2007/04/21 - 2007/04/21
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ぱんぱーすさん
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長かった四川探訪旅行記も、この巻をもって完結となります。
最後は「蜀」の都であった成都の象徴でもある、「武侯祠」丸々一冊特集で締め括りたいと思います。蜀の皇帝、劉備元徳の陵墓があります。
でも、劉備元徳の陵墓は「恵陵」なのに、この施設名自体は諸葛亮孔明の号をとって「武侯祠」と名付けられているんですねぇ。臣が君を食ってしまってます。さすがの人気というか、何というか……
では、どうぞ。
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いきなりボケてしまってすみません。
「三国聖地」と書かれた石碑が、武侯祠の入り口にある。三国志ファンの心が躍る瞬間である。 -
大門をくぐったところ。奥に二門が見える。
正直、どこから周るべきなのか迷うほど見どころの多いこの場所。とりあえずは正面の漢昭烈廟から見て周る事にする。 -
ここ漢昭烈廟及び左右の文臣廊・武将廊には、蜀の武将として活躍した数々の武将が祭られている。三国志の中でももっとも人気の高い蜀の武将が居並ぶ廊下を歩きながら、興奮は自然と高まっていく。ここではその中でも特に有名な武将を少しだけ紹介しよう。
まずはやはり廟の中心に祭られていた劉備元徳から。言わずと知れた蜀の皇帝であり、その人生の大部分を流浪に費やした苦労の人である。ちょっとプックリしてる気がするのは見間違いだろうか。
周囲には、劉備の養子の劉封や蜀を最後まで保とうとした劉玄の像もあるのだが、何故か「阿斗」こと劉禅の像が置かれていない。やはり蜀を崩壊へ導いたとされる暗愚の代表格は、祭られる資格がないという事なのだろうか。昔はあったらしいのだが。 -
右室に控えるは、劉軍にこの人ありと謳われた名将・関羽雲長像。勇猛にして義に厚い、男の中の男である。
しかし、現在は何がどうなったのやら、商売の神様として世界各地の中華街で祭られている。横浜にもあるよね、関帝廟。でも関羽に商才を発揮したエピソードなんてあったっけか……?
同室には、息子の関平・関索・関興の像が並んで祭られている。関家は代々名将に恵まれたようだ。3人の息子(1人は養子だが)とも、華々しい活躍を見せている。 -
左室に鎮座しているのは勿論、桃園の誓いを立てた義兄弟の1人、張飛翼徳(益徳)の像。劉軍きっての猛将である。戦闘中の功績や伝説の数々については、枚挙にいとまが無い。
同室には、息子の張苞と張紹の像が安置されている。父に似て、勇猛を轟かせた豪将だったようだ。劉備亡き後の蜀をよく支えていたようだ。 -
続いて武将廊へと下りてみる。
武将廊のトップに安置されていたのは、五虎大将の1人・趙雲子龍の像。幼い劉禅を胸に掻き抱き、敵軍の包囲網をたった1人で突破したエピソードは余りにも有名である。が、ここで劉禅を助けていなければ、歴史はもうちょっと変わっていたのだろう。良くも悪くも蜀の命運をその手に握ってしまった男である。
隣には、ガラス枠で見えなくなっているが馬超の像、その隣には白髪の黄忠の像もしっかりと並んでいる。五虎大将、現在にても健在である。
他には、劉備決起当初の盟友である簡雍や、諸葛亮がもっとも頼りとした(斬ったけど)馬謖、諸葛亮亡き後の蜀を支えた姜維の像などが置かれている。 -
文臣廊のトップの位置に安置されていたのは、「鳳雛」こと龐統士元の像。当代最高の名軍師であり、「臥龍」と言われた諸葛亮孔明と並び称された。蜀建国に多大な功績を残し、彼の早逝が蜀軍の最大の損失とも言われている。赤壁の戦いにおける「連環の計」の奏上がもっとも有名なところだ。
隣には、諸葛亮も一目置いたという2名の軍師・法正と徐庶の像も置かれている。
他にも、陳珪の息子で劉備と親交の深かった陳登や、法正と共に入蜀後の劉備を支えた張松の像などがあったのだが、肝心の彼の像が無い。
諸葛亮・孔明の像が。 -
「武侯祠」と描かれた門。奥に小さく見えるのは、まさか、諸葛亮の像?どうも孔明さんは他の武将よりも扱いが大きいらしい。さすが「武侯祠」というだけの事はあるが、いくら人気があるとはいえ、劉備を食っちゃダメでしょう。出すぎた杭は打たれますよ、孔明さん。
「三顧頻煩天下計」とか「出師表」とか、いかにも諸葛亮さん限定っぽい札がいくつも架けられている。 -
武侯祠入り口。おうおう、中に何か見えますなぁ。
「昭烈公」たる主人の劉備を差し置き、今、武侯がその全貌を現します! -
ついに出ました、武侯祠の大ボス、諸葛亮孔明像の登場です。うわー、軽くピンボケしてるー!俺、完敗。
彼については、もう書く必要もないほどに有名でしょう。というか、とてもエピソード全てを書き切れないよ。「三顧の礼」「天下三分の計」「赤壁での風読み」「北伐」「泣いて馬謖を斬る」「死せる孔明、生ける忠達を走らす」……有名どころだけでこれだけある。
周囲には、叔父の諸葛玄や弟の諸葛均、呉に使えた兄の諸葛瑾と息子の諸葛恪、魏に仕えた諸葛誕の像などが安置されている。諸葛一族は三国全てに軍師として関与し、裏で操っていたようだ。恐るべし、諸葛家である。 -
続いては、武侯祠の更に裏にある「三義廟」という館へ出向いたのだが、ここにはまたまた劉・関・張の像が。なるほど、3人の義兄弟だから三義なのね……
うーん、何でまた劉備さん達が祭られているのかイマイチよくわからん。どーせなら一箇所にまとめておいてくんろ。 -
以上で武侯祠の楼閣部は終了。次は隣に造られた庭園部へと足を運ぶ事にする。
まずは「桃園」と名付けられた一角。この名前がつくからには、当然義兄弟3人がいるんだろうと思っていたら、何と石を削って作られた3兄弟が鎮座していました。これは予想外の展開。荒削りなのがかえっていい感じ。
しかもご丁寧に、酌をする小童子の像まで造られていた。いや、何もそこまでしなくても…… -
絳雪園の風景。やっぱり水場は落ち着くね。しばらく橋の欄干に腰掛けて、まどろみたくなる。
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「孔明園」なる一角が設けられていた。興味深々で入場する。
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「知恵の扉」と銘打たれた扉があった。何でも、この扉の鍵を解いた者は賢いらしい……をい、それだけかよ。何か授かったりするわけじゃないのね。
おまけに俺の目の前で男の子が10秒ほどで鍵を解いてしまった。うわー、知恵の扉も形無しやなぁ。でも、その男の子の前に必死で解こうとしていたおばちゃんが3分近くかかっても解けなかったあたり、やはり難しいのかもしれない。
一番笑えたのは、解けた鍵を再びかけ直そうとしているスタッフさん。何とこの彼、鍵が難しすぎてかけられないのだ。かけようとしても鍵がずり落ちてしまう始末、うーん、どちらにしろ一苦労なんだな。 -
諸葛一族の系譜を記したもの。
諸葛一族は三国時代だけでなく、その前後の時代においても広く活躍していたようだ。 -
博物館に安置されていた京劇の衣装。
左が関羽専用、右が黄忠専用の衣装だそうだ。
そーいえば京劇ってみたことないなぁ。日本でいう歌舞伎や能のようなものなのだろうか。 -
いつの間にか武功祠を抜け、西隣の公園へ迷い込んでしまっていた。げっ、まだ恵陵の写真とか撮ってねぇ!けどもう遅い。ゲートのねえちゃんは頑として俺の再入場を認めてくれなかった。ぐすん。
人々が思い思いに時を過ごしていた。舞踊に興じる集団、毛筆を行う者、凧揚げを行う者、太極拳(出た!)を演ずる者……飾らない本当の中国の一面がここにあった。 -
ここは1930年代の英雄烈士・劉湘さんのお墓のようなのだが……誰?どなたか教えて下さい。
それよりも、英雄烈士という文字面には、どことなく反日の薫りが漂っていると思うのは俺だけだろうか。 -
烈士公園から武侯祠を挟んで逆隣、錦里という繁華街へと向かう。ここは古代中国の風情を復元して商店街化した地域で、成都で最も人が集まる場所の1つだそうだ。何が出るかな、何が出るかな♪
夜がせまってきている。 -
張飛らしいカッコをしたスタッフ。どうやらここは、半商店街、半テーマパークのような場所のようだ。
張飛さんよ、ガードマンと話し込んでる暇があったら、敵の1人でも討ち取ってきたらどないでっか? -
平日の午後だというのに人は多い。みんな、何してるの?
妙に落ち着いてしまう俺がいるのだが、なぜだ?こんなに人が多いというのに。 -
錦里内はこのような感じで両側にショップが立ち並んでいる。中国版原宿とでもいえば案外しっくりくるかも?売ってるものは全く違いますが。
ぶらぶらと歩き回ってみる。 -
錦里内で面白いものを発見。これ、何と旅仲間を探す掲示板なのだ。ある紙には「労働節休暇を利用して九寨溝へ行きませんか?18〜25歳くらいの女性大歓迎!僕らは4人なので、4人ずつでどうですか?」といった内容が書かれて貼られていた。日本でこんなのを目にしたことは全くない。きっとここ独特の文化なのかなぁ……
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錦里内。外国人観光客もかなり多い。欧米人から見たアジアの文化というのは、きっと自分達が欧米文化や芸術を見るのと同じくらい、異質で新鮮なものなんだろうなぁと思う、今日この頃。
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続いては小吃街。一品屋台街だ。「粥」の文字が見える。
うぅー、そういや腹が減ったな。何か食お。 -
粥。
以上。 -
隣の席にいつの間にか上がりこんできた野良猫。隣の席の客達が食べている机の上のヒマワリの種をじーーーーっと見据えていた。盗る気まんまん。じっと客の関心が散るのを待っている。
数瞬後、猫はお店のお姐ちゃんに追い散らされてました。ちゃんちゃん☆ -
こういうほのぼのした雰囲気って好きだな。そうか、俺が落ち着くのは雰囲気がとてもゆったりとしてるからなんだ。そりゃあ、仕事は殺伐としてるからなぁ。
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錦里内で、ステージを発見した。こ、これはまさか!
受付のお姉ちゃんに確認したところ、これはかの有名な「川劇(四川の劇)」の舞台なんだとか!川劇といえば、変面(演者が袖で顔を隠す僅か一瞬の間に仮面が変わるという、川劇独特の演目)で有名ですよね。もっとちゃんとした劇場へ行かなければ見られないと思っていたが、まさかこんなところでチャンスが巡ってくるとは。夜の8時から開始だというので、チケットを即買いました。でも今考えてみれば、もうちょっと値切るべきだったかな……嬉しさのあまり、中国での基本を失念しちゃってました。 -
川劇が始まるまでいま少しあるので、もうちょっとだけぶらついてみる。
夜の帳がだんだんと下りてきている。錦里内の電灯や提燈にも、火が入り始める。幻想的な光景が、次第に俺の周囲に広がっていく…… -
食い意地の張っている俺なので、また食う。今度はあんこ饅頭に、必殺の臭豆腐!むぉっ、臭い!でも美味い!
ちなみにこの臭豆腐、ウチのおふくろが瀋陽に来た時に食べさせたのですが、一口食うなりみるみるしかめ面になり、2度と食べたくない素振りを見せてくれました。こんなにウマイのになぁー。 -
さて、日も落ちたことだし、川劇がそろそろ始まるな。劇場へ向かうとするか。
俺の座った席は真ん中やや後ろより。ちょっと遠かったかな。
俺以外には、やはり外国人観光客の姿がよく目に付いた。アジア人がヨーロッパの演劇を見るような感覚で、彼らはこれを見ようとしているのだろうか。 -
午後8時。いよいよ川劇が始まった。
と、出てきたのは中国古典楽器の楽団一行。何やら音あわせのようなことをしているが、これも演目なのか?どうもノリが悪い気がした。ふと外国人観光客の様子を見ると、彼らもポカンとこれを見ている。おいおい、大丈夫かこの川劇。
結局大した盛り上がりもないまま、彼らの出番は終了。 -
すると、どうやら司会らしいおねえちゃんが出てきた。とすると、さっきのはオープニングテーマだったのか?うーん、変えた方がいいんでない?
このおねえちゃん、現実は写真よりはるかに色っぽい。何か場違いな空気すら漂わせつつ、川劇について解説してくれていた。 -
なんか、教育TVの人形劇みたいなものをやり始めた。これも川劇の特徴の1つなのか……?
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お次は、おちゃらけた2人組が観客の中から1人選んで、剣を投げつける芸を披露した!ぎゃー怖い!
何しろ、剣を投げる方の人間のコントロールがムチャクチャ。デモンストレーションでは人形のど真ん中に命中してました((((゜Д゜;)))ガクガク
でも、実は怖いのは選ばれた観客のみ。目隠しをされて何が起こってるかわからないうちに、2人組はそーっと傍まで寄って剣を観客の体の横の部分に刺し、そーっと離れていくんです。見ている観客は大爆笑。されている観客は唖然……つーかサクラちゃうん?コレ。 -
さぁさぁ、いよいよ変面軍団の登場です。どこからどう見ても中国版の戦隊ものか聖○魔?にしか見えませんが、とにかく変面です。と思ったら写真ボケてるー!!だって暗い上に遠かったんだもん!
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すっげーわかり辛いですが、面はこんな感じです。これが袖を一振りするごとに本当にくるくるくるくる変わる変わる、さすが変面といったところです。14〜5回くらいは面を変えていたかな?
1度だけ仕掛けが見えました。どうやらあの面は額の飾りの部分に収納されていくようですが、それにしてもあの数の面を収納するのは難しいのでは?一体どんなしかけなんだろう……川劇、おそるべしです。 -
リーダーが激しく踊りまくっているのでボケていますが、その他の4人は綺麗に収まりました。
やっぱりどう見ても、戦隊ものにしか見えませんでした。すると俺らは「ヒューヒュー」いってるショッカーもどきに相当してしまうのか?それはいやだ。 -
どうやら終盤かな?お笑い2人組のような男女が出てきて、何やら漫才をしています。男の服装がかなり特徴的な上に、「おねえちゃんがお饅頭を食べたんだい!」みたいな事を言っててかなり笑えます。
が! -
どうしたらお饅頭からここまで発展できるのだ!?
何とこの男、ろうそくを頭に乗せ、そのままぐにょぐにょ舞台上を這い回りだしたではないか。
動く動く、まだまだ動く。2つの台の下をくぐり、途中で体を反転させてまたくぐり、よくもまぁここまで動くものだ。蛇が取り憑いたとしか思えない。しかも、ろうそくは決して落ちないのだ。断っておくが、接着剤の類は全く使っていない。川劇、まさに恐るべしである。 -
最後はさすが蜀の古都らしく、劉備(中央)、関羽(左)、張飛(右)の京劇役者が閉めた。うーん、マジかっこいい。
いつの間にか、外は雨が降り出していたようだ。ちょっと肌寒いや。早いトコ宿に戻ろう。 -
夜の錦里を歩く。
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夜の錦里。
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琴を弾くスタッフのおねえさん。なかなかの美人だ。
物悲しげな音色が、雨に濡れた錦里を彩っていく。
日本の琴とは違うようだ。中国の琴は、何ていう名前なんだろう……それよりおねえさんの名前が知りたい俺はきっともうダメなんだと思う。 -
店じまいをする商店のおっちゃん。どうやら、今日の観光もそろそろおしまいが近づいているようだ。
シャッターじゃなく、木製の板を使っているのね。このあたりもさすがの錦里です。中国らしいというか、ある意味中国らしくないというか…… -
こんなトコにまである節操無きスタバです。そういえば、北京故宮のスタバはあまりに景観を損ねているとして、閉店させられましたね。俺からすれば「そりゃ当然だろ」という感覚です。むしろ今まであの暴挙を放置しておいた北京市政府の感覚を疑いたくなります。
日本ではスタバって結構愛用してました(渋谷Q−FRONTとか)が、中国に来て多少イメージが変わりました。日本と中国じゃあ会社自体が違うんでしょうけれども……もう少し一般常識を身につけてよ、スタバさん。 -
という事で、長きに渡り掲載してきた四川探訪も、これにて終了となります。見に来てくださった方々、本当にありがとうございました。またいつか訪れてくださりますことを、スタッフ1名、心よりお待ち申し上げております。なお、家に帰るまでが遠足ですので、下校途中の買い食いはお控え下さい。
四川探訪 これにて終了。次回からは川雲紀行がスタートします。
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この旅行記へのコメント (2)
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- momoyukiさん 2007/08/15 09:50:37
- 四川は・・・
- ぱんぱーす様
四川省、見所満載ですね〜。
地球の歩き方を見て、この大仏はおおきいのだろうな〜
と思っていましたが、本当に大きいですね!
実際に見たら、迫力あるんだろうな〜。見てみたいです。
東京にある、四川料理のお店で麻婆豆腐を食べたら
(日本では大抵入っていない)花椒が付いてきたので
入れてみたところ・・・痺れました。
陰陽師も三国志もロマンを感じますね〜。
関羽の商売の神様についてですが
ウィキによると、信義に厚いからとありました。
そう言われても、いまいちピンとこないのですが。。。
関羽さんが、そろばんを発明したという伝説まであるそうです(笑)
momoyukiより
- ぱんぱーすさん からの返信 2007/09/06 08:30:25
- RE: 四川は・・・
- またまた旅行にいっていたので、返信が大幅に遅れました(^^;
関羽が信義に厚いのは認めますが、曹操的には「こ、このやろう……」と疑問符がつくようなヤツだったのでは(笑)徐庶の引抜きには成功しましたが、関羽はすぐに劉備のもとへとっとこ去ってしまいましたからねぇ。
まぁ曹操も姑息な手で引き抜こうとしたんですから、お互い様といえばお互い様ですかね?
関羽がそろばんを発明した伝説は初耳です。一体どんだけ彼に付加すればいいのだ?信義→商売→そろばんの飛躍がいかにも中国らしいですね。
さて、先月後半いっぱい使ってまた四川に行ってきました。一部雲南にも足を運んでいます。まったり更新ですが、見ていただけると幸いです。
それでは。
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