2006/05 - 2006/05
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バルト3国写真紀行集も本集で最終版となります。写真掲載とコメントの視点については、第1集の前文で詳しく述べていますので、それを読んでいただいたものとして、ここでは省略し、今まで「バルト3国」とひっくるめて言ってきたものの、3国にはそれぞれの特徴と他国にはないものがあることを、この最終編の写真の中で比較論的見地から取り上げ、述べて行きたいと思います。
まず、リトアニアの首都ヴィリニュスを概観しておきます。
ここは他の2国の首都であるタリンやリーガと違って海に面せず、300kmも内陸に入り、首都でありながらペラルーシ(旧ロシア)との国境まで30kmという辺境の町である。海洋交易による西ヨーロッパの影響は少なく、ハンザ同盟にも関係しなかったから、経済の町というより、国の文化・学問中心の町、公国の王の町、民族意識収斂の町であったと言えよう。
この街の高台に上がって市街全容を俯瞰眺望すると、広い範囲の市街地に緑が多く、その中にバロック様式の教会の尖塔が林立するのが見え、その数は他の2都の比ではないのに驚く。数多くの戦争や占領、破壊にあったにもかかわらず、ヴィリニュスの建造物は独自のスタイルを持続しているという感じがする。一見バロック調の街でありながら宗教施設を見ていくとゴシックから古典主義に至るヨーロッパ建築様式の変遷サンプルともいえる建築物が残存し、それもこんな辺境地であった所になぜと驚くほど完成した形態であるのを目にすることができる。
チェコのプラハが「町中が西洋建築史の見本市」と称されるが、ヴィリニュスの街並みもその雰囲気が似ていると思いたくなるほどである。このことは、それぞれの建築様式がヴィリニュスで建設された時期と、ヨーロッパで全盛を過ぎた建築様式がこの辺境地に完成品として持ち込まれた時期とがほぼ一致するからであろう。
また、本来カソリックの国が、ロシア正教もユダヤ教も寛大に受容しながら,自国のものにしていったヴィリニュススタイルの存在は、国境の町であることから異文化交流が自然と定着したためでもあろうが、生きるためとはいえ、その弾力性と度量のすごさを認めねばなるまい。そのような弾力性や度量の大きさをもって、つい20年前まではソ連からの独立運動を続けてがんばり、守りつつづけた民族アイデンティティをやっと勝ち取った首都である。バルト3国それぞれが、小さいながらもこれぞわれらが生かし守った国ぞという誇りをもっているが、ヴィリニュスはその実感が一番伝わる町と思う。
この編ではそれらのことも踏まえて、バルト3国の旅行テーマである「歴史・文化・芸術」についてじっくりと見たことを記述していきます。
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ヴィリニュスの高台から旧市街、新市街眺望
ヴィリニュスの東の高台を回る道路から市街を眺望すると、まず緑の多い街であることに気付く。タリンやリーガのようにランドマークになる聳え立つゴシック教会の尖塔群があるわけでないが、柔らかな線のバロック様式の教会や塔が諸所にあってその数は他の2首都よりも多く、それゆえ旧市街としてはタリンよりは新しい中世後期のバロックの街的な印象が最初に強いイメージとなって目に焼き付けられる。
後方の高層ビルが並び立つところは新市街であるが、手前の旧市街との境界はタリンやリーガほど明瞭ではない。
タリンは旧市街を取り囲む城壁がしっかりと残され、補修もしてあったが、リーガでは城壁の大半は取り払われ、住居などに利用されたものもある。しかし新市街との境は旧堀割りである運河・緑地帯で明確に分かれている。ヴィリニュスは石畳の道は狭く碁盤の目とは到底言えぬ不規則なつながりをしているので、バスも市電も通らないところが多く、とにかく古い教会の数が多いがそれがあるところは旧市街と言えそうだ。
自分の足で歩きまわれるというのが旧市街とすればタリン、リーガ同様1日たっぷりあれば充分に回れる観光範囲である。 -
ヴィリニュス発祥の地ゲテミナス城に残るゲティミナス塔
リトアニアが完全な独立国となったのは第2次大戦後であるが、バルト3国の他の2国の起源が騎士団占拠から発生したのと異なり、14世紀にはゲティミナス大公の領する大公国であったことであり、その後はポーランドとの共同国政体をとった国であったことである。
その名残がゲディミナス城跡である。ここはゲディミナスの丘とも言われ、かってリトアニア大公のゲディミナスが夢のお告げでヴィリニャ川岸のこの地を新首都ヴィリニュスと定めて、トラカイから移転し、この丘に城を築いた。17世紀のロシアとの戦争で破壊された後再建されず、3つあった塔のうち西側の塔だけが残りゲディミナスの塔として現在博物館になっている。
この辺一帯を上の城と呼び、丘の麓には下の城と呼ぶ大公公邸があり、約1kmの城壁で囲まれていたが今はなく、その名残の跡に建てられたのが次の写真の大聖堂大鐘楼である。 -
大聖堂と大鐘楼
ヴィリニュスの象徴的存在の大聖堂(主教座教会)。
歴史は古く資料から要約すると、最初の教会は13世紀に十字軍騎士団の圧力から逃れるためにミンダウガス王がキリスト教を受け入れ、その聖堂として建てたが、彼が暗殺されて以降は、もとからこの地にあった雷を祭る自然崇拝の聖地に戻っていた。しかし14世紀に至り、ヨガイラ公によってリトアニアがキリスト教化されて、この地にゴシック様式で教会が再建された。最近大聖堂の地下から最初の教会跡が発見されたがそれはロマネスク様式であったといわれる。15世紀に火災後、リトアニアを最盛期に導いたヴィタウタス公が改築し、以降歴代の大公の戴冠式がここで行われている。この写真で右奥に旧上の城であったゲディミナス塔が見えるが、今はないが、そこから下った旧下の城(大公居館だった)と大聖堂とは屋根つき廊下でつながっていたそうで、王家の教会であったことがわかる。大鐘楼は、当時の下の城の城郭の跡に建てられていて、その城域の大きさも想像できる。大聖堂はその後も王家の力で改築が繰り返され、その時代に応じてルネッサンス様式、バロック様式が付加されていった。現在の古典主義様式建築に改築されたのは、18世紀後半で、当時ヴィリニュスの建築第一人者であったラウリーナス・ストゥオカが手がけ、ポーランド・リトアニア共同国家の中で最も壮麗かつ純然たる古典主義(クラシック)様式建造物となった。現在、広大なカテドウロス広場に堂々と建つ姿を見ると確かにこの建物は小国リトアニアには出来過ぎたといえるほどの立派なものであり、ここがリトアニアの歴史と民族の心の象徴という意味もわかる気がいてくる。しばらく写真枚数を重ねて大聖堂の内容を見ていこう。 -
大聖堂のファサード詳細観察
この大聖堂の正面はドーリア式円柱が並びペディメント(三角破風)を支えるという見るからにギリシャ神殿を髣髴させる古典主義様式建築である。
前述のように数次の増改築を経て18世紀の大改修で今の形になったという。
ガイドの説明では、屋根の上に据え付けられている3聖人の像(聖スタニスラス、聖ヘレン、聖カジミエル)はもと彫刻家カジミエラス・イエルスキス作だが、1996年冬にソ連に撤去されたものを、再現したもの。
円柱列に支えられた屋根つきの玄関ポーチの壁を見ると、彫像を入れるニッチが開けられ、両翼にアブラハムとモーゼ、中央に4人の福音書記者の彫像が置かれている。
壁の上方には新薬聖書をテーマにした5つのレリーフ(精霊降臨、聖ペトロの奇跡、聖パウロの事跡など)が見られる。
三角破風の浮き彫りにはンノアの犠牲が描かれている。イタリアのトマッソ・リッジ作の優れたもの。
このように当大聖堂のササードは、清楚ながら美術館の玄関のようで、立派なものである。ヴィリニス市民が誇りにするのもうなずける。写真を拡大してみてください。
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広場から見た大聖堂南側面の柱列と聖カジミエルチャペルのクーポラ
古典主義様式建築教会としのこだわりは、ファサードばかりでなく、その両側面においても巨大な列柱が配置されており、正面のポルチコ同様に側面でもニッチに聖人のレリーフが並んでいる。ただし南東隅だけは古典様式でなくて、後世に聖カジミエルの礼拝堂が付加されたので、その銅版屋根(クーポラ)はその内部様式と同様のバロック様式となっている。
なお、この教会広場から人間の輪の人の手をつなぐバルト3国の運動の出発点となったことは、忘れられない出来事である。 -
大聖堂身廊
壮麗な古典主義様式の建築である。側廊との間にたつ清楚な柱には12使徒の絵が飾られている。このほか大聖堂側廊にはイタリア画家の絵が数多く展示されている。堂内は割りと明るく、美術館の風情がある。 -
大聖堂内陣・祭壇
中央祭壇の柱はドリス式の大理石で、ファサードの柱と同じ姿である。また祭壇画は「聖スタニシラスの死」で作家は側廊柱の絵と同様、プランティクス・スムグレーヴィチェス。これらは18世紀末の美術気風を反映したもので、西ヨーロッパに劣らぬすばらしいもの。 -
大聖堂パイプオルガン
内陣祭壇に相対する2階パイプオルガンと合唱団席の周囲はバロック様式の装飾、彫刻がちりばめられている。 -
南側廊の奥の彫像
北側のそれ「神への愛」と対で「隣人の愛」と名づけられたリッジの作品 -
聖カジミエル礼拝堂
大聖堂内に11のチャペル(礼拝室)があるが、その中で最大で屈指の礼拝室である。聖カジミエルはリトアニアの守護聖人とあがめられる聖者で、彼に名を冠した教会も別にあるが、ここには聖人の石棺も安置され、大公ジグムント・ヴァーサー王によって創始された権威ある礼拝堂である。内部はなかなか凝ったつくりになっていて、全体が美術品である。チャペルの設計と装飾はイタリア人建築家であり彫刻家であるマテオとセバスティアノ・サロ、コンスタンティノ・テンカラというが、いずれも当代の優れたマイスターを呼び寄せて作らせたもので、おそらく金に糸目をつけなかったのであろう。壁は砂岩造で黒の大理石で一面が覆われている。その中に大きなフレスコ画が2つあり、左方の壁画は聖カジミエルの棺が120年を経て開けられても遺体が腐敗していなかったという話の絵、右方の壁画は聖人の棺のそばで少女スウラが死から蘇るという奇跡談が描かれていて、ガイドの説明が佳境に入るところである。 -
聖カジミエル礼拝堂の彫像
この礼拝堂の4隅にピンク大理石のニッチ(壁を凹ませて彫像などを入れる場所)が作られ、中にはリトアニア大公とポーランド王(リトアニア・ポーランド共同国時代)の8体の木彫の銀鍍金像が置いてある。ニッチの上のスタッコもなかなか凝った装飾である。壁画風の装飾浮き彫りは17世紀ピエトロ・ペルティ作で幼児を抱き上げて微笑むマリアなどがみられ、白壁の中にほのかな彩を添えて妙である。 -
聖カジミエル礼拝堂小ドーム天井
この種の丸天井をクーポラというが、四角な礼拝堂のの上に8角形化粧リブで支えられて、窓の間に化粧漆喰の装飾が白く明るく軽快であり、それが少々暗めで重厚な感じの堂内を和らげる役割を果たしている。
クーポラの下の扉上部に特別席があり、リトアニア大公とポーランド王は、大聖堂の裏側にあった下の城から屋根つきのパサージュを歩いて大聖堂まで来て特別席で説教を聴いていたという。スタッコ技法によって装飾されたクーポラの翼部分には壁画様式に似せた絵がある。 -
大統領官邸
2階建ての後期古典主義様式建築である。四角いファサードにドリス式の列柱、その上に三角形ペディメント、欄干などで飾られている。建物の3つの突起部分が広場と中庭へ突き出している。中庭の列柱は美しいイオニア式で建物の両翼まで続いている。横に回ると建物の広大な庭園がちらりと見える。全体として大統領官邸にふさわしい端麗なたたずまいである。
なかなか歴史のある建物のようで、16〜18世紀はヴィリニュス司教のレジデンスで、その後のロシア支配下では総督邸、19世紀初頭にはナポレオンも来たようだ。第1次、2次大戦を経て諸用に供せられたあと、1997年に大統領官邸となった。 -
ヴィリニュス大学図書館
大統領官邸の東隣にヴィリニュス大学のキャンパスが広がり、大学の1部として言語学部が入っている。この写真は、どのガイドブックにも出ている大学図書館のフレームであるが、後方に見える尖塔が聖ヨハネ教会の鐘楼で、実は大学の一部が教会地域内に置かれているのである。ここは16世紀の宗教改革に対抗してイエズス会の拠点となり、会としての教育振興を図るべく教会寺内に神学高等学校を設立したのが始まりで、これが大学へと改編されたものである。歴史と由緒ある教会のほうが見学の興味を引くところである。 -
聖ヨハネ教会と大鐘楼
この教会は大学構内にあってイエズス会時代からの大学の礼拝堂であった。14世紀にリトアニアがキリスト教を受け入れた時に教会建設が始まったから、歴史は大聖堂同様に古い。ゴシック様式であったが、火災に会い、18世紀後半に改築され、内部はバロック様式になった。19世紀になってさらに改築され、豪華なバロック様式ファサードにクラシック(古典主義)様式の特徴が付加され現状の簡素な形になっている。装飾的なものは、渦巻き型装飾や彫像、装飾十字架(後掲載の写真参照)などである。
この教会の何よりもの目玉は5層の鐘楼であり、バロックとルネッサンス様式両方の特徴をもって、市内各所から望見できる街のランドマークである。 -
聖ヨハネ教会ファサードの十字架
化粧十字架とでも言おうか、細い金属棒で形作った十字架は、夫人のブローチのデザインモデルにもなっている。このように教会ファサードは前面を高くパラペットのように立ち上げ、後ろにバジリカ風の屋根をもつ教会堂を建てた。 -
ヨハネ通りから聖ヨハネ教会鐘楼
ヨノ通りともいう。大学の聖ヨハネ教会外壁にそってピリエス通りに突き当たる。この通りはかってリトアニアで最も影響力を持つ貴族階級の邸宅が並んでいたが、現在は市の文化施設が並ぶ地域となっていて比較的静かなとおりである。 -
ドミニコーヌ通りの初期バロック様式家並み
ヨハネ教会分岐点からヨハネ通りの反対側へ行くと、ヴィリニュスでも最も古い通りの一つのドミニコーヌ通りとなる。ドミニコ会修道院があったところがロシア正教聖霊教会となって、ヴィリニュスでは最も豪華な教会の一つになっている。今回見学は割愛したがこの通りを見渡すと、古いロシア系の初期バロック様式住宅の家並みが見られ、なかなか品のいいものである。 -
メインロードのピリエス通りの家並み
ヨハネ通りがぶつかった3叉路がヴィリニュスで最も古い通りのピリエス通り。したがって、この通りから南下してディジョーイ通り、さらに夜明けの門通りに続く南北縦貫のメイン道路沿いにヴィリニュス旧市街で最も興味深い各種の様式の建物が集中して見られ、そこからこの街の成り立ちや、市民生活の模様も垣間見られるというわけである。
写真はバロック様式の家並みに軽やかな錬鉄製手すりがついたベランダが多く見られる。 -
ピリエス通りのカフェ
メイン道路のピリエス通りにはこのような小さなカフェが諸所にあり、バロック様式の家々の1階に店を張っている。錬鉄製のバルコニーが風情がある。 -
繁華街ピリエス通りの賑わい
大聖堂広場から南下するピリエス通りはヴィリニュス大学、ヨハネ教会そばを通りロシア正教会広場までの繁華街で、さらにデジョ通り、夜明けの門通りへと連結して旧市街の南北を結ぶメイン道路となっている。この通りから見上げるとゲディミナスの丘の塔に国旗が翻るのが見える。 -
シックなミコロ通りと大天使聖ミカエル教会
賑やかなピリエス通りから東へ右折、ミコロ通りに入るとバロック様式のシックな家並が続き、奥の方にミカエル教会のバロック様式尖塔が見えてくる。この通りが観光客に好かれるのは、家並みのほかに琥珀ミュージアム(博物館と訳すにはちょっと小規模)兼売店があり、ここならまずまともな琥珀がリーズナブル価格で買えるという評判で、ツアーのショッピングポイントになっているからであろう。 -
ミコロ通りの琥珀ミュージアム看板と陳列
見落としそうな小さな看板が壁に貼り付けられている。よく見ると英語で「Amber Gallary−Museun」と出ている。隣の路地を入ってすぐ右に入り口があり、中に入ると売店で観光客がいっぱい入っていた。ミュージアムは地下にあり、これは案外面白い。水に浮かぶ琥珀(比重がほぼ1に近い)沈むプラスチック製偽琥珀などや種々の原石を展示し、英語解説がついている。 -
琥珀ミュージアムの原石展示
琥珀で値段が高いのは、アンバー色、艶、輝きがいいものであることは勿論だが、内包物として小さな昆虫などの形がいいものが入っているもの。色は光源よっても透過光が違って見えるから、なるべく北側の窓からの自然光でよく見定めること。 -
乳白色の琥珀原石
琥珀の中には乳白色の柔らかな感じのものがある。これは琥珀のもとになる樹脂(やに)の中に空気・気泡がはいって生じたもので、これを磨き出してきれいな縞模様が出ると貴重な逸品となる。アンバー色の琥珀とのアンサンブルデザインされたものも買いやすい値段で出ていた。 -
大天使ミカエル教会とベルナンディン修道院
琥珀ミュージアムの先すぐそばに塗装しなおしたばかりであろうか、すばらしくきれいなファサードがぐっと聳え立つのが見られる。大天使ミカエル教会である。資料によると、ヴィリニュスに唯ひとつ残されたルネッサンス様式の建築アンサンブル(複合構成)である。
本編冒頭にヴィリニュスでは、宗教建築の標本箱のごとくに各種建築様式の教会建設され保存よく残されているので、西洋建築様式史を読むようだと書いたが、この教会もそのうちの一つで、ファサードを見ると、比較的すっきりしたルネッサンス調のファサードにバロック尖塔屋根のつ双塔が付加され、ルネッサンス様式からバロック様式への移行期のスタイルとなっている。16世紀末にリトアニア公国の最高位にあった、レオ・サピエガによって一家の廟所として建設されたものだが、戦火に会い17世紀後半に再建された。現在は建築博物館になっている。
内部は贅を尽くした豪華な装飾であふれている。色大理石の祭壇は末期ルネッサンス様式で、スタッコ装飾され、さらにその横の祭壇はロココ様式で作られている。 -
ミコロ通りミカエル教会から聖ヨハネ教会鐘楼
ミコロ通り界隈は実に絵になる場所が多い。ミカエル教会から通りを振り返って見ると、後方に聖ヨハネ教会の高塔が青空に聳えるのが見える。秋になればカエデなど落葉樹の紅葉がすばらしくこの道筋を彩るであろうと思われた。秋に観光される方々には、是非ともこのアングルで撮ってきていただきたいものです。
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赤レンガが美しい聖アンナ教会
赤レンガ造で、ゴシック様式後期に発達したフランボワイアン式の華やかなファサードで飾られている。これだけのものをレンガで造るにはかなり高度な技術的レベルを要するが、資料によるとこの建築に使われたレンガは、33種類もの異なった形のものが供されているという。大理石などの高級石材に恵まれなかったため北ヨーロッパで発達したレンガ積み技術の粋が結集されたと見てよい。建築的価値を高めている点はファサードの十字架を戴くシンメトリックな尖塔の構成で、垂直線と曲線が融合しあった構造とそのデザイン性であろう。すらりとした稜角柱に半円形や逆ハート形の尖形、凹面形という3種類のアーチの組み合わせがゴシック特有の昇天志向をよく表現している。側面と内陣を見るとゴシック窓の高くて鋭いアーチやバットレス、すかし細工の飾り小塔など複雑な構造をよくこなしている。20世紀初頭に改築された際に当時流行のネオルネッサンス様式が一部取り入れられてもいる。
境界横には、独立したネオゴシック様式の鐘楼が建っているが、これは19世紀後半(1873年)建造とのこと。「地球の歩き方」にナポレオンのロシア侵攻時のエピソードとして、この教会を見て「わが手に収めてフランスに持ち帰りたい」といった話が紹介されていたが、確かに見事な作品であるし、第一、実にフォトジェニックである。 -
ベルナンデン会教会
聖アンナ教会の後ろにより大きな規模の教会がある。ゴシック様式建築の教会としてはヴィリニュス中で最大規模。やはり赤レンガ造だが、ファサードの装飾は簡素で尖頭アーチ窓と無骨なバッドレス(控え壁)が目立つ。ファサード上部は、ペディメントとなっていて左右に8角形の塔が立ち、中央にキリスト受難の壁画がある。教会堂の後方に8角形の鐘楼が立つ。 -
伝道師教会と修道院
城壁の外側に当たるスパチャウス道路を走っているとすばらしいバロック様式の教会兼修道院を望見した。17世紀の教会に、建築家グラビツにょって根本的に改築され、末期バロック様式となったが、ヴィリニュスの中でも特に優れた建築物と思われる。 -
夜明けの門(南側)
ヴィリニュス駅前大通りを東へ400m進み右折すると、夜明け門が見える。またの名をメーディニンク門というが、ヨーロッパでは城門を出て向かう方面の名を門に冠することが多く、ここからメーディニンカイやミンスクへ向かう道に通じていた。ヴィリニュスを囲んでいた城壁に5つの(9つともいうが)門のうち旧市街で今に残る唯一の城門であり、ヴィリニュスを象徴する建造物の一つである。この南面を見ると、レンガ造のゴシック様式(上部、アティクはルネッサンス様式に変更)で、城壁に応じて厚い壁である。入り口のトンネルをくぐるとアーチはいわゆる円筒形のヴォールト(窮りゅう)に覆われており、鉄のゲートがあった後も見られる。壁には銃眼がいくつもあり、その間にニッチが開けられ上部には商人の守護神であるヘルメスの頭部で飾ったコーニスがある。最上部にはルネッサンス様式のアティクがグリフィン(リトアニアの紋章として)の浮き彫りで飾られている。最近お化粧直しがされたのか、壁面はきれいである。
この城門から東側にはかなり長い城壁の残りが見られる。 -
夜明けの門(夜明けの門通り側から)
門を潜り、通りへ出て振り返ると門の上はなかなか立派な礼拝堂となっている。ここに祭られたルネッサンス様式で描かれた聖母マリアのイコンが17世紀半ばごろから奇跡を顕す絵として崇められて来て、18世紀半ばには豪華な枠が据えられた。1993年、時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世がリトアニア訪問の際にイコンが修復され、法王はこの礼拝堂で祈りをささげたという記念の名礼拝堂である。 -
夜明けの門2階礼拝堂
夜明けの門通りの下から見上げると、礼拝堂には大勢の信者が熱心に祈りをささげてなかなか動こうとしないので、上がっていって写真を撮るにはちょっと気が引けたが、心臓づよく上ってみた。(以下の写真に続く) -
聖マリアのイコンと祭壇
礼拝堂へ登るには、ちょっとわかりづらいが、次の写真のようにテレサ教会横からの入り口がある。うえからぞろぞろと信者観光客が降りてくるのとすれ違いつつ、礼拝堂に入ると、廊下のような狭いスペースの壁に祭壇があり、真ん中に大きなイコンがある。きんきらきんの金鍍金銀枠には、後光がさし星がきらめき、冠を冠り、バラ、チューリップ、水仙、カーネーション、などのレリーフで飾った衣装をまとった中に顔と手だけ出したマリア像があった。祭壇前に額づく信者のそばをそっと通り、拝礼し、厳粛な空気の中、フラッシュは焚かずに遠慮しつつも音が出るカメラのシャッターを切って、早々に退散した。 -
夜明けの門通り
礼拝堂の窓から下を俯瞰すると一直線に伸びた夜明けの門通りが、旧市庁舎方面に伸びている。この通りはヴィリニュス旧市街を南北に縦断するメイン道路で大聖堂から南下するピリエス通り〜ディジョイ通りと旧市庁舎広場で合体し一番賑やかな通りといわれる。だがこの辺りは、いくつかの教会が並んで建っているから、日本で言うならば寺町通りである。気をつけてよく見ていくとこの通りの教会は、聖マリアのイコン礼拝堂やテレサ教会のカトリック系、ロシア正教の聖霊教会や修道院、そして三位一体教会とバシリウス修道院の合同教会(カソリック、正教共同教会)の3つの異なる宗教教会群が見られるのも特色ではなかろうか。
以下少々それらを詳しく見ていこう。 -
夜明けの門階上の聖母マリア礼拝堂への入り口
この入り口から入り、右手の廊下がスロープになってるのを登っていく。右に回り狭い階段を礼拝堂から降りてくる人を避けながら上がると、もう礼拝堂の入り口である。 -
聖テレサ教会
夜明けの門通りを下ってすぐ右手のバロック様式の建物が聖テレサ教会。ファサードは初期バロックの端正なデザインで、渦巻き形オベリスクで装飾され垂直線が強調されるローマ風である。というのも、レンガ造りが多かった17世紀にこの教会は花崗岩と大理石等の豪華な建材が使われていて、リトアニア大公国の副首相だったステーポナス・パツァスの保護と寄付金で17年かけて建設したそうだから、本格的なものである。内部は広い身廊に狭い側廊のバシリカスタイル。祭壇はなかなか立派で、スウェーデン砂岩を使ったといわれ、輪郭がしっかりと浮き上がらせたコーニス(軒蛇腹)や雲形の浮き彫りで装飾されたペディメント(三角切妻)その他多数の彫像で飾られている。身廊と天井のフレスコ画は聖テレサの人生が描かれている。 -
聖霊ロシア正教教会入り口
ヴィリニュスはロシアとの国境が近く、ロシア正教の伝道も盛んであったのであろう。中世から東方正教(オルソドックス)と西方のカトリックとの境界がヴィリニュスと言われていたそうであるから、この街では両派のキリスト教会が並び立っていた状況がよく理解できる。夜明けの門通りにおいても、聖マリアイコン礼拝堂崇拝は首都のカトリックの伝統を表すものだが、同系の聖テレサ教会とカトリックが続いたその隣にロシア正教の聖霊教会が並んでいる。ロシア教会でもこの入り口はロシア的ではないバロック様式である。 -
聖霊ロシア正教教会ファサード
ピンクの門から入って、ピンクのファサードの聖霊教会へ向かう。外観はロシア正教スタイルでなくヴィリニュスバロック様式の建築である。初期バロックの双塔と左右対称ですっきりしたファサードである。この写真からは見えないが、高いクーポラと巨大な鐘楼がある。ここは男子、女子の修道院があり、その教会でもある。
朝の礼拝以降内部が一般にも公開されているので、
見学することにした。 -
聖霊ロシア正教教会内部
この教会は内部に入ってさらに驚く。ロシア教会らしくない18世紀のバロック内部装飾があふれている。それは、ロシア正教の教会に特徴的な金色の塀のような衝立枠のイコノスタシスがなくて、鮮やかな緑色に塗られた積層型のイコノスタシスとなっており、その枠に描かれたイコンはまるでカソリックの祭壇画衝立を思わせるものである。ロシア教会の深奥な薄暗さがなく高い天井のクーポラからの光が堂内を明るく照らし、あっけらかんとしている。本当に18世紀からこのスタイルだったのか、最近どこの教会も修復予算がついたのか化粧直しをしているから、内部を明るく塗り替えたばかりかも知れないと思いながら、リトアニアでは唯一のヴィリニュスバロック様式だと聞いた以外はガイドに聞きそびれてしまった。
また、祭壇の前には1371年に殉教した3人の聖人の遺体が保存されていて、祭日ごとに赤、白、黒などの衣装に着せ替える習慣が守られているそうである。 -
聖三位一体教会とバシリウス会修道院の門
聖霊教会と通りを隔てた反対側にすばらしい門構えの教会と修道院がある。この門はヴィリニュスの中で見られる最も美しい後期バロック建築物の一つといわれる。前述の聖霊教会の建築技師と同じクラウビッツが手がけたもので、優美な曲線で構成されたファサードである。上部には、三位一体を表すコンポジションが飾られている。この奥の広い中庭に出ると、そこにゴシックとバロックとロシアンビザンチューム様式を混ぜ合わせたような教会が建ち、その形にも象徴されるように、これがユニエイトといって正教の儀礼の形を残しながらローマ法王に仕える宗派、いわゆる合同教会になっている。
このような形の教会はタリンでもリーガでも見られなかったヴィリニュス独自のもの。宗教に対して寛大な町とでも言うものか。 -
聖カジミエル教会ファサード
市庁舎広場の東側に建っていて、堂々たる構えのファサードを持ち、王冠を載せた高い多段クーポラが人目を引く建物である。17世紀初頭にイエズス会がリトアニアの守護聖人聖カジミエルを称えて建てた教会であるがヴィリニュスで最初に建てられたバロック様式の作例と言われているから注目したい。どうやらローマにあるイエズス会の「Il Gesu」の型をそっくり持って来て建てたようである。
歴史は古いが、規模は大きく、立派なバロック建築物である。リトアニアの支配者が変わるごとに教会の内容も変容を迫られると言う運命を経てきて今日に至っている。ロシア帝国時代は正教教会に衣替えし、クーポラの屋根はロシヤ占領時代にはロシア正教スタイルの玉ねぎ型に変えられたが、1942年に再び王冠型に復旧したという。第一次大戦でドイツ占領時代はプロテスタント教会、ソ連時代は博物館になった。
ピンク系の外壁が柔らかな感じを与えるが、独立後教会に復旧し目下諸所の補修工事中である。 -
聖カジミエル教会内部
午後のイエズス会のミサが行われていた。中をそっと撮影。内部をプラン(平面図)的に鑑賞すれば、ラテン十字型構造で身廊は広く長く、その上に大きなクーポラを載せている。クーポラはロココ様式の華麗な装飾が施されている。教会内には、3つの礼拝祭壇が見られるが、末期バロック様式の装飾性の強いものと見受けられた。祭壇以外は装飾は少なくバロック様式としては割りとすっきりした内部であった。 -
旧市庁舎
見るからにギリシャ神殿風の建物、いわゆる古典主義様式の建築物である。もとは14世紀からあった庁舎を18世紀末に建築家ラウリーナス・ストゥオカグツェーヴィチュスの設計で厳格なクラシックスタイルに改築された。19世紀からはポーランドやロシアの劇場に様変わりし、オペラが上演された。現在は美術館と種々な展示会場になっている。
目下内部改装工事中であったが巨大な6本のドリス式円柱のポルチコとその上の三角形ペディメントの外観は変わら清楚で美しい。 -
旧市庁舎広場と聖ミカエル教会
旧市庁舎の周囲に広がる広場が改修工事中でこのあたりはちょっとごちゃごちゃしてはいるが、ミカエル教会をはじめバロック風の家並みが見通せて、広場と町並みの原型が眺められるいい機会でもある。これが工事でどのように変わるのだろうか。裏側にある前述の聖カジミエル教会のすぐ隣は、近代的なショップに様変わりしていたから、まさか全域がそのような若者が集まる近代化ショピング街に変えられるとは思わないが、そうなっては観光客にとっては幻滅となるのが心配。あとから観光に訪れる方々に見守っていただきたい。 -
3つの十字架の丘
ゲティミナスの丘のさらに東方の丘に3つの十字架を連ねた塔が立っている。
ガイドによるとこの丘の上でフランシスコ派の僧侶7名が殺され、そのうちの3人が磔にされたという。彼らのために17世紀十字架が立てられたのは始まりで、3つにまで増えたが、ソ連占領下では破壊された。このようなソ連の破壊は他の2国でも行われたが独立運動の高まりとともに再建され、1989年から再び丘から市街を見下ろしている。 -
新市街大天使ラファエル教会と後方のリェトォウボアホテル
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ネリス川対岸新市街風景
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新市街高層ホテル群夕景
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