2007/08 - 2007/08
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Giraudさん
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中世の二重城壁都市が修復・再現されているカルカッソンヌへ、日帰りですが行ってきました。
地中海側と大西洋側をつなぐ南仏では唯一の平地のため、街道も運河も鉄道もここに集中。
日本で言えば関が原のような場所で、古くから戦略重要地点として城壁都市が築かれていました。
かつてケルト人が砦を築いていた高台に、ローマが城壁に囲まれた街を造ったのが始まり。
一時は欧州に侵入してきたイスラム勢が占領、カール大帝(シャルルマーニュ)の軍も退けました。
カルカッソンヌという地名は、このときのイスラム教徒の女王カルカスに由来するとも言われます。
その後キリスト教の異端カタリ派の時代を経て、ついにフランス王国領に。
聖王ルイ9世が対スペイン戦に備え、城壁を二重に強化、欧州屈指の城壁都市が完成しました。
その後荒廃したカルカッソンヌを、19世紀に中世マニアの建築家ヴィオレ・ル・デュクが修復。
この人の“修復”は、正確な再現ではなく、自分好みでの改変もあり、ときに批判もされます。
(パリのノートル・ダムやヴェズレー、アミアンの大聖堂も、この人が“修復”しました)
それでも見捨てられていた中世の教会や城を現代に残したということで、功績は大きいでしょう。
現在のカルカッソンヌでは、中世だけでなくローマ時代の塔や城壁も新たに復元されています。
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カルカッソンヌ駅。
乗換駅のナルボンヌからは約30分で到着。 -
カルカッソンヌ駅前にあるミディ運河の船着場。
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旧橋から見るラ・シテ(旧市街=城壁都市部分)。
昼過ぎのこの時間はまだ逆光・・・ -
ナルボンヌ門。
城の周りを半周して登り、この門から入場。
門の名は、ナルボンヌへの街道に通じていたため。 -
ラ・シテ(旧市街)を囲む二重の城壁。
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城内に残る最も古い井戸、グラン・ピュイ。
悪魔が7人の弓兵を引きずりこんだなどの伝説も。 -
オード門からの眺め。
天気が良ければピレネー山脈も見えたはず。
かつての国境線はピレネーより手前にありました。 -
リス(狭間)。
二重城壁の間の平坦な空地。
敵兵の攻撃点に機動的に移動するための通路。 -
内側の城壁。
石積みの違いに時代が現れています。
真ん中が最も古く、上下が中世の増築。
上はともかく“下に増築”とは、堀を深くしたため。 -
外側の城壁の半円形の防塁。
城外に向かっては堅固な砦。
万一破られたら、内壁から容易に攻撃できる形状。 -
コムタル城(伯城)。
木製の張出廊下=ウールの再現は貴重です。
普通の古城では石積み部分だけが残存。 -
ウールの中。
ここから城壁下に迫る敵兵を攻撃。
しかし木製なので燃やされやすいという欠点も。 -
ウールは後世では「石落とし」に進化しました。
(写真はアヴィニョンの教皇宮殿のもの) -
復元した塔の説明図。
あえて異なる時代・様式のものを並べています。 -
手前:ローマ時代(4世紀)の塔。
真ん中:中世(13世紀前半)の塔。
奥:中世(13世紀後期)の司教の塔。 -
この部分の城壁と塔はローマ時代を再現。
1960年頃に構築し直しました。
(最初の修復時はすべて中世風のとんがり屋根) -
コムタル城から見下ろすサン・ジメール教会。
古そうに見えますが、19世紀中頃の建築。
当時ヴィオレ・ル・デュクが設計しました。
(建築家ですから、新築の仕事もしてます)
ここは中世には井戸があった場所。
伸びた城壁跡は当時の取水用の通路。
高台の城内の井戸は、渇水することもあったため。
川沿いの低地の井戸なら、夏場でも大丈夫でした。 -
ラ・シテ(旧市街)内のサン・ナゼール聖堂。
古い部分は11世紀のロマネスク様式。 -
サン・ナゼール聖堂。
内陣はステンドグラスが美しいゴシック様式。 -
新橋から眺めるラ・シテ(旧市街)。
夜のライトアップされた城壁も美しいそうですが・・・
アヴィニョンから遠征してきたので、これで見納め。
片道3時間かけて帰ります。
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