2007/04/21 - 2007/04/21
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ぱんぱーすさん
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仕事の都合上、瀋陽に帰らねばならない同僚と別れ、俺は1人で成都をぶらつく事にした。といっても、俺も明日には同僚と同様に瀋陽へ帰らねばならないので、見る場所もかなり限定される。さて、何を見に行くか……
四川探訪第4弾です。今回は、中国道教の総本山である青羊宮、そして偉大なる詩聖、杜甫の足跡を追って周りました。封神演義好きな方なら、色々気がつかれるかも?それではどうぞ。
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朝の成都駅前。車やバイク、それに列車に乗ったり切符を買ったりする客でごった返している。
さすがに省都の駅、ハンパじゃない混み具合だ。こりゃあ早いトコ目的地行きの路線バスを見つけて乗り込まないと。 -
杜甫草堂に向かおうとしたのだが、間違ってバスを早めに降りてしまった。もう1度乗りなおすのもしゃくだし、距離もそんなに無いし……歩く事にする。
中国の裏通り。朝から沢山の人々が青空市場に集まっている。思い思いに食材を買い、近所の友人とおしゃべりし、時には怒号が飛び交い、混沌が入り混じりあう、ちょっと土臭く埃っぽく、それでいて不快感を感じさせない、活気に溢れた中国の真実の1ページがここにありました。 -
という事で、えっちらおっちら杜甫草堂に到着。
早速入ってみる。
杜甫といえば、李白と並ぶ中国漢詩界の両巨頭だ。李白がどちらかというと現世から一種離れたかのような詩を多く残したのに対し、杜甫はより現実的な詩を残したらしい。 -
入ったところ。
とにかく、自然が多い。森林ウォーキングを街中で行えるとすれば、まさにここは最適ではなかろうか。 -
木々の隙間からは、池が見える。こういった構図の場所は数多くあり、疲れた都会人の心を優しく癒してくれる。
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四重の塔。破れ長屋のようなところに住んでいたらしい杜甫らしくない建物。
まぁ、これ全部が杜甫の時代(唐代)からあった訳ではないだろうし、後に建て増しされたものも多いのだろう。自然体を好む杜甫らしくないように思えた。 -
水檻と銘打たれた楼閣の一角。
杜甫はここで豊かな自然の景色を眺めつつ、釣りをしたりぼーっと立ったり座ったりしながら、詩を考えたりしていたらしい。
ちなみにこれは清代に修復されたものらしいが、かなり状態がいい。やるな、中国。 -
杜甫様。
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「茅屋為秋風所破歌」という歌はどこかで学んだ覚えがあるが、忘れてしまったようだ。
内容としては、8月の秋風で住んでたボロ屋の屋根が吹っ飛んだとか、陥れられちゃってどうしようとか、秋は暗くなるのが早いし、雨露も凌げないのでしんどいよーとか、何かもう自虐に満ちた歌。何でこんな歌が有名になったものやら…… -
これは別の杜甫像。2枚上と比べて、貧乏に耐え続けるうちにやせ細ってしまったかのような印象を受ける。こちらの方がもしかしたら本物に近いのでは?
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次に見かけたのは、神になってお堂に祭られていた杜甫さん。まさに杜甫づくし。
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とここで、杜甫草堂の存在自体を揺るがしかねない石碑を発見!
「少陵草堂」
をいちょっと待て〜い!もしかしてここは、元々杜甫とは関係ない草堂であって、観光客を集めるために無理矢理杜甫関連のものをくっつけたんじゃあるまいなぁ?集められそうなものは何でもかんでも1箇所にまとめてしまう中国気質はよーく知ってるので、ちと不安。 -
杜甫の住んでいた草堂を再現した家屋。ほほう、これはなかなか風情のある景色にまとまっているではないですか。日本の侘び寂びにも通じそうな、落ち着きのある光景です。赤色をふんだんに使いまくる中国と、このような慎ましやかな中国が同じ国とは思えないぜ。
ここは売店として使われていた。毛筆の作品など、かなり場にマッチした売り物に一瞬気をひかれた。空気読みまくりじゃないですか、ココ。 -
草堂のたもとの池で、思い思いにたわむれる鯉。
何ともほっとする一幕だった。 -
杜甫の草堂を再現した家屋。おそらくこちらが観光用の草堂だろう。昔の家財道具の複製などが安置されていた。
茅葺きの屋根に穴が開けてあったり、わざわざ壁にひびを入れてボロさをアピールしているあたり、相当な力の入れようだった。でも、結構楽しめましたよ。ただ、日本の侘び寂びの世界とはまた少し違った気がする。茶の湯なんてとても楽しめる雰囲気ではなかったし、仏教文化に染まっている風でもなかったし。
ボロ屋はボロ屋ということか。 -
整えられた庭園。
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杜甫草堂の一角。風情のある通りが、雰囲気をそれとなく引き立てている。
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「草堂」と書かれた壁。
何と、俺のブログでは有名なあの毛沢さんがここに来ていた写真があった。よくは知らないが、身長が180cm以上あったとか。当時のアジア人にしては相当な大柄だったのだろうか。でも後年、田中角栄さんと一緒に映ってる写真などを見る限りではそうも見えないのだが…… -
その壁の近くで佇んでいらっしゃったのは、女の子座りした杜甫さん。アナタ、何体の像があるのさ?「杜甫像オリエンテーリング」とかやったら……流行らないか、やっぱ。
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上の杜甫像の背後には「大雅館」なる館があり、中国の著名な詩人の像がいくつも置かれていた。代表的な方々を紹介しよう。
まずは白居易さん。俺はずっと李白・杜甫・白居易の3人が三大詩人だと思い込んでいたのだが、どうもそうではないらしい。日本では有名なのだが…… -
続いては、美白な李白さん。大手を振って、俺の来訪にこたえてくれています。
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で、これが屈原さんという詩人の像なのですが、実は彼こそが中国三大詩人の1人なんだそうです。でも俺、全然知らんぞこの人の事。日本ではあまり馴染みがないのか、それともただ俺が無知なだけなのか。
何か木に封印された悪い魔法使いのように見えてしまう。 -
という事で、杜甫草堂はそろそろ終わり。南門から出る事にします。
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南門を出たところにあった像です。左から「曹丕」「曹操」「曹植」という魏の王の像が並んでいたのですが……チョイ待ち。ここは蜀の都だった訳でしょう?五虎大将とか劉備一族の像が立ち並んでいるなら非常に納得がいくのだが、何故に曹家の像なの?意味がわからない。
他に袁家の三傑の像が並んでいたり、他にもあった気がしたが、蜀関係のものはなかった。 -
ここは素晴らしいね。駐車場の外側だというのに、景観を壊さないように楼閣が造ってある。行動なのだから必ずしも杜甫草堂の管轄ではないはずだが。
このあたりで、10年も一線級で履き続けてきたGパンが耐久性を失って全体的にビリビリになってしまい、トランクスが外から見えそうになるというハプニングに見舞われ、慌てて新しいGパンを買いにショッピングセンターへ走ったことは割愛するとして、次の目的地、道教の総本山・青羊宮へ行く事にしよう。 -
という事でやってきました青羊宮。巨大な狛犬が出迎えてくれます。道教の総本山的な存在であるだけあり、かなり保存状態もよい門でした。日本でいえば、成田山新勝寺くらいの位置づけなのだろうか。そんな事をコメントする俺は、元千葉人です。
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宮門の隣には、車輌通行用の小さい門が別途設けられているのだが、そこの看板に記されていたのが
「四川省道教協会」「成都市道教協会」
うーむ、もしかしてここは凄いところなのか? -
でも使われているお線香は、中国各地で見かける巨大線香だったりする。この線香のルーツは一体どこから始まるのだろうか。
回廊を抜け、奥へと進む。 -
これが道教の印章の原型らしい。
これは……もしかして陰陽道のマーク?ちょっと黒白の混ざり具合が激しいが、間違いなく陰陽道のマークだ。道教って、陰陽道のことなのか……? -
混元殿という建物。中には道教の祖となった(らしい)混元祖士という人物が、神格化されて祭られている。
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お次は「八卦亭」と呼ばれるあずまや。八卦といえば、占いなどでよく聞く上に、陰陽道では欠かせない方陣の1つではないか!こ、こいつは確かに道教=陰陽道で間違い無さそうだぜ……
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」 -
三清殿。一般参観者の参拝できる神殿の中では最も大きなもののようだ。
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斗姥殿。ここは唯一明代から残っている宮殿らしい。凄いな、明代といえば、足利義満の時代の遣明船なんてのが思い浮かぶが、ざっと600年前から残っているのか……大したものだ。
しかし、それより驚いたのがこの宮殿の解説だった。要点を載せると
「先天大梵斗姥元君の神像を中心に、左に虚空無上地母慈尊像、右には西王母神像、両側には北斗七星と南斗六星及び南極長生星君の神像がある」
YOUはSHOCK!!愛で空が落ちてくる!!
という事は、ここは北斗と南斗の地なのか?「元君」ってのは元斗皇拳を指すとでもいうのか?!天帝がいるのだろうか???!!! -
唐王殿。唐の初代皇帝・李淵さんがちゃっかり祭られちゃってます。そこまでして神になりたかったのかよ。
当然?参拝者は多くありませんでした。 -
三清殿裏の軒を支える柱には、見事な彩色で模様が描かれている。思わず目を留め、見入ってしまう。
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青羊宮の最奥部に飾られていた壁と文字のレリーフ。
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二僊殿と銘打たれた、赤色の見事な宮殿。
太上老君とか太乙真人とか、封神演義に出てきたような崑崙山の神様が集まりまくっていた。ここだけでなく、周辺の宮殿にもどこかで聞いた事のある名前の神様が一同に会していた。
太公望はいませんでした。 -
名前は忘れましたが、なかなか立派な宮殿が続く青羊宮の最奥部。
この青羊宮、別に歴史的な建造物を保存しているだけではなく、まだまだ拡張工事を続けているようだった。まぁ、現在でも使っているからね……
青羊宮の更に奥にある林の中の歩道には、かなり素晴らしい技術で布に彩色画を描く老人の一団がおり、韓国客などを相手に商売していた。これがまた綺麗なんですわ、写真を撮り忘れたのは大失敗だったかも。 -
道教の道士。もう、見たまんまの中国式陰陽師。いきなり手から式神とか召喚しても何ら違和感を感じない。阿倍晴明あたりはちゃんと中国の道教の流れを組んだ陰陽師なのだろうか?
道士様は地道な修行中の様子で、せっせと庭掃きに勤しんでいた。映画や漫画で出てくる、魔方陣やら何やら使いまくって戦う陰陽師を見た時、本物の道士は何を思うのだろう…… -
「道徳経」とあるが、これは道教の経文か何かだろうか。
時間をかければ日本語に要約できない事もないが、そんな根気はちょっと無い。翻訳業務は俺の専門ではないので、あしからず。 -
青羊宮に来ていたクール・ビューティ。俺らしくない写真だったかな。
さて、青羊宮もこれにて終了。微妙な時間が余ってしまった。どうするか…… -
という事で、青羊宮から北にある王建墓(永陵)へとやってきた。何でも、唐滅亡後に五大十国時代の前蜀を打ち立てた皇帝王建の墓らしいです。おぉ、一応「蜀」と名前がついてはいるが、俺は全く知らん。
あぁ、無知な俺……成都市は武候祠、青羊宮、杜甫草堂と並んで重要な文化財だと位置づけているというのに。 -
入り口から墳墓までの通路には、石造りの馬などが置かれていたが、多分これは後世に造ってここに置いたものだろう。
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墳墓の入り口。中はかなり暗いので写真はほぼ不可。
秦の始皇帝陵もそうだったが、灼熱の水銀を墓の至る部分に流すことによって、盗掘を防いでいたらしい。
中は三室に分かれており、中室に石棺が安置されていて、石棺や周囲の壁面には、楽器を掻き均し、艶やかな舞を踊る男女の絵がいくつも描かれています。当時の芸術文化の情報を知る上で貴重な資料になっているそうです。
歴史的価値から見たら、杜甫草堂より上かも知れん。集客力は圧倒的に杜甫草堂だろうけど。 -
墳墓の裏から。こんな感じですっかり木々に覆われてしまっている。1942年に防空壕を掘ろうとして偶然発見されたものだそうですが、確かにこれだけカムフラージュされてれば、何があってもわからないかもな。
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永陵の風景。街中のはずなのだが、思いがけず騒々しい喧騒を忘れてしまうそうになる。
実際、忘れにきている中国人も結構いた。 -
発掘が行われていた当時の写真が、永陵の隣にある博物館に残されていた。なぁんだ、永陵のあの木々は、後から植林したものだったのか。
こうやって見ると、結構なスケールで発掘が行われていたことがうかがえる。 -
王建墓内の石棺や壁面に描かれている楽団の様子をまとめた資料が博物館にあったので、ここに公開する。
和鼓とか、日本のものとは全く違うもののようだ。和太鼓かと思ったのに。
さて、それではお待ちかね(自分でも待ちかねてた)、劉備元徳や諸葛亮孔明、関羽雲長に張飛翼徳、三国志の綺羅星が集う地、武侯祠へと向かう事にしましょうか!
四川探訪Part4 終了
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