2007/08/18 - 2007/08/18
4004位(同エリア4678件中)
のださん
三井記念美術館に出向きます。
企画展は、美術の遊びとこころ 「旅」。
旅をテーマに、国宝「一遍聖絵」や西行物語絵巻などが見所です。
その後銀座に行って、松坂屋銀座店で開催されている平和祈念展を見学します。
これは15日~21日までの期間限定企画で、毎年開催されているようです。
西新宿に平和祈念展示資料館というところがあり、運営している平和祈念事業特別基金という団体が主催しています。
今日は体験者のトークショーも行われ、13時からと15時から。
13時からは間に合わないだろうから、できれば15時からのものを聴けるように。
今日の出演は、引揚体験者として松島トモ子、聞き手:橋本志穂。
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三井記念美術館の最寄り駅は三越前駅ですが、ここ数日の猛暑も今日は和らぎ、幾分涼しいので、東京駅から歩いていくことにします。
そうは言っても、これでも私にとっては暑いくらいで、汗をかいています。
八重洲口の前に八重洲通りが伸びています。
しばらく進むと、中央分離帯に中央区の平和の鐘が見えます。 -
平和の鐘の足元。
ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタインとリーフデ号の碑。
航海士としてリーフデ号に乗り込んだヤン・ヨーステンは、日本に漂着し、徳川家康の信任を得、屋敷を拝領します。
その屋敷というのが「やよす河岸」にあり、そこから転じて八重洲になった、と伝えられています。
彼はその後南シナ海で難破して溺死します。
八重洲地下街にヤン・ヨーステンの首の碑があると聞いて、探し回りましたが、見つかりませんでした。
東京駅の八重洲側は現在大々的な工事が行われているので、隠れているのかもしれません。 -
交差する中央通を北上。
いわゆる日本橋交差点、地下鉄日本橋駅の上。
コレド日本橋という商業施設ができています。
ここは元々白木屋百貨店です。
1932年12月16日、歳末大売出しの忙しい中、4Fのおもちゃ売り場から出火し、燃え広がりました。
逃げ遅れた女性店員は助けを求め、下にネットが張られました。
しかし、和服姿で下着を着けていない彼女らは、下半身が露出することを恐れ、飛び降りることができません。
結局、60名を越す死傷者を出す大惨事となりました。
この火災の教訓から、日本で下着革命が起こったと言われています。
また、消火器の普及やはしご消防車の導入も促しました。
その後東急百貨店日本橋店となりましたが、1999年閉店してしまいました。 -
日本橋に近づいてきました。
日本橋由来の碑。 -
日本橋を渡るのは初めてだ。
橋銘は徳川慶喜の筆によるものだそうです。
照明灯装飾品の麒麟は、東京市の繁栄を表しているとのことです。 -
埋め込まれている日本国道路元標というのはあれですか。
車が走っているので、真上から見てみる勇気はありません。 -
日本橋を三越側に渡り切って右側。
ここは乙姫広場と呼ぶそうですが、像は乙姫像と呼ぶのかな?
日本橋魚市場発祥の地碑。
日本橋から江戸橋にかけて、魚河岸があり、それはそれは大変な賑わいをみせていたそうです。
魚市場は、関東大震災後に現在の築地に移されました。 -
中央通にはところどころに歴史を語った説明板が立っています。
時間があれば読んでみると面白いです。 -
23℃?
もうちょっと高いんじゃないかな?
しかし、やはり昨日までに比べて大分過ごしやすいです。 -
この通りを按針通りといいます。
ヤン・ヨーステンと同じくリーフデ号で漂着し、外交顧問として活躍したウィリアム・アダムス、日本名:三浦按針に由来します。 -
三浦按針屋敷跡碑があることは知っていましたが、これがまた見つけにくい。
ほとんどの人間は気付かずに素通りじゃないでしょうか?
私もぐるぐる回って、近くのコンビニで聞いてようやく見つけました。 -
中央通に戻って、通りの向こう側、三越の隣。
三井本館。
現在は重要文化財に指定されています。
この7Fに三井記念美術館があります。 -
本館の北側が三井タワーですね。
本館には美術館への入り口らしきものは見えないから、タワーから入るのでしょうか? -
通りを渡って、三井タワー前。
越後屋三井呉服店(三越)の創業者である三井高利の説明。 -
やはりタワーから入るようです。
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ミュージアムカフェでランチを摂り、銀座線で銀座まで。
銀座は土日が歩行者天国のようです。
ランドマークとして機能する松坂屋。
ちょうど15時ですので、トークショーを聴きます。
松島トモ子の本名:奉子は、奉天で生まれたから付けられたそうです。
2003年には小林千登勢もトークショーに出演し、そのときの音声を聴くことができますが、残念ながらその3ヶ月後に亡くなってしまいます。
会場は、映像などを駆使していてわかりやすい。
常設展示では見られない資料も展示しているそうです。 -
17時を回り、帰るために新橋駅まで歩いていきます。
銀座の南端、新橋に入る手前に通っているのが御門通り。
東海道の起点を日本橋にするため道を延ばし、その際新橋という橋が架けられました。
1710年、6代将軍徳川家宣の時代、朝鮮からの使者を迎えるため、新橋の北側に芝口御門が設けられ、新橋も芝口橋と改称しました。
しかし、その14年後、火災で芝口御門が焼失しました。
門は再建されず、橋だけ架け替えられました。
その橋を、人々は旧名である新橋と呼ぶようになった、ということです。 -
高速道路のガードをくぐり、柳が見えます。
まあ柳はいたるところにあります。
その下に「銀座柳の碑」があり、歌詞と譜面が刻まれています。
銀座の柳は関東大震災で焼失してしまったが、10年後に復活。
柳祭りが催され、松竹映画が作品を製作しました。
その主題歌が大ヒットしたそうです。
銀座の柳を守ろうとする運動は続いており、現在も銀座柳まつりというものが開催されているそうです。
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