2007/07/31 - 2007/07/31
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bobymickさん
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2007年7月31日、クンサー将軍の司令部跡があるというヒンティークと山岳民族の村がある秘境ファーメカムへ行ってきました。
当初、自力で向かおうと考えていたのですが、いくら探しても情報が得られなかったので、やむなくチェンライのサニーサネートラベルさんにお願いすることにしました。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
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今回の旅行MAPです。
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チェンライのサニーサネートラベル前から車に乗り出発。
雨季のため、ドライバー兼ガイドのサネーさんの他、助手としてノンさん(普段は英語ガイド)が同乗した。 -
国道1号線をメーサイ方面に100K以上の猛スピードで突っ走り、バンパサーンで左折、山岳道路に入った。
途中、ドイメーサロン方面との分岐点があったが、ここを北上してヒンティークに向かった。
山岳道路ではあるが舗装されている。
チェンライから約2時間で山間の小さい町に到着した。ここから少し山側に登ったところにクンサー将軍の司令部跡があった。
写真はその入り口。 -
中に入ると、3室ほどの部屋があったが、どの部屋にもクンサー将軍の写真や肖像画及びシャン族の王族の写真が展示されていた。
これはミャンマーからの分離独立運動が行われた東部シャン州の地図。
ここで麻薬栽培を行い中国やタイを経由して世界に密輸し莫大な利益を上げ武器を購入した。 -
ほこりにまみれているが、クンサー将軍愛用の馬の鞍。
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クンサー将軍の写真。
彼はシャン族の母と中国系の父の間に生まれたという。現在74歳になるそうだ。
ミャンマーの刑務所にいると説明された。
追伸:2007.10.31付読売新聞の記事によると、ミャンマー軍事政権は10月30日クンサー氏がヤンゴン市内で死亡したと発表した。正確な死亡日時、死因は不明。 -
同じくクンサー将軍の写真
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司令部の隣にクンサー将軍の居住用の建物があった。
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入り口に立っているのは、この施設を管理している人の娘。
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これは、司令部の周辺に建てられた兵舎(学校?)の内部に書かれていたもの。
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クンサー将軍愛用の軍刀。少し錆びていた。
私たちが訪れているとき、タイの軍人とその友人が見学に来ていた。 -
司令部跡を管理している人の家。
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これは司令部跡の敷地に建っている兵舎。現在は機織の工場になっていた。
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粗末な小屋で囲まれているのは、懲罰用の穴の入り口。
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ここが穴の入り口。中は広くなっているという。
少し離れた場所にもうひとつ穴があったが、そちらは潰れていた。 -
これは、司令部跡からさらに山中に入り込んだ場所で、タイ軍との戦闘時に指揮所として使われた施設。
ほとんど破壊されていたが、地下壕に通じるコンクリート製の入り口が残っていた。 -
司令部跡から車で10分ぐらい山中に入ったところに、クンサー軍の兵舎の建物が残っていた。
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現在は麻薬患者の更生施設として活用されていた。
十数人の患者が収容されていた。 -
ヒンティークを後にして、ファーメカムに向け出発した。
最初は舗装された道路であったが、いたる所陥没していた。
20分も走ると、舗装もなくなり長雨でどろどろの道になった。 -
ところどころ山側から土が崩落しているような場所もあった。
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途中で見えた山岳民族の住居
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ぬかるんだデコボコの道を下ったり、登ったりして走っていたが、正直な話、この車でまた戻れるのだろうかと不安になってきた。
写真を撮ろうとしても、車が前後左右激しく揺れるので撮ることができない。
私は不意の衝撃に備え、後部座席で仰向けの姿勢で乗っていた。
どれぐらいの時間走ったのだろうか、前方の山の山腹にへばり付く様に建っている山岳民族の村が見えてきた。 -
道路沿いの一軒の民家の前で車から降りると、今走ってきた道路に、馬に乗った少年の僧侶が現れた。
ガイドがこちらに来るように呼びかけたが、そのまま立ち去ってしまった。 -
車から降りた場所の民家は、着衣からリス族の家のようであった。
老婆や女、子供が十数人たむろしていた。 -
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さらにその民家から下のほうに建っている集落へ降りていった。
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男たちが悪魔祓いに使うという飾を作っていた。
この家で何か不幸なことが起こったのだろうか。 -
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ちょっと家の中を撮らせてもらった。
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リス族の集落から更に山の上のほうに登っていった。
そこのはアカ族の集落があった。 -
アカ族の民家の軒先を借りて、遅い昼食を摂った。
前方には、我々が通ってきた道が見える。 -
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興味深深で我々を見る子供たち。
村の男たちは、この山の反対側(ミャンマー領)で働いているという。 -
これはお勝手
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薪の火で茶葉を乾燥させていた。
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二人の子供がハンモックで熟睡していた。
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だんだん天気が怪しくなってきた。
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いよいよ雨が本降りになってきたので予定を早め帰ることになった。
来る時に道の状況は承知していたので、異存はなかった。むしろ早く帰って安心したかった。 -
雨は本降りとなり、山に降った雨水は小川となって道路に流れ込んできます。
途中軍のトラックと出会ったが、ドライバーがずぶ濡れになりながら後輪にチェーンを巻いていました。
ガイドは道路状況が悪いので、迂回路を探しやっとのことでヒンティークまで辿り着きました。
ここから先は舗装道路なので一安心です。
午前中に来た道を猛スピードで走り、チェンライに無事戻ってきました。 -
今回お世話になったサニーサネートラベルさんです。
チェンライのバスステーションに近く、ツーリストインのすぐ近くです。
日本語の達者なタイ人の男性と、日本人の奥さんが経営しています。 -
奥さんのアーサ志乃さんを店内で撮らせてもらいました。
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