2005/06/17 - 2005/06/30
943位(同エリア1223件中)
rojinさん
- rojinさんTOP
- 旅行記44冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 160,519アクセス
- フォロワー7人
ヨーロッパの東端、ロシアに接してバルト三国がある。
バルト海に面したエストニア・ラトヴィアそれに大部分が内陸部のリトアニア三国が南北に並んでいる。いずれも人口の少ない小国だが、言語はそれぞれ独立して存在するというから不思議だ。
(人口:エストニア 135万人、ラトヴィア 230万人、リトアニア 340万人)
旧ソ連の支配下にあって相当悲惨な歴史を歩んだが、独立後まだ十数年しか経っていないのに、そこへ個人旅行ができる時代になった。
フィンランド航空でヘルシンキまで飛び、そこで乗り継いで、先ずリトアニアの首都ヴィリニュスへ向かい5泊して、杉原記念館のあるカウナスへ日帰り観光をしたり、トラカイへ古城観光したりした。
次に長距離バスで隣国ラトヴィアへ移動して4泊、シグルダへ日帰り観光を楽しんだ。
そして最後はエストニアで3泊し、そこからヘルシンキへ飛び、日本への帰国便に乗り継いだ。
バルト三国の旅行会話を予め勉強をしようと思ったが、参考書やCDが一般の本屋にはなかったので、困ってしまう。
そこで、日本にあるリトアニア政府観光局にfaxで問い合わせると、自費出版のような参考図書を紹介してくれたので、
その本を出版元から取り寄せて、何とか準備をして出発に間に合わせることが出来た。
実際に喋った片言リトアニア語の例です:
ラバス・リータス!( お早う! )
ラバ・デイエナ! ( こんちわ! )
アテイプラシャウ! ( すみませんが )
イシュ ジャポニオス ( 日本人なんですが )
ガル ガレ-チャウ ユス ヌフォトグラフフォーテイ?
( あなたの写真を撮っていい?
返事が・・タイプ(Yes)かゲライ(OK)なら
ラバイ・アチュウ! ( どうも有難う! )
返事が・・ネ(駄目)なら
スプラントウ ( 分かった )
ヴィエナ ビリエッタ プラショム (切符一枚ください)
クール イーラ? ( どこ? )
チュア ( ここ )
ヴィソ ゲエーロ! ( さよなら! )
旅のラトヴィア語の例です:
ラブリート! ( お早う !)
ラブデイ’エン! ( こんちわ !)
パ’ルデイエス ( 有難う !)
ウズレゼーシャ・ノ’ース ( さようなら !)
ルオ’ーゾ ( どうぞ )
以下省略
(持参カメラは70mm~210mm一眼レフ)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
リトアニアのヴィリニュス空港に到着したのは夕方5時頃だったが、真昼のように明るかった。 早速リトアニアの通貨(リタス)に両替しようと、銀行窓口に向かった。 500米ドルT/Cを差し出して、リトアニア語で
”Laba diena! Noreciau iskeisti tai "
( 今日は! これを両替したいのですが )
ーー「 Ne, cia. 」( ここでは出来ません )
え! ここで出来ないの!
”Kur yra? ”( どこで出来るの?)
ーー「 ?ゲテイミノ バンカス チェントラス・・・」
・・・ゲテイミノ通りの銀行本店なら出来ると言っていると推量した。
では、手持ちの90ユーロ紙幣だけでも両替しておこう。
”O K。 Suprantou。 Noreciau iskeisti tai。”
( O K、わかった。 これを両替して )
これで、僅かだが現地通貨リタスを懐にいれることができたという次第。
========
予約しておいたリトアニアのホテル<NOVOTEL>には、空港からバスで行くつもりだったので、空港の出口付近のバス停で待っていると、バスがやってきた。
窓から顔を出したバスの運転手さんに、リトアニア語で
「 Laba diena! こんにちは!」「 Noreciau nuvykti i HOTEL NOVOTEL.」
( ノヴォテルホテル へ行きたいのですが )
と言って、ホテルの名前を書いたメモを運転手さんに見せると、
ーー” NOVOTEL ? Ne. Sis autobusas. Taksi."
( ノヴォテル ? だめ、このバスは。 タクシーだよ)
その運転手さんがバスから降りてきて、客待ちしているタクシーのところへメモを持って行くので、仕方なくタクシーに乗ることになってしまった。
あとから分かったのだが、バスの路線がホテルから離れている(徒歩15分ぐらい)ので、運転手さんがバスは駄目と言ったのだ。
(写真は泊まったホテルの窓から見た夕焼け。) -
到着したホテルのチェックインもリトアニア語でやってみた。
”Laba diena! Mano vardas yra K-O-N-O。
Is Japonijos.”
( こんにちは! 日本から来た名前はコ・オ・ノ )
”Esu uzrezervaves. For five nights.”
( 予約しています。 5泊 )
”Stai mano Voucher. Gerai?”
( これがヴァウチャーです。 OK? )
これで、すんなりチェックインができた。
チェックインを終えてから直ちに銀行本店の窓口へ行こうと思い、
銀行本店はどこにあるの? と聞いたら、
ーすぐ隣にあるわ、でも、もう Closed よー
時計の針はすでに夕方6時を過ぎていたのだ。
” Tomorrow is Sataurday. Bankas is open ? "
( 明日は土曜日だが、銀行は開いている ?) と聞くと
ー Yes、 ー という返事に一安心。
NOVOTEL HOTEL は1年前にオープンしたばかりで
部屋は実に機能的にできており、寸分の隙もない。
特別シャワー室・コーヒー紅茶セット付瞬間湯沸し・
貴重品入れ・キングサイズベッド・真新しいタオルなど何一つ不足なし。
これで朝食つき1泊13000円だから格安だろう。
貴重品金庫は鍵も暗証番号も必要ない。
手持ちのクレジット・カードを挿入すれば自動的に
読み取って、これが鍵代わりになるから便利だった。
ここNovotell Hotelの5連泊が楽しみになってきた。
(写真はホテルの部屋からの景色) -
翌朝、美味しい朝食を済ませてから、ラトヴィアへの長距離移動バスの切符を予め購入しておこうと思い、ホテル前から2番のトラムに乗って駅前のバス・ターミナルへ行くことにした。
トラムの切符は、予め道端のキオスクで買っておいた。
こんな買い方だった。
「 Labas rytas! Viena bilieta prasau. 」
( 今日は! 切符1枚ください )
実は、旅行準備中、この「 切符1枚ください 」という簡単なリトアニア語ですら分からず困っていたら、日本開催の愛知万博(2005.5)でリトアニア館が開設されていることを偶然知ったので、愛知万博へ行った時に
そのリトアニア館の女性係員に、
「 切符1枚ください 」をリトアニア語でどう言うのか教わっておいたのである。
駅前のバスターミナル窓口では、つぎのようなメモを出した。
Prasom! Noreciau nuvykti i Riga.
Viena bilieta prasau.
22・06・2005
すると、<インフィメーション>へ行きなさい、と言われ、
<インフォメーション>で同じメモを見せると、
ー何時のバス?(英語) と聞かれたので、
午前中がいい(英語)と答えると、
ーOK. 7:20 ーとメモに書いてくれて
ーBilietas は隣の窓口よー
Labai aciu! ( 有難う! )
こんなやりとりで無事、切符を買うことが出来た。
・・・・ここからは両替トラブルの続編です・・・・・
時間の余裕があったのでホテルまで歩いて帰ろうと思い、ブラブラ街中を歩いていると、< HANSA BANKAS> という看板をつけた銀行が店を開いているのが目に入った。
ここで両替を済ませておこうと思って、中に入ると数人が両替に並んでいた。 番号札を持って待っていると順番がきたので、
” Labas rytas ! Noreciau iskeisti tai .”
( お早う ! これを両替して下さい )
と言って、米国500ドルT/C とパスポートを差し出すと、係の女性が暫く
そのT/Cを手に持って思案顔。なにやら同僚と話していたが、
ー Un moment, Please you sit down tyere. ー と言って
奥のドアを開けて中に入ったまま、15分経っても出てこない。
すると、漸く係の女性が、上司らしき人物と一緒にドアから出てきた。
ーExcuse me. このT/Cは当銀行に口座を持っていないと取扱い出来ないんです。 すみません。ーー
呆然としたが、どうしようもない!
そこで、足速くホテルに戻り、隣の銀行本店へ行くと、閉まっている!
休みらしい! 困った!
ホテルのレセプションでどこか両替出来る所はないか、聞いたら、
24時間オープンの両替所があるというので、早速駆けつけたが、結果は
同じく 駄目という返事。 やれやれ明日は日曜で銀行は休みだ。
ヴィルニュス滞在5日のうち3日間は両替できずに過ごさねばならないのか!
(写真はホテルから眺めた白夜の広場。) -
話が前後するが、ホテルの朝食を摂る前に、1時間ほど街の早朝散歩を楽しんだ。 歩いて10分ぐらいのところにネリス川が流れており、釣り人もいた。 また川端で清掃人が黙々と掃除している姿もあった。
「 ラバスリータス!(お早う !)」と声をかけても、頷き返すだけ。 貧しい生活に苦労している彼等からすれば、見知らぬ旅行者から挨拶されても、意味がないのだろうか。
見上げると、観光名所のひとつゲテイミナス城がネリス川を睥睨するかのように聳えている。迫力ある光景だった。
そのゲテイミナス城へは、朝食のあと、ケーブルカーで登って、塔の上からヴィルニュスの街並みを眺めた。(写真)
ここが旧市街で世界遺産に登録されている所なんだ。
旧市街の最も賑やかな<ピリエス通り>には、もう観光客があふれているのが塔からも見えた。 -
ゲテイミナス城の下には緑濃い公園が広がっていた。(スケッチ)
-
ゲテイミナス城から降りて向かった先は、このピリエス通り。
なかなか趣のある入口だ。 -
ピリエス通りは、観光客に人気のある通りで、散策するには絶好。
-
屋台が通りに立ち並んで客寄せが盛んだ。
その中に野球帽を被ったアイスクリーム売りのおばあさんがいたので、声をかけてみた。(写真)
「 Atsiprasau! Kur yra Uzpis ? 」
( すみません! ウジュピス地区はどこですか? )
ウジュピス地区というのは、旧市街と小川を挟んだ向かい側にある場所。
とても中世の面影を残したところで評判の地区だという。
おばあさんが振り向いて、
” その路を下がった先だよ”という仕草で教えてくれた。
「 Labai aciu. Suprantou. 」
( 有難う。わかった )
「 Is Japonijos. Gal gleciau jus nufotografuoti? 」
( 日本からきたのですが、写真撮ってもいい? )
おばあさんは恥ずかしがって、カメラに顔を向けてくれない。
でも、シャッターを押して、
「 Labai aciu! 」( 有難う! )
とお礼を言うと、笑顔で頷いてくれた。
「 Viso gero! 」(さようなら!) -
ここがウジュピス地区。
おばさんに教えてもらった路を行くと、小川が流れており小さな橋があった。この先がウジュピス地区のようだ。
歩いて行くと、なんと道が行き止まり! 近くのレストランの男性に
「Atsiprasau! Noreciau nuvykti i overthere.」
( すみません! あそこへ行きたいんですが・・)
ーー”?ペラペラ?” リトアニア語で教えてくれるが分からない。
「 Ne suprantou. 」(分かりません)
すると、彼が手招きしてこっちだよ、と先導しながら川沿いに行く小道を教えてくれた。
「 Labai aciu! 」(有難う )
小道を暫く歩いていくと、川で洗濯している若い主婦に出会った。
「 Laba diena! 」( 今日は! )
挨拶すると、笑顔が返ってきた。こんな所までやってくる日本人はよほど珍しいのだろう。
いつまでも好奇の眼差しで手を振ってくれた。
ウジュピス地区は、中世の古びた街という印象が強かった。(写真)
事前に取り寄せてリトアニア語を勉強した例の自主出版本の
中に、このウジュビス地区が一番おすすめの場所だ、と書いて
あったのだ。 -
ウジュピス地区へ渡る橋が別の所にもあった。
-
つぎは、<円形城塞>という名前の城を見に行く。
なかなか風情のある要塞だった。帰り際、城塞内部にいた係のオバサンにヴィソゲーロ!(さようなら!)と声をかけると、爽やかな声で ヴィソゲエーローと語尾をあげて応えてくれた声が、いつまでも耳に残った。 -
円形城塞の内部を見物してから外へ出て、街の裏通りをノンビリ散策し、途中で道端に腰掛けてスケッチをしたりして楽しむ。
3時間かけて旧市街を中心に散策してから、近くのスーパーで夕食の食材を買ったり、ショッピング店を覗いたり、異国の庶民文化を肌で感じることができた。
夕方、突如雷雨があったので暫く軒下で雨宿り。それも一瞬で過ぎ去り、白夜の二日目をホテルの窓から楽しめた。
=============
滞在二日目はゲテイミナス城の後ろ側にある丘に登った。
ここには、3つの十字架が建立されている。静かな森の中を、マイナス・イオンを含んだ空気を胸に一杯吸い込みながら、山道を一人もくもくと登り、十字架を間近に眺めてから、今度はウジュピスを挟む川べりまで降りて来て、再び旧市街を駅方面まで散策して過ごす。
夕方、また激しい雷と雨。 -
翌日は、杉原記念館のあるカウナスへ日帰り観光に出かけた。
ここは第二次世界大戦の際、ナチス・ドイツに追われたユダヤ人6000人もの命を救った日本人外交官・杉原総領事代理がいた都市として有名である。
旧市街には歴史的古城も残っており観光地としても人気がある由。
ホテルを早く出て駅前ターミナルを7:15に出発するミニバスに乗って行く。
車窓から眺めるリトアニアの郊外は寒冷地のためか、
針葉樹林が連なり耕地が少ないように見えた。
走行している車はドイツ車が多く、日本車はまだまだ少ない。インターチェンジの近くにトヨタの看板がある真新しい販売店を見かけたが・・・
90分ほどで終点カウナスのバスターミナルに到着。
まず、旧市街へ行くためトローリーバスに乗りかえる。
やってきたトロリーバスは混んでいた。
乗客で混み合っている為、運転手の席まで行けないので、旧市街へ行くバスなのか、隣のつり革の女性に聞いてみた。
「 Atsiprasau! Ar sis autobusas i old town?」
(すみません! このバスは旧市街へ行きますか?)
突然、見知らぬサングラスをかけた東洋の老人から英語まじりの変なリトアニア語で話かけられた婦人は、
不思議そうな顔をしたが、黙って頷いてくれた。
バスはどんどん街中を走っていく。
今度は、どこで降りたらいいのか不安になってきた。
突然くるりと、バスが方向を変えたので慌てて隣の
男性に聞いた。
「Atsiprasau! Noreciau nuvykti i old town. Kur yra ?」
( すみません! 旧市街へいくんですが どこですか? )
すると、彼が大声で叫んだ!
ーー”Cia! Cia!"( ここだ!ここだよ! )
ところがバスはなかなか止まらない。つぎのバス停
にやっと着いて停車した。
ホットして降りてはみたが、通りが複雑で方角が分からない。
地図を片手にうろうろ。
アイスクリームの売り子さんに英語で尋ねても
首を振るばかり。
すると、人の良さそうな婦人が歩みを止めて、
ーー”Can I help you ?”と話かけてきた。
「 I'd like to go to the old town. Where?」
( 旧市街へ行きたいんですが )
すると、分かり易い英語で
ーー”Ah, you go to straight and then the underground
way down up. You can find the old town.
O K ?
「 Suprantou. Labai aciu. Thank you. 」 ( わかった、有難う )
ーー”You are welcome. "
婦人は笑顔を見せながら立ち去っていった。
(写真はカウナスの旧市街との境。) -
親切な婦人に教えて貰った地下道をくぐる。(写真)
と、向こう側に旧市街があった。 -
6月はリトアニアでは最高の季節!
若者は半袖スタイルが多い。 -
地元の少年たちはどこへ行くのだろう?
一定の速度で一定の間隔を保ちながら歩いていた。 -
カウナスの旧市街には学校があるらしく男性・女性の学生らしい若者が多く見受けられた。
-
苦労して辿り着いたカウナスの旧市街だが、小さな区域なので短時間で見て回れた。
最後に訪れた古城には観光案内所があり、入ってみると案内嬢がいて、
ーー”パンフレットは無料ですからどうぞ” とパンフレットをくれた。
気分が乗ってきたので、彼女の写真を撮ってもいいか
リトアニア語で聞いてみた。
「 Is Japonijos. Gal gleciau jus nufotografuoti ?」
すると、笑顔で、
ーー”Sure. " 英語の返事だ。
パチリとシャッターを切って、
「 Ar jus Lietuve ?」(あなたはリトアニア人ですか?)
ーー”Taip."(ええ)
今度はリトアニア語で答えてくれる。
「 Labai aciu! Viso gero! 」 と言うと、
( 有難う! さよなら! )
ーー”Viso gero! " リトアニア語でさようなら!と応えてくれた。 -
カウナスの古城にはバス・ツアーでやってくる観光客の姿が多くみられた。
-
快晴の空には教会の塔が煌いていた。(写真)
============
さて、一応、カウナスの旧市街散策が終わったので、バスターミナルまで戻り、近くにある<杉原記念館>を訪れることにしよう。
ところが、乗り込んだトローリバスが来た道とは別の方向に走っていくではないか !! ここのバスはどうなっているんだ !
近くにいた若者に、
「 Noreciau nuvykti i autobusu stotis. Gerai?」
(バスターミナルに行きたいが、これでいいの?)
ーー”Yes. "
明快な返事に一安心。
しかし、バスが、ある場所に着くと、乗客がみな降りてしまい、新しい乗客が乗り込んできた。
またまた不安になってきた。
隣に座った女性に先と同じ質問をすると、”うん”と頷くだけ。
そのうちに見慣れた光景が窓から見えてきたのでほっとする。
どうやら往復バスではなく渦巻き循環バスのようだ。
ところで肝心の<杉原記念館>の場所の問題が生じた。 ガイドブックの地図に載っているので簡単に場所が分かると思っていたが・・・・実際には近くの人達ー警備員や歩行者に尋ねても、だれも首をかしげるばかりで知らない。
これには驚いた。どうやっても場所がわからない。
残念だが<SUGIHARA Memorial House>訪問は諦めざるを得なかった。
ヴィリニュスへ戻ってからその日に、国立ユダヤ博物館を探し尋ねて、内部を見学すると、
そこには<杉原記念館>がカウナスの街に設置されたという日本の新聞報道記事が大きく展示されていたのだが・・・・。 -
ヴィリニュス滞在最後の日はトウラカイ古城探訪にでかけた。
そこは首都から30km離れた近郊にあり、湖に浮かぶ美しい古城があるうえに、昔の少数民族カライテ人の伝統的家屋が立ち並ぶ通りもある由。
( 写真は、古城のある湖 ) -
終点トウラカイでバスを降りて1.5kmほど歩くと、湖上に浮かぶ古城が見えてきた。色鮮やかなボートも岸辺に係留されていた。(写真)
周りには観光客は誰も居ない。
朝一番のバスでやってきた小生が一番乗りのようだった。 -
住民らしき人が渡っている橋もあった。
-
ヨットで古城見学にきたのだろうか。 ヨットの船上で一人の男性が起きたばかりの様子で手ぬぐいを首に巻き、湖で顔を洗っている姿が見えた。
-
古城までの橋を渡ろうとしたら、橋の袂にアコーデオン弾きが楽器を抱えたまま眠っていた。
「 Labas rytas !」( お早う! )
と声をかけると目を覚まし、
ーー”Dobry den!" ( お早う! )
というチェコ語が返ってきた。そこで思わず聞いてみた。
「 As es Japonas. Is kur jus ?」
( わたしは日本からきたが、あなたは? )
ーー”レニーングラード ~ぺらぺら ”と言ってやおらアコーデオンを肩にかけ大声で<ヴォルガの舟歌>を唄いだしたのだ。
「Gal galeciau jus nufotografuoti? 」
( 写真を撮ってもいい? )
カメラを向けると、帽子を被り直してポーズをとったので、
パチリ。(写真)
ーー” Foto 5Litas. "
そうかチップが必要なのか! 言われた通り5リタス硬貨を箱に入れる。
すると、今度はバッジはどう?と薦めてきた。
「 Kiek kinuoja ?」(値段はいくら?)
ーー”10 Litas. "
「 Mazai brangus. 」(すこし高いよ)
ーー”8 Litas. "
「 Gerai. Sitai prasau.」(OK これください)
こんなヤリトリの後、橋を渡って古城見物をしてきたのだが、・・・・
古城の内部は、あまり印象に残っていない。普通の古城だった。 -
この写真の家がカライテ族の伝統的なつくりの家で、本によれば
その特徴はいろいろあるが、特に窓が三つ並んでいる所が面白いそうだ。 -
そのカライテ族の伝統的な家をスケッチしていると、その家の主婦が幼子の手を引いて買い物から戻ってくる光景に出会った。
二人は喋りながら草花の香る裏庭のほうへ入って行く。まるで映画のワンシーンを見ているような気がした。
今日のトラカイ村の日帰り観光は実に印象的だったですね。 -
ここからは、隣国ラトヴィア滞在記です。( 写真の白いビルが泊まったホテルです )
==========
5日間のリトアニア滞在を終えてから、隣国ラトヴィアへ長距離バスで移動しました。 途中の国境付近で一回トイレ休憩しただけで、バスは5時間後の12:30ごろ、漸くラトヴィアの首都リーガに到着です。
このラトヴィアの首都リーガという所は、13世紀はじめドイツ騎士団が占領して以降、ドイツ人によって築かれた中世都市で、旧市街は世界遺産になっている風情豊かな街といわれています。
人気があるのでしょう、バスターミナルは人の波で溢れていました。
銀行の窓口を見つけたので、T/Cの両替をしておこうと思い、窓口へ並んで、英語で交渉しました。
”Can I exchange this Travelers check? "
--ー「 No, we can not.」 という返事。
じゃあ、どこで現金化できるの?と英語で聞いたら
ーー「 Central Bank. 」 という返事がかえってきたので、
バスターミナルから歩いて旧市街へ向かうと、<BALTIC TRUST BANK>という看板をつけたビルが目に入ったので安堵!!良かった!
ドアを開けて銀行内に入ると窓口があったので、両替出来るか尋ねると、向こうの窓口だと教えてくれた。
順番待ちの長い行列に並んでから、漸く自分の番がきたのでT/Cとパスポートを差し出すと、
---「 No. It's middle. 」( それは中央の窓口だ )
最初に両替場所を尋ねた窓口へ戻れ!と言われて戸惑ってしまう。仕方ない。 言われた窓口へ取って返すと、「 窓口は向こう。」と再び断られてしまう。一体どうなているんだ!!!
この騒ぎを見ていた行列の客達が騒ぎ出して あっちだ!と教えてくれるが、異国語を喋れないので立ち往生してしまった。
そのうち 中央窓口の女性が隣の係員と話をした後、そこで取り扱ってくれることになって一件落着。良かった!
何故、T/Cの両替をやろうとしないのか、訳が分からなかったが・・・
その後、銀行を出てから予約済みのホテル向かう為、近くのトラム乗り場からトラム⑤番に乗ってダウガヴァ川を渡ったところで下車。 ホテル<Radisson SAS>まで歩いていく。(写真の大きな白い建物がホテル)
フロントでRiverside の部屋を希望したら、返事は駄目。シングルはすべて反対側の部屋だそうだ。
観光バスが10台も停まっていて、ドイツ語圏内からの観光客でホテルは満員のようだった。
チェックイン後シャワーを浴び洗濯を済ませてから、再びトラムに乗って旧市街探訪に出かけることにしました。
トラムには車掌がいるので切符は簡単に買えたが、その車掌の風体が変わっている。 制服ではなく普段着のまま生活にやつれた感じのオバサンが、乗客の前に黙ってやってくる。小銭を出すと、切符を黙って一枚ちぎってくれるだけ。・・・・・・
帰りはこのトラムに乗らず、長い橋を歩いて戻ったが、歩数で800歩、約500mの長さだった。(写真の橋)
ドイツ人達はみんな歩いているようだった。 -
翌朝の朝食は超満員。1階と2階の両方のレストランを使っても大混雑している。4百人のツアー客が一斉に食べにくるのだから当然かもしれないが・・
朝食後、カメラをリュックに入れ、再び旧市街の散策に出かける。
何枚かのスケッチを描いてから、観光名所でカメラを撮っていると、すぐ前に美容院の店があり開店の準備にかかっていた。
日本で散髪しないまま旅に出てしまったので、髪が首元まで伸びている。ここで散髪するチャンスかと思い
店に足を踏み入れた。
「 Labrit! Hair cut ludzu. 」
(お早う!ヘアーカット頼みます)
初めて喋るラトヴィア語だが通じたようだ。
ーー”ぺらぺら??”と美容師が話しかけてくるが、分からない。
「 Nespraout. 」( 分かりません )
すると、別の美容師を呼んできて英語で問いかけた。
ーー”More short cut ? A little cut? "
「 A little cut ,please.」
ーー” OK ”
椅子を後ろに倒して、先に頭を洗い、つぎに元の位置に椅子を戻してからハサミでカットして終了。
剃刀による髭剃りはなし。
1000円弱の料金を払ったあと、カメラを取り出して
「Darf ich Sie fotografieren ?」
(写真を撮ってもいい?)
こんどはドイツ語で聞くと、
ーー”Ja. " パチリ。
「 Danke schön! 」( 有難う!)
ーー”Bitte schön !」 (どういたしまして)
ラトヴィアでは矢張りドイツ語が通じるようだ! -
世界遺産のラトヴィア首都リーガ旧市街には趣のある小道があって散策する観光客が楽しんでいた。
-
リーガの街並みです。
-
中世ドイツ的建築物が数多く残るリーガの街。
-
ここ旧市街は本当にドイツ的雰囲気が溢れている。
-
旧市街の一角でアイスクリームを売る少女です。
-
旧市街の街並み。遠くにダウガヴァ川が見える。
バルト海に注ぐ河口はすぐ近くにあるらしい。 -
リーガ滞在2日目は新市街探訪に出かけることにした。
新市街は<バルトのParis>と呼ばれるほど、近代的な景観の街だった。
各国の大使館や領事館が目白押しに立ち並んでいる。
ここは歴史的に見ると政治的軍事的情報収集拠点として重要な役割を果たしたと言われており、特に第一次世界大戦以来、ドイツ・ソ連による駆け引きの場でもあった。
足を運んでみると、元の日本大使館の隣にはロシア大使館があり、現在の日本大使館の目の前には
ロシア正教の大聖堂が圧し掛かるように聳えていた。
逆光に輝く大聖堂の3つの丸い屋根が大変印象的だったので、公園のベンチに座ってスケッチをする。
公園といえば、リーガの旧市街と新市街の境目に運河が流れている。
過去には運河としての役割を果たしたと思われるが、現在は美しい川に生まれ変わり、緑溢れる公園の中を一筋の清流が流れている。時折、観光客を乗せた手漕きボートが見える実に楽しい散策道だ。 -
新市街から清流に架かる橋を渡り、旧市街に戻ってくると雰囲気が一変する。
この景色を立ったままスケッチをする。 -
国立オペラ座が運河を挟んで向こうの新市街にあった。
-
ラトヴィア滞在の3日目はシグルダというリゾート景勝地へ行った。
電車に乗って1時間20分ほど車窓風景を楽しみながらシグルダ駅に到着。(写真)
バルト平原は、高低差の殆どない平地として有名だが、ここは
100m前後の渓谷があり、春は新緑、秋は紅葉、冬にはスキーやボブスレーが楽しめ、別名<ラトヴィアのスイス>とも呼ばれているそうだ。
13世紀ごろ建造されたトウライダという古城も完全に保存されていた。
シグルダ駅で降りたのは20人ぐらい。小生が駅のトイレから戻ってくると、誰もいなくなっていた。
駅前にポツンと1台タクシーが客待ちしていた。
「 Labdien! Uz Turaidas Pils,ludzu. 」
( 今日は! トウライダ城まで頼みます )
ラトヴィア語で話すと、笑顔でドアを開けてくれた。
車は道路をすいすい飛ばして坂道を下り、川沿いの谷間の緑の中を暫く走る。 川沿いに走ること5~6分、再び車は川岸を離れて丘へ上って行くと、そこが古城公園の入口だった。
「 Paldies! 」(有難う!)
料金2ラッツ=4百円を運転手に払って、公園の入口にある切符売り場へ。 窓口には年配の女性がいた。
「 Labdien! Vienu bilete,ludzu.」
( 今日は! 切符1枚ください )
「 Kur ir Pils ?」(城はどこですか? )
と聞くと、窓口女性があっちですよ、と手振りで教えてくれた。
観光バスからツアー客達が次々と大勢やってくる。
皆の後をついて歩いていくと、13世紀の古城が姿を現した。
石造りの要塞に登ってみると、ここが中世の時代に
民族間紛争の重要な砦であったことが分かる。 -
13世紀建造の要塞です。 石造りの要塞には凄まじい迫力を感じた。
内部に入ると、博物館のようになっていて、地下室には白骨の遺体も横たわっていたのだ!
当時の生活を模造人形や道具を使って展示してあった。 -
古城見学を終えた後、駅まで歩いて戻ろうと思って、切符売り場の女性に聞いてみた。
”Excuse me, I'd like to go to the Sigulda Station on foot.
Were is the walking rout ? "
すると、英語が全く通じない。困った!
地図を見せて、ここへ行きたいと言っても、車道の方を指して、
あれだ、あれだ、と指差すばかり。
仕方がない。 暑い日差しの中、30分も車道を歩いていると、
道路の脇に道標が目に入った。
小さな脇道があり、左方向が洞窟( Gutmana Ala )だ。
やはり、車道とは別にウオーキンルートがあったのだ。
早速、その草生す小径に入り込んで、目指す方向へ歩いていくと
突然、歌声が聞こえてきた!
声の主は、野原に立ってアコーデイオンを抱えて歌っていたのだ。(写真)
周囲には誰も見かけなかったが・・・・ -
アコーデイオン歌い手の写真をカメラにおさめてから、暫く歩いて行くと、洞窟が見えてきた。
旅行者が数人、カメラを持って歩きまわっていた。
地図で確認すると、およそ500m先に長い階段があって別の古城城跡へ通じており、そこからはロープウェイで対岸に渡り、シグルダ駅へ歩いて戻れるようだ。 -
誰もいないロープウェイ(写真)で対岸に渡り、そこから30分ほど歩いて漸くシグルダ駅に戻ることができた。
こんな風に古城から歩いて駅までくる観光客は滅多にいないのだろう。
電車が来るまで時間があったので、シグルダ駅付近を散策していると、孫を乳母車に乗せて散歩しているお年寄りに出会った。
「 Labdien! Pretty baby! One year? Two years? 」
( こんちわ! 可愛いね! 1歳? 2歳? )
” Labdien ! Pieci pieci。”
( こんちにちわ! 5ヶ月よ ) という返事。
「 One foto, ok? 」( 写真1枚 いい?)
すると、孫を抱き上げてポーズをとってくれた。パチリ!
「 Paldies! Uz redzsanos !」
( 有難う! さようなら ! ) -
さて、本日はバルト3国の最後の国<エストニア>へ5時間半の長距離バスの移動だ。
途中2回トイレ休憩をとったが、ラトヴィア国内でのトイレは野つぼ無料だったが・・・それに対してエストニアは水洗有料トイレだった。
こんな所に両国の相違が鮮明に現れているのか!
======================
ここからはエストニア共和国の旅行記となります。
ことほど左様にエストニアの生活水準は高いことが分かった。バスの車窓から眺めていると、エストニアの首都タリンの近郊では別荘のような郊外住宅が道の両側に続いている。
広い庭には大木が茂り、レジャー用具や庭仕事の道具などが置いてあり、垣根などない。
あとでスーパーやショッピング・センター等へ買い物に出かけた際、見かけた現地の人々の服装や身に付けている装飾品を一瞥しても、所得水準の高いことが想像できた。
長距離バスは午後1時に終点バスターミナルに到着。
すぐタクシーで予約済ホテル<Olimpia>へ向かった。
(写真はエストニアの首都タリン。) -
人口150万人の小国エストニアがバルト3カ国の中で
一番所得水準が高いとしたら、何故だろうか? 北欧に一番近いから貿易面で有利なのだろう。
観光案内所の応対や、街中の果物売り屋さん、スーパーの店員さん、バス運転手、ホテルの従業員、博物館の受付など接した人々は間違いなく<英語通だ>。
英語圏の先進国という感じがした。
勿論、物価水準はそれなりに高いが・・・・
( 写真はエストニアの首都タリン ) -
タリンの旧市街は世界遺産に登録されており、城壁に囲まれた丘の上にあった。
昔はバルト海の港から陸揚げされた物資は、この北の城門を通って中世ドイツ商人達の倉庫兼住居に運びこまれたという。(写真が北の城門 )
タリンはバルト海をはさんでヘルシンキと向き合う地理的要衝にあるのでハンザ同盟都市として重要な貿易中継点だった由。 -
これがタリンの城壁。
-
城壁の石垣。
-
タリン旧市街の中心地・旧市庁舎のあるラエコヤ広場には、もう朝から観光客が集まって盛り上がっていた。
賑やかな下町通りの一郭に観光案内所もあり、旅行者で溢れている。
中に入り、受付でエストニア歴史博物館の場所を聞くと、てきぱきと明快な英語で教えてくれた。
リトアニアやラトヴィアにも観光案内所<Informmation>はあったが、活気がなく応対も不親切だったのと比較すると、ここエストニアは観光政策は図抜けている。 -
観光客が見つめる街の絵売り
-
果物売りの少女
-
風情ある城内です。
-
旧市街を散策する旅行者
-
旧市街の寸景
-
旧市街の城壁
-
タリン旧市街にて数枚スケッチをした。
-
こんな城塔もあった。
-
バス停の朝の風景です。
-
ホテルの窓からの眺め。
-
翌日、タリンの郊外にあるKadriorg Parkという名前の公園に出かけてみた。
18世紀半ば、バルト地域を支配したロシア皇帝が奥さんのカテリーナの為に、ここに宮殿と公園をつくってあげたのだという。カテリーナのエストニア読みがKadriorgということ。
トラム③番に乗って終点で降りた所で一枚スケッチをする。
行き先の宮殿方角が分からなかったが、偶然一台の観光バスが止まり、ぞろぞろ観光客が降りて歩き出したので、後をついて行くと広大な新緑に覆われた公園に入り、10分ばかり歩くと、陽光の中に真っ白な宮殿が現れた。
その宮殿内に美術館があるので見ようとしたら、まだ開館前。時間つぶしにその裏側へまわってみた。
周囲は森の大木が覆い尽くしており光線が届かず薄暗い。自然の中で小用を足して、更に足を運んでぐるりと回っていくと、衛兵が二人たっている正面玄関に出た。 屋上にはエストニア国旗がはためいている。
表示板を読むと、なんと<President Palace>!
ここは大統領官邸だったのだ。
宮殿内の美術館に足を運んで、管内の展示物を見て回ったが印象に残るような作品はなかったが・・・
外の通りでは地元の中学生と思われる少年少女達が、先生の指導の下、ほうきを持って掃除に精をだしている姿が見られ、広い閑静な公園でノンビリ旅の最後の時を過ごすことが出来て満足できた。
バルト三国の旅もこれで終わり、明日は、いよいよエストニアからヘルシンキ経由日本へ帰国する日だ。 最後の一日を気持よく過すことにしよう。
おわり。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
リトアニア の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
リトアニア の人気ホテル
リトアニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
リトアニア最安
517円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
60