黒屋の寮があった場所だそうです。
「美登利そっくりの娘がいた」と説明があります。 -
そして一葉記念館まで戻って、ようやく入ります。
テレビのインタビューが入り口前で行われています。
当然今日は一葉一色です。
私はぐるっとパスの使用をそろそろ再開しようと思っていて、ぐるっとパスで入っても良かったのですが、今日は入館無料です。
入ると、案の定激混み。
正直、入館無料というのはやめてほしかった。
展示に関してはさすがに充実しています。
ここにないものが文京ふるさと歴史館にあったりしますので、ファンの方は、ここだけでなく文京ふるさと歴史館にも足を運ぶのが良いと思われます(ファンには釈迦に説法か?)。 -
閉館間際に出て、飛不動、龍光山正寶院へ。
この寺の住職が本尊を奈良に安置して修行していたところ、一夜にしてお不動様が江戸まで飛び帰ったことからその名がついたそうです。 -
本堂。
今では、航空関係に従事する人が参詣することが多いようです。 -
春日まで戻る途中の海禅寺。
臨済宗です。
源空寺からも近いですね。 -
薄暗くてよく見えない中を進んで、梅田雲浜墓。
尊皇攘夷派のリーダー的存在です。
安政の大獄で捕らえられ獄中死。
墓標がよく見えないが、梅田雲浜の墓は多分右側で、左は藤井尚弼という人物の墓。
「なおすけ」というのも何かの因縁か? -
さらに南に進んで、偶然見つけたのが「柄井川柳碑」。
ここの公園は菊屋橋公園と呼ぶそうです。
川柳ゆかりの地ということで建っています。
柄井家は代々浅草・龍宝寺門前で名主を務めていました。
川柳発祥の地記念碑というのがまた別にあり、最近除幕されたみたいですが、台東区内です。
もう暗いし、いい加減戻らなきゃね。
あっ、千束稲荷神社に参拝するのを忘れていた。
しゃーないので別の機会に。
これで一葉めぐりはひとまず終了です。
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