2007/10/29 - 2007/11/05
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t-swanさん
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中国、モンゴル旅行記1の続編↓↓
http://4travel.jp/traveler/VWXxY52/album/10196425/
2007年10月末から8日間で北京からモンゴルまで放浪。
二回目の一人旅であった。
最初はミャンマーを考えていたが、暴動が起こり断念。ミャンマーへ行くのは
ここから8年後となる。
往復とも長距離バス、寝台列車を使いかなり経済的な旅行であった。
日程、金額ともにコスパはかなりよかった。
留年覚悟で行った若き日の思い出。
行きは、北京→フフホト→二連浩特→ザミーン・ウード→ウランバートル
帰りは、ウランバートル→二連浩特→北京
上記を8日間で移動した狂気の日程。
2020年現在でも心に残っている旅行の一つである。
写真はウランバートルをザイサン丘から撮ったもの。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
10月31日朝、最終目的地、ウランバートル到着。
かなりきつかった。
外に出ると物凄く寒い。
駅には荷物を運んでお金をもらおうとしている子供が複数人見られた。
そんなのには目もくれず、鉄道に乗せてくれたおばさんは、すべての荷物を自分に持たせさっさと出口に向かって行った。
細腕にはあまりにも重すぎる荷物、一体何を包装しているんだか。
なんだか遠い異国にまできて荷物運びをしている自分がえらく惨めに感じられた。
お陰でザミーン・ウードから即日乗車出来たわけだが。 -
ウランバートル駅。ここからおばさんおアパートまでタクシーで移動。
冷え性な上に素手で氷点下の外気の中で重い荷物を手首から下げていたためか、手が血流障害を起こし真っ白になっていて感覚がなくなっていて焦る。 -
まさかの4階に部屋があったので、必死で荷物を運ぶ。
エレベーターは設置されていないようだ。
かなり無用心だと思ったが、コンパーメントで一緒だったおばさんに招かれて、アパートで昼飯を食べさせてもらった。
ゲルを期待してたんだけど普通の団地の一角の部屋であった。 -
イチオシ
その後おばさんに銀行に案内してもらいドルを崩した。何枚かの100ドル札をみて、彼女が一瞬よからぬことを考えていそうだと考えた自分は、早々に礼を言い立ち去ろうとしたが、親切にも街を案内してくれた。
"Your English is terrible!!"
本気で英語を勉強しようと思った瞬間は多々あるが、その中の一つ。
しかし、日本に帰るとそんなことは忘れてしまい結局英語の習得はできなかった。 -
ウランバートル広場にて。
ウランバートルには二泊したが、暇だったので街中を歩きつくした。
この当時の治安は夜中でもいいように感じた。
もっと時間があれば他の都市にも行きたかった。
ここから電車でロシアのシベリアに行ってみたいものである。 -
1泊目はスフバートル広場近くのオルゴーというホテルに泊まった。
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二泊目は確か、マンドハイというホテル。
500円くらいだったような。部屋にはベッドのみで共同トイレとシャワー。 -
あまり下調べをしていかなかったせいで防寒対策が十分ではなく物凄く寒かった。
11月初旬でも凍える寒さなので冬は防寒を怠ると命に関わると思う。 -
ザイサン丘目指して3キロくらいひたすら歩いた。やたら廃墟ビルが目立っていた。
近くには大学があった。 -
大学の近くにあるザイサン丘。
景色が綺麗であった。 -
イチオシ
ザイサン丘からの眺め。
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ザイサン丘からの眺め。
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ザイサン丘からの眺め。
土地はいくらでも余っているよう。 -
ザイサン丘からの眺め。
まだまだ発展途上なのだろう。 -
ナラントール・ザハ。
中心部から歩いて約40分程。
様々なものが売られている。
たまにしつこい物売りのおっさんがいて、強引に売り物のネックレスをつかまされそうになったりと結構中の治安は悪いように感じた。
東南アジアなどの市場と比べると比較的整然としていている。 -
残金がぎりぎりだったのでなにも買えなかった。
-
レーニンの像。
親露的なところがやはり伺える。 -
ボダルダー通り。
-
このような、工事中の土地が沢山見られた。
旅行中何人かのモンゴル人たちに話しかけられたが、日本人であるということを伝えるとやたら”ドルジ、ドルジ”という言葉が出てきた。
あとで調べてみると当時連覇を続けていた横綱朝青龍の愛称だったようだ。 -
まだまだ発展途上という感じがした。
帰りは、二連浩特まで直通の列車に乗る。
国際切符売り場を見つけるのと帰りの切符を買うのにはにはかなり苦労した。
時間があるならザミーン・ウデに降りて、ジープで国境を越えればかなり安くあがるようだ。 -
キリル文字?で書かれている切符なので時間帯など不安であったが、聞きまくりなんとか乗車。
-
列車の中。4人のコンパートメントであった。
禁煙なのにタバコを吸う人がいて、充満した煙が二段ベッドの上に流れて寝ていた自分にまとわりつく。ただでさえ質の悪そうな煙草の煙をずっと吸っていたせいか気分が悪くなる。咳でアピールするも全く意にかいさない。痰を床に吐くは音をたてながら屁をこくはで空気は最悪だった。 -
二連浩特到着。
モンゴルのザミーン・ウーデから中国の二連浩特に入るとき、列車のゲージを換えるのと、密入国を調べる検査で国境越えはやたら時間がかかった。3時間くらいかかったのではないか。
とりあえず筆談とジャスチャーで北京行きのバス乗り場を探す。 -
中国側国境の町、二連浩特。
行きは、2時間しか滞在できなかったが、帰りは半日滞在。
飯が安くておいしくて、量が多く、いいところであった。ただトイレはどのデパートにもなく苦労した。放し飼いの犬が、あちこちにいて追いかけてくる。
中心から北のほうにある国際バス乗り場から午後4時半北京行きのバスに乗って、北京へ。
モンゴル側の国境ザミーン・ウド行きもあった。
北京行きは一日に5本以上出ていた。 -
恐竜博物館。トイレ目当てで入ったが、ひどいトイレで結局払い損。
汚いトイレには、東南アジアも行ったことがあるのであまり抵抗がなかったが、ここはドアも壊れてついていなく丸見えだったので恥の方が腹痛を上回った。
小さい頃から恐竜には興味があったが、トイレを探すのに必死でじっくり見れなかった。
結局バス乗り場のトイレで用を足したのだが、これがまた汚かった。。
水洗だったし、多少の汚れ(多少というレベルは超越してる気はするが。。)はまだいいが、なんとついたてをはさんだ隣のトイレから汚水が流れてきた。
詰まらせたのだろうか、自分の入っていたトイレの床はひどいことになり、靴に染み込んでこないか気が気ではなかった。。 -
北京までの長距離バス。狭いけど寝てるだけなので快適。
前に寝ていたモンゴル人の子と何回か会話したが、自分の英語力のなさを痛感した。
年齢は同じで、欧州のサッカーリーグやF1、相撲の話題などを話し、スポーツの話題は世界共通だと実感した。相撲は若干違う気もするが。
モンゴル人力士の安馬と共通の友人がいるらしく、かなり話題に出てきたが、相撲についてはそんなに詳しくないため、わからないと伝えたら、日本の国技なのになぜ??というようなことを言っていた。
北京に映画のことを勉強しにきたらしく、将来は映画を作製したいと言っていた。
英語を勉強したのは2年間だけらしいが、かなり達者に使えていたので、中、高と勉強してろくに言いたいことをあまり伝えられない自分が情けなく感じた。
午前4時くらいにまだ真っ暗な北京のどこかの百貨店の裏におろされた。地図ものってないし、暗いしでかなり不安が募る。それから北京の天安門を目指しさ迷い歩くことに。 -
11月4日
そっからは筆談とつたない中国語をつかってなんとか中心部まで来れた。
おそらく早朝から2時間近く歩き回っていた。
北京中心部では田舎から出てきたと思われるおばさん2人組に道を尋ねられた(地図をもって話しかけてきからそう理解した)。
こっちもびっくりしたが、外人だと知って相手側も驚いていた。
写真は前門。 -
胴長なバス。
-
前門の前で募集していた、万里の長城などに行くツアー(200元)に飛び入りで申し込みをした。バス40人中、中国人ばかりで(当たり前か笑)なり心細かった。
特に集合時間を聞き取れず、かなり苦労した。
結局このツアーが午後8時くらいまでありかなり計画が狂うことに。
どうでもいい観光名所、お土産屋によりすぎて時間をロスしてしまう。 -
男坂も女坂も一応全部登ってみた。
-
頂上。
集合時間はしつこく確認して五分前に戻ったのだがバスが多数停車していてどれだかわからなくなってしまう。うっかりバスのナンバーも覚えていなかったので、しらみつぶしに入って確認したが、発見できず。そのうち集合時間が5分、10分と過ぎていく。おいていかれたと思い焦ったが、バスのガイドがありがたいことに探しに来てくれた。集合場所が別の場所だったらしく、車内に戻ったときはみんなの視線が突き刺さるようで申し訳なかった。 -
明十三陵??。中国語のガイドの説明全く聞き取れず、何の観光地かわからなかった場所が結構あった。
-
移動中の映画はなんと日清戦争だか日中戦争だかのパロディ映画であった。
自分の隣は日中戦争がはじまる前後に生まれたであろうおじいさんで、最高に気まずい雰囲気。
暇なので映像だけみていたが、内容は中国人の子供が知恵を使って日本兵に罠をかけたりしてどこかに脱出するという感じだったと思う。
コミカルな感じで残虐な敵の日本兵をやっつけていくのだが、勿論、次々と日本兵は死ぬことになり見ている日本人の自分としては気分が悪かった。
その子役のやっつけ方と日本兵のリアクションが面白くて頻繁に笑い声聞こえてきたが、隣のおじいさんは自分が日本人だと知っていたからか、笑い声をあげることはなかった。 -
なんか古い町並みを再現した場所。
劇やら、お土産屋に寄ったがよく覚えていない。 -
中国医療についての博物館みたいなとこにも立ち寄る。
学校の授業をさぼっている自分へのあてつけだろうか
中では白衣姿の胡散臭い先生が講義があったり、脈を計ってもらい具合の悪いところを相談するコーナーがあったりした。言っていることがわかるはずもなく暇であった。 -
張仲景(150年? - 219年)
中国後漢の官僚で医師。その医学上の功績から医聖と称えられるらしい。
古代から伝わる医書の知識と自らの経験を加えて書かれた傷寒雑病論を著す。その著書は後々にまで漢方医学の最も重要な文献として活躍する事となった。 -
なんか台湾の医療ドラマでこんな感じの文句が言われていた気がする。
-
イチオシ
夜12時くらいに天安門で撮影。
夜中は、街中をうろうろしていたが、身の危険は全く感じず。
午前2時くらいになると全く人の姿はみえず、やたらと警官が歩いてるほかは、自分以外の通行人はいなかった。北京オリンピックに向けて治安を強化しているのだろうか。 -
最後は日本で予約したホテルに宿泊。最後は少しだけいいところに泊まった。
確か日本で予約し、5000円しなかったと思われる。 -
午前二時くらいの王府井。
地下鉄がなくなり、一時間かけて宿まで戻ることに。
北京オリンピックにむけてか、結構公衆トイレが目立った。
翌早朝発で無事日本に帰った。市内中心から空港までタクシーで130元。
すでに北京オリンピックグッズが空港内では売られており、一足早めにストラップのお土産を何個か購入。
帰ったら、大学の試験前である。1っか月間中国語の勉強しかやってないなかったので当然のように落ちたが、何とか留年は免れた。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (1)
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- Bintangさん 2007/11/24 01:27:30
- いつのまに!
- おかえりなさませ!
いつの間にやら中国&モンゴルへ行ってらしたんですね!
8日間で中国&モンゴル2カ国しかも陸路移動って言うのがすごいです。
ハードですね〜でも人が親切そうで、いいですね。
私もグアムから帰ってきたばかりですが、久しぶりに陸路の旅がしたくなりました。
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