1979/08 - 1982/12
64位(同エリア107件中)
アリヤンさん
1978年。
インフラ整備に忙しかった建設中の首都リヤド。
フライパンの上で焼かれているようにヒリヒリ暑く、カラカラの空気に、粉状の砂が舞っており、すさまじくホコリっぽい。
78年以来93年の15年間のあいだに、ワタクシは100回以上サウジアラビアを訪問し、その首都であるリヤドには毎回訪問していた。
78年~82年と85年~88年のクウェート駐在時代は、毎月訪問して必ず首都リヤドには降り立った。
オイルダラーに沸くサウジアラビアは、当時日本商社のドル箱であった。
当時、商売相手のローカル・サウジ商人は、その殆どが英語なんぞしゃべらなかった。
特にこのリヤドの町の商人はアラビア語オンリーだった。
よって当方は必要にせまられ、彼等のしゃべるベドゥインなまりのアラビア語を会得せざるを得なかった。
クウェートで、テープ付きアラビア語学習キットを買って独学した。
主に単語を覚えた。
特に商売用語の習得は客から学んだ。
先ず挨拶と数字を身に付けた。
今でもスラスラ口をついて言える。
ここは首都なので、一日5回のお祈りは、ジェッダより、より厳格で、その1回の時間が少し長いように感じた。
それだけ丁寧なお祈りをささげるのだろう。
当方の商売現場は、リヤドの工業地帯にあり、そのエリアの名前は「アス・ナイーヤ」だった。
まさに日本語の「明日、無いや」に通じて、まるで仁義無き戦いに毎日駆り出されているような気分であった。
ここの商人は、商都ジェッダのようにはアカ抜けしておらず、どちらかといえば田舎モン=非常に素朴なベドゥインのような良い人々だった。
アザーンが始まると、ワタクシを外に出し、店を閉めてモスクに行くのだが、良く手をつながれて、「さあお祈りに一緒に行こう!」と誘われた。
「まだ20%くらいしかイスラムには成れていないので、まだダメです」と言って丁重にお断りしていた。
リヤドでは写真撮影は結構厳しく禁じられていた。
目立たないように撮らないと、エライ目に会う(ムチか棒で叩かれる)ので自然、当時の写真が少ない。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー
- 航空会社
- サウディア
-
1978年当時のリヤド。
オイル・ダラーを大量に投入して、インフラ整備に忙しくする幕開け時代だった。
(ポスト・カード) -
街並みはまだマバラで、全体が土色だ。
土色ということは、リヤドの土がこの色なので、まだまだ市街地は、土の家が多かったという事だ。
市街地のそとは、この土色の土漠が、はるか地平線まで続いている。
まだ舗装がされてない道は多く、雨が大量に降ると(こんな砂漠地帯でも冬には降ったりする)地道の道路がすぐに冠水する。
年間雨量が極端に少ない地域だけに道路の排水設備は整っていないのだ。
冠水した道路に大きな穴が開いていたりして、車がその中に落ち込み、運転手が溺れ死んだりした。
ワタクシも良く、そんな現場を目撃した。
(ポスト・カード) -
新しい道路は、このような立派な道路。
でも、当時はまだ車が少なかったせいか、ガランとしていた。
写真はエアポート・ロードの南端で、ここに常宿にしていた「ザハレッタル・シャルク ホテル」があった。
これでも70年代のリヤド中心部の風景です。
(ポスト・カード) -
当時、リヤド空港は市内にあって、市街地から非常に近かった。
(今は非常に遠い所にある)
写真は1978年当時のエアポート・ロード(空港通り)。
ここに主な官庁も集まり、主なホテルも集まっていた。
ヤママ・ホテル(昭和天皇がサウジに来た時に泊まったホテル)、ハヤット・リージェンシー(当時はまだこのホテルは建設中だった。後ほどの第1次湾岸戦争の時に、このホテルがアメリカ軍の参謀本部として使われた)、ザハレッタル・シャルク・ホテル(ワタクシが当時いつも宿泊していたホテル)などが、この通り沿いにあった。
(ポスト・カード) -
ウオーター・タワー。
水を上に溜め込んで、水圧を作り、町に水を供給する。
リヤドは、天然地下水が結構あるので、水道には自然水が出てくる。
でも加工しなければ、飲み水にはならない硬い水だった。
バスルームで、頭を石鹸で洗って、シャワーでお湯をかぶったら、髪の毛がバリバリになったことがあった。
とんでもない水だった。
80年代には、質が改善されたのか?
髪の毛はバリバリにならなかった。
(ポスト・カード) -
オールド・リヤド地域に行けば、市場のまわりに古い町並みが残っていた。
これはサウジ建国当時の砦だったそうだ。
(ポスト・カード) -
かような歴史的建造物はオールド・リヤド区域のみで、あとは工事中だらけの工事現場ばかりのだだっ広い、砂ぼこりっぽい、ガランとした町であった。
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当時の地図があったので位置関係を記してみた。
リヤドでの主な活動範囲は、エアポート通りと、工業地帯(アス・ナイーヤ)だった。
この2点間を毎日、午前中、午後の2回づつ往復していた。
(ビジネス・アワーは朝夕の2シフト制であった。昼間は暑いので、家に帰って昼寝をする制度になっている。これは世界中暑い国々で行われている、普通の労働形態)
ジェッダは、まだ賑やかなショッピング街があるが、リヤドはホントに、何もエンタテイメントが無かった。
食事も大変で、ホテルのレストランで決められた、フィックス・メニューを毎日食べていたほどだ。
まずい、コース料理だった。 -
この道を通って、工業地帯へ通っていた。
(ポスト・カード) -
当時の素朴なアラビア商人。
彼らは、南イエメン出身のアラブ商人。
素朴でいい人々だった。
このような人たちが、平気で何百万~何千万、時には何億円もの買い付けをするのでした。 -
このおじさん、商売の支払いの信用状を開く決心をする時、初めてなので机の上にアグラを掻いて「ウーン、ウーン」と悩んでいた。
ワタクシは彼の座っていた、机の前に座っていた。
彼の着物(ジツダーシャという白いムームーみたいなワンピース)の胡坐足が丸見えで、しかも連中、パンツをはかないので、丸見えになった。
エライ可笑しな場面だった。
でも本人は真剣に悩んでいたので、笑うのは失礼、と笑い必死でこらえた。
愛すべき人々である。 -
このやさしいおじさんは、家に招待してくれた。
屋上で羊のバーベキューだった。
隣りに生きた羊を連れてきて、衝立のかげで首を切ってさばいたのには参った。
でも、そのイキのイイ、バーベキューは素朴でうまかった。
それに精が付くのか?
その夜は寝られなかったのを、良く覚えている。
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